4 昔の話
それが最後になった、彼氏とのデートは、夏休みの終わりかけの頃のことだった。
彼氏の職場の後輩と、その最近できた彼女さんと私の4人で、カラオケに行った。マッチングアプリか何かで最近知り合ったらしい、付き合いたての初初しい2人の様子に何か影響を受けて、私達も自然に手を繋ぎ合った。手を繋ぐのは一年ぶりくらいのことだった。
秋のような風が吹き、前を歩く彼女さんのふんわりしたスカートが浮き上がりそうになって、キャァと前側を押さえ、彼氏さんが慌てて後ろ側を押さえてあげた。
「もぉっ、こんなスカート履いてくるんじゃなかった」
と風が吹くたびスカートが浮き上がる彼女さんが、ベソをかき、
「ちょっと今日は風が強いな」
と彼氏さんも言った。
風が吹くたび彼氏が彼女を気遣ってあげていた。
(女の子だなぁ)と前を歩く彼女を見て思った。髪の先から爪先までクリーム色と霞んだピンク色と白で統一され、お花やリボンを沢山つけていて、チラッと垣間見えたフリルの飾りの下着だけが淡い水色だった。
私はどんな風が吹いたって微動だにしないデニムパンツで来ていた。なんだか彼女さんが羨ましくなってきた。自分もこんなフワフワした女の子らしいお洒落をして好きな人に気遣われながらデートがしたいなぁと思った。付き合いたての頃はおめかしのつもりで、履き慣れない、ほんのちょっとの面積でしか体重を支えられないハイヒールと短いひらひらのスカートで出掛けた。
「目立つ」
「全然歩けない」
と叱られ喧嘩になり、私のピンヒールのデート靴とスカートは、今は押し入れの奥のどこか彼方に押し込まれ、葬り去られていた。
2人とは、北野坂の彼の勤務先の和食料理屋さんの店先で、出会ってすぐに紹介を受けていたが、彼女さんの名前は声が小さく、風が強くてよく聞き取れなかった。
男の人の方は最近入ってきたばかりの失敗が多い後輩というので、家で話題に上った事もあり、彼が目の前でも
「福永くん福永くん」
とよく呼んでいたため、名前が覚えられた。とは言っても、男同士2人でどこへ行くかある程度決め、それぞれの彼女に依存はないか?と確認をとる形ばかりだったので、女同士ではあまり喋る機会もなく、名前を覚える必要は最後までなかった。
福永くんと彼女さんがよく行くというカラオケ屋さんまでとりあえず連れて行ってもらうことになり、前を歩く2人の仲睦まじくキラキラと手を繋いで希望に満ち溢れた様子に感化されて、私達も繋いでいる掌の温もりに胸に希望が蘇る思いがした。
過去に、手を繋ぐの繋がないのでしょうもない喧嘩を盛大にやってしまった私達は、2度と手なんか繋がない、という結論で話が決着してあった。私が手を繋ぎたがったり、今は嫌、と差し出された手を握らなかったりしたのを深刻に受け捉えた彼が、
「初めはそっちから手を繋ごうって言ってきた癖に、こっちから繋ごうとしたら嫌というのはどういうわけだ、俺がジジイに見えるのか、恥ずかしいか!?」
と本気で怒り出したのだ。
私としてはそこまで怒るほどのことではなく、ただ何とはなく、その時は手を繋ぐと暑いなぁと思ったからとか、何か手が使いたい事情があったか、単に今はそんなに手を繋ぎたい気分じゃないという時だったとか、それだけの話だと思うのだが…
両者ともが手を繋ぎ合いたいと思うときに手を繋げば良いだけの事ではないか、何もそこまで真剣に眉間に青筋を立てて怒らないでも…
それ以外にも、本来ならデート自体ももう2度としない、と取り決めてあった。それも些細な喧嘩がきっかけだった。
彼氏が立て続けに何度目かに私とのお出かけの約束をすっぽかし、今後二度と時間を無駄にされたくなく、また、大してデート自体が楽しいと思えたこともなかった私は、自分から言ったのだった、
もう無駄な時間の使い方はやめよう、お互い。貴方と私はデートなんぞしなくて良いではないか。今更…と。
もう輝かしい出会って初めの頃に見たような黄昏時の黄金時代はとっくに過ぎ去り、淡い夢も幻も失せ、砂漠の真ん中で延々と円を描いて老化の過程を辿るばかりになっていた私達の恋愛の見通しは、ただ同じ墓に入るんだろうなこのまま行けば…という最終目的地までに残す所あと何のイベントも別に必要なく思われた。むしろなんにもない方がかえって、ぶつかり合って無駄に消耗するよりもマシに思えた。最後まで長く生きようとして死に始めたみたいな末期の恋愛だった。
けれど、またこうして過ごせている。通い合う温かい気持を繋いだ手にジンワリ、ギュッと、感じながら隣り合って歩けている。
