星降る天の果てで―memories of the doctor―
「知ってるか、ティルト?」
旅立ちの夜。
船に乗り込む前に、幼馴染みのアイツはオレにそう言った。
「まるで星が降ってきているみたいなんだ」
地下奥深く、シェルターの再深部――空など欠片も見えないこの場所で、彼は無邪気に笑って言った。
細められた灰緑がキラリと煌めいた。
「流星群のコトですか。もちろん知ってますよ」
映像記録で、たった一度目にしたそれは、確かにとても、不思議な光景だったけれど。
「でも、本物は見たことないだろ」
「そりゃーそうですよ。そもそも、ホンモノの空なんて生まれてこの方、一度もお目にかかったことなんかないのに。――てか、それはアンタもでしょ?グローセ」
このシェルターの中で生まれ育ったオレ達は、電波に変換されて届く、観測用のカメラレンズ越しの"外"しか見たことがないのだから。
「ははっ、そりゃそうだな。俺がこの旅から帰ってきたら、その時は一緒に見よう。どうだ?」
「わかりました。――楽しみにしときますよ」
そう言って、アイツは新天地を探しに天へと旅立っていった。オレの作った補助用アンドロイドのエリアルと、たった"2人"で――。
――――――
西暦24xx年。
21世紀の中頃に勃発した度重なる世界規模の核戦争で、人類はまさに絶滅の危機に瀕していた――。
地下浅い場所に位置する核シェルターも役に立たないほどの酷い放射線汚染で、戦争が終わりを迎える頃には、人口は瞬時に当初の100000分の1以下になった。
既存の国家は消滅し、辛うじて大戦を生き延びた者も1人また1人と減っていった。
そして、国家が消滅してから400年余り経っても一向に改善しない地上の環境に、地下再奥のシェルターにて観測を続けていた有権者達は"地球"を見限り、やがて新天地を探すために旅立っていった。
そのための技術を開発するために遺伝子操作をされ産み出された、十数人の青年達を地球に残して――。
青年達には、未来はなかった。体力自慢の者たちは、シェルター上層へと派遣され、ティルトとグローセを残して全員が、地上から透過してきた放射線に被曝してしまったから。
そしてその5年後、残された青年の1人――グローセも旅立った。この天の何処かにあるであろう、青年たちが暮らす新天地を探して。
ティルトは、グローセと共には行けなかった。その身体は、"地球"の大気圏を抜けるには脆弱過ぎたからだ。
残されたティルトは、命尽きようとしている青年達を冷凍睡眠させ、その時を待つことになる――グローセが朗報を携えて帰還する、その時を。
――――――
きらきら、きらり。
たくさんの星屑が、流れては消える。色とりどりの光が、群れをなして、今日も――。
「また見ているのですか?よく飽きませんね」
自室の天井をプラネタリウムにして思考の渦に沈んでいたオレに、アイリスが呆れたような声をかけてきた。輝く紫水晶の瞳が、淡々と、けれども確かな疑問を浮かべてオレを貫いている。
アイリスは、オレが作った観測用アンドロイドだ。
オレは情けないくらいに身体が弱いので、オレの力では出来ないことや、オレの身体では行けないところでの作業を任せるために必要だった。このシェルターには――いや、この"地球"には、生きている"人"はもうオレしかいないから。
「別に、映像だけを見ているワケじゃないさ」
グローセが旅立ってから、既に50年余りが経過した。開発した培養細胞技術で、あのときの姿のままに老いることなくここまで暮らしてきているが、かつて人類の寿命は80年余りだったそうだから、人の身としてはかなり永い時間だろう。
「?…貴方の話は、たまに難しい」
「何事にも、想い出ってモノが付随するものなのさ」
僅かに眉を寄せて首を傾げたアイリスに、オレはゆっくりと微笑んだ。
――――永い時間だから。
"映像"に結び付いた"想い出"に浸るのだ。約束を違えることがないように――。
「……よく解りません」
「解らないほうがいいよ」
「……」
オレの言葉に、アイリスは何か言いたげに思案している。オレと自分の間に、線を引かれたのが不満なのかもしれない。
「…ティルトさん、"感情"をプログラムしてください」
「感情に近しいプログラムはもうしてあるよ?」
