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メンズエステ  作者: みぃ
5/38

5 店長

  学校では後期が始まり、アルバイト先ではついに私は店長と対面を果たした。

 

 自分の店で働く女の子に手をつけまくる速さには定評のある店長だった。女の子なら基本どんな子でも大好物らしいが、特に好みなのは小柄な細身のピュアそうな子なのだそうだ。

 丸山兄弟とココちゃんと私は、外見的に店長の好みな体格に当てはまっているらしい。ただ、ココちゃんや丸山たちはお洒落で今をときめくお嬢さんらしく髪や服もキラキラしていてメイクも上手だし、女子力が高い。

 それに比べ、私はボサッとしていて、眼鏡だし、ニキビだし、何を着たらいいか良く分からないのでともかく目立たなそうな、色彩の乏しい無難を第一に考えた服装だった。黒や、黒っぽい色や、グレーとか茶色とか…その位が自分に許された色だ、へたにお洒落しようとしたら変な恥ずかしいことになってしまう、そんなくらいなら影として人目に付かないように生きていたい…そう思って影みたいな色の服を選んでいつも着ていた。それが昔からの癖だった。

「ウンコ色」

「土砂降りの後の溝の色」

「なんであんたはいつもいつもそんなわざと汚い色ばっかり選んで着るの?」

と、たまに会う母には第一声で服装についてよく怒られた。

 マイマイにも、一緒に駅のそばの小さなセレクトショップを探検して覗いてみている時に、

「モカリン、こんなのもたまには良くない?」

と綺麗な薄ピンク色の軽い羽織りを見つけ出してきて、私の肩に当ててくれながら、薦めてくれた。

「そんないつも薄汚れたようなやつばっかじゃなくても、たまにはさ。私があんたくらい痩せてたら世界中のこういう服、アレもコレもって、着倒すのに」

けれど、普段からそういうのを着慣れていないから、他の服とどう組み合わせて着たらいいのかが分からない。

 店員さんも寄ってきて、ハンガーから外し、羽織らせてくれる。

「確かに綺麗…だけど…」

鏡に写すと見慣れない自分の姿に気恥ずかしくなってきて、すぐに脱いでしまった。

「あの熱帯魚みたいな井上くんと足して二で割ったらあんた達、ちょうど良い感じになりそうだけどなぁ。今度あの子と服屋さんに行って、選んで貰ったら?そういうの、あの子得意そうじゃない?」

「井上くん?」

「ああいう子が良いんだよ、優しくて。どこへでもついて来てくれて。服とかも一緒に見てくれそうじゃない?」

「そうかなぁ…」

「もったいないよ、そんないつも真っ黒とか茶色ばっかりとかじゃあ。ちょっと、誰かの影とかみたいで。」

マイマイはそう言って私の服装の心配をしてくれた。


 服の中身は子どもみたいだ。私の成長は本当に中学生頃まででピタリと止まってしまったのだ。

 小学生までは学年では大きい方で、周りのみんながちっちゃく可愛らしく見えていたのに、そこからどんどんどんどん周りの子たちの背が伸び、自分だけがそのままでいるので、成長の速い森の中で迷子になったようにみるみる追い抜かされていき、中学校では周りのみんなを見上げるちっちゃい存在になってしまった。

 中学は必ず部活に入らなければならないという面倒臭い校則のある学校だった。けれど帰宅部に一番近い自然科学研究部とかいう、とにかく早く帰れることが何よりの取り柄の抜け穴のような部活があり、しっかりそこに入部した。3年間、早く下校する技ばかり磨いて、全く体は鍛えなかったせいで、横にもヒョロヒョロとした頼りない発育しか遂げられなかった。

