36 子どもの頃の話
学校はなんとかかんとか卒業までだけは漕ぎ付けようとしていた。臨地実習という名前の見習いタダ働きをしなくてはいけなかった。給食施設や病院や福祉施設や介護施設に実習に行き、ハンコをもらって帰ってこなければならない。このハンコが一単位とみなされる。
就活のためにも着られるリクルートスーツを互いにプレゼントし合い、先生に振り分けられて、井上くんは保育園、私は病院へ一週間実習に通った。
アルバイト先のマンションの非常階段で、課題の臨地実習先での報告書と発表する原稿を二人で仕上げた。
ある時アルバイト先に入ってから急に生理が始まってしまったことに気が付いて、ナプキンを持って来ていなかったので、家にいる井上くんに電話してトイレの棚からナプキンを持って来てもらった事があった。その日から、非常階段に二人で座って日向ぼっこしながら客待ちをするのが定番になっていた。
もし急に連絡が入ってもすぐ分かるように携帯電話の着信音は最大に設定しておいて、埃っぽいコンクリートの階段に腰を下ろし、空を通り過ぎていく雲や向かいのマンションの窓の中を眺めながら二人でくだらない話をして過ごした。
向かいのマンションの出窓の中には置物みたいな綺麗な三毛猫が姿勢良くお座りをしてこちらをジッと見つめていた。
「天気いいね…」
「あそこ暖かいのかな」
「あれ置物じゃない?」
「尻尾が動いたよ」
「本当?…」私は向かいの高級そうな煉瓦造りのマンションの出窓の中に目を凝らしてよく見てみたが、猫の尻尾は背中の後に隠れていて見えなかった。そのかわり水晶のような透明な目の中で光が揺れ動くのが見えた。ちょっとだけ首の向きを変え、それからまたもう一度こちらに向き直ったようだ。
「可哀想だね…窓から外を見てるだけで一生を終えるなんて」
「ええぇ、幸せ者だよ。食べるために苦労する事もないし、雨にも打たれないし、一生寒くもないし。病気にかかったら飼い主が心配してすぐ病院に連れて行って看病してくれて。生涯安泰。…あの猫に生まれたかったよ」
「半野良が一番長生きするらしいよ。一応家があって、好きな時に外へ出られる子が。一番ストレスもなく平和で幸せで」
「人間が一番しんどいよ」
祖父母の家に住み出してから、母の住むホテルに養育費を受け取りに行ったある昼下がりの情景をチラリと思い出した。
母はコブだった私がいなくなってからは風船のように身軽になり、色んなお客さんに海外旅行やイベントやパーティーや何やかやに何日でも自由に連れて行ってもらえるようになって、もはやあのオンボロの母娘二人で暮していた剥がれかけた黄ばんだ壁紙の公営住宅には住まなくなったらしかった。
指定されたホテルのロビーで周りをキョロキョロ見回しながらソファに座って待っていると、母が迎えに来る前に、ウェイターが注文を取りに来た。私が座ったソファは、何か注文しなくては座れない席だったみたいだ。私は開いて差し出されたメニューのミネラルウォーターの値段に目を見張り、慌てて席を立った。祖父母の家ではお小遣いは貰っていなかった。必要な物がある時はその都度祖母に頼むか、夜中、大家族が寝静まった後に台所へ行き、祖母がお金をしまっている戸棚の湯飲み茶碗の中からこっそり盗むか、二つに一つ、どちらかしかなかった。
右へ左へ通り過ぎて行く人々をぼんやり眺め、母が来たらすぐ見つけてもらえそうで通行の邪魔にならなそうな場所を探しふらふら立ち位置を変えながら、立って待っていた。祖母から貰ったのは行き帰りの電車賃とあとほんの僅かばかりの一握りの小銭だけで、水やジュースなんかのために限られたお金を使い果たしてしまいたくなかった。母は時間通り迎えに来てくれた試しがなかった。
「モカちゃーん」と遠くから甘い声で手をいっぱいに振り現れた美しい自分の母親を目にすると、日頃の恨みや鬱屈した考えはサッと脇へ引っ込み、目の前まで走ってきて立ち止まった母の巻き起こした薔薇の香水の風に包まれ、世界中の秒針が母の号令に従って動き出す。
「ここのチョコレート美味しいよ。買って行こう。どれにする?」
