女たちの秘密の話1
ラヴィッジはとある山脈の裾にある、海に面した小さな領地だ。豊富な海の幸と、囲うようにそびえたつ山の幸によって、素朴な土地ながら国中の貴族たちの胃袋を魅了する保養地でもある。観光地はあまりない。
要は食べ物の美味しい、のんびりとした田舎。
「わぁ!海よ!すごい!!」
朝早くにレンゲフェルト領を出たおかげで、シャルロッテは夕方になる前にラヴィッジに到着することができた。突然やってきた形だったがエマは笑顔で迎え入れ「お腹がすいたでしょう?仕事を片付けちゃうから、早めの夕飯でもしてて!」と、使用人に歓待を言いつけてくれた。そうして通された小高い丘の上にある東屋からは海が見え、シャルロッテは風の気持ち良いこの土地があっという間に大好きになった。
「すっごくいいところですわね~!」
「シャルロッテ様はお疲れではありませんか?」
「まったく!さあ、食べましょう!」
はしゃぐローズと気遣ってくれるリリーも一緒に、三人でこの土地ならではの美食に舌鼓を打つ。長いこと馬車に乗っていた疲れなど吹き飛ぶほどに美味しい。突然の来訪にも関わらずスイーツまでばっちり用意された食事で、お腹も心も満たされた。
「なんて幸せな…二人と来られてよかったわ!」
(最高、楽しい!こんな女子旅みたいなこと、この人生で初めてじゃない?!)
シャルロッテはすっかり当初の目的とは別に、この女三人での小旅行を満喫していた。そしてなんて惜しいことをしてきたのだろう、もっと早くここに来たかった!と後悔した。ぜひともアンネリアとも来たい。シラーもこんなに素敵な場所で毎月エマと二人ゆっくりしているのかと思うと、嫉妬すらしそうである。そのくらい素敵な場所だ。そして女子旅のなんと楽しいことか!
食事もすっかり楽しんで空が茜色に染まるころ、冷えますからと屋敷に案内されれば湯の世話までばっちりとされて、お風呂上がりにはエステまで…!つるつるになった顔と、満たされたお腹で「あとは寝られたら最高に幸せ…」と溶けそうなタイミングで、エマが仕事を片付けてやってきてくれた。
「待たせてしまってごめんなさない」
「いえ、私こそいきなり押しかけてしまって…お時間取って頂いてありがとうございます」
「もう!シャル、私はあなたの母親よ。もっと甘えてちょうだいな。結構遠いから気軽には呼べなかったけれど、いいところでしょう?これからはいつでも遊びに来てちょうだいね」
拗ねたように手を取るエマに、思わずぽっと頬を染めるシャルロッテ。ふわりと花の香りがして、手を引かれるままに一等豪華な扉へと誘われる。付き人がぞろぞろと付いてくるのを「あらやだ、母と娘の時間を邪魔しないでちょうだいね」とにっこりと拒絶して二人きりでドアをくぐる。
「ねえ、クリスのことで悩んでるのでしょう?」
ズバリと確信をつくエマはふわりと微笑んで、シャルロッテのために用意されたお茶と、自身の夕飯だという軽食の並ぶソファ席へと対面で座るように促した。食べながらで失礼するわね、と小さく謝って、そわそわと話をしたいと気配を醸すシャルロッテに「何があったの?」と聞いてくれる。しかしなんと言おうかと、しばし言い淀むシャルロッテ。するとエマは照れているとでも思ったのだろう。あらまあと微笑ましげに目を細めて「じゃあ、私が質問するわ」と切り替えてくれた。
「シャルってクリスのこと、どう思ってるの?好きか嫌いかで言ったら好き?クリスに可能性ってある?」
お茶を口に含んでいなくてよかった、とシャルロッテは心底思った。思わず口から空気の塊が出そうな衝撃を受けながら、不思議とじわりと頬が熱くなる。
「す、好きですよ。家族ですから!」
エマは嬉しそうにウフフと声を出した後に、心底安心したとでも言わんばかりにため息をつく。『嫌いじゃないなら良かったわ、我が子が犯罪者にならなくて済みそうで』とは、口に出さないエマの心の声。