 大人になっても体が小さく、いつまでも未熟な発達途上の子どもみたいな姿をしていた。

 ココちゃんと2人でお酒を買おうとしたコンビニの夜も、2人ともがまだ未成年に見えてしまったらしく、2人してレジのネパール人の店員さんに身分証の提示を求められた。


 日差しに当たるような部活もしてきていないし、戸外でアクティブに遊ぶ趣味もなく、色も白かった。

 厳しい部活で培われるような、縦社会のしがらみや、絶対的挨拶や、横との絆や、お腹の底から力を入れての

「ファイトオー!」

などという発声も全然経験したことがなく、ナヨナヨしてモジモジして小さい声で喋って生きてきた。そのまま大人になってしまい、大きい声でハキハキ話す人に絡まれると劣等感から、怖気づいてしまうようになった。

 相手からは、よく言えば、

(か弱そう…)

悪く取られると、

(頼りない。男性受けを狙っているのか?)

と勘違いされ、たまに、

「それわざとやってるの?」

と同級生のちょっと意地悪な女の子に聞いてこられることもあった。わざととかモテようとかそんな事を考えてやっているのではないのだけれど…ただの地声なのだ。肺活量が無いだけで自然体なのだ。

 それなのにそんな風に詰め寄って攻撃的な姿勢で来られると、余計に緊張で喉が狭まって声が小さくしか出ず、

「は?聞こえないんだけど?」

とか相手の子に言わせてしまうことになり、

「可哀想だろ」

と側で聞いていた男子が庇ってくれる。そうしたらもっと事態は悪くなる。

「ほーら。やっぱりこれが狙いでしょ?腹黒~!こういうのが嫌な女って言うんだよ!」

と決めつけられる。

違う!本当にわざとじゃないのに!と悔しい思いをする。

急に大きい声を出し

「大きい声も出せるよっ!」

と言ったりしても、

「逆ギレかよ」

と余計事を荒立てようとしてくる。もともと悪感情を持っていて話しかけて来ているので、最初から挽回の余地などないのだ。


 長い真っ直ぐな黒髪は、染めたり切ったりするお金や時間等の労力の無駄を極限まで省いた産物だった。お化粧もその同じ理由により必要最小限に済ませていた。

 他人のお化粧や仕上がっていく過程や物腰には魅了され、いつまででも見飽きずに見ていられるのに、自分の顔のこととなると、途端に面倒臭く感じてしまう。どうせ上手くできる気がしないし、そんなにやる気も続かないのだ。どうしてなのか分からないが。だからこそ丁寧なお化粧を毎日している人に憧れるのだ。

 たまに、ある日急にやる気がみなぎってくることもあり、

(よし!今日からは私もあのキラキラな女子の仲間入りだ!心を入れ替え、今日からは毎日パチパチお目目に変身して女に生まれた人生を謳歌してやるぞ!)

と気合を入れて鏡に向き合い、メイクし始めることもある。

でも右目と左目はどうしても同じようにならないし、右の眉と左の眉と揃わない。ああでもないこうでもない、と描き足し描き足ししているうち、化け物のような顔面になってしまう。一から洗顔し直し、遅刻することになる。

(ええい、もう二度と化粧なんかしない!)

と心に誓う。


 しかし逆にこういった特徴がこの業界では珍しいらしく、ピュアとか希少と呼ばれる由縁になるみたいだった。

 声と体が小さくて、地味で、社交性がなく、ヘナヘナしている。お化粧も下手くそ。

「ダメだね。」と言われ、これまでの他の職場では、〝役立たず″の烙印を押されてきた。その特徴が、ここへ来て裏返り、長所のように扱ってもらえた。

 お店の女の子紹介欄の私のところには、

“黒髪清純派美少女、ロリ系、おしとやかで真面目…”

などと、多分佐藤さんあたりが適当にウマい事を書いてくれていた。


 涼しいいい風が入ってきて窓を開けているだけで気持ちの良かったある日の夕暮れ、みんなでいつものように更衣室でだべっていると知らない番号から私の携帯に着信があり、出ないでいたら、受付の電話が鳴り、