また始まりに戻ったみたいに仲良くなりたい、このまま…
と願いながら歩いた。まだ別れていないのに、
(最初からやり直せたら良いのになぁ…)
と思っていた。
彼氏には、すごくお世話になっていた。本当に。
「うちにおいで、一緒に暮らそう、」
「一人暮らしじゃ何かと大変でしょ、生活の面倒見てあげるから」
「おじさんと暮らせば生活費がかからなくなるよ、その分貯金もできて、服も買えるよ」
などと言って誘ってくれたときには、自分が拾い上げられた捨て猫か迷子の子どもかだったような気がした。
一人暮らしをしていた私の部屋には自分の冷蔵庫もテレビも無く、洗濯機ははじめから置く場所すら無くて、コインランドリーを使っていたので、大型家電は何一つなく、引っ越す際は楽だった。引越し業者は頼まず、彼が布団を担ぎ、私はスーツケースを転がして、2人で1往復すれば済んだ。
ドア1枚分くらいの大きさの窓にはカーテンも結局かけないままだった。着替えは玄関のそばまでひっこんで浴室のドアを開けて盾にし、外から見えないドアの陰で脱ぎ着した。日差しの強い夏は部屋の中で傘をさし、日除にしていた。
彼氏に出会う前、高校を卒業してしばらくは色んなアルバイトを渡り歩いていた。
将来を見据えるとか、先々の心配はする事もあったし、しだすとキリがなかったけれど、現実、目の前にやりたい事が何も無いみたいに見えた。やりたくないことばかりのように思われた。固定される事から逃げ回りたいような焦る気持ちばかりで、結局本腰を入れてやりたい仕事を決めることもできず、ただ何かして働かないではお金が無くなり生活が立ち行かなくなるので、その場しのぎで手近なアルバイトに走っていた。
正社員として働くことになった幾つ目かの会社がエステティックサロンだった。
服屋さん等の始まる前に出勤し閉店後のショーウィンドウももう真っ暗な時間帯に退社する仕事現場で、休みの日も殆ど無く、半日のお休みが週に一度あるかないかというブラック企業だったので、お休みはヘトヘトで何かするとか何処かへ出かけるとかいう気力も余裕もなく、その半日間は家でぶっ倒れて寝ていたから、引っ越す時荷物になる服や靴や雑貨を買いに出かける暇もなかったのだ。
エステティックサロンに勤めていた頃は、帰り道のコンビニで生存に必要な食料品や日用品を買うくらいのギリギリの毎日だった。家に辿り着く道の途上で這いつくばって眠ってしまいたくなるほど疲れ果てて帰ってきていた。仕事で全力を使い果たすので、帰りの道のりを歩く力も残されていないみたいな日々の連続だった。
では無駄遣いする余地がなかった分、お金が貯まったのかというと、そうでも無い。仕事中に売り切らなければならないはずのノルマをこなせない私は、結局月末までに自分で商品を買ってしまっていたからだ。健康食品やダイエット食品、美容飲料とか化粧品とか。自分の会社にもらったお金をそのまま会社に返し、コマのように同じ場所でクルクル回り続けているみたいだった。
スーパーまでコンビニには売っていない食料品を買いに行く余力などなかったから、食料品を売っている会社で働いていて逆に助かったのかもしれない。その頃は自分の会社のダイエットクッキーばっかり食べていた。ココア味とプレーンと抹茶味の3種類があり、2枚のクッキーの間にクリームが挟んであって、そのクリームにダイエット効果のある漢方だか何だかが練り込んであるらしくどの味のを食べても、少し苦味がした。それとたまに帰り道のコンビニで売っているフルーツやスティックチキンやミニトマトやバナナやオレンジ等を食べて生きていた。
クッキーの効果か、それとも長時間の肉体労働の成果か、両方の相乗効果かで、当時が自分の人生史上最も劇的に痩せ、枯れ枝のようなその体型をキープし続けた時期だった。体重計も姿見も家にはなかったからキチンと測定はしていないが体感的には、間違いない。30キロくらいだったかもしれない。唇の端がよく切れて腫れ、舐めると血の味がした。体力勝負の商売だったのに立って歩いているのがやっとというヘロヘロ状態で、お腹はグーグー鳴って真空みたいにペコペコに空いていても、長い時間硬いものを咀嚼しているのが怠く、ゆっくり物を食べるという贅沢な行為に割く時間が惜しかった。
2度くらい仕事中にヘラヘラ笑いながら床に倒れていった、一瞬気を失った出来事があり、すぐにまた自力で起き上がって辺りを見回し、誰も見ていなければ、何事もなかったかのようにそれまでやっていたモップがけや何かやりかけていた仕事を再開した。
