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メンズエステ  作者: みぃ
31/38

31 新居

「この前はどうしちゃったの?連絡も無くお金も入れ忘れて鍵まで開けっぱなしで帰っちゃうなんて…本当に心配したのよ」

二日休んでから宮家さんに連絡するとそんなふうに言ってもらえた。

 信用などないと思われている職業かも知れないけれど、むしろ信用が一番大切じゃないかと思う。

 お店の経営や管理を任されている宮家さんのような人達から見ると、女の子達はこんな仕事だからと舐めている子が結構多いそうだ。でもそれはお客さんにも経営側にもしっかり伝わってしまうし、真っ直ぐ自分に跳ね返ってくる。

(この子は手を抜いてるから、こっちだって雑な扱いをしても構わないかな)とか。

(ちょっと嫌なお客さんもこの子にならつけても良いかしら)とか…

 私はできるだけ本気で無遅刻無欠席でこれまでやってきたつもりだった。他にいく場所がないという危機感もあって…

そのおかげで、宮家さんからは真っ先に心配してもらえた。それだけでも気持ちが救われた。

「良かったです、疑われてなくて。お店の分のお金を持って帰っちゃったかもしれないとずっとその事ばかり不安だったんです」

「何があったの?」

「最後のお客さんとお酒を飲んだら、そこから記憶が飛んで…」

「無事にうちには帰れたの?」

「はい。」

「心配したのよ。終わりましたの連絡もないし、行ってみたら貴女はいないし。今日まで連絡も付かなかったし…」

「すみません…」

「まぁいいわ。今日は出勤してくるんでしょ?」

「はい。」

「顔を見にいくわね。この前の集金もあるからちゃんとお金持ってきてね、17,000円よ」

「はい」

私は少しは信用してもらえているかなと電話を切った後で思った。心苦しいが…これからは信用を裏切ることになる…

cocoaで知り合ったお客さん達にも、これからは自分を売り込んでいこうと企んでいたからだ。



 部屋をもう借りようと思っていた。

あの拉致された〝事務所″だかどこかから帰してもらえたのは、私がネットカフェに住み着いていて消えてしまったところで真剣に探す人は誰もいないだろうと言う事を、あの男達にまだ知られていなかったからかもしれない…と思った。

(もう部屋を借りよう…一人でならどこでも良い…古くても狭くても自分一人でならどこでも我慢できる…)

けれどそう思っては、マミちゃんを思い返した。

 部屋を借りてしまってから、彼女から電話がかかってきたら…まだそんな事を夢見ていた。

彼女とお腹の赤ちゃんが気がかりだった…お母さんになるマミちゃんを勇気付け、膨らんでいくお腹に耳を当てさせてもらったりする、彼女の隣にいる自分を想像すると温かい気持ちになれた…


 でもそろそろ現実を見なくては。部屋を借りよう。そう思ってネットカフェのすぐ近くにあるミニミニに、風に翻る赤い旗につられて入って行った。

 ガラス張りの壁にA4の広告がたくさん貼られた隙間から私が入ってくるのが見えていたらしい、中にいた痩せた若いお姉さんが、待ち構えていたようにカウンターの向こうで立ち上がってこちらを真っ直ぐに見ていた。

「どうぞ、」正面の椅子を指差し言った。

「いらっしゃいませ。おかけください」

 三万円代くらいで見つかれば良いなぁと思っていたが結局相場はもう1万円高く、四万円代の部屋がギリギリ条件に当てはまった。

 窓もお風呂も洗濯機を置く場所もちゃんと自分の敷地内にある三つの部屋を紹介され、その日のうちに内見に向かい、すぐその一つに決めた。

 その部屋は、ドアのようにノブを回して開く窓からとても小さなベランダに出られ、そこからは山の緑の景色が望める。ちょうど私が見学した時は夕暮れで、山の木々の若葉の一葉一葉に暮れなずむ陽光がキラキラ跳ねていた。空気は冷たく澄み、水のように風が流れ、咲き出した花々の香りがした。清々しくて心が洗われるような気がした。

 この部屋が一番駅から遠く、ちょっと急な坂を登らなければならない。6車線の幹線道路も越えなければならない。

「信号待ちが地味に面倒臭いですが、この道路一本を挟んだだけで1万円くらい差が付くんですよ」

とミニミニのお姉さんが不動産豆知識を披露してくれた。

 あとの二つの部屋は便利すぎるくらい街中にあった。片方の部屋は窓から目の前にラブホテルの窓が迫っていたし、もう片方の部屋は隣のベランダに見慣れすぎた緑色のタオル業者の袋が見えていた。同業他社と隣同士に住むのは辛い。廊下で顔見知りのお客さんに出くわすかもしれない。

「あの最初に見た山のお部屋に決めます」

店舗へ戻ってくる車の中でもうそう決めていた。



 井上くんとは一線を引かなければならないと覚悟した。すごく彼に頼りたいけれど…

でも付き合う事はできない。

 彼は真面目な人で、まともな付き合いを望んでいるし、私とは生きる世界が違いすぎる。

お客さんに嘘をつき彼氏にも嘘をつき、それをずっと続けなければならないなんてしんど過ぎるし、そんな事までして恋人が欲しいとは思えなかった。自分一人でもいっぱいいっぱいなのだ…