暫く黙り込んでいたアイリスがそんなことを言い出すから、オレは思わず目を瞬かせた。
アイリスには元々、簡単な欲求や感情はプログラムしてある。オレの残りの"人生"を共に過ごすと考えたとき、"イエスマン"なんて要らなかったから。
オレの話し相手になり得るくらい、既にアイリスは"人間らしい"自我がある。
「それじゃ足りないんです。俺は、貴方が何を感じているのか知りたいんですから。――貴方なら、出来るんでしょう?」
「確かにできる――けどダメだ」
「何故ですか」
「永い時を生きるのに、感情なんて邪魔なだけだよ。オレよりもずっと永い時間を生きなければいけないお前に、苦しい思いをして欲しくないんだ。苦しくても、目的を果たすまでは、やめていいと言ってやれないから」
「そう…ですか」
オレがそう言った途端、アイリスが悲しそうな表情をしたのは、錯覚だと信じたい。
深い感情や執着は、悠久の時を過ごすには、デメリットが大きすぎる。
アイリスと2人でいるオレでさえ、保証のない永い未来に立ち竦み、叶えられることのない約束を追い求めて、プラネタリウムを眺めては映像に縋るのだから。
オレは、普通の"人間"よりも余程長生きだ。けれど、いくら引き延ばしても、いつかは死ぬ――そういう運命だ。造られたとはいえ、"人間"だから。だからアイリスには、表面的な自我しか与えたくないのだ。ここに独り遺されたアイリスが、オレと同じ思いをしないように。
「ゴメン。ありがと」
むくれてしまったアイリスの頭をさらりと撫でて、オレは微笑んだ。
オレがアイリスをこの"地球"にたった独り遺して死んだ後、ただ平穏に暮らせるといい。オレのコトなど覚えていてくれなくていいのだ――その時が来るまで、アイリスが幸せに暮らせるのなら。グローセの子孫が、いつか戻って来るまで――。
――――――
『25xx年3月29日。100万シーベルト以上確認。オレは今日も変わりない』
明かりの落とされた薄暗いそこは、まるで潜水艦の操縦席のようだ。別にホンモノを知っているワケではないけれど。整然と並んだ無数のモニターに映るのは、シェルター内外の各ポイントの映像だ。切り取って並べられた、肉眼では決して見られない地上の景色も、最早見慣れたものだ。
オレはここで日に一度、今日も天へとメッセージを送る。アイツの乗る船のある場所――遠く離れたこの世の何処かへ。届いているかは、判らない。送りっぱなしの一方通行だから。
それでも、決して欠かせない。定時連絡は、この世の何処かを彷徨うアイツの道標だから。
「ティルトさん、コーヒーが入りました」
「さんきゅ。――ん、美味しい」
ふわりと鼻をくすぐる芳ばしい香りに、礼と共にカップ受け取って一口。アイリスの淹れてくれるコーヒーは、いつもオレ好みだ。
「今日から新しい豆です」
「穫れたの」
「はい」
微笑んだオレに、アイリスは淡々と告げた。穫れたてのコーヒー豆を、手間をかけて提供してくれたようだ。
いつも、こうした然り気無い気遣いが嬉しい。代わり映えの少ないオレの毎日を彩ってくれるのは、いつだって――。
「この後時間あるから、行こうかな。自慢の農園へ」
「はい」
2人並んで進む、いつもの廊下。心なしかアイリスの足取りがゆっくりなのは、体力のないオレに合わせてくれているからだ。
管制セクションを通り抜けて、居住スペースの先――温室の扉を開けると、一面に広大な庭と畑に、果樹園と続く。咲き乱れる四季折々の花や、たわわに実った果実。
これらは全て、かつて人類が"シードバンク"と称して保存してきた植物たちだ。支配者たちが宇宙へ旅立ったあと、持て余したスペースを全て、庭と畑に変えたのだ。
オレとアイリスの2人で作ったここは、映像記録の世界遺産なんかよりも余程美しい――オレの憩いの場所だ。
川の畔に寝転んで、柔らかい陽射しと心地好いそよ風を感じる。全て人工だけれど、そんなことはオレにはどうでもいいことだ。
「お、キレイに咲いたね」
ちらりと視界に入った鮮やかな紫に、オレは身体を起こしてにっこりと微笑んだ。
水辺に揺れる細長い葉の合間に揺れるそれは、4年前にオレがこっそり蒔いたタネだ。それが、ついに美しい花を咲かせたのだ。
「そういえば、これは何という花ですか?」
「ふふ、これはね――燕子花だよ」
「燕子花…?」