やればできる、とか、やってできないことはない、とか言う言葉を頑なに信奉している時期だった。
同期の中には私よりも出来が悪く、間が悪かったり、ゆっくりしていたり、不注意だったり、体力がなかったりやる気が無かったりという子は山ほどいた。けれども一年経って周りを見渡すと、そんなので残っているのは自分1人だけになっていた。
子どもの頃から粘り強いとか打たれ強いとか通信簿には良いように書かれてきたが、裏を返せばそれは諦めが悪いという意味だ。辞めていく子はみんな見極めが早く、要領良くサッサと辞めていき、それはそれで潔かった。周りの人に頭数に入れられない泡のうちに消えていき、引き際のタイミングが良く、残る人に迷惑をかけない。天晴れな美しい消え去り方だった。変に記憶にも残らない。
会社は、そもそも1人残すために応募が10人来たら10人ともとりあえず雇ってみる戦法のようだった。そんな事は入ってからすぐに気が付くべき事だった。私にはあまりにもなんにも見えていなかった。自分の出来なさばかりが目について。
同期で残っている子は残っている子で、上に上がっていけそうな自信が自他共に認められるから残っているので、私のようにどうにもならないと分かっているのにグズグズして、やっとありついた正社員の働き口だからといって出来もしない事柄ばかりの職場に悪足掻きして居残っている中途半端なのは、他に誰も居なかった。
研修期間中から同じ店舗で可愛がって心配してくれた、若田さんという猫のような目鼻立ちの美人な先輩がいて、いつも励ましてくれ、味方になってくれた。私がヘラヘラしている癖があるので、
「それを治さないと一生懸命で頑張っているのが他人からは理解されにくいよ…誤解されやすい。自分が損するよ」
と注意してくれたり、
「他の人が自分の失敗を巻多さんに被せてきそう…」
と庇うような事を言ってくれたりした。
「美容系のお店の接客業してるんだから、もう少しお化粧とかきちんとしなきゃダメだよ」
とメイクの指導もしてくれた。
「眉は上げたら下げる、目尻と口角のラインで左右のバランスを揃える、…」
お店のパンフレットの表紙に載っている外国人美女の真正面から写した顔に、定規のように、真っ直ぐ口角と目尻に眉ペンを当てて見せてくれ、基礎からメイクを教えてくれながら、お客さんがいない空き時間帯や休憩時間中や居残りをしてまで、私を鏡の前に座らせ、椅子の後ろに立って鏡に映る私に向かい、自分のポーチから出した化粧品で私の顔に若田さん自身とそっくりなメイクを施してくれた。
子どもの頃、仕事で忙しい母に預けられた叔母の家で、お出掛けの準備をする叔母さんの大きなメイクボックスに入っている色んな大人の女性の秘密めいた小道具や、叔母さんのメイクをする姿を食い入るように見ていた頃を思い出した。叔母さんは睫毛挟みで片方の睫毛を挟み、上向かせながら、チラッと私を見、目が合うとケラケラ笑い、
「百伽ちゃん見過ぎ!」
とか
「鏡の中でまで見てる!もぉ~」
と、明るい声で笑い混じりに何遍も嫌がられた。
綺麗になろうとしたり出掛けるために着飾ったり、キチンとして見える姿でこれから何処かに出かけて行こうと身支度している女性の姿には、幼い頃からついつい見入ってしまう癖があった。見だすと知らず知らず食い入るようにどうしてもなってしまうし、目が離せなくなってしまう。自覚する以前からの憧れだった。綺麗になっていく女性を見ている事が好きなのだ。光に集まる虫と同じくらいどうしようもない引力で目が惹き寄せられる。
母が仕事に行く支度をしているのも、本当はよく見ていたかったのだが、この人は気が立つと香水瓶を投げつけて来たり、立ち上がって叩き付けに来たりするため、鏡に向かっている母の背後に立つのは出来るだけ控えるようになったが。
私は若田先輩の使っているアイブロウ、アイライナー、マスカラ、チーク、自分の顔に塗ってもらった先輩のメイク道具一式を、一つ一つ、
「写メ撮っても良いですか?」
と聞いて、パシャパシャパシャパシャと写真に写した。
「別に撮っても良いけど、何に使うの?」
と先輩に聞かれ、
「おんなじの買います」
と言ったら先輩は片方の唇だけ上げてジワっとニッコリし、
「使いかけのだけど、あげるよ」
と一個一個ティッシュで汚れを拭いたり、調べたりしながら私の掌に載せていき、結局はポーチごと全部くれようとした。まさかそのままハイハイと丸ごと受け取れるわけがないので、
「いやいや、いやいや…」
