ごきげんようの、その後で
「もうしないってばぁ…」
「お姉さまは自覚が足りません。いいですか…」
ぐったりとしたシャルロッテが謝るも、クリストフの小言は途切れることを知らない。最初はハラハラとした顔で見守っていたアンネリアも、もうげんなりした顔で紅茶を飲んでいるだけだ。
「ああして言葉をかけてやることで、もしも相手がお姉さまに執着したらどうするんですか?…お姉さまは公爵令嬢ですけれど『もう何もいらない!お前だけ欲しい!』とか思いつめた人間に一対一で押し迫られたら腕力で勝てます?勝てませんよね?か弱くて、腕だってこんなに細くて、どうやって抵抗するんですか?分かりますか、人の興味を引かないでください」
「モモカちゃんに皆夢中だったでしょ…」
「あの女が豆電球なら、お姉さまは太陽です。光り方が違うんです。虫がわらわら寄ってくるんです本当に。ゴミには理性が無いから、何を仕出かすか分からないんですよ?…余計な人間に関わってはいけません。ダメですよ、めっ」
「一人にならないようにするってばぁ…」
「そうやって言うくせに、カッとなるとすぐ突っ走るのがお姉さまの悪いところですよ。今回は柵があったからギリギリ許容しましたが、今後ああやって下賤な人間に言葉をかけるのはやめてください。お姉さまが出なくとも僕が処理します」
「私だって、一人だったら何も言わないわよ!クリスも皆も居たから…」
「外で一人になんてするわけないでしょう!」
更にヒートアップしたクリストフのお小言は続く。
さっきは自由にさせてくれたが、思うところが存分にあったらしい。
ウルリヒは途中から完全に飽きている。天を仰ぐようにソファの背もたれに後ろ頭を乗せ、アホっぽく口を開いたまま「しゃるも反省してるぞ~」などと言ってくれるが、クリストフの耳には届かない様子だ。
(確かに、勝手に突っ走ったのは悪かったけど…。でも、あれがあの時は最善だったのよ。アンネリア様に憎悪が向いたまま、悪役令嬢イベントとか起きたらイヤだし…)
シャルロッテの瞳にそんな考えが映るのが、説教が終わらない理由の一つであった。心の底から悪いと思ってないのが瞳に出ているのだ。『だって、私悪くないもん』という、シャルロッテのどこか反省しきらぬ部分。クリストフはぐっと唇をかみしめた。
―――リンゴーン ゴーン ゴーン
遠くで鐘が鳴った。始業の合図だが、誰も立ち上がらない。
ただクリストフの言葉の雨は途切れて、ちらりとアンネリアとウルリヒを見遣った。
『自分は良いが、二人は授業出なくて大丈夫か?』という確認の視線。
「私は次の授業は自主休講いたします」
「じゃあ私も~」
だらけたウルリヒはズルズルとソファで横になると、クッションを抱き込んだ。緊張感のない様子に場の空気が緩み、アンネリアが「ウルリヒ様は…皆様にご心配されるのでは?捜索隊とか出ませんの?」と思わず口にした。
説教を遮られた形ではあるが、クリストフもウルリヒを見て返事を待っている様子だ。護衛のデルパンでさえ締め出したこの状況に、彼も思うところがあるのだろう。
「大丈夫だぞ~。デルパンの件は怒られるだろうけど、護衛はあいつだけじゃない。別口から報告は上がってるはずだ」
「ウルリヒ様が怒られるのですか?」
護衛失格のデルパンではなく?といった驚愕の表情を浮かべるアンネリア。ウルリヒはバツが悪そうに「まあ、撒いたからな」と言ってクッションに顔をうずめる。幼少期からウルリヒは一人で勝手にフラフラしたりするので、その度にこっぴどく乳母に叱られていた。安全に関することは、いかにウルリヒといえど大人に怒られる。
「あああ~、帰ったら怒られるぅ。アイツもーやだぁ…。騎士団長の顔を立てて我慢してたけど…なんであっち側に居るんだよ。私の姿見たらこっち来いよ。護衛のくせにおかしいだろ~…」
撒いたことは棚に上げて、デルパンの立ち位置に文句を言うウルリヒ。
アンネリアとシャルロッテは同情的な目をしたが、クリストフだけは不機嫌な顔のまま「こちらに来られても迷惑です」と、鼻をフンと鳴らす。
「『お前クビな』くらい言ってやればいいんですよ」
「雇ってるの私じゃないからなぁ…。人事権なんてないんだ…王子は意外と権力ないんだぞ」
「知ってますよ。僕の方が自由利きますよね、お金も自由に使えますし」
「くっ…。公爵家の威光がまぶしい…!」
ふざけた様子でクリストフの怒りを解いて、軽妙な会話をしてくれるウルリヒ。一人っ子のくせに末っ子属性を併せ持つ彼に、シャルロッテは感謝の眼差しを向ける。『やっと終わった…』と、口には出さずにホッと息をついた。
