むすめのココア
恐妻家
鳥が憂鬱にさえずる。食卓にならぶのは、味噌汁、白米、漬物以上である。私の箸をもつ手が震えている。否、箸が震えているのかもしれない。ありがたい朝食である。震えているきゅうりの漬物を、申し訳なさそうに、ガクガクする上顎と下顎の間にある穴に、運び込む。申し訳ないのは、私のようなものが、奇蹟である諸生育環境得て、献身的な農家の人々によって精魂込めて作られた、この胡瓜を食べていいのかという、高尚な理由からきたものではなかった。高校に入って今年二年目になる愛娘は、自らハムエッグを作り、それを、パンにはさみ、うまそうに食っている。牛乳を、350ミリリットル飲むことも忘れない。秋や冬の寒い季節は、鍋で温めてホットミルクを飲んでいる。、ココアパウダーを混ぜ、ココアにする時もある。一度「パパにもそのココア・・・ココアを、飲ませてくれないか」と頼んだことがある。返事は、予想通りだった。「いいよ。でもパパがあたしの彼を、ヒドゥンの最新作の主役に抜擢されて、戸惑いながら異星人を、聖水と十字架でやっつける若いマイケル・j・フォックスみたいな、表情をしなくなったらね」うれしそうにそう言った。そして、無慈悲なことに、こうも言った「ダイジョブその日も近いよ、パパ。夜明けは近い・・・とかいう古典で有名な詩があるじゃない」私は呆然としながら、聞き流すことできない退行意識を感じた。若い頃にはそんなものにも傾倒して大望を抱き高潔無垢を気取り無慈悲に運命を執行しようとし、天使さえも震撼させられる筈の大革命をみんなと一緒に信じていた。この国の何回目かの開国直後の文明開化浸透の時期とも言える頃合いだった。新鮮でイカスファッション。あの頃みんなを動かしたのはこいつが新思想的活動に含まれたのが要因の一端だった。少なくとも私はカッコイイのが良かったとおもう。いや、一端ではなくファッション自体が、全てだった・・・。そして、結局その一部である全てが、古くさい、ダサイ、怖い・・・色々な色へと変化をし当事者ですら恥じらって衣装を身に纏えなくなったのだった。それが和製新思想者たちと、小さく無意味に彼らを追い回すだけの流行に敏感な輩を、崩壊へと導いたのだった・・・。いい大人達の若い頃・・・否、おっさん達の髪が沢山あった時代に少しの同情と理解を示してくれる若い娘には、そんなこと言えやしない。そうは思いつつ。私にはゲバルトファッションと、緻密でミクロすぎてほころびに満ちた無思想の青春に絶望する終焉とは別の、青春崩壊終焉話があり、そいつが展開していくのだった。贅を極めたとはほど遠いスプリングが背中に突き刺さる恐怖を与えてくれるオンボロソファーという名の我が寝床、とは違った愛の夫婦寝室に一人眠る我が伴侶、ご主人様。あれが居なかったら今頃は、前述したイマジネーションを具現化しようとした、あの一大騒動の中で、沈み行く、共闘運動家として何のポストをも得られず、アジ演説の前で、アジられ、夜は、金髪美女の裸体を眼前30センチに近づけ、時には、口づけをし、時には、胸を舐め回し、来るべき女戦士の到来に備え、股間の微妙な摩擦運動に励み、青春のほとばしりをちり紙で完全には受けきれず四畳半の床に、こぼし続けてていただろう。私が今のご主人様に出会ったのは、長髪をなびかせ、麗しい女性とキスをする夢を見ながら、共闘家達の論争を耳にしずくを垂らすがごとく耳でたらたらと聞き取り流しながら歩いていた時だった。緑色のコールテンパンタロンを履いて、金色のボタンでライオンの顔が形取られている白のタートルセーターに上半身を包み、便所用の下駄みたいな靴を履いた、太った若い女。黒く野暮ったい縁の眼鏡を掛けながら、我々、戦士を値踏みするような目で見てきた。若い共闘家のような自意識過剰な者達はどんな女の視線であれ、値踏みされているものとなると髪を手櫛でかき上げるのを仕草を抑えることはできない。私もその例に漏れず髪を執拗にかき上げた。黒い毛糸の鞄をぶら下げた女は、唇をぶるぶる震わせながら、急に我々を殴り始めた。小さな頃から親にすら叩かれたことが無くて、本人も気づいていない幸せな培養液で寝起きしている我々同士は「反戦を叫んでいる我々に・・・」と頬を伝う生ぬるい水分を止めることなく、言い始めようとした。折檻は終わらなかった。突然「たばこ」女は叩くのに疲れたのか暴挙するのをやめて、ビーズで作られた紫色の紙芝居でもいれるような袋を両手で開いて、逃げようにも逃げられない我々にたばこをよこせと暗に言った。私以外の同士六人はポケットからめいめいの気に入った銘柄のたばこを袋に落とした。まるで高校の校舎内で紫煙を楽しんだのを先生に見つかった後の理不尽な制裁だった。私はただ震えるだけだった。