「新入りのモコちゃん、電話出てって伝えてよ。俺店長だから」

とオレオレ詐欺師みたいな事を言って来てる奴がいる、と受話器を押さえて佐藤さんが私と周りのみんなに触れ回った。

「来やがったかぁー」

「とうとうかー」

となんだか嬉しそうに丸山姉妹が盛大な歓声を上げた。

「遂にだな」

「おめでとう」

「洗礼だー」

と他のみんなもワァッと盛り上がり、何のことかとチンプンカンプンな私にワイワイ教えてくれた。店長に目を付けられたんだよ、と。

 1人で居残るように言いつけられたら狙われている証拠らしい。


 私が入って来る前にもおんなじような事例があり、店長が1人で居残りを命じた女の子が後日

「ハグされた、チューされた」

と必死で大騒ぎしていたそうだ。

 今は辞めてしまっていないその子も、小さくて、ヘナチョコそうな声の小さい子だったけれど、私よりはまだハッキリ喋るし、最後の最後には大声で叫び続けるとか泣き真似を続けるとか、店長が無理な理由を際限なくあげつらう事ができるとか、何とかかんとかして、ちゃんと断ることができる子だったから良かったらしい。ヘタレなあんたでは到底店長に太刀打ちできないだろう、アッという間にツルンと丸裸にされて『いただきます』されてしまうに決まってる、とみんなが言うのだ。

「でも本当に私に仕事で何か用事があるんじゃなく…?」

と言いかけると、まだ言い終わりもしないうちから全員で

「ナイナイナイナイ」

「ないわー」

と一斉に激しく否定された。首も手も盛大に横に振り、呆れて大笑いし出し、口々に店長の手の速さがどれほどのものか、それでどれだけ有名人か、自分達がどんな目にこれまで遭わされて来たか、まるで、より酷いことをされた者の方がより格上であるかのように競い合いみたいになって、されたセクハラを言い募りだした。

「あいつ、堂々とお尻触ってきたんだから、こう!撫で上げるように!」

と佐藤さんが手近にいたミサさんの腰を捕まえ、そのお尻で実演して見せた。

「ギャアァーッ、オエエエエッ」

と絶叫して笑い出すミサさん。

「ゲェエエエエ!」

みんな爆笑しながら吐き真似をした。

「私なんか、密室で個別指導するって言われた…」

「私はキスされかかったし!咄嗟に顔面を手のひらで押さえつけちゃって、手にブチュッとやられたわ…」

「私はこう、両手で顔を掴まれて壁に押し付けられた!」

「私も壁ドンぐらい何十回だってされたー!!」

「手を掴んで撫で回してきた…」

「告りまくってくる…」

などなど…

みんな色々なんやらかやらされまくっているみたいだった。恐ろしくなってきた。


 1番最近では、一昨日の夜、他のメンバーが帰った後にミリマイが2人だけで閉店作業をしようと居残っていたら(私は一昨日は別で掛け持ちしている飲食店のアルバイトの方へ出勤していて、居合わせなかった)ミリ1人だけ下に降りてコンビニで小腹を埋めるためフランクフルトか肉まんか何かを調達しに行っていたちょうどその15分位の間に、店長がフラリと珍しく店に立ち寄り、そこに1人でいたマイにニヤニヤと両腕を広げ

「マイちゃーん♡愛してるー♡」

と迫って来たのだという。

(…本当かどうかは分からないが。何故か話す時、みんなゲラゲラと笑い半分鳥肌半分と言った感じなのだ。それは丸山姉妹だけではなく、みんながそんな感じなのだ。今夜の餌食に照準を合わされているらしい私だけは笑い事では済まされない深刻な大問題なので、笑っていいのやら本気になって真剣に悩むべき事なのやら良く分からない状況だが…)

