最後のお茶会3
「シャル…!シャルッ、シャル!」
「きゃっ」
呆けたように捕縛劇を見ていたシャルロッテを、腕の中へと抱き込むクリストフ。
自分にタックルをかますように抱き着いてくるとは思っていなかったシャルロッテは、その場でよろめいた。ぎゅうぎゅうと上半身を締め付けられ、化粧をしているというのにクリストフの肩口に顔を押し付けられる。いやいやと体をひねるも、びくともしない力強さだ。
そこにバタバタと足音を立ててウルリヒが来た。
「しゃる、大丈夫か?!」
「んんんん、へいき、だけど、息がっ!」
わぷっとクリストフの腕の中から頭を抜け出して深呼吸。とても心配そうな顔ですぐそばに立っているのはウルリヒ一人だけ。あれ?と視線を彷徨わせ、アンネリアの姿を探す。
キョロキョロと見回してようやく、アンネリアが遠くで立ち尽くしているのを見つけることができた。おそらく動けないのだろう、騎士が差し出す手を掴む余裕さえなく、ただハラハラと泣いているアンネリアの悲痛な顔が見えてしまった。
その顔に罪悪感を刺激されて、シャルロッテは小さく「ごめんなさい」と謝罪の言葉をつぶやく。それに反応して、クリストフがぎゅうぎゅうと腕の力を強めてきた。
「ちょっと苦しいわ…でもねクリス、そんな、大げさよ。大丈夫って確信があったんだから…」
「あなたは本当に…」
シャルロッテの耳元で響く。クリストフの声は揺れていて、詰まるようで、低くかすれていた。言葉を続けられないようで、小さく尻すぼみに消えてしまう声だった。
「く、クリス、あなたもしかして…泣いてるの?」
「……お姉さまのせいです」
「だって、流石にレディは殴らないと思ったの。絶対大丈夫だって思って…!」
クリストフは顔を上げぬまま、ふるふると首を横に振った。ウルリヒも厳しい顔で「しゃる、友人にあんな顔をさせてもいいのか」と、アンネリアを示す。呆然としたまま泣き続ける痛々しい瞳に、「ちがうわ!」と悲鳴のように声を上げて駆け寄ろうとした。しかし、がっちりと抱きしめられたままで、もがいてももがいてもクリストフの腕から逃れることができない。
ウルリヒが代わりにアンネリアをエスコートして連れて来てくれて。泣いているアンネリアにつられてシャルロッテも泣いて、「心配かけてごめんなさい」「学園のゴタゴタに巻き込んでごめんなさい」と、二人とも泣きじゃくりながら謝り合戦をした。
ずびっと鼻をすすったシャルロッテは、いい加減離してくれとクリストフの腕を叩く。
「ねえクリス、もう大丈夫よ」
「……このまま帰ります」
ひょいっと、シャルロッテの体が浮いた。抱き上げられたのだ。しかも、子どもを抱き抱えるように、縦に。さすがの態勢にシャルロッテの頬が羞恥に染まり、必死に足をばたつかせる。
「やっ!ちょっと!クリス!」
「お姉さまが悪いんです」
離す気などないクリストフは不機嫌を隠しもせず、スタスタと歩きだす。
会場中の視線が集まっているにも関わらず、背後に王子と侯爵令嬢を引き連れて、さらのその後ろにぞろぞろと騎士を連れ、義姉を抱えたクリストフは止まらない。きゃぁっと令嬢から黄色い悲鳴が上がるが、それも無視して歩く、歩く、歩く。
シャルロッテは羞恥に真っ赤に染まる顔を両手で隠していたが、耳だけはしっかりと機能していた。すると「やっぱりお姉様がお好きなのね!」「まるで物語みたいだわ」「素敵」「お似合いね」と、さざ波のように声が聞こえてしまう。誤解をされていることに気が付くが、クリストフは気にも留めずにズンズンと進んで会場を出てしまった。
(結局、誤解を解くどころか深めてしまった…!クリストフは私と結婚すると思われてる…よくて重度のシスコン…!こ、こんな人前で子どもみたいに抱き上げて!普通の家族でもしないって、いくら私でも分かるわ!)