「そ。花言葉は、"希望"、そして"幸せは必ず来る"。命の水が育む、美しい希望の花さ。アイリス、キミの瞳と同じ、目が醒めるような紫の、――ね」
「――俺の…」
目を丸くして言葉を失ったアイリスに、オレは満足した。このリアクション。内緒にして育てていた甲斐があった。
燕子花は、特別な花だ。その名を冠する通り、コイツはオレの"希望"だから。
「キレイだろ?――オレの"大切"」
「…」
オレが笑うと、アイリスは思案顔で黙り込んだ。その表情は、今まで見たこともないもので、オレはおや、と目を瞠った。それは、なんと反応するのが正解か、思い悩んでいるようだった。きっちり10秒を費やして、嬉しそうな笑顔を浮かべたアイリスの頭を撫でて、オレは再び寝転んだ。
「ね、アイリス。仲間を作ろうか?」
「仲間、ですか」
ふと思い至って、オレはそんな提案を告げた。不思議そうに首を傾げたアイリスに、オレは言葉を続ける。
「そ。オレはいつまでもはお前と一緒にはいられない――人間だからな。だから、お前と同じ時を生きられる、お前の仲間を作ろう」
我ながら、名案だと思った。そうすれば、オレがいなくても、アイリスはもう独りにはならないから。
けれど――。
「…必要、ありません」
「そう?」
解ってないな、と言いたげに首を振って、アイリスは、オレの提案をばっさりと断った。
「ただでさえ資源は限られているんでしょう?もしもあなたが居なくなる日が来ても、その時は、俺一人で大丈夫ですよ」
「…そ、か」
強がりではない声色で、アイリスはきっぱりと言い切ったから、オレはもう何も言えなかった。でも、オレは心に決めた。オレが死ぬ前――まだ身体が動くうちには、もう一度同じ問いをしようと。
――――――
「恨んでは、いないのですか?」
あれからさらに五十余年の後。
アイリスがそんな問いを発したのは、管制セクションの最奥部、9つの棺のある部屋でのこと――久々に、コールドスリープをしている彼らの装置を点検している時のことだった。
「や、恨んでない。初めから、そんな感情を持つ程、オレは人類に期待しなかった」
人類は、オレ達を使い捨ての駒として利用したけれど、それは人類にとって、オレ達は単なる道具だったからだ。自分たちが生き延びるための、道具。
――――バカなことだ。
人類は、自滅したのだ。
戦争の悲惨さも、核兵器の恐ろしさも、全てそれまでの大戦で嫌というほどに思い知ってきた筈なのに。彼らは歴史の教訓を省みることなしに、争い滅びることを選んだのだから。
同情の欠片もない。だって、"地上"に溢れていた美しいモノたちを破壊し尽くしてまで――そこまでして貫かなければならない価値観や主張など、オレには到底理解できない。
「違います」
オレの答えに、けれども、アイリスはゆるゆると首を振った。
「"人類"などという有象無象の話ではなく。グローセを。恨んではいないのですか?――貴方を置いて旅立った彼を」
「え、アイツを?――まさか」
あまりに意外なその問いに、オレは笑って首を振った。
確かにアイツはオレを置いていったけれど。それは、仕方のないことだ。オレ達の想いは同じ。"アイツ等を助けたい"――それだけだ。天に旅立てないオレは、地球に残って冷凍睡眠装置を開発・完全させた。オレにしかできなかったことだ。
オレの役割は、地球でアイツ等を"生かし"続けながら、グローセに帰り道を示すことだから。
「お互い様さ。オレはアイツに、終わりの見えない旅を課しているんだから」
「……」
アイリスは、難しそうな顔をした。
「でも、それじゃあ貴方は…」
まるで自分のことのように辛そうな表情で、アイリスは呟いた。聡い彼は、オレが皆と暮らせないことに気付いてしまったのだろう。
いくら寿命を引き延ばそうとも、オレが生きているうちに"アイツ"が帰ってくる可能性は限りなく0に近い。例えそれが叶ったとて、どうせオレの身体は天へ旅立つ船の重力には耐えられないのだから。
「いいんだ。お前がいるから」
オレはそう告げて、メンテナンスを終えた制御装置の蓋を閉じた。
二人並んで歩く連絡通路で、黙り込んでいたアイリスはぽつりと零した。
「…俺はただの機械です」
「オレは、そんな風に思ってないさ」
そう言って哀しそうに首を振ったアイリスに、オレは笑った。
