話を聞いてよ1
時間が経つのは早いものだ。
シャルロッテが屋敷に軟禁され始めてから、つまりあのパーティーからすでに二週間が経過していた。しびれを切らしたシラーによりクリストフは明日から学園へと復帰することに決まっている。やっとひと段落、といったところだ。
クリストフも初日のような不機嫌さは段々と薄れ、日常を過ごす内にいつもの調子に戻って来ていたのだが、学園復帰を明日に控えた今日はそうもいかず。
(不貞腐れちゃってまぁ…)
口角を思いっきり下げて、顔全体で不満を表現しているクリストフ。一日中そんな調子なものだから、シャルロッテも段々と呆れて相手にしなくなって、そうするとさらに拗ねる。
「ちょっと、なにしてるの」
ぶすっとしたままベッドにうつ伏せで枕を抱え、ひざ下をバタン、バタンとシーツに叩き付けている姿のなんと幼いことか。もう寝る時間だというのに、クリストフが真ん中に陣取っているのでシャルロッテはどこに寝ていいか分からない。
「ほら、詰めてちょうだい」
「……いやです」
すっかりと儚げな美少年へと成長したクリストフだったが、意味もなくイヤイヤ言うあたり、シャルロッテの前ではまだまだ子どもらしい部分が垣間見えている。可愛い。しかしもう就寝時間なので、その体をぐいっと強引に退かす。
剣術の鍛錬を欠かさずにこなしているものの筋肉の付きづらい体質らしく、未だ成長期の子どもの線の細さ。とはいえ重い。
「ほ、らっ!ど、い、てっ」
ずりずりと奥へと追いやってスペースを確保。
ギリギリシャルロッテでも動かせた。背丈は越されてしまったので、そこはちょっぴり寂しいポイントではあるが。
ギシリとベッドのふちに腰かけて、再び足をばたつかせるクリストフに呆れてため息をついた。
「ちょっとクリス、いつまでそうしてるのよ」
「別に…」
僅かにふくれた頬をつつくと、枕に顔をうずめて隠されてしまう。
その黒髪がうずをまくつむじを見ながら、シャルロッテはそっと頭に手を乗せて撫でた。柔らかい髪の感触を楽しむように何度か手ぐしを通して、できるだけ優しい声で「顔を上げて」と呼びかける。
実はシャルロッテ、今日の夜は話をしようと決めていた。
このままでは良くないと自分でも分かっている。言語化するのは難しいが、自分の思いを伝えようとやっと決心をつけたのだ。だというのに…ずっとクリストフが不機嫌で、ついに寝る時間まで切り出すことができなかった。少しだけ寝る時間が押してしまうけれど、『今しかない』と自分を鼓舞して口を開いた。
「クリス、話があるの」
そろそろとクリストフが顔を上げた。
それに微笑みを返しながら脳内で言うべき言葉を組み立てる。今振り返るとシャルロッテは、ずっと小さな恐怖を抱えて生きていたように思う。
「私も、もう成人でしょう」
真綿にくるまれたような環境でありながら、そのフワフワからはみ出れば捨てられるかもしれない、と思っていたのだ。『お利口さんのシャルロッテ』『優しい義姉のシャルロッテ』『シラーに迷惑をかけないシャルロッテ』…そんな『シャルロッテ』を演じられなくなれば、周囲が心変わりするかもしれない。捨てられて、教会に戻されたり、どこかにやられるかもしれない。だって、シャルロッテはあくまで養子だ。大切にしてもらっているけれど、だからこそ、誰にも嫌われたくなかった。
そんな鍋底にこびりついたコゲのように取れない恐怖がどこかにあって、でも見たくなくて、ずっと目を逸らしていた。
シャルロッテが見ないようにしてきたソレは、勝手に道しるべとなっていた。シャルロッテの行動を決めていた。『クリスが嫌がるからやめておこう』『お義父様がきっと怒るわ』『お義母様を悲しませてしまう』そんな理由で避けてきた選択肢。みんなに好かれたままでいたいから、それを自分で選んできた。拒否しなかった。受け入れていたのは自分だ。
シャルロッテは当然だと思っていた。
だけど。
「自分がどうしたいか、よく考えたの」
もう、やめようと決めた。
前世のような現代社会であれば、成人のあたりを境に自立して生きていく人がほとんどだ。今のシャルロッテがどうしてそれができないと、自分で決めつけていたのだろう。
自分の人生は、自分のものである。
◇
これは、悪夢だろうか。
クリストフは血の気の引いた頭で必死に、返す言葉を考えていた。シャルロッテは随分な勇気を振り絞ってこの話をしているらしく、小さく震える手を胸の前で握りしめている。そんな華奢な手首を愛おしく思いながら、頭の別の場所では死にそうな自分が『あの口を止めろ!』と叫んでいる。
だって、シャルロッテの話していることは、たぶん、この関係を否定することだ。
「みんなが私を大切にしてくれていることはちゃんと分かってる。私が嫌だって言うことを、無理矢理やらされるとか、そんなことは一度もなかったわ。……でもね、まるで籠に入れられた鳥みたいだなって思うことがあるの」
「ちょっと詩的な表現すぎるかしら」と自嘲するシャルロッテに、クリストフは首を振った。それの何がいけないのだろう、といった表情で、くいっと肩もすくめてみせる。
クリストフは内心で『シャルロッテが籠に入ってくれるなら、それが一番安全だよ。今の籠は全然穴が大きすぎてダメ。今でも僕は随分我慢してる』とまで思っていた。
「今まで私も、流されるままというか…みんなが…、お義父様とか、クリスが決めてくれたことなら間違いないって思ってて、それに甘えてしまっていたのだけれど…」
安全な範囲内で生きていくこと。
それの何が悪いのだろうか。自身の母親であるエマがそうなので、クリストフには何の違和感もないのだが。愛する人を守るためにはそれが一番有効だし、効率的だ。父親や自分にそうして囲われ守られているのは、快適で、安全で、そして満たされた生活であるはずだ。
「お義母様は領主代行もされてて、ご立派に働いてらっしゃるのに。私だけ、学園にも行ってないし、何にもしてないじゃない?」
エマはラヴィッジの領主代行なんてことをしているが、その実態がシラーの部下でがっちりと固められたものであることをクリストフは知っている。そうでなければ、あの父親が傍から離れることを許すわけがないのだから。
「シャルはまだ子どもです」
「もうすぐ成人よ」
苦笑いする彼女のあどけない顔が憎い。そんな可愛い顔をするくせに、どうしてクリストフより大人だと言うのだろうか。年齢の差は何度も憎んだが、だからこそ彼女と出会えたのだからどうしようもない部分でもある。
「だからそろそろ、自立がしたいの」
焦りや混乱、怒りや悲しみ、湧き上がるゴチャゴチャになった感情の波が渦巻いて目が乾く。自立とは何だろうか。いつだって彼女はクリストフの庇護の外に飛び出しては危ない目に遭う。自由が過ぎて心が休まらないくらいだ。
「今までも、シャルは自由すぎて困るくらいですよ」
濁すように、少しでも空気を緩めるように。冗談めかした言葉を選ぶクリストフの脳内は『どうやったらこの義姉を止められるか』という緊急課題で埋め尽くされている。
身を焼かれるような焦燥。こんな話は聞きたくないと心が拒絶しているのに、目の前の相手は止まってくれない。
「私、普通に暮らしてみたい」
クリストフの胸は張り裂けそうだ。
 