 ミリが戻ってきて女2人になると、断然こちら側の方が強くなり、店長もヘラヘラ笑ってばかりですぐに撃退できたそうだった。けれど、

「ともかく1人で居残っちゃダメだ」

と身をもってマイが提言した。

「モコは特にダメ」

「絶対やられる」

と口々に他のみんなからも断言された。

「えええええ…」

じゃあどうしようかと暗い気持ちになって沈み込み、悩み始めていると、みんな笑いながらも一応心配して対策を練ってくれた。

「とにかく1人なのが1番危険だから…」

「みんなで一緒にいるしかないな」

「それか、用が出来たとか言って一緒に帰っちゃうか?」

「それかみんなで居残るか…」

「どっちかだな」

「どっちが面白そう?」

「そらオモロいのはみんなで居残る方でしょー」

そしてそうする事に決まった。みんな一緒に居てくれるのだ。そうと決まると心強く、

(もう心配する事は何一つない…)

とホッとした心境だった。

(優しい人達だなぁ…)

と更衣室のメンバーを見渡し、ホッコリしかけていたら、

「でもただ普通に更衣室にみんなで居るのもつまんないから、他のみんなはどこか別室に隠れて居よう。

 店長が更衣室のドアを開けて入って来た時には、モコ1人でちゃんと待ってたフリをしてもらおう」

と、いたずら心で目をキラキラ輝かせながら普段は面倒見の良い佐藤さんが提案した。

「そうしよう!それがいい、そうしよう」

「楽しそう~」

と、そういう事に決まってしまった。これでは囮と言うことになる。

(また話が違ってきたぞ…)とも思ったが、

私の肩をぽん、と叩き、

「みんなで協力してあげるんだから、そのくらいの犠牲は払わなきゃね」

と満面の笑みを浮かべた佐藤さんに言われ、

(まぁ…そう言われるとそうなのかなぁ…)

と私もニヤリとし、

(同じ店内に仲間達が居てくれるんだから大惨事になる事はないか…)

と納得した。

 みんなが今まで散々嫌な思いをさせられてきたセクハラ店長に少しでも報復するのに一役買えるならと、ここは一つ勇気を出す事に決めた。


 もともとは夜22時まで営業と謳ってはいるけれど、中で働く女の子達が誰もその時間まで居られないとなれば、最後の子に合わせて店を閉めるし、逆に客が居て女の子も働けるならいくらでも営業時間を延ばす事もできる、という柔軟な営業方針のお店だった。その日はみんなが早く店を閉めたがった。