別に、強がってなんかいない。かつてアイツが愛した光景が現実にあったという、美しかったこの地球で、アイリスに看取られながらに骨を埋める。そんな最期も悪くない。幸せだったと笑える――そんな確信があるから。
――――――
加工場で予備の部品を量産しながら、オレはがっくりと呟いた。
「レアメタルが足りない…」
「レアメタル…ですか」
いつの間にか背後に立っていたアイリスが、そんなオレの呟きを拾った。
「そ。もうシェルター内にある分は使い切っちゃってさ…」
「代替品はないのですか」
「今のオレの技術じゃ、残念ながら代えはないね」
足りなくなったのは、複雑な回路部分に使用している金属だ。コレのおかげで、アイリスの頭脳部分のような複雑な回路も、驚くほど小型化できているのだ。代替できないこともないが、コレを使わないと、例えばアイリスの頭は、この部屋程にもなってしまう。
「とりあえず休憩しませんか。お茶を淹れますから」
「ん、さんきゅ」
重い溜息を吐いたオレに、アイリスはそんな言葉をかけてくれた。オレは大きく伸びをして、席を立ちアイリスに続いた。
お湯を入れた、透明な硝子のポットの中で。鮮やかな花が開いては踊っていた。
「おー!コレ凄いね、キレイだ。お前が作ったのか」
「"花茶"です。たまには趣向を変えてみました。喜んでいただけて嬉しいです」
一口含むとふわりと広がる、茉莉花の優しい香りに、ざわめいていたオレの心は鎮まっていく。ほう、と一息吐いたオレを、アイリスが静かに見つめていた。
「俺が行きますよ。地上へ行かなければならないんでしょう?」
「バカ、今は酷い磁気嵐の最中だぞ?危険すぎる」
やがて、アイリスがぽつりと告げた。オレは即座に首を横に振った。
「でもこの間、この磁気嵐はあと100年近くは続くって予想していたじゃないですか。貴方を地上へ出すわけにはいかないんだから、俺が行くべきでしょう」
「……」
アイリスに論破され、オレは往生際悪く黙り込んだ。
やはり、この過酷な世界を生き残ることを考えたら、感情なんて邪魔なだけだ。オレだって、それが最善策だと解ってはいる――どう頑張っても、オレはあと100年は生きられないから。それでもこのオレのパートナーを、危険な目に合わせたくないと思ってしまうのだ。
――――――
結局、他の手を捻り出せなかったオレは、アイリスを地上へ送り出すことになった。
「――よし。これで、地上でも問題なく動けるから」
「ありがとうございます」
磁気を防ぐ特殊なコーティングを念入りに施し、オレは何度も漏れがないかを確認した。
「何か危険があれば、すぐ逃げろ。磁気を防ぐのは表層だけだ」
「はい」
何度も念を押して、オレはアイリスを送り出した。除線室の先、エレベーターに乗り込んだ彼を不安に苛まれながら見送るオレは、またしても待つことしか出来ない。
「地上に着きました。動作問題なしです」
「よかった。――気をつけて」
「はい」
繋いだままの通信電波から、いつも通りのアイリスの声が聞こえてきて、オレは胸を撫で下ろした。これで、第一関門突破だ。
目的のレアメタルの在るポイントは、判っている。
不安があるとすれば、そこが急峻な山岳地帯であるということか。
「着きました。掘ります」
「りょーかい」
スムーズに任務を進めていくアイリスの声を聞きながら、――何故だろうか、それでもオレはどこか不安が拭えなかった。アイリスの視界を共有したモニターを見つめながら、オレは拳を握り締めた。
「回収完了。戻りま――ぅわ!?」
「アイリス!!」
突如、ぐわりと画面が揺れた。暫くの間続いた酷い揺れ――地震だった。
一際大きな衝撃を映した後、送られてくる映像は酷く不鮮明になり、そしてぶつりと途絶えてしまった。
「アイリス……?」
慌てて呼び掛けるも、応答はない。落石か何かに当たって、コーティングに傷が付いたのかもしれない。
血の気が引いて、指先から冷えていく感覚。
気が付けばオレは、大して役に立たない除線服を掴んで、エレベーターへと駆け出していた。
「ここが……」
生まれて初めて降り立った地上の世界は、酷く殺伐としていた。識ってはいたけれど、それをこの目で感じたことに、感慨に耽る余裕はない。
オレはアクセルを踏み込んで、アイリスの元へと急ぐ。悪路をものともせずに、四駆のジープは駆けていく。一刻も早く、アイツを安全な場所へと連れ返りたかった。