と冷や汗をかいて、掌に次々と乗せてもらった物をどうしたら良いかと困っていると、先輩はケタケタ笑い出し、
「じゃあこれと、これと、これだけあげる。あと…」
と自分の鞄の中をゴソゴソ探り、
「このポーチもあげる。予備の化粧品と古いポーチだから」
とちょっと使い古した味が出ているのをくれた。
私は一人っ子育ちだから、この突然の(お姉ちゃんからのお下がり感)に胸を打たれ、ときめいてしまった。憧れの先輩がくれる物なら、あまり使われてない真新しいものよりも、いかにも使用感がある物の方が余計に嬉しいのだとその瞬間に初めて知った。
ただ単に、買ったばかりの新品に近い物は受け取り難く、捨てる間際の物なら気が引けず貰いやすい、という単なるそういう感覚とは異なる何かがあった。消耗品ならそんな考え方になるかもしれないが、好きな人が長い期間使っていたお化粧ポーチなどという毎日使っていたような品は、何かそこに先輩らしいチョイスと面影が宿り、愛着が湧き、自分にしか分からないブランドになるというか、他人には分からない値打ちが付くのだ。
私は今もこのポーチを持っている。ボロボロになってチャックが壊れ、どっちへ引っ張っても閉まらなくなって中身が溢れ出すので、別のに買い換え、どこかに仕舞い込んですぐに出せと言われたら困るが、どこかには絶対にある。捨ててはいないから。こういった優しい気紛れなプレゼントは、二度とは手に入らない…
若田先輩は、
「前髪があっても良いんじゃない…?」
と言い、センター分けでひたすら伸ばしているだけだった私の髪を切って、前髪も作ってくれた。
この時には、他の先輩や私の後から入ってきたのに速効で私より即戦力になっている後輩も、私の座らされている椅子の周りにたむろしウロついていて、若干、イジメられていた真っ暗な幼少期の暗黒の記憶が脳裏をかすめないでもなかった。
大きな横長の鏡に映る自分だけがポツンと中央で椅子に座らされ、ハサミを手に持ちニヤニヤしてみんなで私の髪を
「さてこれからどうしてやろうか…」
と触っているその光景が、なんとも…
胸の悪くなる嫌な感じをかき立てた。
多分、若田先輩と一対一ならそんな被害妄想なイメージは湧き起こらなかったと思う。若田先輩だけでなく、私に当たりの強い他のちょっと苦手な先輩達が腹を減らしたサメのように唇の片端に、面白そうなことをやっているな、からかってやろう、日頃の憂さ晴らしするチャンスかも…と言う意地悪さの見え隠れしているような気がする笑みを浮かべ、なんだか不穏な気配を漂わせて、鏡の前に座る私の椅子のそばでずっとウロウロ周遊し、立ち去ろうとしないからだ。
それでも、一番多く私の髪に触れ、終始一番近くにいる人が若田さんだったから、私は嫌な思いよりもドキドキ昂揚する気分の方がまだ強かった。例えちょっとした出来心や下心があるにしても、その相手が若田先輩なら、私は多少おかしな頭にされても良かった。それを洒落と思える自信があった。そのくらい先輩を好きだった。
それに若田先輩も、メイクをするところを私にジッと見詰められる被害者でもあった。
物覚えが良くテキパキとして負けん気が強く男前で、物販の成績も素晴らしい若田先輩は、異動を言い渡された店長が
「1人一緒に連れて行っても良いなら動きますが、そうじゃないならどこへも動きません」
と言ってまで引っ張ってきたと言う、店長に叩き上げ鍛えられても凹まされなかった不屈の精神の持ち主で、店長が右腕にしておきたい出来る部下で、後々競い合うことになる他店舗に残して置いてなどいけない侮れない実力者だった。
トップだけが入れ替わり、店長が元いた店と新しく来た店とで、本来なら副店長は動いていないので、元々から動かずに居続けている副店長の方が若田さんよりも立場上は偉いのかなぁというところのはずなのだが、そこは若田先輩だった。副店長とも柔かに仲良くやりながら、一目置かれ、強い独自の立場を確立していた。アッという間に売り上げも店長の次、上から2番目の好成績だった。店長の下に副店長と店長の秘蔵っ子とで、2番手が2人いるような危うげな職場環境なのに、この2番目の2人がどちらも相手を踏み倒してまでもという野心を起こさない、仕事に人生を捧げたりしない大人な一歩引く2人だったので、サロンには平和な均衡が保たれていた。
若田さんは割と朝寝坊で、ノーメイクで自家用車を飛ばし、ギリギリで乗り付けて来ることも多かったのだが、店長からのお咎めは一切無しだった。むしろ、
