話を聞いてよ3
翌朝クリストフが起きて準備をしているのを、シャルロッテは狸寝入りで見送った。きっとクリストフも気が付いていただろうが咎められることはなく「行ってきます」という彼の声だけが部屋に残る。
その残滓がすっかり消えた頃にむくり、と体を上げたシャルロッテはつぶやいた。
「なんか、気が抜けちゃった…」
シャルロッテは暗い部屋でソファまで移動すると、全身で沈み込んで天井を仰いだ。くしゃりと髪の毛を挟みながら、腕で目を押さえる。どうしてこんなにやるせない気持ちなのだろうか。
「シャルロッテ様、お目覚めですか?」
コンコンコンコンとノックの後に入って来たリリーはシャルロッテを一目見て「頑張りましたね」と言ってくれた。シャルロッテは笑って見せたが、どうにも不格好な笑顔だったと思う。
朝の支度をしてくれたローズも何かに気が付いたのだろう。いつもはよく喋るのに今日はチラチラとシャルロッテの様子を窺っては、口を引き結んで仕事をしていた。
「ねえローズ。上品な便箋をちょうだい」
「かしこまりましたわ!」
ソファでぐてーっと姿勢を崩したままのお行儀の悪い姿だが、シャルロッテのここ二週間の自由の無さを間近で見ていたローズは咎めるどころか『おいたわしや…』と、むしろやっとリラックスできる状態になったことを内心で喜んでいた。今朝から様子がおかしいのを、もちろん心配もしている。
急いで便箋を取ってくると、いくつか良さそうなものを見繕い主へと差し出した。
「シャルロッテ様、どうぞ」
「ありがとう。悪いんだけど、お義父様に面会のお願いをしてきてちょうだい」
「はい!」
用意された中でもシンプルな紙を選んで、インクを浸したペン先を走らせる。ガリガリと一心不乱に、シャルロッテは考えていた内容を何度もインクを足しながら迷いなく書き切った。揃いの封筒に宛先を書くのは少しだけ逡巡してサラリと短く名を記す。白の蝋を垂らして開封されないようにしっかりと印を押すと、シラーへと会いに行こうと立ち上がった。
「さあ、頑張りどころね」
シャルロッテの胸の辺りには、怒りともやる気ともつかぬ大きなエネルギーが渦巻いていた。
◇
「失礼します」
『入れ』
本当はいつだって、このドアをくぐるのは緊張している。
執務室の重厚なドアを開けてくれるのはグウェインで、緊張した面持ちのシャルロッテを見て心配そうな顔をしてくれる。彼はきっとこの後でリラックス効果のある紅茶を淹れてくれるだろう。出てくる銘柄と、合わせるお菓子までシャルロッテには想像がついた。「ありがとう」と、思わず口元に笑みが浮かぶ。
「お時間を取っていただき、ありがとうございます」
「かまわん」
「これを…お義母様にお渡しして頂きたくて」
シラーは差し出された便箋の裏表をちらりとあらためると、封がしてあることを確認して茶と菓子を用意しているグウェインに差し出す。シャルロッテはサーブされるお茶に礼を述べながらも手をつけない。いつもならば一口含んで感想まで述べるのだが、緊張した面持ちで固まっている。
「どうした」
問いかけるシラーの声にシャルロッテは口を薄く開く。しかし勇気が出ずにいったん閉じて、ごくりとつばを飲み込んだ。シラーがこちらを見ながら待っているのを感じて余計にバクバクとシャルロッテの心臓は跳ねていた。
ふわりと湯気と共に立ち上る紅茶の香りを浅く吸い込み、シャルロッテはやっとの思いで「その手紙って…」と、切り出すことに成功する。
「お義父様、中身を検めるんですよね?」
「そうだ。エマ宛のものは全て私が目を通している」
「やっぱり…」
隠す気などないシラーは当然の如く肯定をする。尊大な態度で足を組み「何を今更」と、シャルロッテを笑った。シャルロッテは昨夜のクリストフを思い出して胸を痛める。これを家庭の基準としているのならば色々と仕方がないのかもしれない、とも。
「そちらにも書いたのですが、お義母様に会いたいです。日時を設定してください。できるだけ早く」
「早く?」
シラーは眉をピクリと揺らす。
なぜなら、先週もエマはこちらの領地に来ていたからだ。しかもこの、目の前に座っているシャルロッテの無謀ともいえる行動のせいである。もちろん加害者が一番悪いが、シラーとしては突飛な行動をとるシャルロッテも咎めるべき点があると考えていた。エマに言うなと言われたので控えているが、正直もうちょっと守られる側としての自覚を持って欲しいところである。
「エマを頻繁に来させると負担になる。早くというのは難しい」
そういった理由で、不愉快そうな表情を隠しもせずにシラーは却下した。シャルロッテはそうなるだろうなと予測していたので、すぐに用意していた返事をする。
「でしたら、私を行かせて下さい」
「…シャルロッテを向こうにやるとクリストフがうるさいだろう」
「お願いします」