ぐらぐらと眩む視界に、吐き気。オレを射し貫く放射線は全く見えはしないのに、早くもこの脆弱な身体を蝕んでいる。
このまま倒れるわけにはいかない。――今は、まだ。
「…アイ、リス!」
漸く見つけた彼は、崩れた崖の傍らに倒れ伏していた。予想通り、落石で破損したらしく、肩に傷があった。コーティングが剥がれて、そこから磁気にやられたのだろう。
除線服に付けたアシスト機能の力を借りて、オレはアイリスを車に乗せた。
「――ど…、して…?」
「見捨てられる…ワケ、ないでしょ…っ」
最早、半ば運転すら危うい。自動に切り替えてぐったりと倒れ込んだオレは、絞り出されたアイリスの問いにそう答えた。
きっと、アイリスは助けに来て欲しくはなかったのだろうけど。そんなのは、オレが耐えられない。
ごぼり。
喉が鳴って、真っ赤な血が飛び散った。自分が吐血したのだと、気付いたのは数瞬の後だった。
お願い。もう少しだけ、もってくれ。――せめて、コイツを直すまでは。
――――――
気が付くと、霞んだ白い天井がオレを出迎えた。
「――っ、」
「ティルトさん…!」
起き上がろうにも、身体に全く力が入らなかった。全身が酷く痛んだ。経験のない痛みだ。
思わず顔をしかめたオレの鼓膜を、アイリスの声が揺らした。よく見えないけれど、傍に付いてくれているらしい。彼を直したところまでは記憶にあるから、倒れたオレを処置してくれたのだろう。
とにかく。――オレはまだ、生きていた。
「…さん、きゅ」
「俺の、せいで…貴方を…」
「…バカ、どうせそのうち…死ぬ命だよ」
予測できない地震だったのだ。アイリスのせいではないのに。
酷く悲しげな声色を元気付けてやりたいけれど、こんな弱々しい声では、説得力などありはしない。何を言ってもアイリスは、自責の念を捨てないだろうから。
だから――。
「…大丈夫、オレはまだ死ねない。もう少し、…傍にいて」
「……はい」
言葉を紡ぐオレに、逆らうことは許さないとでもいうように、強い睡魔が襲ってくる。ちょっとこれは、眠すぎる。
オレは、アイリスの返事を聞いたのを最後に、もう一度意識を手放した。
――――――
「リンゴが穫れましたよ、ティルトさん…。食べ頃です」
「さんきゅ、もらうね」
たくさんの管に繋がれたまま、ベッドの中でただ時を過ごして1週間が経った頃。アイリスがそう言って、林檎をすりおろしてきてくれた。食欲なんてなかったけれど、部屋に広がった良い香りに、オレは微笑んだ。
差し出されたスプーンを口に含むと、爽やかな甘さが広がった。優しい味に、少し意識がはっきりした気がする。
ああ、コーヒーが飲みたいな。いつもみたいに2人で、穏やかに。
「ね、アイリス、やっぱり造らない?お前の仲間」
「必要ありません」
オレはもう一度、あの時の問いをかけたけれど。アイリスはあの時と同じようにきっぱりと断った。そこに確かな意志があったから、オレはもう何も言わなかった。
「わかった。じゃ、これからはお前の修理の部品をつくるよ」
「もう、充分あるじゃないですか…」
「ないんだよ。レアメタルの基盤がさ。これをつくれば、オレの仕事は終わりだね」
「……」
悲しそうにしながらも、アイリスは頷いてくれた。
鎮痛剤を打って、なんとか動かす身体は重いけれど。まだ立ち止まるわけにはいかない。これは、オレのやるべきことだから。
前よりも、余程ゆっくりと。けれど、着実に作業は進んでいく。
オレが出来なくなったことは、アイリスが代わりにこなしてくれた。だからオレは――。
――――――
『26xx年12月14日。100万シーベルト以上確認。悪いね、待っていられなくて』
いつものように、天へ向けて送るメッセージ。
オレが送るのは、今日で最後だ。オレが生きている間には結局減らなかった放射線量は残念だけれど、仕方がない。
これからはアイリスが、オレに代わってアイツを導いてくれるだろう。だから、心配は、――ない。
今日が始まってから、アイリスは一時もオレの側を離れようとしない。無数に用意した予備の部分――その最後のひとつを造り終えたときも、メッセージを送ったそのときも。それだけ、今日のオレは頼りなく見えたのだろう。
農園に行きたがったオレを、アイリスは文句も言わずに運んでくれた。役に立たない身体が情けないけれど、それも今日でおしまいだ。