「朝のミーティング中にメイクすれば」
とお墨付を貰った。そんな事が許されるのは成績が良く店長のお気に入りである若田さんだからこそなので、ミーティング中のメイクは若田さんだけの特権であって、誰も他に真似のできない事だったが、若田さんは涼しい顔で言われた通りそれから毎日ノーメイクで出勤して来て、他の全員がバッチリ化粧し終えて雁首を揃えたミーティングの席で1人悠然とお化粧しながら店長の話を聞くようになった。そしてそれをジッと見つめるのが私の毎朝の日課になった。
数日後店長が真っ先に堪えきれなくなり、プッと吹き出し、
「巻多さん、若田先輩のメイクを見過ぎ!」
と言って、注意した。
2度目には、黙ってスッと席を立ち、私の後ろまで来てコンと頭を小突き、
「先輩の顔が出来上がっていくのに見惚れるんじゃなくて、今日の予約状況が書かれた紙を見る。こっちに集中」
と、指先で机の上の書類をトントンと叩いて示した。
3度目ともなると、もうお手上げといった呆れ笑いで、
「誰か、手の届く奴、あのボケッとした頭を叩いてやって!」
と怒って、自分の椅子からは立たずに拳骨を見せるだけで、私の注意を若田先輩からミーティングの書類に移させた。
それでも磁石がどうしても吸い寄せられるように、チラチラ目はまた若田先輩のメイクの進行状況を盗み見に行ってしまう。
まず顔全部がパフパフ真っ白くなり、目も鼻も口も眉も一旦は降り積もった雪の下で春を待つ若芽みたいに見えにくくなる。それからよりこの方が美しいと先輩が理想とする通りの姿に蘇って新たに発掘される右目、左目、流行りの形の眉毛、鼻筋、付け睫、瞼の微かなキラキラ、唇の上で調合される桜の花のような上品な色合い。まるで1日に一つだけしか作らない限定のケーキを仕上げているようだ。その秘密の製造工程を目の前で見せびらかすようにやられて、見ないでやり過ごせるか…?
毎日どんなに叱られることになっても、こればかりは絶対必見だった。
「見過ぎ!ほんとに誰か、あの馬鹿を殴ってやって!」
と店長に言われ、副店長と出来る後輩とがポカポカと隣と正面とから、私を拳骨で殴りに来るようになった。
職場ではあまり笑顔を見せない若田先輩も、鏡から目を上げ、先輩を見ないようにしながらもどうしたって見てしまっている私と、目が合うと、唇の片端をムズムズするようにジワジワと上げて、ニヤリ…とした。
前髪を切りすぎておかしな頭にしてしまった後輩を毎日見ていて、ジワジワ責任を感じてきたのか、若田先輩はお客さんの予約が少ない日の休み時間中に、ホットペッパーをあれこれ検索し、美容院を私の為に選び出してくれた。
「うちのあの迷走ちゃんを、何とか見せかけだけでもエステティシャンらしくして来ます」
とかなんとか店長には上手いこと言ってくれて、店の近くで予約してある美容室まで付き添って連れて行ってくれた。
美容室の受付で、どのくらいどういう風にどうして欲しいとかこうなりたいとか言えずに、マゴマゴしている私の後ろから、普段は声の低い、不要な相手にまで会話の内容が聞こえないくらいの必要最小限の声量でしか喋らないクールな若田先輩が、よく通るハキハキした明瞭な声で、私の背中から胸へ突き通すように、
「この子、プロのエステティシャンなんで。それらしくしてあげてください」
と言ってくれ、私は他の人にも分かるようにしっかりとプロのエステティシャンと認められ、背中を押されたような心地がした。
振り返ると、若田先輩が担当美容師さんに大人同士のしっかりした目配せで頷き合っていた。
「何時間くらいかかりますか?」
「そうですねえ…」
お兄さんが傍へ寄ってきて私の髪を一房持ち上げ、
「カットだけですよね?それなら1時間もかからないですよ」
と私ではなく先輩の目を見て答えた。
「じゃあ、1時間後にまた受け取りに来ます」
荷物の手配みたいに私の事を言い、私と目が合うとニヤッと笑い、
「ちゃんと綺麗に整えてもらっておいで」
と低い、小さな、いつもの若田さんの声に戻って私にも声をかけてくれた。
「ありがとうございます」
先輩が頷いて仕事に戻るためスタスタ廊下の角を曲がって行ってしまい、後ろ姿が見えなくなると、なんだか取り残された子どものように心細い気持ちになった。
「こちらですよ」
と美容師さんが笑いを含んだ声で私を我に帰らせ、奥のシャンプー台へと誘導してくれた。
若田先輩とは、先輩の彼氏さんと、そのお友達の男の人と、仕事が終わった夜更けに、夜ご飯を食べにも連れて行ってもらった。今でこそ分かるが、本当に面白がって可愛がってくれていたんだと思う。