嵐のように会場から連れ出され、そしてあっという間に馬車の停留所まで来てしまう。御者が準備をする間、眼前でウルリヒがアンネリアの手をとって引き寄せながら「今日は災難だったな」と声をかけてくれた。若干涙の残るアンネリアに微笑めば、彼女もしっかりと笑顔を返してくれる。
女子二人のその様子に安堵の息をついたウルリヒは、聞いているんだかいないんだか分からぬクリストフへと目を向けた。
「事情聴取と護衛のため、騎士を二名随行させてくれ」
こくりと頷いたクリストフ。
御者がドアを開けるとシャルロッテを横に抱え直して、即座に乗り込んだ。騎士たちはいつの間にか、馬に跨り馬車の後ろに付いている。ウルリヒがヒラヒラと手を振ってくれるが、クリストフがドアもすぐに閉めてしまい、別れの挨拶をする間もなく馬車は動き出した。その後も終始無言で首筋に顔をうずめ、屋敷についても抱っこで移動で…シラーの前に立つまで、シャルロッテの足が地面に着くことはなかった。
「ごめんなさい、反省したから勘弁してちょうだい…」
羞恥による半泣きのシャルロッテの訴えも、クリストフは無言で無視をした。
◇
夜間、さすがに湯浴みの間は離れたクリストフだったが、もう寝る時間だというのにぎゅうっとシャルロッテを腰を抱き込んで離さない。
「クリス、もう寝る時間なんだけど…」
クリストフがくっつき虫になってしまったのは、自分のせいであるという負目はある。そのためおずおずとシャルロッテは「そろそろ部屋に戻ったら?」と切り出したのだが、クリストフは不機嫌そうに目を細めた。
すると立ち上がりざまにひょいっとシャルロッテを横抱きにしてベッドまで運び、そっと下ろす。膝をつくクリストフの体重でベッドが軋み、妙にその音が部屋に響いた。
「ちょっと!クリス!」
慌てて腕を張り離れようとする華奢な体を引き寄せ、クリストフはシャルロッテを後ろから抱き込むようにして座った。
「今日はここで寝ます」
「えっ?!」
声を上げると同時にグイッとベッドに倒される体。どうやらクリストフが、胸にシャルロッテを抱いたまま横になったらしい。シーツに沈められ、枕まで体を引きずり上げられ、ばさりと上掛けも被せられ…なんと、電気も消えてしまった。完全に就寝する流れだ。
最後の電気は、おそらく壁と同化して控えていたリリーの仕業。
(リリー?!この状況いいの?!)
バタン、と部屋から出て行く音がした。
そしてまさかの二人きり。
姉弟とはいえ義理であり、しかも、年頃の男女が。
「ちょっ、ちょっと!」
「……シャルが悪い」
「だからそれは、ごめんなさいって…」
「しばらくは一緒に寝ますので」
しばらくモゾモゾと抵抗を示したシャルロッテだったが、クリストフの緩むことのない拘束に白旗をあげた。使用人が許すということは、シラーも許しているということだろう。
(たしかに、私とクリスじゃ何も起きないけど!もうっ)
少し心配ではあるが、きっとシラーも今のクリストフの精神状態を重視したのだろうと理解するシャルロッテ。まあいいか、と体の力を抜いた。
それを察知したクリストフは寝転んだまま、シャルロッテのことを包み込むかのように抱き直し、小さな白金の後ろ頭にそっと唇を寄せた。
「シャルは全然分かってないんです」
ぽつり、こぼされた言葉。
生暖かいクリストフの息が、シャルロッテの地肌を撫でながら、言葉を紡ぐ。
「僕はシャルが傷つくなら、自分が死ぬほうがよっぽどいい。怖くて生きた心地がしなかった…本当に無事でよかった…」
悲痛な声に、申し訳なくてもう一度「ごめんね」と言うが、口を頭に押しつけたまま、クリストフはゆるく首を横に振った。
「シャルには何を言っても無駄です」
「そんなことないわよ」
「何度言っても自分を大切にしない、だから」
クリストフの手が、シャルロッテの目を塞いだ。
場違いにも、いつの間にこんなに大きくなったのだろうと、その手の大きさに驚く。剣を握るせいだろう、随分とざらついた皮膚だ。シャルロッテは視界を塞がれて、いつの間にか耳元に寄せられる息にぶるりと体を震わせた。
「シャルが死んだら、僕も死にます」
耳朶をなぞる息。
「周りの人間も、皆、殺します」
掠れた声は何の温度もない、淡々とした事実を告げるだけの音だった。その闇に呑まれぬように、シャルロッテはつとめて明るく声を上げる。
「や、やめてよ!そんなの全然嬉しくない」
茶化そうとする声色、冗談として済ませようとするシャルロッテに、クリストフは仄暗い笑みを浮かべていた。
「そうですか?でも、覚えておいてくださいね」
目隠しをしていた手がそっと外されて、シャルロッテの腹に腕が回った。シャルロッテが身を捻ってクリストフの顔を見ようとするが、邪魔するように腕の力が強まり叶わない。体が起こせないように、柔らかく阻まれる。
「お願いです。死なないで、傷つかないで」
背中に感じるのは暖かい体温なのに、どうしてだろうか。
「分かった?」と囁くクリストフの声に、シャルロッテの体は僅かに震えていた。




