折角なのでビタミンカラーをお題に荒唐無稽な嘘で綴ってみた
知様主催「ビタミンカラー祭」企画、参加作品です。
ビタミンカラーらしさは全くありません。
──講釈師見て来たような嘘を言う
小説もこれと似たようなもので、良い作品ほど上手く嘘が散りばめられているいう。
では、上手い嘘というのはどういうものだろうか?
それにはとある有名な人物が興味深い名言を述べていた。
──大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい。とりわけそれが何度も繰り返されたならば、と。
つまり人は小さな嘘には反応するが、荒唐無稽であればそれを受け入れるというものだ。
例えば2003年に起きた有栖川宮詐欺事件辺りはその典型かもしれない。手短に言えば、自らを皇族の落胤と偽り、偽の結婚披露宴を開催して参加者から祝儀等を騙し取ったという事件である。
少し考えればその辺に皇族の落胤が転がっている筈がないのは誰だって分かる。だが被疑者は、「有栖川宮記念事業団」という政治団体の代表として活動を行うという"らしさ"を演出していた。政治団体やNPOは蓋を開ければ悪用されている実態がごまんとあるのだが、それはあまり知られておらず、そうした組織の代表だと言えば人は都合良く解釈をする。
大きな嘘を小さな真実で覆い隠している形だ。嘘の鉄則とは細部への拘りとも言え、真実が混じらなければ人は信じようともしない。
また、ここで言う真実とは説得力とも言い換えられる。
説得力を得るには破綻の無い論理であったり、物語性であったり様々にあるだろう。例えその先の道が崖であったとしても、正しい道を進んでいると信じさせられたり、その道中で起こる出来事に興味が向いてしまえば、多くの人は足を踏み外すまでその道を進んでしまうものだ。
そういった訳で、今回はビタミンカラーをお題に荒唐無稽な嘘を書き綴ってみようと思う。
読んだ後に少しでも笑ってもらえれば幸いである。
何故「ビタミンカラー」なのかと言えば、つい先日ネットの海の中で面白い記事を読んだからだ。
── 曰く「ビタミンカラー」とは、魂の安息を求める悩める民達の最後に残った理想郷に他ならない、と。
一体何を言っているのか、それを読んだだけでは理解不能としか言いようがない。だがその記事にはとても興味深い内容が続いていた。
「ラー」という神を聞いた事があるだろうか? この神はエジプト神話における太陽神である。原始の海ヌンから生まれた最も重要な神だ。太陽神らしく目から強烈な光を放ち敵を討ち滅ぼす。人が生きるには太陽の光は必要だが、それも過剰だと死に至るというのを表現しているのだろう。神というのは気紛れで人の都合良い存在にはならないと言いたげだ。
しかし神というのは人々に語り継がれる中で徐々に変化していく。神は神であり続けているというのに変化するのは良く分からない話であるが、事実だからどうしようもない。例えば日本における七福神の一柱として親しまれている弁才天も、元はヒンドゥー教のサラスヴァティーだというのは有名な一例だ。知を司る女神が気が付けば護法神へと変貌している。
また、神話として語り継がれる中で、村を出て海を渡り新たな土地で根付くという事もまま起こり得る。人が活動範囲を広げる中で、神の概念だけはその場に留まるという方がむしろ逆に考え難い。そうであればきっとキリスト教はとうの昔に廃れていた事だろう。
そんなラー神がとある地で根付く。文明は未熟ながらも精霊が信仰されていた彼の地には、太陽という概念は相性が良かったのだろうと推察される。外の国の神を疑問も無く受け入れ、その過程で創造神へと役割が変化し、タミンカ・ラーと呼ばれるようになる。事実、発祥の地である古代エジプトでもラー神は他の神と習合して名を変えた事は何度も起こっており、それ自体に特別さはない。
新たな創造神が根付いた地。それは地中海に浮かぶ島、人々からはタミンカと呼ばれていた。一年中温暖な気候で過ごし易く作物も大いに実る。山に入れば神の恵みが数多溢れ、海は澄んで穏やかで散歩ついでに今日の食事が手に入る。病など起こりようのない楽園のような場所であった。まるでその地だけは時間の流れがゆっくりと進んでいるかのように感じる。