当時は訳が分からず、ただ誘われるがまま何でもかんでも
「ハイ、行きます、」
と、若田先輩が誘ってくれるならと答えの選択肢は一択で、何も考えずについて行ったのだが、その席は典型的なお見合いの場だった。
チェーン店の鳥貴族かどこかだった。先輩と彼氏さんは先に立ってシャキシャキ歩き、店選びに貴重な時間など浪費したくないみたいだった。目的は食事より別にあったのだ。
仕事終わりの夜遅い時間帯でまだやっている店も限られ始めていた。
4人席に座ってみて、向かいの席の私に向けられている2人の見知らない男の人達の興味深々の避けようがない視線と、ニヤニヤしっ放しで説明してくれない、私のもの問いたい表情と目が合うのを避けようとする若田先輩のニヤつきが止まらない横顔を見て、なんだかジワジワと気が付いてきた。
(これって紹介じゃないか!)と。
(どう見たってこれは、この正面の男の人と私とをくっつけようと企てているとしか思えないじゃないか!)と。
(やってくれたなぁ…)と、みんなでご飯を食べた後、駐車場でその初対面の男の人と2人で取り残され、終電もないのに乗せてくれなかった車で、彼氏と2人だけで走り去る若田先輩の窓から突き出された片腕が大きくバイバイするのを見て、この時ばかりは(もぉーっ!先輩!)と思った。
「これって計画通りですか?!」
と私は傍らに同じく取り残された先輩の彼氏の友達とやらの男の人に、腹立ち紛れに聞いてみた。
「知ってたんですか?こうなる事は?」
お前もグルか?と聞いているのだ。
「いや、あいつらの悪い冗談だな。やりやがった。でもちょっとこれはやり過ぎだよな…他の人も巻き込むなんて…しかも女の子を…これはちょっとタチが悪過ぎる…」
よくよく話を聞いていると、この男の人も私と同じくらい、いじられキャラらしく、
「あの2人にはよくからかわれるんだ」
と嘆いていた。
彼もなんだか、あまりシャキシャキできない、仕事も出来なそうな感じの、自分と同じ匂いのする人のような気がした。似たもの同士という事で、若田先輩も私に紹介したり引っ付けようとしたりしたのかもしれない。同情のような親近感のような同族禁忌のような、この人を見ていると、苛々するようないじらしいような、恋に落ちない限りの全ての要素で自分に近しいものを感じた。まるで鏡に写った自分自身を見せられているような。
でも私が恋に落ちたいのは、恋なんてしている余裕があるならばの話だけれど、少しでも手を引っ張って現状から上に引き上げてくれる、何をやってもダメダメな自分よりもちょっとでも出来る、少しで良いからお手本にできるような高いところにいる人がいいと思っていた。自分と同じくらい間が抜けていてからかわれる側にいる人とは、あまり一緒に居たくなかった。自分のことも嫌いになりかけなのに、その自分に似ている人なんて、魅力的に見えないどころか、嫌悪感を抱いてしまわないようにするのに必死だ。
私は仕事以外何もしていなくても仕事もできない。そんな自分自身のことだけでもいっぱいいっぱいの時期で、それ以外のことに手を回すことなどできる時ではなかったのだ。
結局、そこから歩いて帰れる距離にあった私の家までその初対面の男の人を連れて帰り、一泊させてあげた。情けない事に、この男の人が豹変して急に襲いかかってきそうには到底見えないくらい気弱そうで自分によく似ていたから、大丈夫だろうと思ったのだ。実際に何事も無く、大丈夫だった。
彼は男版の私だった。何事か大それた事など成しそうな人ではなく、終始意気地が無さそうにオドオドして、1人夜道に置いて帰るのが忍びなく、自分の分身を見ているようで可哀想だった。5歳年上の若田先輩とその彼氏と同窓生の彼は、みんな同じ学年と言っていたので私よりも5歳は年上のはずだったが、キョドキョドした感じが年上のようにさえも見えなかった。まるで何とかしてあげなければならない誰かの弟みたいだった。
敷布団と布団が一つずつしかない私の家では、2人ともが譲り合い、結局座ったままの状態で壁にもたれて2人して凍え、遭難した人達みたいにブルブル震えながら一夜を明かした。
翌日は目を腫らしフラフラしてもともと鈍い動きのさらに半分の能力しか絞り出せなくて足を齎させ、物にぶつかっては、仕事を片付けるよりも増やしてばかりの私に剛を煮やし、店長が
「帰れ」
と言いかけるのを、さすがに自責の念を感じた若田先輩が間に入って事情を説明し、その場で笑いに変え、私が叱られないように丸く収めてくれた。