「店長に早く会いたいと言え」

「早く来てくれなくちゃ帰っちゃうぞ♡って言え」

と7時頃ココちゃんの最後の客が帰ってからずっと急かされ続けた。

 少し涼しくなってきてからはお店は暇だった。みんな待ち切れない様子で、

「でも早めに店長には来てもらわないと困るんだよね。終電にはこっちは絶対乗らなきゃなんだから」

と忙しいアカリちゃんがだんだん本気でキレだし、

「モコが催促しても意味がない、それよりもみんなが帰ったていにしないと」

とミサさんがハッと気が付いたように言った。

その通りだった。店長は一対一になる時を狙っているのだから、他の女の子達がまだ居残っていると分かっていては来ないだろう。催促しても意味がない。

「でも見てるよね」

佐藤さんが天井の監視カメラを見上げて言った。


 店には丸い黒いガラスで覆われた隠しきれていない隠しカメラのようなものが天井のあちこち、各個室と受付と更衣室にまで、計10個ほど、設置されていた。

「これは隠しカメラだ」

「そうに違いない」

「絶対そうだ」

「そうだそうだ」

と私達は憶測し合っていた。


 店長はモニタールームを持っていてそこで女の子達の動きや働きぶりを監視している、という説もあった。それを裏付ける証言もあった。

 個室でマッサージしているので誰も知る筈がないのに、店長が、珍しく店に来たときに一人一人に的確にアドバイスや注意点を指摘したことがあるというのだ。

「ミサちゃん、接客中に居眠りしちゃダメだよ」

とか

「ペタペタ叩いちゃダメだよ、アカリちゃん」

とか

「ココちゃんはオイルを使い過ぎ。もっと少なめでいいよ」

とか。

「全体的にみんな、お客さんが寝ちゃっても、あんまりサボり散らかさないように」

とか。

 私がまだ入店するよりも前の話なので、この目で見たわけではないが、あまりの手に取るように見ていたかのような的確すぎる個別指導に、その日はセラピストみんなが心底から怯え全員早退し、それを機に辞める子も続出したという。

直接店長に

「カメラで見てでもいるんですか?」

と聞いた子がいたそうだが、

「いいやぁ。客から聞いた…」

とか

「掲示板に書かれてる」

「クレームが来てる…」

等とカメラの存在は頑なに認めなかったらしい。

 けれど、店長が店に来ても会ってもいないのに自分のタイプの女の子を識別できるのは、このカメラを通して観察しているからに違いない、と従業員達は思っていた。


 それでもまだ気のせいだ、まさかまさか、そんなそんな、

(いくらなんでも更衣室までカメラを取り付けたりは流石に人としてしないでしょう…?)

という説を唱える者も僅かに生き残っていた。流石にそれは無いでしょ、と店長や世界の良識をまだ信じようとする心の美しい子達だった。

いいやそのまさかなんだよ、と主張する者とハッキリ白黒つけるため、内装業を営むお客さんに接客中に、

「あれって隠しカメラですかね?」

と聞いてみたところ、

「うわ、コレそうだよ」

とあっさり答えを出してくれたらしい。

「ええー、何でこんなところ撮ってんだよ」と。

それからはカメラは現実のものとなってセラピスト達の頭上からずっと私達の動向を見張り続けてきた。

「キッショ」

と一言、冷めた本音を吐き、けれど一度フルイにかけられたあとにまだ生き残っている強者どもばかりだったので今更誰一人辞めることもなく、先輩や私達は静かに天井からの視線と戦ってきたのだった。


 あまりにも日常的会話風に

「ここにカメラあるから着替える時注意してね」

と新人さんは、初日に、更衣室の天井にある黒いカメラを指差して教えられる。

(…え?…えええ?…そうなんだぁ…ふーん…そんなものなのかなぁ、この広い世の中…そんな事もあるのか…そうか…そうか…こっちが着替える時気をつければ良いだけか…)

と心の中だけで違和感をなんとか押し込め、スルーしてしまえる子も居るが、(私もそのうちの一人だった)この異常性に気付けるだけの常人は

「えっ、キモっ」

「なんで着替えるとこにカメラあるんですか?」

「は?冗談ですよね?」

と当たり前の反応をする。

 このおかしさに再認識させてくれる普通の新人が現れるたびに古株も含め私達全員が、もう一度、その都度、改めて鳥肌立ち、

「いや、そうだよね、そうだったわ、有り得ない話だよね、危なく忘れかけてたわ…!」

と震え、悲鳴を上げ、大騒ぎし直してきた。もう何度も。

 更衣室にカメラが堂々と設置されている事を当たり前に感じるようになってしまっては、自分達も明らかに非常識サイドに染まってきている証拠なのだ。だからもう一度改めて、ここで、これは異常事態なのだと脳に叩き込み認識し直さなければ。麻痺し過ぎて、常識とは何だったかを忘れてしまいそうになる。

 更衣室に隠しカメラが設置されているのはおかしな事なのだ。改めて気持ち悪がろう!私達は普通の感覚を持ち続けよう!頑張ろう!