「顔良し、身分良し、器量良しの優良株よ。それでいてシャルにだけ優しいというか…浮気はしないと思うし。ずっと一緒にいるから気心も知れている、相手としては悪くないと思うわ。どう、成人したら結婚してくれる?そうだわ、もうプロポーズされたかしら?」
「ひぇっ、えっ、いや、そんな!!私とクリスはそんなんじゃないですよ!」
「またまた〜」
「本当です!誓って何もありません!」
あわあわと否定するシャルロッテに、エマは順調に食べ進めようとしていたサラダのボウルを取り落としたように音を立てて置いた。「え?」と、目を見開いて混乱した顔だ。
「シャルってば、え、まさかそんな。クリスは気持ちくらいは伝えているのよね…?」
「気持ち?ああ、いや、あのですね…」
私たちの間には何もありません、と言いながらパタパタ手を振るシャルロッテ。
「嘘よ!だって、どこからどう見てもクリスは貴方のことが好きでしょう?!」
「姉としてです、ご安心ください」
「ご安心できないわ!もしかして…シャルちゃんの、今後の話とか、何も聞いていなかったりするのかしら?」
こくんと頷くシャルロッテを見て、わなわなと震えたエマはたたきつけるようにフォークを机に置く。「シラーは何を考えてるの?!」と怒りをあらわにグラスを煽った。エマはシラーから、シャルとクリスのことは『なんの問題もなく順調』と聞いていたのに!
「確かになんの問題もないわね。だって事が起きてないんだから。じゃあつまり、言わなくてもわかるだろうってことかしら…?まさかあと二年閉じ込めとくつもり…?」
ブツブツと思考を口に出して、再びぐいっとグラスを傾けて飲む。瞬間的にアルコールでカッと熱くなる喉をさすり、少々据わった目で「しんじられない」とつぶやいたエマ。シャルロッテの顔をたっぷり五秒は真顔で眺めてから、残った酒も煽りグラスを干してタンッと机に強めに置いた。
「シャルって昔から、聞き分けの良いいい子だったわ。あなたが来てくれて私たち家族は本当に幸運だった。私、あなたのことが大好きよ」
「わ、私もお義母様が大好きです!」
「あら両想いね。それじゃあ、もういい加減、その壁みたいなのとっぱらってシャルの本音を聞かせて欲しいのよ…まだ私とかシラーに緊張してるでしょう?」
酔っ払いではあるが、エマの鋭い指摘にシャルロッテは小さく息をのんだ。
「いいのよ。シラーが何を言っても、私が守ってあげる。あの人最終的には本当の本当のところで私に逆らえないんだから!」
ふふんとエマはご機嫌に笑って、手酌で酒を注ぎ足してグイッとあおる。
シラーに支配されているようでその実強かな人なのかもしれないと、シャルロッテはその時初めてエマの新たな一面を知った。
(それに比べて自分は、クリスに話も聞いてもらえない有様…仲が良い、つもりだったんだけどなぁ)
無意識に暗い顔をするシャルロッテを、エマがむーっと膨れて見つめた。ぷはぁと息を吐きながら、どうせクリスがちゃんと言葉にしていないせいで悩んでいるのだろうと直感して義娘にアドバイスを送る。
「シャル、あなたの目から見てクリスは優しかった?」
「はい。でもそれは義姉だからですし…お義母様とお義父様のような信頼関係は全然築けていなくって。昨日も全然、話、聞いてもらえなかったりして…」
「あなた考えてもしょうがないことで悩んでるわよ。レンゲフェルトの人間に信頼関係なんて言っても無駄なの。扱い方を知っているかどうか、なの」
「扱い…?」
クリストフが好きですとも結婚してとも言えていないのに、母親であるエマが『クリスと結婚したらこうやって扱えばチョチョイのチョイよ!』と言うわけにもいかない。エマはちょっとだけ迷ったが、一応息子の心に配慮してやることにした。
「うーん、それについては時期が来たら詳しく教えるわね。まずはシャルがどうしたいか教えてくれるかしら?」