背中に温かい掌が添えられ、ショーケースに向かわせられる。光に溢れたガラスの向こうには宝石みたいに一粒一粒ズラリと並んだ可愛いチョコレートが整列している。ハート形の、葡萄の形の、カメオのように女性の横顔が彫られたのや、金色の紙に包まれたのや、サクランボの軸が飛び出したのや…
それぞれの列の先頭に、中身に使われている洋酒やナッツの種類などの説明文と値段が書かれている。
(このチョコレート一粒で450円もする…)
ジワリと緊張し始めた。
(スーパーの5個入り90円の餡パンなら片手に持ちきれないくらい買えちゃうのになぁ…毎日餡パンが食べられる方が良いなぁ…)と思う。
口には出せないけれど。
「決められないなら全部にしよう」
「そんなアホな…」冗談だと思っていると母は本当に店員さんに注文し始めてしまう。
「二粒ずつ全種類ください」
「ちょっと待って…お母さん…」
私は怖気付いて母のレースのワンピースの肘を掴み後ろへ引っ張ってヒソヒソ囁く。
「死ぬほど高いよ…!」
「子どもが何お金の心配なんかしてんの。可愛くない」
「もったいないよ…」
「恥ずかしい事言わないで。お金ならいくらでもあるから」
母はマリーアントワネットみたいだった。要らない物でもわざと高い方を選べ選べと私に唆し、結局選択の余地を与えず自ら決めてしまい、無理矢理に高価な物を買い与えてくれた。帰ってから隠し場所に困る要らない美しい物ばかり。母と過ごす時間はおとぎ話の中へ落ち込んだような住む世界の違う夢の国に来ているようだった。日頃との落差にまごまごしているうちに終わってしまう謁見だった。
チョコレートの箱を抱えエレベーターを上がり、母の暮らすスイートルームへ入って行くと、母は鼻高げに客室の中を案内してくれた。豪華な家具、広い贅沢な間取り、映画に出てくるようなバスタブ、重厚な無音…
母はバスローブをハンガーから外して私に着せ、
「大き過ぎるね」とクスクス笑い、また元通りハンガーにかけてバスローブを壁に吊した。カチャカチャ鳴る金具の触れ合う音だけが部屋の中に大きく響いた。こちらまで息を潜めてひそひそ声で話さなければいけないような静けさだった。まるで窓の外でしか世界は動いていないみたいに。この部屋の中の全ての贅沢な品々は長過ぎる眠りからの醒め方を思い出せないでいるか、退屈で死んでしまったかに見えた。どこへ行くこともできないし、もう望みも捨ててしまっているようだった。
子どもらしい心で私は声を潜めて母に尋ねた。
「お母さん、ここに閉じ込められてるの?」
祖父母の家での暮らしはつましく、フルーツも滅多に食卓に上らなかった。チョコレートも子供は食べてはいけないという決まりになっていた。
子どもは三人ともお腹を空かせて冷蔵庫をしょっちゅうパカパカ開けるのでお婆ちゃんにお尻を叩かれ「何回見たっちゃ中身は変わらんったい」と言われて台所から追い払われた。買い出しに行った当日には、安くて量の多いクッキーやバナナや一人一つの菓子パンが早い者勝ちで食べられる。でもそれは週に一度くらいだった。買い出しについて行った孫には100円以内のご褒美のおやつが買ってもらえるというルールだったけれど、何故だか男の子に甘いお婆ちゃんは女の子の私には厳しくて、同じお手伝いをしても公平なルールは発動せず、私は無償で家の手伝いをするのに、従兄弟達は同じ事をやってもお小遣いが貰えたり、荷物運びについて行かなくてもおやつをお土産に買ってもらえたりした。些細な事かもしれないけれど、不公平は他にも山ほどあった。
毎月、それとも2、3ヶ月に一度、私が自分の養育費を受け取りに母の元へ行き、封筒に入ったお金を祖母に手渡していた。
母と祖母が直接顔を合わせたり直接電話したりするとおぞましい罵り合いになる。お金の額の事で揉めて。子ども一人の食費だけでそんなに掛かるわけがないと母は言い、子どもの面倒を押し付けられて一桁の額で足りると思うななどと祖母は主張し、母の元へ行った日に私がついポロリとこぼした何気ない一言(例えば、「わぁ、マスカットなんて食べるの初めて〜」とか)を母は問い詰め始める。
「モカちゃんに何を食べさせてる?ジャガイモ以外に?」
祖母も頭に血が逆流し、
「毎朝何時に起きて弁当作ってるか分かるか?