 先輩達は、この隠しカメラらしき物に気付いてからは更衣室での着替えも徹底して、カメラから見えないように工夫してきた。着てきた私服の下に潜るようにして店で着る制服を下から引っ張り上げたり、逆に上から二重に制服を着た後に、着てきた服を下から引っ張り出したり。頭にバスタオルを被ったりトイレで着替えたりと、静かなる攻防戦を繰り広げてきていた。


 公平性を保つために、ちょっとだけ付け加えると、従業員達の間ではこっそりタイムカードを人の分まで早めに押してあげる、とか、早めに帰った子の分まで後からタイムカードを押してあげる、などという悪事が横行していた。

 それはもうずっと前に辞めてしまった先輩達から脈々と受け継がれてきた悪習で、経営者である店長からすればレジが置いてある受付に隠しカメラを設置するのは当たり前の仕方のない対策だったのかも知れない。受付にカメラを設置した所までは何の問題もない、むしろ設置しなければならない状況だったのは分かる。

 振り返って自分達のしていた行いを顧みれば、受付にはもっと前から隠しカメラが最低でも1つは絶対に必要だったのだ。もしかしたら店長がカメラを取り付ける必要性について考え始めたそもそものキッカケはこれでは無いかという情状酌量の余地も立つ。

 けれども、私達はタイムカードの事ではお咎めをたったの一度も受けたことがなかった。これは、多分、もしかすると、店長が他の部屋にまで取り付けたカメラから見える景色の方が断然面白くて、肝心のお金の管理やタイムカードの扱い等の色気も面白味も無いところを、つまんないのであんまり見なかったせいではないか?

 そもそもやっぱり更衣室にカメラを取り付けるのは意味がわからない。明らかに女の子達の着脱風景を盗撮するつもりに間違いがない。

 …となるとやはり自業自得だ。お金の管理を締めきれないかわりに人の着替えなどを無断で録画して覗くなんて。やっぱり、店長が悪い。



 みんなが帰り支度を、わざとカメラによく映る場所でいそいそとし始め、私は寂しさと不安な気持ちから何度も同じ質問をしてしまった。

「みんな隣の部屋に居てくれるんですよね?すぐ来てくれるんですよね?」

「うんうん」

「はいはい」

「店長ってどんな人ですか?」

「えー、どうだろ」クスクス笑い。

「可愛いよ」

「見た目はまぁまぁ…」

「見た目悪く無いかもね」

「ねー」

「まぁねぇ…」

「カッコ良いかもよ」

「惚れちゃうなよ」

なんと意外な好評価が出てきた。漠然としたただとにかく気持ち悪そうな恐ろしいイメージに、わけのわからない要素が入り込んできた。

「えっ、カッコ良いんですか?」

「まぁ好みは人それぞれだから…」

「もうすぐ会うじゃん」

「そうそう」

「見れば分かるよ」

「自分の目で見るのが1番」

などと言ってみんなで一旦受付を出、エレベーターの前に来た。

「カッコ良い?カッコ良いって…どういう意味ですか?どういう風に?カッコイイ?」

聞き及んだ噂や数々の薄気味悪い所業からはどうしても不気味な連想しかできなかった私は、混乱して、まだ同じ事を繰り返し聞きながらエレベーターホールまでみんなにくっついて行ってしまった。

「あんたは『みんな帰っちゃいましたよ』って店長に電話するんだよ早く」

と叱られ、1人受付に戻ってきた。

 受付に置いてある固定電話のどれかのボタンが店長の携帯への直通なのだが、扱い方にまだ慣れてなく、自分の携帯からかけようかな…でもどれが店長からの着信だったっけ…と履歴を見つめ、多分これだけど自信がなくなってきたなぁと、知らない番号をジッと見つめていると、佐藤さんが1人で戻ってきてくれた。

「どうせモタモタしてると思ったわ」

と言って、受付の固定電話のボタンを押してくれた。

「はい、」

と、もう呼び出し音が鳴り始めている受話器を渡され、心の準備がまだ整っていなかったので受け取りたくなさそうな受け取り方で受話器を受け取ってしまった。佐藤さんは後退り、天井の監視カメラから死角になりそうなカウンターの影にしゃがんで、口を手で押さえヒヒヒヒヒ…と小さく笑いを漏らして見ていた。

