*ヒロインになりたかった少女の独白2(モモカ視点)
モモカのそんな焦りがピークに達した頃、学園祭がやってきた。
これは重要なイベントである。攻略キャラの個別ルートに突入する分岐点で、モモカは何が何でも『ウルリヒと手を繋いでいるところをクリストフに見せつける』という条件を満たさなければならなかった。そうしないと本筋のストーリーである殺人事件が始まらず、乙女ゲームが目標未達成で終わってしまう。
「絶対成功させる!」
モモカはこのところノイローゼになりかけていた。
ゲームを攻略してきちんと終わることができれば、幸せなルートのまま生きていくのでも、現実に戻るのでも、どちらもスムーズに想像がつく。よくある物語だ。
しかし、モモカは“ゲームオーバーのその後”を考えることはできなかった。知らないことは怖いもの。モモカは夜な夜な不安に押しつぶされそうになっていたのだ。
だというのに!
意気込んで学園祭イベントの攻略に挑むも、失敗。
「なんでなんでなんで…!あのクソ女がクリストフ連れていったせいよ!」
クリストフの姉だとかいう女のせいで、クリストフの貴重な自由時間が消費された。あれではモモカと攻略キャラを目撃するヒマもない!「弟を束縛するな」と説得をしようとしたのだが、拒否されてしまって、モモカは怒り心頭であった。やはり顔がいいカースト上位みたいな女はクソである。この理論で、モモカはアンネリアのことも大嫌いだった。
「ウルリヒと手も繋げなかった…あとちょっとだったのに!!」
ウルリヒはようやっと手を繋ごうというところで、クリストフに「仕事だ」と連れ去れて行かれてしまったのだ。あれはゲームの要件を満たせたのだろうか?無事にウルリヒルートに入れていればいいが…。そんな不安に満ちる胸を押さえて一日の出来事を思い出していると、ある可能性を思いついてしまう。
「まさか…、よね」
心配の滴はポトリと垂れて、モモカの胸に波紋を広げる。
それは『モモカの他にも異世界トリップをした女が居る』という可能性だった。あの見たこともないクリストフの姉とかいうキャラクター。もし、アレがそうだったとしたら。
―――ヒロインに成り代わろうと、している?
ぶるりとモモカは身を震わせた。
翌日からモモカはクリストフの姉の悪口を広めて、可能性を潰すことに努めた。『見せつけるようにイチャイチャして、イヤらしいことを目の前でされた』のだ。そうやってウワサをばら撒けば、どうやら濃厚なキスだと勘違いされたようだったが…まあ、モモカは嘘は言ってない。マッコロやデルパンはすぐに信じて憤慨してくれた。
しかしあいにくとウルリヒは以前からクリストフの姉と交流があるらしく『あいつはイイヤツだぞ』などとあしらわれてしまう。当事者であるクリストフに至っては、モモカ自体を無視してくるので会話にもならず、モモカは歯がゆい思いをした。
そうする内に、マッコロとデルパンが二人とも居ない日がやってきた。教師に聞けば病気になったせいで、もう彼らは学園には来ないと言う。
「ちょっと、それってどういうことですか?!」
「個人情報なので言えません」
ぴしゃりと教師に遮断されて、ふらふらと校舎内を彷徨い歩くモモカ。「どうしよう」と、そればかりが頭を占める。二度と会えない?ウルリヒの攻略もまったくできていないのに、保険として置いていたマッコロとデルパンが居ない?
―――じゃあ、私はどうなるの
とんでもない焦燥感がモモカの身を焼いた。胃液がせり上がり喉が匂う。
「わ、私はヒロインなのよ…?みんな私を好きになるはずなのに、攻略サイトがないから…私のせいじゃない…」
ブツブツと言いながら生徒会室の近くまでやって移動して、モモカは生垣に隠れるかのようにしゃがみ込んだ。ここに居れば、ウルリヒに会えるかもしれない。
「早く来てよ…私の王子様…ねぇ…」
モモカは誰にも見つかりたくなかった。体を縮めて身を隠す。女子生徒には嫌われているし、味方である二人が居ない状態では対抗もできない。
草を握りしめてブチブチと抜く。青臭い匂いが手につくが、ブチ、ブチ、と無心で芝をちぎった。モモカの足元の芝が丸裸になり茶色い土と化した頃、ふと、人影が頭上から落ちてくる。
「モモカさん、大丈夫ですか?」
「あ…、せん、せぇ……!」
ふわりと香る薔薇の匂い、テロテロと光るシャツを身にまとったイーエスがそこに居た。モモカは深呼吸をして彼の香りを吸い込んだ。クラクラとする頭で立ち上がり、その胸にすがる。
「せんせぇ!あ、あたし、もう、どうしたらいいか…!」
不安がスルスルと口からこぼれた。甘えるように鼻にかかった声で、マッコロとデルパンが居なくて不安なこと、これからどうやって過ごせばいいか分からないこと、他の生徒が怖いこと…時折涙を滲ませながら、モモカは饒舌に語ってみせた。イーエスは一度も笑ったりせず、終始真剣に話を聞いてくれる。
「それは、さぞ不安で辛かったでしょう」
「せっ先生ッッ!」
そっと抱きしめられて、モモカはできるだけ哀れっぽく見えるように上目遣いを意識して泣いた。
イーエスはずっと抱きしめていてくれて、授業のチャイムが鳴るのも構わず、二人は抱き合っていた。
甘やかな薔薇の香りに包まれたモモカの精神は段々と落ち着いて…。ぼうっと、まるで寝る直前のような、心地の良いリラックス状態になっていく。
「さあ、行きましょうか」
「どこにですか…?」
イーエスがくいっとモモカのあごを掬い上げて、耳に唇をつけた。
「モモカ、私のものになって」
イーエスの匂いと、耳の奥を犯すような大人の男の声に、クラクラとモモカは酩酊していた。無意識にコクリと頷いて、引き寄せられるままに彼に身を預けてしまう。
「頷いてくれてありがとう。モモカ」
考えることが面倒だったし、何より、モモカにはもうイーエスしか残っていなかった。本当はわかっていたのだ。ウルリヒルートに入れていなかったこと。
「私もイーエス先生のことがずっと、好き、で…」
他のキャラクターは攻略不可能なのだから、手元に残ったカードで妥協するしかない。『まあでも攻略キャラだし…。きっと、これもグッドエンドなんじゃない?』と、モモカは頭のどこかで楽観的なことを考えながら、イーエスからの初めての口づけを受け入れた。
「んっ、うぅっ!」
それは、教師が学園で生徒にするにしては、あまりにも情熱的な口づけだった。まるでそのキスは「スゥーーッ、ハァァッ」というイーエスの激しい息遣いもあいまって、本当に食べられているか、何かを吸われるような感覚であった。ぐったりとしたモモカはなされるがままに歩かされ、そうして馬車に乗せられる。馬車内では不思議とぐっすりと寝てしまったので、モモカが起こされたころには空が茜色に染まり、もうすっかり夕方だった。
「モモカ、やっと起きたね」
夕暮れの中で笑うイーエスの美しい顔と、たどり着いた白亜の洋館が、モモカの眼前に広がった。庭にはバラの花が咲き乱れ、甘い香りが広がる素敵な家。
モモカは、勝利の確信をした。