シャルロッテはスカートに額が付く程に、深く深く頭を下げる。淑女のマナーとしてはありえない振舞いが、かえってその真剣さをシラーに伝えていた。揺れる白金の髪が動かなくなるまで、シャルロッテが下げ続ける頭を眺めたシラー。
「何故だ」
厄介なことを言うな、と言わんばかりの不機嫌な声色。以前までのシャルロッテであれば、ここで確実に諦めていただろう。でも、そうして逃げ続けた結果が今だ。
シャルロッテはここで諦めるわけにはいかないと、気合を入れて顔を上げた。
「お義母様に相談があります」
「私が聞こう」
「女同士の、相談なのです」
シラーとしては、落ち着いたとはいえ精神不安定気味のクリストフへの刺激は避けたいところだ。しかし『女同士』と言われてしまうと、自分やグウェインで聞きだすのは無理だろうと判断し、思いつく限りの代替案を出してみる。
「マリーが居るだろう。専属のローズや、リリーも居る」
「お義母様がいいのです」
「悩みがあるなら占い師を呼ぶこともできるぞ」
「お義母様じゃないと、ダメなんです」
この時代、人に言いづらい悩みの相談役といえば占い師だ。しかし頑なにエマが良い、エマじゃないとダメと言い張るシャルロッテ。
シラーは少し考えて、これはもしやと直感した。
「クリストフのことか?」
シャルロッテは一瞬視線を泳がせたが、素直にコクリと頷いた。
「私もクリストフの親だが、私では不足か?」
「その…お義父様は、クリスに似てらっしゃると思うので。今回はどうしてもお義母様に相談させていただきたいのです」
シラーは素早く脳内でエマの予定を思い起こす。彼女のスケジュールは自分の監督下で、知らぬことなど一つもない。
「それならば仕方あるまい。今日から三日ほどは視察の予定もないはずだし、ラヴィッジの屋敷に行けば会える。馬車の使用を許可しよう」
「ありがとうございます!今から行ってもいいですか?」
「向こうでエマの邪魔にならぬように、エマの都合が良くなるまで待てるか?」
「もちろんです!」
ふむ、とシラーは思案した。
今から出れば一晩ラヴィッジに泊まることになるが、かえってその方がエマも時間の捻出がし易いのではないだろうか。あそこに居る使用人は全員がシラーの審査を通った身元確かな人間ばかり。守りの固さもレンゲフェルト公爵邸と遜色ないし、危険なく過ごすことができるだろう。幸い、クリストフも学園に戻ったことであるし。
「よし。移動中の護衛に四人連れて行け。車内にも護衛一人と、侍女一人を」
「分かりました!」
素直な様子のシャルロッテに再度エマに迷惑をかけるなよ、と念押しをして「支度をして、ここに戻ってきなさい。一泊だ」と言い付けた。
すくっと立ち上がったシャルロッテが嬉しそうに「ありがとうございます!」と礼を述べて急いで出ていく背中を見送ってから、机の中から紙を取り出してエマへと手紙をしたためた。事のあらましを記載して、私もエマに会いたいよ、と締めくくる。
「よろしいのですか?」
「かまわんさ」
「いつもとご様子が違うように見受けられましたが…」
グウェインには、どうにもシャルロッテの入室時の様子が気にかかっていた。しかし心配性のグウェインをフンと鼻で笑ったシラーは、ヒラヒラと手を振る。
「シャルロッテはクリストフを私と似ている、と言ったな」
「ええ。私もそう思います」
頷くグウェインに、シラーは「きっと相談というのはだな」と、自分の推理を披露した。
「おそらくクリストフから告白されてどうしたらいいかとか、そんな悩みだろう。エマに相談すれば困ることにはなるまいよ、アレは私からの愛情を上手く受け止めているからな」
「なるほど!つ、ついにお坊ちゃまも想いを告げられたのですね…!」
「シャルロッテも成人だ。ちょうどいい」
クリストフのシャルロッテへの執着は傍目に見て明らか。その意味を測りあぐねて先延ばしにはしてきたが、シラーとしては成人後にシャルロッテの意思を確認し、どこか適当な家に養子に出してから一年後に婚約、さらに一年後にクリストフの成人に合わせて結婚という流れを勝手に思い描いていた。
「シャルロッテ様は承諾されたのでしょうか」
「あれだけ一緒にいるんだ。上手くいくさ」
心配そうな顔をするグウェインに、自信満々にシラーは言い切った。多少迷いがあるかもしれないが、きっとエマに諭されて安心して嫁ぐことができるだろう、と。そこには自分がエマと幸せである、エマを幸せにしているという、ある種の驕りがそう言わせていた。
納得した様子の家令に護衛と馬車の用意してやるようを言い付けると、一人になった室内でシラーはシャルロッテが持ってきた手紙を机の端に置いた。この部屋に書いた本人が戻ってくるのに堂々と開封するのは流石にはばかられ、そっと机の一番上の引き出しに仕舞いこむ。
「私もエマに会いたい」
ぽつり、切なげに呟くシラーは気づいていなかった。
その手紙の宛先が『レンゲフェルト様』となっていることに。
シャルロッテは初めからシラーが読むことを想定して手紙を書いている、という事実に。