PTAやら役員会やら、その他にも学校行事やら何やらかやら、親の役目は山ほどあるのに、それを一回り年上の私がやらされて…他の役員からは「もう少しお若い方がなられたら…?体力的にもちますかね?」とか嫌味を言われ。育児放棄したお前に指図する権限はない、通学に使う自転車のサドルも盗まれて帰ってきた、ガタガタ言わずに言う通りの金を寄越せ」
「なーにが毎朝の弁当よ。どうせあの恥ずかしいいつもいつも右端が汚い卵焼きで左端がヌルッとした団子のあのウンザリするような代物でしょ?毎朝本人にお昼代を渡してあげれば?よっぽどそっちの方が嬉しいわよ、モカちゃんも。自分で選べて恥かかなくて。私の学生時代がそうだったわ、お弁当箱開けるのが恥ずかしかったわ」
「なにを…
あんたの家であの子がどんな物を食べて生きてたかあんた忘れたとね…?マヨネーズの空の容器をゴミ箱から拾って大事そうに吸ってたのを見た時はたまげたばい、髪も伸び放題、自分の名前も書けず時計も読めず。風呂にも入ってない、歯は真っ黒、服も汚い。着替えも一着も持ってなかった…あの子が生きてるのは私達のお陰…」
「私のお金のお陰よ。私の仕送りでその家の一家全員が生きてるんじゃないの?貧乏一家が」
「こん畜生…あんたなんか産まなきゃ良かった…なんでそんな意地悪い子に育ったのか…」
「そっちこそ金に汚すぎるわ!誤魔化すのも大概にしてよ。一体いくら渡したら納得できるの?いくら渡したって際限なく吊り上げてきて…!」
「あんたは海外旅行やらブランドのバックやら何やらかやら買いすぎたい。貯金は?この子の進学の学費は?親の脳味噌持っちょらんき先々の事まで考えてもおらんだろうが。私が積み立ててやるから…」
「ほら出た、ネコババ婆ぁを誰が信じられるか、ハッハッ、進学のための貯金?笑わせるな…学費が学費がってまた水増しして一からたかってくるに決まってるわ」
「黙って聞いてりゃ…
あんた、いつまでナニして稼げると思ってると?もうそろそろあんたも婆あじゃないか?今年何歳になる?その仕事でいつまで稼げるつもりでおるん?言うてみ?人に言える仕事で稼いだ金かい?あんたの娘にも同じ事させるつもりか…?」
「黙れ糞婆ぁ、その金をあてにしてるくせに…!」
そのうち母が受話器を叩きつけ、切断するように突如話し合いは終わりを迎える。もともとこんな罵り合いのことを話し合いとは呼ばない。心のえぐり合いでしかない。
こうして文字に書き起して見ると喜劇に見えてくるのは不思議だけれど、私は毎月しんどかった。毎月毎月このやり取りは行われた。毎月何かしらの支払いがあり、その都度祖母が母に電話をかけてお金をせびるからだ。
二人が直接話すと会話が成立しないまま終わるため、私が受話器を持たされ、自分で使った額を母に申告する形をとらされることになった。通訳のように「糞婆ぁ」やら「阿婆擦れ」やら「ネコババ」やら汚い言葉は全部カットして、毒を含んだ物言いは自分の内だけに留め、できるだけ要点だけを掬い上げて翻訳するようにした。
電話をかける前に祖母にこう言えと言われた事をそのまま私は電話に出た母に機械的にすぐに言う。
「今月は私は八万円余分に使いました」
「は…?…何にそんなに使ったの?」
「食費と塾と…」
「塾?何の塾に通いだしたの?」
「英語の塾…」
「ふーん…週何回?」
「二回…」
「それで八万円もするの?本当に?」
「…うん…」
本当はそんなにかかってないと思うが私には分からない。近所の子達がみんな通っているからと急に英語の塾に通う事になったのは本当だけれど、お金のやり取りは私の知らないところで行われ、受講料がいくらかなんて全く知らないのだ。
「八万円もしないでしょ?本当は?」
「私は…知らんけど…お婆ちゃんがそう言ってる…」
受話器を握り締め正直に呟くと祖母はしかめ面で私を小突いてきた。
「食費もかかったち、言え」ひそひそ声で祖母は言い募る。
「食費も…」
「何食べたの?」
「えっとー…」
「友達と遊びにも行ったち、言いない」
「友達と遊びにも行った」
「どこへ?」
「セントラルパーク…」
「そんなのせいぜい1万円以下でしょ?」
「塾!」
「塾が…」