 もしも誰かと付き合うとしたら、その相手は私にこの仕事から足を洗わせてくれるぐらい経済力がある人でなければ…でもそんな人はいない…

いや…

お客さんの中に、一人二人いることはいた…

「結婚する?養ってあげるし。卒業までの学費も出すよ」

なんて言ってくれる人が…

でも何故だかその話に乗ることができなかった。

本気の愛情からそう言ってくれているのではない…と薄っすら分かってしまって。

(この人すごく年下の奥さんが欲しくて誰にでもそんなこと言って回ってるんじゃないのかなぁ…金にものを言わせて…)

そう思ってしまった。

 たとえそうだとしても良い、契約として始めたところからそこから本物の愛着とか信頼を少しずつ築いていけば良いのだと割り切ってしまえたなら、話は簡単だったかもしれないが、そんな事、咄嗟には思い付きもしなかった。

(なんか嫌だな、胡散臭い…)という目で相手を見てしまった。

 ただ根本さんの事だけは信じられた。時々鍵を眺めては世の中には不思議な優しさを持つ人がいるものなんだ…と勇気付けられ、ただ鍵を持っているだけで励まされた。本当にお守りだ。これがあれば力が湧いてくる。そしてまだ自分の力が出せる限りは根本さんにも頼りたくなかった。借りたお金もまだ返せてないし、それに、彼との関係は今のままがとてもちょうど良いように思える。

根本さんの方でもなんだかそう思っているような気もするのだ。

 彼からはホテルに誘われた事も、体に触れられた事もないし、手を握られたことすらなかった。本当のお父さんのように少なくともこちらは思っていて、そのままの関係でいたいのだ。


 井上くんと離れ離れになるのだけが寂しかった。これからは隣のブースとか隣の部屋に住めるわけではないから、

(一人にならなくては…)と意識して強く思った。

 部屋を決めるときはただ

「住む場所を探してる」とだけ彼にも言っておいて、具体的な住所は内緒にした。

ミニミニへ行く時も一人の日を選んだ。彼にも日中は何やら部活動や呼び出しを受けて先生のお手伝いに居残らなければならない日などもあるから、いつもいつも一緒にいたわけでもなかった。


 部屋の契約を全部済ませてしまってからも、これから住む場所を私は彼に教えなかった。

 冷たいかもしれない。これまでの井上くんからの献身的な支えでやっと心を持ちこたえて、ここまでこられたのに…とは思う。でも、彼は絶対に

「送る」と言ってついてくるのは明らかだ。

 今度の家では私は一人暮らしをするのだから、その場所を教える相手は次の彼氏になる人だけだ、絶対、と私は決めていた。

 これが自分のケジメだ、と思った。

井上くんにはとてもとても感謝しているし、私も彼のことが好きだから、切り売りしている体だけなら差し出すことはできる。でも、それは彼の方で求めていなかった。

「今すぐしなくても良いんだよ。ずっと一緒にいればいつかはできるようになるよ。そのうち。

 お爺さんになって勃たなくなっても、愛し合うことはできるしなぁ…ギューッと奥さんとハグするんだよ。いっぱい。皺と皺がくっついちゃって離れなくなるくらい」

手を繋いで横たわり蜘蛛の巣がかかった天井を眺めながら彼は綺麗で可愛い話ばかりしていた。

「たまーに勃つとね、

『婆さんや婆さんや!』って、巻多さんのこと呼ぶよ」

「それまでできなくても好きでいられる?」

「うん。一緒にい続けると、日増しに好きになるもんじゃない?昨日よりも今日の方が好きで、明日はもっと好きになるよ。積み重なって深まっていくよ。」

その考え方が愛おしく、苦しいぐらい胸がキュンとした。

「そうだと良いなぁ…」

「できなくても好きだよ」

「私も。だけど…」



 とうとう新居に泊まる最初の日が来た。学校からずっとついて来てくれる井上くんに、電車の中でも言ったし、駅前に着いてからも言った。

「今日からは新しい自分の家に帰るから…バイトの後も、待ってないで。お家に帰ってね?」

そう言うと彼は途方に暮れたような目をしてじっと見つめてきた。私はいきなり今日初めて部屋を借りたと言ったのではない。急に言うと驚かせるし失礼だからと、ずっと前からちゃんと予告していた。

 部屋を契約したからもうすぐネカフェには泊まらなくなるよ、とか、もうすぐ引っ越すよ、とか、昨日は布団が届いたんだ…などと。

 それなのに井上くんの目はなんだか悲しげで訴えかけてくるようだ。

「アルバイト先まで送る」

井上くんは隣に並んでついて来ながら言った。なんだかションボリしている。悲しいのはこちらだって同じだった。もしお金の心配などしなくても良かったなら、もし遮るものが何も無い青空の下で出会っていた二人だったら…きっと正々堂々と晴れ晴れした気持ちで付き合えてたんだろうなぁと思った。私だって井上くんのことが大好きだった。彼のクラスの篠山さんという女の子が彼をものすごくデートに誘っている噂を耳にした時には、胸を絞られるように辛かった。でもどうにもする事ができないから、聞かなかったフリをするしかなかった。