辿り着いたあの川辺に、二人して寝転んだ。
いつか二人で見た燕子花は、今や辺り一面に広がって、川の畔を鮮やかな紫に染めながら風に揺れている。
本当に、花言葉の通りだった。アイリスと過ごす毎日は幸せで、オレがいなくなった後への希望でもある。オレにとってコイツは、今も昔も変わらずそういう存在だ。
「ね、アイリス。お願いがあるんだ」
「なんですか」
「今夜な、"双子座流星群"が最盛らしいんだ。――最期に、お前と見たい」
最期にして、最大の我が儘だ。
もう明日を迎えるだけの気力がないオレが、唯一やり残したこと。まるでオレを後押しするように、図ったかの如くぴったりのタイミングで最盛を迎える流星群。
「俺で、…いいんですか」
「お前とがいいんだよ。また危険な目に合わせて悪いけど、オレを地上へ連れてってくれ」
アイリスは、哀しさと嬉しさの入り交じった表情でオレを見て、頷いた。
その夜。
なけなしの防線服を着て、しっかりと鎮痛剤を効かせたオレは、何層もあるシェルターを上へ上へとエレベーターで昇っていく。
この通路を通るのは、あの日以来だ。もう中に戻ることはないが、恐怖はない。
そして、ただひたすらに広い、天の下。
小高い丘の上に辿り着いた二人は、川辺でしたように寝転んだ。
「う、…わ……」
オレは、思わず言葉を失って、その光景から目が離せなくなった。
見上げた途端、視界いっぱいに広がった夜空には、無数の星が輝いていた。
きらきら、きらり。
たくさんの星屑が、流れては消える。色とりどりの光が、群れをなして。
それは、あの精巧なプラネタリウムで見たものと似ていたけれど。色も数も、鮮やかさも。全てが違っていて――本当に地上まで零れてきそうな程の星が、天一面に降り注いでいた。
「な?映像とは違うだろ?」
アイツがオレに言うはずだった台詞を、隣で静かに天を見上げる彼にかける。アイリスは静かに頷いて、天を見上げ続けた。まるで、この光景を、余さず記録するかのように。
これからのことは、もう全て話し終えた。だから、これまでの話をした。アイリスが"生まれる"前のこと。そして、二人の想い出を。
やがて、オレの視界は徐々に霞んできてて、意識を保つのが難しい程の眠気が襲ってきた。
――――最期だな。
疑いもなくそう思った。
「ティルトさん…?」
口数が少なくなったオレに気付いたのだろう。アイリスがこちらを覗き込む気配がした。
ああ、残念だ。顔がよく見えない。あの美しい紫水晶が、オレを真っ直ぐに貫いているのだろうに。
「ゴメン。も、眠いや。――ありがと。お前と居られて幸せだった」
「俺もです」
オレの紡いだ言葉に、アイリスは短く返した。それを聞いて、ただ微笑む。本心のこもった言葉だったから。
アイツが旅立ってから、お前が居たから、どんな時も幸せだった。
だけど。最期にたった一つだけ我が儘を言うなら。
オレは、もっともっと。――お前との時を過ごしたかったよ…、アイリス。
絶対に口には出来ない、したくない未練――それでも。
ああ、オレはなんて幸せなんだ。
目を閉じて、意識が沈む瞬間に、アイリスの声が聞こえた。
「おやすみなさい」
――――――
夢を見た。酷く懐かしい夢だった。まだ、アイツ等が皆元気だった頃の夢。
オレはアイツと一緒に、輪の中心で笑い合っていて、アイツ等はその周りで賑やかに騒いでいた。
オレはアイツと顔を見合わせて、笑顔で手招きをする。
「おいで、アイリス」
「来いよ、エリアル」
これが夢だと判るのは、その傍らにアイリスとエリアルがいるからだ。
重なる筈のない時間。
だからこれは、きっと――オレの望んだ幸せの形だ。
――――――
一瞬だった気も、永遠だった気もする眠りから醒めたオレは、ゆっくりと瞼を開いた。
ぼんやりと定まらない視界に、誰かの影が映り込んでいる。
ああ、なんていい夢を見ているのだろうか。
「ティルトさん」
「ティルト」
聞き覚えのある声が、期待を込めてオレを呼んでいる。彼らが何を求めているのか、何故かよく解った。
声なんて出ねーって。そんな風に内心毒づきながらも、オレは微笑んで口を開いた。
「おかえり」
山猿さんの「ペルセウス」を久々に聴いてどうしても書きたくなった、そんな話。
最初に浮かんだのはアイリス目線の話だったけれど、長くなりそうだったので、ティルト目線で。