馬はカワイイ
「今日は、まずは馬に慣れることが課題です」
乗馬の先生が小さな白毛の馬の背中をぐいぐいと撫でながら言う。
「この馬はメリー。とっても賢くて、可愛くて、いい子です。きっちりトレーニングされているので、初心者でも大丈夫!安心して触れ合ってくださいね」
ニカッと白い歯を見せて笑う先生は「ささ、こちらへどうぞ」と、膝をついて馬の首を抱え込み、二人にその背中を撫でさせてくれた。
「お二人は、メリーが怖いですか?」
「怖くないです」
「とっても可愛いです!意外と毛って硬いんですね」
私たちの反応に満足げに頷いた先生は、足元からデッキブラシの先っぽのようなものを拾い上げて渡してくれる。
「では、これでブラッシングしてみましょう!毛の流れにそって、やさしくしてあげてくださいね。メリーと仲良くなれますよ」
「わああ!」
歓声を上げる私と、黙っているクリストフ。
ちらっとクリストフを見ると相変わらずの無表情で動きそうにないので、私がブラシを受け取ってメリーの背中を撫でてみせる。先生は手綱を握るのみだが、賢い馬は一ミリも動かずじっとしていた。前世で言うポニーくらいの大きさだろうか、顔が意外と大きくて、目がクリクリとしていて可愛い。
「はい、クリスの番」
ブラシを渡すと、クリストフがメリーの背中を撫でる。メリーはじっとお利口さんにしている。クリストフはまるで機械かのように、一定のリズムで撫でる、撫でる、撫でる。
「お二人とも上手ですね!メリーはとっても気持ちがよさそうです。こうやって触れ合ったり、名前を呼んだりして、馬と信頼関係を築きます!また、馬は人間の気持ちがわかります。怖がっていたら、バレちゃいます。リラックスした気持ちで触れ合ってください。それから、馬はリーダーが…」
先生の言葉もそっちのけ、クリストフはひたすらにメリーの背中を撫でる。撫でる。撫でる。先生のわりと長い話が終わってもずっと、馬を撫でていた。
「あの、クリストフ様。そろそろ…」
「ああ」
無表情のクリスはやっと先生へとブラシを返した。心なし残念そうな気がする。
(クリストフ、馬が好きなのか)
私は嬉しくなってクリストフに「すごいわクリス、馬に慣れてるのね」と声をかけた。
クリスは黒髪をふるふると振りながら言う。
「全然です。まだ授業は二回目で…前回は馬の解説で、今日初めて触ったのです。馬の後ろには立ってはいけないんだそうです。びっくりして蹴られるかもしれないからって、それから…」
突然饒舌に話し出したクリストフに、先生がすごく驚いた顔をした。
実はクリストフは前回の授業ではほぼしゃべらなかった。その上無表情なので、授業に興味があるのかないのか、先生は不安だったのだ。
「クリストフ様、よく覚えていらっしゃる!では、前回の授業のおさらいを兼ねて、シャルロッテ様にも馬の説明を致しましょう!」
嬉しそうに白い歯を見せて先生は笑った。
たくさん説明を聞いて、最後にもう一度ブラシをさせてもらい、この日の授業は終了。クリストフとシャルロッテは「次回は引き馬にまたがってみましょう、乗馬服をご用意くださいね」と言った先生をキラキラした目で見上げていた。
「次回も楽しみね!クリス!」
「ああ」
♢
そのまま流れで夕食を一緒に食べる約束をして、食堂に再度集合。
クリストフと二人で食卓を囲んでいる。
「じゃあ、この野菜サラダとお肉ならどっちが好き?」
「どちらも必要な栄養があるから、バランスよく食べます」
「違うの。クリスはどっちの方が食べたいかってことを聞いているの。栄養が同じだとしたら、どちらの味を選ぶ?」
「……お肉、だと思います」
クリストフの好き嫌いを探るため、食べながらも質問をちょこちょことしていく。まだクリストフ本人もあいまいだが、好みはちゃんとあるのではないかとシャルロッテは感じていた。
「今日の馬術の授業はどうでした、シャルおねえさま」
「楽しかったわ!」
「その他の授業は?」
「とても勉強になったわ、一緒に受けさせてくれてありがとう」
歳は離れているが、クリストフの受けている授業はレベルが高い。そのためシャルロッテが受けていても勉強になることばかりだった。
修道院では本が基本だったので、専門性の高い家庭教師の先生たちの生きた話は面白く刺激的だった。また、クリストフもどうやら、横にシャルロッテという仲間がいる状況は悪いものではなかったらしい。
というのも、今日の授業で社会学の先生は嬉しそうな顔をした。
「いやはや、クリストフ様がこんなにも発言なさるのも珍しい」
外国語の先生も期待した目でこちらを見ていた。
「次回もぜひシャルロッテ様もご参加ください。語学は使ってこそですから、慣れてきたらお二人で会話をするのも良いですね」
果ては話す必要のない歴史の先生でさえも。
「姉弟仲睦まじくて良いことです、次回以降も二人でおいでくださいませ」
やんわりとヴェールに包んだり包まなかったりした先生方の感想をまとめると「シャルロッテが居ると、クリストフがよく話す」そうだ。
というのも、クリストフと仲良くなりたいシャルロッテはよく彼に話しかける。授業中でもなんでも、タイミングを見ては声をかける。クリストフは律儀に毎回応える。
今まで無言無反応に近いクリストフにマンツーマンで教えていた教師陣は、あまりの反応のなさに戦々恐々としていた。「もしかして、つまらないのかもしれない」と。しかし公爵令息に軽々しく雑談をしかけて聞けるわけもない。
そこに割と普通の反応をするシャルロッテが登場し、クリストフにもグイグイ聞くわけである。まさに天の救いだった。
しかも中身は大人を経験済みなので、空気を読んで大人しく、賢い。居ても邪魔にならないどころかプラス要素が大きいため、シャルロッテは教師陣に歓迎されていた。
「クリストフって、先生たちとおしゃべりしたりしなかったの?」
「聞かれれば答えます。先生方に無駄に話しかけたことはないです」
クリストフは「何か問題でも?」と目で語りながら答えた。
「別に、悪いってわけじゃないわよ」
出席した全ての授業の先生から「次回もぜひ」と言われているので、明日以降もシャルロッテは同席させてもらうことになりそうだった。クリストフは、嫌じゃないのだろうか。それが心配だった。
「私、クリストフよりも、よくしゃべると思うのだけれど」
「そうですね」
「嫌じゃ、ない?」
シャルロッテがそう言うと、クリストフは食事の手を止めてきちんと彼女の目を見た。
「いえ、とくには」
「明日も一緒に授業を受けてもいい?」
「先生方もそのつもりかと」
「そうかも、だけど…」
私がモゴモゴと言い淀んでいると、ふいっと目をそらして肉を切り分け始めるクリストフ。
「おねえさまは、弟と一緒に過ごすものでしょう」
きゅーんと、シャルロッテの胸が母性を覚えた。六歳児の薄っぺらい胸に母性本能など宿るものかと思うが、前世のせいだろうか。
「ええ!明日もご一緒させてくださいね!」
(デレだ。これは、ツンデレのデレではないだろうか!まだまだ微糖だけど、なんだろうすごく嬉しい!)
その後は終始目を合わせてくれなかったクリストフであったが、シャルロッテは一日を大満足で終えたのだった。