ウルリヒとクリストフの会話が途切れたタイミングを見計らって、アンネリアがおずおずと疑問を口にする。
「あと、イーエス先生ですけれど…あれってよろしいの?」
アンネリアの発言から推測するに、例の金髪教師はイーエスと言うらしい。シャルロッテはやっと彼の名前を知ることができた。クリストフはどうしてか『知りません』の一点張りで教えてくれないのだから。
(チャラ教師の名前はイーエスか…記憶にないなぁ。でもすごくイヤな感じはした。あれはよくない気配がする)
ほの暗い瞳を思い出してぶるりと身を震わせるシャルロッテ。
その横でクリストフはふるふると首を横に振った。
「先生の発言は、問題ない範囲でした。クビにするには足りない…おそらく本人も発言には気を付けているのではないでしょうか」
思い返せば『モモカ、つらくないかい…?』『寮でいじめが…?それは学園としても見過ごせないね』といったような、当たり障りのないセリフしか吐いていない。ギャイギャイとうるさいのはマッコロで、次いでモモカとデルパンだ。その間、彼はモモカの肩を抱いていたり、すぐ後ろにぴったりと寄り添うように立っていたりするだけ。たまに発言をしても、攻撃性のあることを言うわけではない。
「ただ特定の生徒への距離が近すぎるし、肩入れしすぎだとは思います。抗議はしておきますが、クビにするには弱いです」
女子高生の肩を抱く高校教師なんて、シャルロッテの前世知識からすれば処罰になってもおかしくないと思うのだが。そんな部分は、この世界は未だ発展途上らしかった。
「そうですわね…。あの方って、生家はどちらなのでしょうか?」
アンネリアはうーんと悩んで「私は存じ上げなくって」と、頬を押さえた。ウルリヒとクリストフも知らない様子だ。
「でも、学園の教師は全員貴族だろ」
「そうですわ。ですから、どこかから圧でもかけられないかと思いまして」
サラリと権力を振りかざそうとするアンネリアに、ウルリヒが「学園の教師を生徒から守るために、家名は明かさないんだぞ」と笑った。
「マッコロもデルパンも、家には圧かけにくいよな~」
「モモカ様に至っては平民ですしね」
「城で宰相と騎士団長に会ったら、直接言うかぁ」
「まあ、ウルリヒ様ったら」
うふふ、と笑うアンネリアは冗談として捉えているが、ウルリヒは後日本当に直接その二人に今日の事を報告する。嫌味を言うでもなく、真実を伝えるといった形で。
それにより重役二人には胃に穴が開きそうなストレスが加わり仕事も滞るのだが、ウルリヒはそこへ気遣うのはやめることにした。アンネリアへの暴言、ウルリヒもかなりムカついていた。
しばらくそうして雑談をしていたが、マッコロやモモカは小うるさいが暴力行為といった規則違反は犯してこない。小うるさいだけなのだ。
「今のところ打つ手なし、ですね」
しかしながら、アンネリアだけがモモカと他の生徒の仲裁に入っているこの状況は良くないという話になった。今度からはクリストフとウルリヒも積極的に名乗りを上げると約束をする。
「さて、ではお姉さま。次の時間までお二人を休講にさせてはいけません。そろそろ帰り支度をしてくださいね」
「はぁい。クリスも授業に出ていいのよ?」
「いえ、屋敷に帰ります」
クリストフは席を立ち、シャルロッテと自分の分のカップを片付け始めた。シャルロッテは「ありがとう」と作業を任せて、アンネリアを気遣わし気に見やる。
「アンネリア様、何かあればいつでもお手紙を下さいませ。お話を聞きにすぐ飛んでまいりますから」
「きゃっ、百人力ですわぁ」
ふざけたような、いつもの調子のアンネリア。
しかし、次の瞬間。シャルロッテの視線はアンネリアに釘付けになった。
「今日も…人に庇って頂くなんて、いつぶりだったかしら。いつも人を守るばっかりだったけれど、いいものですわね…えへへ」
はにかむようなアンネリアの顔がいじらしくて、シャルロッテの胸がきゅんと締め付けられる。その表情に淡く頬を染めたウルリヒは「私は~?私は~?」と、アンネリアに褒めて貰いたそうに手をパタパタ振ってアピールをする。
「はい、ウルリヒ様もありがとうございました」
「ふっふーん。これからは私が守ってやるからな~」
「まあ」
年下のウルリヒの可愛らしい漢気に、アンネリアとシャルロッテの頬はそろって緩む。
(なんか原作とは違うけど、ウルリヒ様も王子様っぽいこと言うじゃない。見直したわ)
ソファにゴロッとしてのびーっと猫のように腹を出すその姿は、とても王子には見えないが…王子様が『私が守ってやる』と言っているのだから、少しは安心してもいいだろう。
アンネリアと微笑み合ったシャルロッテは、そう悪くない気分で屋敷へと帰って行った。