「巻多ちゃんがいくら面白いからって、からかってばかりいないで。
…それに紹介する相手も相手で、なんかもうちょっとあの子の為になるような、この子をなんとか成長させてやれるような、どっちかって言うと大人な彼氏を紹介してあげた方が良かったんじゃない?」
と店長から珍しくダメ出しを食らっていた。
「と言うか、それよりも、今あの子、自分の仕事覚えるのにも限界でいっぱいいっぱいなんだから、彼氏紹介してる場合じゃ無いんじゃない?」
と後々には、叱られてもいた。
若田先輩が
「連絡してあげてね」
と言うから、私はその男の人と連絡先を交換していた。
「返事してあげてね」
と先輩に言われるので、いつまでも続くやり取りに際限なく返信を打ち返していた。でも好きな同性の紹介だからって、金輪際二度と私は紹介で男の人とは付き合わないとそれ以後心に誓った。大好きな女の人との関係が壊れる可能性のあるような無為な時間や危険な橋はこの人生で二度とは渡りたくない。私が大好きだったのは若田先輩で、先輩が紹介してくれた私の双子の兄のような他人は、若田先輩の光で浮かび上がった影でしかなかった。私が慕っていたのは若田先輩だったのに、それを間違えて変な方向へ余ってもいないエネルギーを傾けてしまった。
仕事が終わってヘロヘロの真夜中に、その男の人が家まで来ると言い出したり、それを思い止まってもらうのに必死でしこたまやり取りしたり、返信したり電話したりして、寝る暇がどんどん押されて無くなっていき、仕事が終わってからも毎日疲れる仕事がまだもう一仕事待っているような日々が続くようになってきた。
職場では連日フラフラした。
誰にも見られないところでしか意識って失われないものなんだ、と思い込んでいたけれど、一度マッサージ台を挟んで若田先輩と話しながら目が合っている最中に、右に倒れていったらしく、一瞬後に目覚め、笑いながらヘラヘラと起き上がろうとする私の元へベッドを回り込んで駆けつけてくれた若菜先輩の顔は全く冗談じゃ無く、影も形も笑っていなかった。
とうとうついに、モップがけをしていたカーテンの影で、先輩が店長や副店長と私の話をしているのを立ち聞きしてしまった。
「もしも、本当に、どうしたって合わない仕事なら、辞めることもそろそろ念頭に入れて、先のことを考えさせて、本人が気が付かないようなら気付かせてあげるのも…私達の務めかもしれないよね…転職とかも考え始めるように…その方が本人の為に良いことかもしれないよね、このままずるずる引き延ばすよりは…どうしても合わない仕事ならねぇ…」
運動部に入った経歴がなく心体ともに鍛え上げられたその会社での日々は、今から思えば人生に一度は通過していて良かった経験かもしれなかったが、もし、もっと必要とされていたり、私にもっと我慢強さがあり過ぎたら、死んでいたかもしれないと思う。
2連休を初めて貰ったタイミングで、ふとこの先の自分の未来に想いを馳せてしまい、休み明けに出勤できなくなって、そのまま、トんでしまった。お世話になった先輩達やすぐに追い抜いていった後輩達や、一緒に働いていた人全員に大迷惑をかけてしまった。
その後しばらくフラフラあちこちでアルバイトを渡り歩いていて、その一つとして辿り着いた割烹料理屋さんで、板長を務めていた彼氏と知り合った。
初めての一人暮らしをした自分だけの部屋、母にも住所を知らせなかった、その地上から離れて浮かび上がった一箱みたいな空間は、2年間くらい寝て起きるだけの使い道だったけれど、こんなにも忘れがたく記憶に残るとは。入るときには思いもしなかった。
どこでも良いからできるだけ安いところで、まだそこまで恐ろしく汚らしくはない、マシなうちの一つを選んだに過ぎなかった。不動産屋さんで、
「ここにします」
と決めたときには。
あとは鍵を返すだけ、というスッキリ何も無くなった室内を眺め、ここに入った日のことを思い返すと、不安と希望でフワフワ漂流しているだけだった、価値のない不安定だった自分も、
(やっと誰かから必要とされるようになれたんだ…大人の女性として一人前に認めてもらえるようになったんだ…)
と信じられそうな気がした。
自分みたいなのが生きていて良いのか自信のなかった今までと違い、これからは居て良いよとか、居てほしいと言ってもらえるんだ、嬉しいなぁ…と思った。彼氏に感謝していた。
住み慣れた場所を出て行くことにはその当時には、大して何の感慨もなかった。それよりも、これから先への期待の方が強く大きかった。