そうして、まずは…と昨夜の話からシャルロッテが語って聞かせれば、話の途中からエマは怒りで鼻の孔を膨らませ酒を飲む手が止まらなくなる。三杯目あたりからシャルロッテも止めたのだが、実の息子と夫の不甲斐なさにエマは飲まないとやってられない気分で酒を煽り続けた。そして一緒に暮らせていない分、自分も状況を把握できていなかったことを悔やんでいた。
シャルロッテがそこに至る思考のプロセスである、アンネリアや商売を通して感じたことなどまで、たっぷり時間をかけて語り終わった頃。ようやっとエマの感情の高ぶりは落ち着いたのだが…。
「それでシャルは、私を頼ってくれたのね」
「はい。あの、厚かましいお願いなのですが…私、しばらくここで暮らしたくて。実はお義父様にも書き置きをしてきたのです。しばらく帰りませんって。お邪魔にならないようにします、使用人の部屋でも構いません。置いて頂けませんか?」
エマはパチクリと目を瞬かせて、シャルロッテの今回の行動はある種の家出だったのか、と理解した。
「うちにはいくらでも居てくれていいけれど…レンゲフェルトの外に、出てみたいってこと?」
「……はい」
頼られたことは素直に嬉しい。レンゲフェルトから離れたいというのは寂しくもあるが、『シャルのやりたいことをやらせてあげたい』という結論に至るエマ。だって告白すらされてないのに意味がわからない囲い込みをされて、もしかしたらあと二年クリスが成人するまでは、飼い殺しみたいに屋敷に閉じ込められる可能性もあるわけだ。
そんなのあんまりである。
エマは全面的にシャルロッテの味方をすることに決めた。
告白すらしていないクリストフに反対する権利はない。そしてシャルになんの情報も与えていないシラーにも、エマは怒りを覚えていた。
描いているであろう未来予想図(ほぼ確定)など知ったことではない。今までわがままの一つもいわなかった義娘の初めての願いを、一つ残らず叶えてやりたいと思った。
「男どもは勝手にルンルンで段取り組んでるんでしょうけれどおあいにく様。私はシャルの味方になるわ!人の人生を勝手に決めちゃって何様って感じよね?!安心して!私はシャルの意志を尊重する!!お母様、意外とツテとかあるのよ!!全部よ、ぜぇんぶ、かなえましょー!!」
かんぱーい!と言いながらグラスを掲げるエマから強引に酒瓶を取り上げた時にはもう遅かった。いつの間にか完全に出来上がったエマはくだをまきながら「まかせて」を繰り返し、「シャルちゃんの反応が当たり前よ!『言葉じゃなくて態度で分かれ?』ふざけてるわよね!」「そんな男に可愛い娘はやらないわ!」とシャルロッテをぎゅうぎゅうと抱きしめて離さない。
柔らかいやらいい匂いがするやらちょっと酒臭いやらで、シャルロッテは真剣に悩んで暗くなっていた思考が完全に吹き飛んで笑えてしまった。
「『すべて俺に任せておけ』的な態度ってどう思う?…説明も惜しむような輩は願い下げよね!当然よ!」
「そうですよね!」
「女が商売、いいじゃない!留学?良いと思うわ!」
「そうですよね!」
女二人で盛り上がったその夜、シャルロッテは本当の意味でエマの娘になれた気がした。友達のような、母親のような、そんな気安さで胸の内を明かすことができて、シャルロッテの心は随分と軽くなっていた。
「シャルはクリスとぶつかろうとして偉かったわ。しっかり話そうとしたあなたの勇気は黄金より価値がある。それを捨てたバカ息子には、ちょっとばかり痛い目みせてやりましょう」
ふふふ、と笑うエマはサラサラと手紙を記すと、表に立っていた付き人に「これ、今すぐシラーに届けて頂戴な」と押し付けた。そしてもう一通何かを書くと、別の使用人にごにょごにょと囁いてほら行けとばかりに背中を叩く。
「なんですか?いまの」
「うふふ、お楽しみよ!」
こうして、ご機嫌なエマとシャルロッテの夜はまだまだ続いた。