何事も起こらない。そんな日々が最大の幸福と言えるだろう。
だが安息の日々はいつしか終りを告げる。
どんなにタミンカの地が平和であったとしても、島を一歩出れば世界は違う顔を見せる。人の歴史とは争いの歴史。気付けば我こそは覇権国家たらんと近隣を飲み込み従え、全てを奪い尽くさんとする王が現れるのも人の世の定めである。
研がれた爪がタミンカの地を惨たらしく引き裂くのは必然とも言えた。
その戦いは三日間続いたという。
これまで戦いとは無縁の生活を送っていたタミンカの民が銛を槍に、つるはしを剣に持ち替えて殺戮の場へと身を投じた。誰もが勝てないと分かっていても、自身の子や妻、親を守るには巨大な暴力に立ち向かうしかない。侵略者の望む物はタミンカの人々との交流ではなく、その地における全ての財産であったからだ。
腹から血を流し、全身を切り刻まれ、一人また一人と命を落としていく。家屋には火が付けられ女子供が逃げ惑う。時には狩りを楽しむかのように矢で追い立てられ、体力の付きた時点で頭を寸分違わず射抜かれるような非道な行いもあった。
最後に残ったのは神の言葉を伝え、人々を導くと言われた巫女となる。彼女は人心を惑わせ王に逆らった反逆者と烙印を押され、何人もの屈強な男達の慰み者にされた後は生きたまま火で炙られた。彼女が叫ぶ断末魔は海を越え、始まりの地であるエジプトにさえ届いた。
こうしてタミンカは地図から姿を消す形となる。
けれどもタミンカの記憶は消えはしない。あの日、軍による侵攻が始まる前に逃げ出し命を繋いだ者が生き残っていた。その者達はいつの日か故郷を取り返さんと名を変え出身を偽り各地へと散らばるが、悲しいかな下界は厳しい環境であり皆が志半ばで朽ち果てていく。残ったのは在りし日の故郷の口伝のみであった。
やがて時は下り、そうした口伝さえも人々からは忘れ去られてしまう。だが悲しむなかれ。どんなに時を経ようとあの時の幸せな日々は魂の奥底にしっかりと残っていた。
何故ビタミンカラーという言葉が出てきたのか? 何故それが定着したのか? 言葉の定義だけで言えばそれはとても曖昧である。ビタミンCが豊富な色と言われても、明確に表現するのは難しい。しかし、その言葉の中に違う意味が込められていたというなら話は別と言えるだろう。
そう、タミンカの歴史は跡形もなく消え去っていても、せめて言葉だけでも残そうとした者がいた。あの時の理想郷を決して忘れないようにと。いつか彼の地へ帰ろうと。そんな願いが込められていたとしても不思議ではない。
──ビタミンカラーとは最後に残った希望でもある。
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最初に書いた通り、このビタミンカラーに関わる話は全てでっち上げである。
それっぽく見えるように軽く物語的にした。
改めて読んでみるとかなり強引な内容になっているが、それでも違和感無く読めるようになっていると思いたい。
自主企画の「ビタミンカラー祭」への参加を考えたが、結局ビタミンカラー自体がよくわからなかったために、ならいっその事ビタミンカラーらしさを全く感じない文章にしようと試みた結果である。
内容が内容だけに企画の趣旨に沿っていないのではないかと心配でもあったりする。
とは言え、枯れ木も山の賑わい。多くの参加作があるので一作くらい変なのが混じっても良いだろう。参加する事に意義がある、そんな形になった。
このような不真面目な作品ではあるが、少しでも笑ってもらえれば嬉しい。
こういう馬鹿げた話は結構楽しく書けるものである。
アホリアSS様よりとても素晴らしいファンアートを頂きました。
動くラー神です。
アホリアSS様この度は誠にありがとうございました。
以下アホリアSS様の作品です。
「胡桃ちゃんの人形劇」(https://ncode.syosetu.com/n2383hk/)
「魔法少女がピンチ! 黒衣の玉子様が助けに来た」(https://ncode.syosetu.com/n8655hm/)
「怪盗ネコ耳頭巾の挑戦」(https://ncode.syosetu.com/n8042hq/)
「ビーチボールと青い猫」(https://ncode.syosetu.com/n0361hr/)