好きな物探そうよ
翌日の朝、いつもより早く目が覚めた。
自分で顔を洗い、髪を梳き、服を着替えた。メイドが来るなりお願いをする。
「今日は私が先に食堂に行って、クリスを待ちたいの」
甘えるように見上げて言うと、心得たとばかりにメイドは笑った。
「では髪の毛を結い上げましたら、少し早いですが食堂でクリストフ様を待ちましょう」
「ありがとう!」
シャルロッテのサラサラとした髪の毛を、メイドが手早く編み込んでいく。ハーフアップに整えて、最後に瞳と同じ紫のリボンを結び完成だ。
鏡の前でくるっ、くるっと頭を動かしてみせて「可愛いわ!とっても上手ね」とメイドに微笑めば「お嬢様、可愛いすぎます…」と目力全開で見つめられてしまった。
(服よし、髪よし、顔よし!今日も美少女フェイスでクリストフを懐柔するわよ!)
意気込むが、クリストフもたいそうな美形であることを思い出す。父親であるシラー公爵…お父様も、お顔立ちだけは大変美しい。無表情だし目つきが怖いけど。あと考え方もちょっと変。
顔で懐柔は無理だなと、シャルロッテは考えを改めた。
つらつらと考えながらも部屋を出て、メイドと共に廊下を歩いて食堂へ。
「よかった、まだ来てないみたいね」
食堂に一番乗りをしてクリストフを待つ。
あわよくば今日も授業に同行させてもらえないだろうかと考えていると、そんなに間を開けずにクリストフがやってきた。私の顔を見つけるなり、首をこてんと横に倒す。
「シャルおねえさま?」
早くないですか?のニュアンスで呼びかけられている。
「昨日はクリスが待っててくれたでしょう?今日は私が待っていようと思って。早く来てみたのよ!」
にっこりと笑って言うシャルロッテを、無表情で見つめるクリストフ。
(なんで反応しないの?え、もしかして引かれた…?)
言葉のないままクリストフは席につき、自分のメイドへと何かをささやいた。
そのメイドは食堂から出ていき、シャルロッテとクリストフの前には別のメイドからミルクがサーブされた。
おろおろとクリストフの顔を見るも、反応はない。
クリストフも、かなり来るのが早い。この時間に来ていたなら、昨日はだいぶ待ったのではないだろうか。
(昨日散々待たせておいて…しかもいきなり授業も参加させてもらって…図々しすぎたかも…)
朝の意気込みはどこへやら。あんまりグイグイ行ったら引かれるよね…とシャルロッテはしょんぼりして反省モードに入った。
そして、流されるままに食前の祈りを二人で捧げ、無言のまま食べ始めた。
沈黙が気まずいシャルロッテは、食べつつもチラチラとクリストフの顔を見る。視線に気づいたクリストフは食事の手を止めて言った。
「シャルおねえさま、本日も一緒に授業を受けますか?」
「え?いいの…?」
「はい。今、調整しに行かせたところです」
「!」
引いたわけではなかったらしい。
先ほどのメイドは授業の調整に行ったようだ。
「ぜひ、お願いします!」
そうして今日も一日、クリストフと一緒に過ごせることになった。気まずいと思っていたのは、自分だけだったらしい。一気に気分が上がったシャルはニコニコとしながら重ねてお礼を言う。
「クリストフと昨日は授業ができて、楽しかったの。今日も一緒に過ごせてうれしいわ」
食事の手を止めたままのクリストフは、少し考えてから口を開いた。
「今日は最後の授業が馬術です。シャルお姉さまもやってみますか?女性はあまり好まれない方も多いので、昨日と同じくそれまでの参加でも良いですが」
実は昨日の最後の授業は剣術で、見学も意味がないだろうということで参加させてもらえなかった。クリストフに同行するのも中々ハードだったので、疲れたシャルロッテは早めに夕飯を食べて早々に寝た。
というわけで、今はとても元気だった。
「やりたいです!ぜひ!」
シャルロッテは村で暮らしていた頃に、お母様と一緒に辻馬車に乗ったことがあった。「馬は賢く優しい生き物なのよ」と教えた優しい母の声を思い出してちょっと涙がにじむ。そんな思い出があって、シャルロッテは馬が好きだ。ぜひとも参加したい。
「わかりました」
こちらを眺めるクリストフの目が、少し細まったような気がした。滲んだ涙を隠すように目を擦ってもう一度見た時にはもう、いつもの無表情だったけれど。
(早くクリストフの笑顔が見たいな)
「今日の授業内容はですね…」
今日の時間割を説明しながらも手早く朝食を済ませていくクリストフ。彼に合わせて、シャルロッテも早めに食べるよう意識して食事を再開する。まずは歴史の授業らしいので、お腹いっぱい食べて寝てしまわないようにと考えて、量も少し抑える。
「?」
「どうしたの、クリス」
食事の終わり頃、クリストフの手が止まった。
「いえ。もうよいのですか?」
「十分食べたわ」とシャルがカトラリーを皿に置けば「昨日はもっと食べていたのに」と言われてしまう。
その観察眼に驚きながらも、今日はこれ以上食べる気はしなかった。
「クリスはよく人のことを見ているのね、すごいわ」
「そうなんでしょうか」
わからない、といった様子のクリストフ。
「大人っぽいってよく言われない?」
「たまに。言葉を交わす人があまり多くないので」
無表情のクリストフの瞳は皿を見つめて、カトラリーを置いた。
「では、また後程」
(言ってることが寂しいよクリストフ!)