「八万円もする?」
「…そうみたい…」
「…モコちゃんは行きたいの?その塾に?」
全然行きたくない。でもそう言うと祖母に不利になる。私が生きている世界は祖母のいるこちら側の世界で、こっちで波風立てずに暮らしていきたいなら、受話器の向こうの母に味方する事は私にはできない。
「みんな通ってるから…」
「そう…」
母はため息を吐き、ふいに、物凄い大声を出す。
「隣で聞いてるんだろ、糞婆ぁ!子どもをだしに使いやがって!受話器を自分で持って正直に電話をかけて来い、糞婆ぁ!勝手に通わせだした塾の費用まで払えるか!」
私は受話器を耳から遠去け、祖母は私から離れて行く。
「あんたもあんたで人を騙すような子にはなるなよ、モカちゃん。婆さんに似るなよ。人を舐めるなよ。普段から私はねあんたの養育費としてお婆ちゃんに七万円渡してるの。それだけでもそうそう毎月使い切れる金額じゃないでしょ?渡してるお金の中で生活しなさい。分かった?」
「うん」
でも祖母は納得しない。台所から声だけが聞こえる。
「この前自転車を無くした事は言ったかね?」
自転車を盗まれたのは私ではない。従兄だ。ショックと悔しさとで頭がボーッと麻痺しながら台所の方へ向いたまま私は母に暗い声で伝える。
「自転車を無くした…」
「ハァ?また?本当に?」
「…」
ハアア、と大きなため息を吐き、何が何でもあと八万円いるのね分かったわと母は言う。
「子どもなんか産むもんじゃないわ、モカちゃん」そしてガチャンと電話は切れる。祖母も台所で同じ台詞を吐いている。
井上くんと非常階段で互いの子ども時代の話を語り合うと、私の方が常々聞いて欲しかった鬱憤を吐き出すようによく喋り、彼の方は
「ふーん」
と言っておおむね聞き役に回ってくれた。彼の話ももっと聞きたかったけれど、私の相槌はいつも
「いいなぁ」
「羨ましい…」など僻みの要素を孕んでいたため、井上くんにとっては不幸自慢をされ大して不自由なく育ったことを非難されているように聞こえてしまうみたいで、だんだん、一生懸命聞き出さなければ彼の方から自発的にはなかなか子ども時代の話をしてくれなくなってしまった。
そのうち、幼少期の話をしようとすると井上くんはイヤそうな顔をするようになったので、私もあまり話せなくなってしまった。
いつも不幸自慢をしたかったばかりではないのに…ただ子どもの頃の話をしたいだけなのだ。でもそこには確かにいつまでもどす黒い膿のようなやりきれなさがわだかまっているので、だんだん思い出すだに苦しかった、ずっと誰かに相談したかった鬱積した思いを熱を入れて語り出してしまい、気が付くと結局嫌がられてしまう事になった。
ただ分かって欲しかったのは、ずっとどんなに寂しい思いをして来たか、それで今やっと井上くんと一緒にいられるようになってどれだけ幸せで真剣に舞い上がってしまっているかということだった。
それに欲を言うなら、少し事情は違っても、子どもの頃のお互いの好きだった物のことやはまった遊びやどんな子供だったかも語り合いたかった。親や兄弟の話もしたかった。私にも、母や祖母や叔母や従兄弟達に対する善い思い入れも沢山あるのだ。激情や私欲や裏側も知っているけれど、それが人の全てではなく、ほとんどの時は大人はできるだけ良い面を表に出そうと心がけているし、子どもだってもともとの心の底は優しくできているんだと思う。
例えば意地悪しかしないのかと思っていた従兄弟達も、私が家出すると言ったらそれぞれ木の棒を片手に持ち一緒に途中までついて来てくれ、暗くなったら引き返そうよと誘ってくれたし、大人との戦いで味方についてくれたこともあった。叔母は私が隠れてシクシク泣いていると抱き締めに来てくれたし、祖母は引き取ってくれた日から毎日同じ部屋に寝起きして母親代わりを務めてくれた。お爺ちゃんは工作の授業で私が作って持って帰って来た粘土細工の人形やら騙し絵やらを捨てるのはもったいないと言ってゴミ箱から拾い出し、自分の部屋の棚に並べて飾っていつも見ていてくれた。お母さんは地震が起きた朝に咄嗟に私の上に覆い被さって守ろうとしてくれた。
もっとそう言う話をすれば良かった…
続く