「はぁい」

眠そうな男の声が出てきた。

「あっ、えっと…あの…」

「誰〜?」

緊張で全身が硬直しながらしばらく黙ってしまっていると、相手の目が覚めてきたみたいで、

「誰?」

とハッキリ冷たい声になって聞いてきた。私はますます言葉が出てこなくなった。しばらく両側で無言が続いた。


 電話で話すとよく、電波悪いのかな?とか携帯調子悪い?と聞かれたりするけれど、私はとにかく喋るのが遅いだけなのだ。緊張する相手だと受け答えが間に合わなくて、故障と間違われ相手から切られる事も多い。今回もそうなるかもしれないと、チラリと胸に希望の光が宿ったが、

「もしかして、モコちゃん?」

とバレた。思わずカメラの方を見上げてしまった。

「はい…みんな帰りました」

「おっしゃあ、じゃあ行くわー。待っててー」

と明るいノリで店長から電話が切られた。

「来るぞっ」

嬉しそうに佐藤さんが言い、拳を丸めて肩をぐるっと回し、エレベーターホールへとみんなを呼び戻しに向かった。受付の前の空間は真っ暗で誰もいなかったので私はゾッとした。

「すぐ下にいるから呼んでくる」

と言って佐藤さんもエレベーターを呼び下へ降りて行ってしまった。縮こまってその場でじっと動かずに待っていると、飲み会の日のような賑やかな箱が上がってきて、扉が開き、ギュウ詰になっていたみんながゾロゾロ満面に笑みを浮かべ、降りて来た。

「まぁそんなすぐには来ないでしょ」

「店長どこから来るのかな」

「家は近いよ」

「どこ?家」

「元町のちょっと山の上。車で10分もかからないくらいのとこ」

「すぐじゃん」

「なんで住所知ってんの?行ったの?」

「この前自分から言ってた。遊びに来いって」

「うわぁキッショ」

「じゃあ10分以内に来るじゃん」

「でもこのへん駐車場探してちょっとは走り回るでしょ」

「家から来るとは限らんし」

1番更衣室に近い座敷の部屋に窮屈そうにみんな収まり、私にニヤニヤ笑顔を向けて来た。

「じゃあ生贄、スタンバイよろしく」

「まだ早くない?」

「いいから行けって」

「頑張って!」

私は更衣室の椅子にチョコッと座り、ちょっとの間だけ、隣の部屋から漏れ聞こえてくるみんなのクスクス笑いやヒソヒソ話の楽しそうな気配を聞いていたが、すぐに、そっちへ引き返した。

「すぐ、来てくれるんですよね?すぐ?店長が来たらすぐ?」

アハハハとみんな笑い出し、

「すぐ行くすぐ行く」

と約束してくれた。


 店長が来たのはそれから更に20分くらい後で、みんなは結局は廊下に出たり更衣室の入口辺りにはみ出したりして、なんとなくダラっと集まり、交代交代に1人ずつが窓から身を乗り出して一階の入り口を見張りながら、いつも通りお菓子を食べたり携帯を弄ったりメイクを直したりしながら喋って過ごしていた。

「店長について教えてください」

と私はまだ聞いていた。それに対して断片的にそれぞれが答えてくれた。

「まだ若い」とか

「凄い稼いでるはず」とか。

「何人でも嫁やら彼女やらがいる」とか。

「ある種、青年実業家だよ」

とミサさんが言った。

「男は稼いでりゃ男前なのよ」

「ええええええー」

と反対派の声も上がりかけたが、

「そう見えてくるんだって、あんた達も大人になれば」

とお姉さんがねじ伏せた。

「来た来たっ」

と見張り役の順番だったココちゃんが押し殺した声で叫び、私以外のみんなが一斉に忍び笑いを隠しきれずに漏らしまくりながら隣の部屋へゾロゾロ走って撤退してしまった。

 バタンと大きな音を立ててドアが閉まり、ゴソゴソいう音も止み、シンとなり、フフッと誰かが笑い、シーッと他のみんなに窘められた。咳払い。そしてまたシンと静かになった。

