*義姉のいない世界の話4
学園祭の最中、クリストフはぐしゃりと書類を握りつぶした。
視線の先には、手をつなぐ男女。
寄り添い歩く二人は見つめ合って、初々しいカップルといった様子。
「全然うまくいかないなぁ」
困ったな、とでもいわんばかりの声色が口からこぼれる。特に困ってもいないくせに、クリストフはついでとばかりに困り顔も作った。眉尻を下げて情けない『困ったな』の顔だ。クリストフには未だ、大きな感情の揺らぎはないというのに。
作り方だけはうまくなった。全ては周囲の人間の模倣、猿真似にすぎないのだが。
気が付かれたことはない。ただの、一度も。
「れ、レンゲフェルト副会長!何かお困りですかぁ?」
「私達ヒマなんです、何でもお手伝いしますよっ!」
困った顔で立っていれば途端に集まる女子生徒達に「大丈夫だよ、ありがとう」と笑顔で返す。キャーッと悲鳴を上げて更にまとわりついて来るが、いつもより距離が近い気がする。きっと学園祭で理性のタガが外れているのだろう。
(こんな猿みたいなやつらの感情をわざわざ真似してるんだから、猿真似って言葉は正にピッタリだな)
そう思っていると、勇気を出した女子生徒の一人がちょんとクリストフの服の裾をつまんだ。
(触るな。うざったい)
クリストフに群がるくせに、誰もクリストフを見てはいない。「仕事に戻るから」と、周囲を振り切って歩けば、脳内で再生されるのは先ほどの光景。モモカと男の仲睦まじそうな姿。
「飽きた」
飽きた、もういらない、興味が湧かない。
クリストフの感情は、あんな光景を見てもドロドロのぐちゃぐちゃになってくれない。父親が母親の不貞を見れば、即座に相手を切り殺すだろうに。そんな激情が欲しいのに。
つまるところ、クリストフはモモカのことを全然好きになれていなかった。
「はぁ…」
小さく嘆息するのは、上手くいかない苛立ち。
いくらモモカにへばりついて甘言をささやけど、父と母の狂おしいほどの情には至らない。理解ができない。せっかく他の男子に睨まれ、王子にからかわれながらも、モモカ争奪戦に参加したというのに。
困ったな、の顔のまま、口の端だけ吊り上げた。
窓ガラスに映る自分はまるで道化のよう。
そもそもモモカは、観察すればするほど自分の母親には似ていないことが分かった。エマ・レンゲフェルトはシラー・レンゲフェルトのみを愛し、お互いを唯一としている。しかしモモカは多くの人を愛し、多くの人に愛されている。
無意味に笑顔とクッキーをばらまき、効率よりも“一緒にやる”とか“人の気持ち”とかを優先する動きを基本として行動する、彼女は無能な働き者だ。クリストフの理解の範疇を超えた、効率の悪い行動ばかりとる。
「あんなの手に入っても、微妙かな」
似たようなモノが手に入れば多少、父親の関心が向くかとの打算もあったのだが。自分のしたことは無意味だったのだろうかと気力が抜ける。
「レンゲフェルト副会長ー!」
「今行くよ」
廊下で立ち尽くすように思考の波にのまれていたクリストフを呼ぶのは、誰だろうか。クリストフを一番に好きじゃない人間だということは分かる。だって、学園の誰もがクリストフのことなんてちゃんと見ていないのだから。
にっこりと笑顔を張り付け、ガラスに映る己を一瞥してクリストフは踵を返した。
いつものクリストフ・レンゲフェルトの顔をして。
◇
学園祭を無事に終え、なんとか寮の部屋へと戻った夜。
「あの女、クソみたいな性格なのにどうしてモテるんだろう」
口から滑り落ちる疑問。
誰の一番にもなり得ないクリストフからすれば、あれは偉業である。
デルパンやマッコロ、その他大勢の男子生徒から盲目的に愛されている、その一点のみは評価に値するし、羨ましいなとすら思う。
「あ、そうだ」
ごそごそとポケットを漁ると、彼女が無理矢理渡してきたポプリの袋が出てきた。モモカのクラスの作品らしく『よく眠れるんだって!』と言って、強引に渡されたものだ。
明日感想を言わねばならないので、一応匂いを嗅いでみることにした。
すぅっと息を吸ったその瞬間。
ドクン、ドクン、と心臓が跳ねた。
「……ん?」
違法薬物かと思い、もう一度慎重に匂いを嗅ぐ。乾いた花の香りしかしないので危険物ではなさそうだが、どうして動悸が収まらないのだろう。不思議に思っていると、どうしてだかモモカを羨ましいな、と思った気持が膨らんだ。
ぶわり、ぶわりと、大きくなる気持ち。
そういえば、モモカからもこんな匂いがしていた。薔薇のような、甘い花の香。そう、モモカ、モモカの匂い。思い出して、吸い込んで、クリストフの頭はクラクラした。
―――モモカは柔らかい白い皮膚をしている女で、頭は悪いし考え方はさっぱり分からないがそれでも、ちがう、だから、えっと、なんだっけ?