去りゆくクリスの背中を見ながら、シャルはこんな幼少期ならひねくれて育ってもしかたがないと思った。そして、普通の子ども時代を過ごさせてあげないと!とも考える。
(でも、どうしたらいいのかは、まだわからない。私、どんなことをして、大きくなったんだろう)
前世と合わせて二回の幼児期の体験があるはずだが、一回目の人生の記憶はあまり思い出せない。今回の人生は、お母様に優しく育ててもらった村の記憶はある。が、べったりと母と過ごしたことしか覚えていない。修道院に入ってからの記憶は全く役に立たないので割愛する。
(そしたら、やっぱりもっともっと一緒にいること、かな)
考えをまとめながら、シャルロッテも準備のために部屋へと戻った。
授業は順調に進み、今日もティータイムの時間がやってくる。
昨日と同じマナーレッスンの家庭教師が同席していた。
「あら、失礼」
家庭教師がぽとりとティースプーンを私の近くの座席に落とした。わざとだ。
私はメイドに目くばせをして拾わせ、新しいものを持ってこさせる。
すると次はクリストフに言った。
「クリストフ様、今日の紅茶はミルクティーにしても美味しくいただける銘柄です」
「では、そのようにして飲んでみます」
クリストフは小さな陶磁器からミルクをそっと注ぎ、スプーンを手前に向けてゆっくりと動かし、また戻し、白と紅を上品に馴染ませる。
「完璧です」
褒められたことなど意にも介さず、涼しい顔で一口飲み「コクが深くなりました。このような飲み方もあるのですね」と感想を述べる。
満足げに頷く家庭教師が「好みではなかったようですね。今日はただのレッスンなので、取り換えましょう」と手を挙げてメイドを呼んだ。
(貴族は直接おいしくないとか言えないんだよなあ。三歳なのによくこんな完璧な受け答えができるもんだ)
私はひたすらクリストフのマナーに感心し、少しばかり三人で会話をしつつお茶を楽しんだ。和やかにティータイムが終わり、最後に。
「お互いを尊重しあえる、そんな姉弟になってくださいね」
優しいまなざしで私たちを見つめて、今日も少し早く家庭教師は戻って行った。
新たにサーブされたストレートティーを飲むクリストフに問いかける。
「クリスはストレートの方が好き?」
ミルクティーが苦手ならばそうだろうとあたりをつけて、シャルロッテは会話しやすい内容をチョイスしたつもりだった。
「いえ、べつに」
「え。ではどうして先ほどは…」
白くほっそりとした指で、シャルロッテはミルクの入った小さな陶磁器を指さした。
「好きではなかった場合の受け答えの練習です」
「そうだったんですか。取り替えたので、てっきり苦手なのかと」
手を膝の上に戻して、きゅっと握った。話題を間違えたかもしれない。
「先生をわざわざ止める必要もないでしょう」
「でも、クリスの好みが誤解されてしまうわ」
「好み、ありませんから」
幼児でありながら可愛らしいというより美しいその顔を、少しかしげてクリストフは言った。
「ええ!好きな食べ物は?」
はしたないと思いながらも、シャルロッテは少し大きな声を出してしまった。子どもなのに、好みがない?そんなことがあるのだろうか。
「それも、とくに。好きだと思われている食品は、いくつかありますが」
聞けば、誕生日のメニューにあったローストビーフやポテトなどの名前があげられる。
「ええと、どうして『違うよ』って言わないの?」
「必要ありますか?」
私は勢いよく答えた。
「あるわよ!」
無表情ながら、分からないといった顔をするクリストフに説明をする。
「だって、みんなはクリストフの好きな物を出したいと思ってしているのに、全然違うのよ?それって、それって」
(みんなの善意が無駄になる?意味がない?ううん、違う、もっと違う言葉で、優しく伝えないと…)
「悲しい、じゃない?」
「悲しいですか」
繰り返すクリストフは納得していない様子だった。それでも「そこまで言うのなら」と前置きしてこう言ってくれた。
「では、おねえさまには正直に伝えることにします」
面倒だからそうする感が丸出しだったが、一歩前進だ。好みがないのなら、私がゆっくり探って行こう。
「ありがとう!クリスの好きな物、一緒に見つけましょうね」