 エレベーターがポーンと鳴り、私は椅子に座って姿勢を正した。なんだか待つ間に色々と時間が経過したせいもあり、隣の部屋に仲間達も犇いているしで、開き直って肝が座ってきた。


 更衣室の扉を開けた男は確かに、そう薄気味の悪い感じのする人ではなかった。

 ごく普通の、30代くらいの、痩せても太ってもいない、お洒落でどこにでもいそうなチャラいお兄さんだった。ヴィトンの鞄と、腕や首や耳にいかついアクセサリーが多いので、ブランドが分かる人にはお金持ちだと分かるのだろうなと思った。私は詳しくないのでとにかくジャラジャラ貴金属を付けてるなとしか思わなかったが。

 受け取り手によってニコニコともニヤニヤともとれる表情を顔に浮かべてはいたが、その前の一瞬間は、真顔の私と真顔でジロジロ品定めし合った。


「お疲れー」

いきなりお疲れのハグをしようとしてきたので思わず椅子を引いてのけ反りながら逃げてしまった。

「身軽だねぇ」

と満面の笑みで言いながら尚も向かって来ているのを見て、鬼ごっこのように狭い場所で逃げ場を探しながら、言われてるまんまだなこの人は本当に…と焦りながらも呆れ、確信した。

「やっと会えたのにー、モコちゃん、初めましてのチューしようよー」

と店長が言っているうちに、ゲラゲラ笑う声とドヤドヤ足音が弾け、ドアがパッと開き、

「店長ー!」

「ネタバラシ!」

と叫びながら仲間達がなだれ込んできた。

店長にムッとする間も与えずみんなが取り囲んでワイワイ優しく責めたり、ちょっと愛情を感じなくもないからかい方をしたり、ペタペタみんなで叩いたりしたので、女の子達大勢にチヤホヤされて

(これはこれでまぁ良いかぁ)

と嬉しそうな顔で店長が驚きから立ち直り納得し出したところで、みんなの前で改めて挨拶をした。

「働かせてもらってます、モコです。よろしくお願いします」

「はーい、頑張ってねー」

今日はやることがなくなっちゃったなぁという感じで店長はしばらく居てから、チヤホヤしてもらえなくなるとすぐに帰って行き、私達も小さな勝利の祝杯を挙げた後すぐに解散となった。私は6人の仲間達にペコペコと頭を下げた。恩人達だ。

 アカリちゃんと丸山達を駅までの分かれ道まで見送り、ミサさんと佐藤さんを駐車場まで送って行く途中、ココちゃんが酔った時みたいに私にくっついて来て冷んやりした手を繋ぎ、指を絡ませてきたので、どうしたのかと思い、何と言って良いか分からず私はドキドキしながら困ってココちゃんの顔を見た。

「今日は良かったね、」

と改めて言ってくれてから、

「羨ましかった、私のときは誰もいなくて…」

と言って口籠った。

「えっ…?何かされたの?」

ココちゃんの俯いた頭が肯定とも否定ともとれる角度にユラっと揺れ、それ以上何か言う前に私の手をパッと離して、送ってくれるミサさんの車に走って行って乗ってしまった。


 もしかしたらココちゃんはものすごくかわいそうな子なのかも知れない…と思った。自分は運が良く、無事何事も無く笑い話で済んで、結果が良かったので、なんとなく店長も笑って許される感じになってしまったが、本当は許されるべきではない人なんじゃないのかと、またあの店長に不信感と嫌悪感がジワっと蘇ってきた。

 



続く

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