「ここ花屋さんになってる」

「前は何だったかな…」

「靴とか鞄売ってなかったっけ…」

「どうしたの?またナゲット?好きだね~」

「今日からのソースが新発売だから…」

「踊らされてるなぁ~」

「一応、味見しといてあげてるんだよ…」

つまらない話をして笑い合いながら商店街を抜け、アルバイト先のマンションが見えてくると、私はもう一度言った。

「待ってたら終電逃すから、今日からはバイト終わりに待たないでね。帰ってね?」

井上くんは頷かなかったので不安の黄色信号が胸に灯った。この人はハッキリと約束しない時は、言う事を聞くつもりがない時なんだともう分かってきていた。

「待ってたら怒るから。ネットカフェで一人で寝ることになるからね。私はお金もったいないから家に帰るから。そんなの可哀想だし悪いと思って言ってるんだよ?」

「帰り道どうするの?」

「明るいから大丈夫」

本当は家の前の道はちょっと暗くて怖いのだけれど、そんな余計な事は言わない。バイトに入室しなくてはいけない時間も迫り、だんだん強い口調で苛々と言い募った。

「帰ってねって!ちゃんと約束して!」

さすがに井上くんも嫌な顔をして、一歩後ずさった。

「心配してるんだよ」

優しさのパンチでぐらぐら心が揺らいだ。彼を騙して優しさに捕まりたい。今夜も安心して眠りたい。彼の隣で…

 私はアルバイト先の部屋601号室の窓を指差し、井上くんに詰め寄り、ついにとうとう本当の事を言ってしまった。

「あの部屋で私が何してるか…知ったら待とうと思わないでしょ…私のアルバイトは風俗なの。」

井上くんの眼鏡の中の黒い瞳を睨んだ。でもすぐに彼の反応を待つのが恐ろしくなり、マンションの中へ逃げるように立ち去った。オートロックを解除して振り返るとポツンと道に立ちつくしてこちらを見ている井上くんが見えた。

噂にはならないだろう…きっと他の人に言ったりはしないだろう…井上くんなら。

 だけど今夜から先は仕事終わりに彼が待っていてくれる事はもうないだろうなぁ…と思った。


 仕事中は井上くんのことばかり考えてしまわないように、一生懸命、目の前のお客さんに専念しようとした。

 新規のお客さんが二人続いた。それから千賀さん。桜のモンブランを差し入れに持って来てくれた。もう帰れるかと思った12時過ぎに駆け込みでもう一人のお客さんを受け付けた。店は大繁盛だった。掃除をして、お店の取り分のお金を隠し場所に預け入れ、シャワーを浴び、帰りは2時近くになってしまった。

 ヘトヘトでふらつきながらマンションを出てきた。


 正面の道に井上くんがいた。

別れた時のままずっとそこにいたみたいに立っていた。幻みたいに。

 思わず歩み寄り、彼の胸に手を置いて触って確かめてしまった。

「もしかしてずっとここにいたの?」

「いや…ぶらぶらして来て、さっき戻って来たところ」

「そっかぁ…」

私達は歩き出し、彼は少しだけ遅れてついて来ながら、小さな声で優しく問いかけてきた。

「こっちで合ってるの?」

「あっ…」間違えた。立ち止まった。

今日からは山の上の新居へと、坂を上って行かなければならないのに、なんとなくいつも向かう駅前のネットカフェの方へ足を向けていた。気が付かなかった…ぼんやりしていた。

…でも井上くんはどうしよう?もう終電がない… (とにかく仕方がないから彼をネカフェに送り届けてから自分の家に向かおう、それしか方法がない…新居の場所を秘密のままにしておくためには…)

そんな事を考えながら、またネットカフェに向かって歩き始めようとした。

「巻多さん…」

井上くんが私を呼び止めた。

「仕事のこと、全部飲み込むよ。理解する。だから僕のところへおいで」

笑って誤魔化せないほど真剣だった。言葉が真っ直ぐ深くすとんと入ってきて、胸が熱くなった。

彼の言葉は瞬間的に信じられた。こっちも信じたくてたまらなかった。


 どこに向かったらいいのか分からないまま、差し出された手を繋ぎ、歩き出した。何故そんなに愛されてるのかと驚いたし、こんなに深く人を好きになれる綺麗な心が私も欲しいと思った。心から井上くんを愛したいと思った。


 ネットカフェの前まで歩き、井上くんを見上げ、手を振った。こちらが彼を送ったつもりだったが、彼には送られっぱなしで引き下がるつもりが全くなく、

「送る」と言って絶対に譲らない。

予想していたことでもあり、体力も限界だった。私は諦めて彼に新しい自分の家まで送り届けてもらった。

 そして自分一人だけ家の中に入ると、今度は、外でドアの前に立っている彼がいるのにドアを閉めることができず、結局彼にも中へ入ってもらった。

 閉め出すより入ってもらう方が心に正直で、私もその方が心が楽だった。




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