混乱する頭を必死に働かせて、一つの考えに行き当る。
そうだ、モモカは人に愛される才能がある、素晴らしい人だ。
「僕、モモカのこと好きなのかも?」
今までにない感情の揺らぎに、クリストフは僅かに動揺した。
そして歓喜が湧き上がる。
「やった、やった、やった…!!!!これが、好き…?!」
一度認識してしまうともう制御不能になる。得られた感情の揺らぎを絶対に消さないために、クリストフはできる限りのことをすると決めた。立ち上がり、ノートを開き、その策を思いつく限り書きだしていく。疲れ切った体は興奮で目覚め、ガリガリとペン先が紙をなぞる音が部屋に響く。
「まずは雑魚から片付けていこう!モモカの周りをスッキリさせたら、僕の取り分が増えるってことだから!」
モモカを取り囲むのは、生徒会役員だけではない。有象無象の男達が彼女に群がり、その愛を欲している。そしてモモカは誰にでも愛を返す。今後はクリストフにもっと愛を差し出してもらわねばならない。そのためには掃除が必要だ。
厄介なのは生徒会。マッコロは宰相子息、デルパンは騎士団長子息、ウルリヒは言わずもがなの王子。ここの三名には、初めは手出しを避けておくとして…。
「ああ。それと、教師も放置。普段は善人ヅラした教師が、まさか狂人とはね」
人は見かけによらぬもの。
イーエスは“魔力狂い”とも呼ぶべきマッドサイエンティストなのである。
イーエスとかいう教師は出会い頭に「君の魔力を研究させてほしい」「たまらないよキミ」と、恍惚の表情でクリストフに迫ってきたド変態。もちろん学園長に報告したのだが、どうやら優秀な研究者らしく「クリストフ様になにかをする気はなく…立派な魔力量にクラクラッときただけなんです…!一度だけ、一度目だけお許しを!!」などと、学園長に泣かれてしまった。
学園長は縁戚でシラーと面識があると知っていたので、クリストフは一度は目こぼしすることにした。そして今も、どうせアレはモモカの魔力に興味があるだけで、恋情などを抱いているわけではないと知っている。放置で良いだろう。
イーエスのモモカを見る目は、貴重な実験動物を見る目だ。
「貴族社会って、色々あるもんな」
殺す前に、調査くらいするべきかもしれない。
うっかり父親の迷惑になってはいけないから。
クリストフは自分が選ばれるなどとは、決して思っていない。
なぜなら誰にも愛されない、誰の一番にもなったことのない男だ。親からでさえ愛を受けられぬ人間の模造品が、どうして普通に愛されることができるだろうか。
今日だってモモカは他の男の手を握っていた。
でも、きっと。
「誰も居なくなれば、僕が一番になるでしょ」
名案だと、クリストフは笑った。もしかしたら、モモカが抱くであろう恐怖心を利用すれば恋情に近い精神支配も可能かもしれない。心拍数が上がりさえすれば、脳が恋と勘違いすると書いてある本を読んだ。普通じゃない状況でならクリストフにだって可能性があるということだ。そうだ、できるだけモモカの近くで人を殺そう!と、クリストフはひらめいた。
「モモカの近くで殺して、一緒に死体を見つけて、抱きしめてあげよう。最初は放課後の教室がいいな」
夕暮れに染まった教室で、紅い血が広がるのだ。
きっと、モモカも気に入るはず。
クリストフは学園に来て初めて心の底から笑った。
楽しくてたまらなかった。
人生で初めて、明日が早く来ないかな、と思っていた。




