女たちの秘密の話2
『死ぬほど嫌ってわけじゃないなら最終的にはクリスの話を聞いてあげて。チャンスをあげて頂戴ね』
夜も更けてシャルロッテの意識が眠気に支配される直前、優しい手つきで頭を撫でられながら、エマの声が聞こえた気がした。
『私が代わりに、残してきた最後のチャンスをシャルにあげるわ』
良く分からなかったけれど、エマがなにかをくれるというのでシャルロッテは頭を無理やり動かして頷いてみせた。
『モタモタしていると捕まっちゃうでしょう?シャルが無理でも何でも、あの子はきっとあなたを捕まえるわ…時間稼ぎしかできない母親を許してちょうだいね…』
◇
「ってさま…シャルロッテ様!」
遠くから、シャルロッテを呼ぶ声が聞こえる。
目を開けてもぼやける視界に映るは濃い木の色。あれ?と思って目をぐるりと下に、右に、左にとゆっくり動かす。狭い部屋にいることだけは分かって違和感を覚えた。
ぱちり!
覚醒した瞳で見回せば、いつもの部屋じゃない。明らかに質素で狭い。そしてなんだか視界が揺れている。状況の把握ができない頭でのろのろと起き上がったシャルロッテは、横に立っているローズとリリーを見てほっとした。そして『そうだ、ラヴィッジに来て…それから…えっと』と、何かを思い出そうと頭を回転させ始めた。
すると真剣な顔をしたリリーが膝をついて、白い封筒を差し出してくる。ずっと持っていたらしく、リリーの手の汗でちょっぴり湿ったその封筒を受け取った。
「お読みください。エマ様からです」
ぺらりと裏面を見れば確かにエマの署名。戸惑いながらも封を開けて読み進め、そしてシャルロッテは絶句した。
立ち上がり走り寄った壁にある、小さな丸い窓。布が被せてあるのを引っ張り取って見れば、どこまでも続く濁った海と曇り空。耳をすませばゴゴゴゴゴと波を切る音。
そう、ここは船上だった。
『拝啓 船上のシャルロッテ様へ』と書き出されたその手紙には『普通に暮らしてみたい、学園に行ってみたかった、留学してみたい―――そんなシャルの願いを全部叶えることができる、黄金の招待状を贈ります。今から西国の女学院へ二年留学していらっしゃい。目が覚めて船の上でびっくりしたと思うけれど、レンゲフェルトから逃げたかったらこのくらいしないとダメなのよ。後は私がなんとかしておくわ、たまにはお手紙ちょうだいね』と記されていた。後半には西国到着後にシャルロッテがとるべき行動が細かく指示されており、とても酔っ払いの書いた手紙とは思えない。
昨夜は楽しくなってペラペラと本音を話した。でもそれは、まさかエマが全てを叶えてくれるなんてこれっぽっちも思っていなかったからだ。ラヴィッジに一、二年くらい置いてもらえればとは思っていたが…。
まさかこんな大事になるとは…!
「どうぞ」
立ち尽くす主人にローズがグラスに注がれた水をスッ、と差し出してくれる。震える手で受け取って飲み干せば、少しだけ思考がクリアになる。
そして思い至ったのは、巻き込んでしまったリリーとローズ二人への申し訳なさ。顔を青くするシャルロッテはおそるおそる問いかけた。
「二人は…良かったの?」
「もちろんです」
「問題ありませんわ」
間髪を容れずに返ってくる二人の返事は迷いがなく、どちらかというと明るい声色だったことに少しだけ安心する。しかし、二人の家族へも申し訳ない気持ちで一杯である。きっと、とんだ最低最悪なワガママ娘に仕えていると思うことだろう。
(いきなり娘が外国に行くなんて…!しかも雇い主の娘のほぼ家出に付き合わされて…)
「むしろ、シャルロッテ様の方が戸惑ってませんか?私はワクワクしてます。西国は古く男女比が均等だったころの名残で、女騎士も多いと聞きますし」
「ホント!私は以前から西国の服飾に興味がありましたのよ!こんな又とないチャンスを頂けてとぉっても嬉しいですわ~!」
「それならいいんだけど…詳しい話、聞いてる?」
コクコクと頷く本人たちが本当に嬉しそうだから許してもらおう。
しかし、まさかエマが本気だったとは。
ちょっとの間匿ってくれるどころか、国外脱出をさせてくれるとは思いもよらなかった。
段々と思い出せば、エマの言うことを酔っ払いの戯言と思ってシャルロッテは本気にはしていなかった。
エマは、『シラーに耐えられなくなった時に逃げられるように』と、お友達に貰ったという黄金の招待状と呼ばれる、とある学校の入学許可証を譲ってくれた。それは国外で安全に暮らすための切符であり、港という地の利を持つラヴィッジだからこそ使える…国外脱出という抜け道だ。
貰った、そしてそれは薄らと覚えている。
だがしかし!
まさかの即日出発とは聞いてない。
(せめて事前に教えてくれたら、クリスに手紙でも書いたのになぁ。そんなもの気にするなっていうお義母様の優しさなのかしら?)