窓から見える地元のごちゃごちゃした街並みや淀んだ川と、薄暗い風景は、ここに入ってきた時のまま、出る時も同じに見えた。
新しく二人で暮らすことになった彼氏の部屋の窓からの眺めは、もう1ランク上のように見えた。階層自体も高くなったので、ほんの少ししか離れていない場所から見る同じ風景なのに、綺麗な町に移ってきたかのように錯覚した。部屋も広くて、新しく、壁紙は真っ白で、寝るところと台所が分かれていて、クローゼットまであった。冷蔵庫もテレビも洗濯機も自分達専用のがあった。窓も二つもあった。彼氏の会社が社員用に借りている部屋だそうだ。
自分自身すら変わったような気がした。なにか、レベルアップして次の段階に進んだみたいな。私という人間は何も変わっていなかったのに。
認められた、見つけてもらえた、自分にも選んでくれる人がいた、と思えた。それだけでこんなに自信がつくのだ。
そして、そう思わせてくれたのは彼氏なのだ。もっと感謝しなければいけなかったのかもしれない。幸せな気持ちのままでいたければ、自分でも努力しなければいけなかった…
けれど、年上の大人の男性ということに私自身が甘い期待を大きく膨らませすぎていたのか、その後は風船の空気がどんどん抜けて萎んでいくように、ガッカリする事の連続だった。
現実は、年上だからと言って、別に何が特別できるなんてことはない。彼も普通の人間だった。朝寝坊で遅刻魔だし、前に自分が私に注意していたことを自分では出来なかったり、前に言っていたことと全然違う事を言い始めたり、立派なことを言っていたのに全然それをやらなかったり。すぐひねくれて喧嘩しようとしたり、その口喧嘩に勝とうと変な屁理屈を捏ねるし、大人気がなかったりケチだったり、約束したことをしれっと忘れてしまっていたり、…とにかく細かい嫌な点なら数え切れないほどあった。
いくつ年上だからと言ったって、年を経るほど完璧な人間に近づいていくものだというわけではない。子どもの頃の方が偉かった、大人になるほどダメになっていく、という人だって沢山いるし…それに、もしかしたら、ちょっと普通より変な人だったからこそ余っていたという可能性だってある。
可能性の話だよ?
でも、たとえもしそうだったとしても、私を好きになってくれただけで十分感謝すべき事なのだし、小さな細かい点には目を瞑って愛情には愛情で応え、現状に満足しながら次の別の目標を目指せば良かった。
私は不機嫌で不満だらけのわがまま娘だった。上に目標を作らないで下ばかり見、思ったより低かった低かったと、ブチブチ言える相手に文句を垂れていただけだった。
彼が神戸に転職すると決まった時、すでにこの恋愛を続けていく自信を失いかけていた私にも、もう一度、
「一緒に来い、」
と彼氏は誘いをかけてくれた。新たな場所で、やり直す気持ちでまた新たに一緒に暮らせば、2人の間も良い方向に逆転するかもしれないと思った。2人ともがそれを願っていた。
楽しい思い出も沢山ある。
付き合いたての頃は色んな場所へ連れて行ってもらったし、同じ職場での秘密の時間や体験も沢山。意地悪な人や辛い事から守ろうとしてくれたのも知っているし、優しさや特別な愛情をしっかり受け取った、大切にしてもらった覚えもいっぱい、数え切れないくらいある。
けれど、それに自分の方がしっかり応えられていなかったのかもしれないなと、今になったら気付くことも多い。
彼が私を扱ってくれたほど大切に、私が彼を扱わなかったのかもしれないし、私なりの彼を想う気持ちが真っ直ぐに伝わっていなかったのかも…
何にせよもう溶けはじめ砂にかえりかけている輝きばかりで実態のないそんな細々とした思い出の数々を今ここで掘り返していても話が先に進まないから、今はその宝物が煌めいて魅惑的に拾い上げて欲しそうに見えても、取り上げないで、忘却の波のそばの砂浜の風景に埋もれさせたままにしておこう。
最後のデートをしたその日、カラオケでは彼は、失恋ソングばかり歌っていた。
別れたことを後悔する心情とか、別れてからまだ前に向けないでいると訴えかける歌詞や、君を忘れさせてくれる恋人が欲しい…などという歌を力を込めて叫ぶように歌い上げていた。
なんだか今更のようにもう飽きるほど知り尽くしていると思っていた自分の彼氏の、新しい一面を見た気がした。
私達は互いが歌うのを初めて見た。どちらからも誘わなかったので、彼とカラオケに行くのはそれが初めてだった。それが最初で、最後になってしまった。
続く