三日ほどの船旅をシャルロッテは一歩も外に出ることなく過ごした。部屋には小さいながら洗面とトイレもついていて、食事はリリーが取ってきてくれるので生活には困らない。説明されたところによると船の中では最上等の部屋らしいが、快適な生活に慣れていたシャルロッテは初日からうんざりしていた。だってシャワーがない。
日がな一日小さな小窓から外を眺めては、どうにも後ろ髪引かれるような胸の重さや焦りを消化できずにいた。クリストフのことが気になるし、エマが怒られたりしていないかも心配だ。
エマは「(クリスに)ちょっとばかり痛い目みせてやりましょう」とか「『言葉じゃなくて態度で分かれ』って(シラーが)言うなら、こっちもそうしましょ!」何とか言っていたけれど、やっぱりちょっと冷静になるとやりすぎかなー…とも思う。思うだけで今更帰る気はサラサラないのだけれど。
◇
到着後は港に併設された宿にエマから貰った『黄金の招待状』を見せ、そのまま一泊して、迎えに来た馬車に乗った。
馬車は半日ほど走って山へと突入し、いつしか長く連なる石壁の横をひた走り、鉄の重厚な扉へとたどり着く。
どん!とそびえたつのは城である。
ここは古くは未婚の女性を対象とした、王侯貴族や資産家の娘が礼儀作法や少々の教養を学ぶための機関として設立されたという―――西国立貴族女学院。
現代においては礼儀作法と教養の割合は逆転し、外国についての文化・芸術を深く学ぶための専門学校として名を馳せている。ちなみに、未婚でなくとも入学はできるが、完全寮制の男子禁制。付き人も女性のみしか入れないという徹底っぷりだ。
「すっごい…」
西の国は、シャルロッテの住んでいた帝国よりも国力や兵力はぐっと落ちる。しかし古くから文化を大切にし、近年では芸術に素養の深い国として有名になっていた。いまだに奴隷制度などが残っているのも、古いものを変えぬことを美徳とする国民性のため、だそう。
鉄扉の奥には、真っ白な髪をきっちりとひっつめた老婦人が一人きりで、まるで幽霊のように佇んでいる。馬車は彼女の目の前で止まり、御者によってドアが開けられた。
「ようこそ黄金の招待状を持つ方。私たちは貴方を歓迎します」
老婦人は優雅に腰を折って、何を聞くこともなくシャルロッテへと淡々と入学についての説明をする。エマに持たされていたお金をそっくりそのまま渡そうとすると、ピクリと眉を上げた老婦人は「こちらでよろしいかと」と、三分の一ほどを残して持っていった。
そうして案内された城内は大理石の敷き詰められた玄関ホールに螺旋を描く白い大階段と、入口及び教室は大変豪華な造り。しかし居住区は割とレトロ。温かみを感じられるので、シャルロッテとしては嫌いじゃない。
(私、ここで二年間…普通の女の子みたいに暮らせるんだ)
もちろん全寮制なので外に遊びには行けないだろうが、それはここにいるすべての女の子が同じ条件なわけで。それならばいくらでも我慢できる、とシャルロッテは思った。
割り当てられた部屋には小さい使用人用の部屋が併設してあり、やはり王侯貴族が使用していたという名残を感じる。今は貴族平民に関係なく入学できるが、世界中から学ぶ志の高い、お金の払える女子がずらりと待機名簿に名を連ねているらしい。それらすべてをスキップできるのが『黄金の招待状』と呼ばれる特別入学許可証で、滅多なことでは手に入らない大変貴重なものだそう。
(お義母様って…何者?)
シャルロッテの知らない事実だが、エマは王妃と親友。王妃は『国外の女学院なら、さすがのレンゲフェルトでも追っかけてこられないでしょう?だって入れないもの!』と、本気で嫌になったら逃げられるようにと贈っていた。まさかエマの次の代で使うことになるとは、王妃も思っていなかったに違いないが。
こうして始まった学校での生活は、シャルロッテにとってはすべてが新鮮だった。二十人ほどのスクールメイトは皆個性的で、出身国も、話す言葉も、学園にやって来た目的もてんでバラバラ。
「シャルって良いとこの子でしょう?礼儀作法の授業いらないんじゃない?」
「そんなことない!それに各国のマナーをマスターしたいわ」
「もうほぼ完ぺきな気がするけどねぇ。うちの国のこと異常に詳しいし…」
シャルロッテにざっくばらんに話しかけてくるのは東国の大富豪の娘だという五条川原珠代という娘で、絵を死ぬまで描き続けたいと願う芸術家志望だ。黒髪黒目なので親しみやすく、入寮後の部屋が隣だったこともありすぐに仲良くなった。
「東の国は好きなだけ。これからは、世界を相手に商売できるように各国のことを知りたいのよ。礼儀作法って、その国の文化が出るからね」
「さすが商売の女神」
暇な寮生活の潤いに、とボードゲームや玩具を談話室へと寄付したシャルロッテに「実家にこれを贈らせて!」という問い合わせがほぼ全員から成され、友達もできて各地の金持ちとの縁もでき、シャルロッテはホクホクだった。
(これで、お義母様に頂いたお金くらいは在学中に稼いで返したいわね)
シャルロッテは精力的に商品開発・販路拡大に努めていた。直接関係のあることなので、語学や諸外国の文化を学ぶことにも精が出て成績も好調。教師陣からも覚えがめでたい。
こうしてシャルロッテの日々は充実しており、物凄いスピード感で流れていった。




