表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メンズエステ  作者: みぃ
30/38

30 夢

 マミちゃんの番号から電話がかかってき、

「この前のお金を受け取りにおいで。」

と一言、要件だけ言うと、プツッと切られた。声は女性だったが相手が彼女だと確信することはできなかった。


 血が全部洗い流してくれるかのようにドッと生理が始まった。

 這いずってでも学校へ行かなければと自分に言い聞かせるつもりでいたが、心は麻痺したようにむしろ平静を保っていて、何事もなかったようにいつも通りの道を辿り登校した。


 失ったのは二日間だった。一日目はネットカフェでぼんやり壁を見て過ごしていたから、その前のたった一日が実質本当に失われた時間だった。時間の他に失われたものは何もない。

 今回は打ち身や生傷が身体中のそこここにできていた。使い捨ての駒として扱われたんだなと実感した。でもまだ死んでいない…

 どこまでも下がある…その底は私なんかに考え付くよりももっと深く、見えないほど先にどこまでも続いている。底の底など想像も及ばない。

 私が地獄だと思った場所であの優しい女の子達は納得して淡々と働いていた。傷を傷とも思わず…そこで生まれ育ち慣れ親しんだ人にとってはそこが日常で、別に地底でもなんでもないのだ。あの子達は自分を哀れんだり嘆いたりしていなかった…

あれは夢?

あんなに怪我をして身を削っても、人の事を思いやれる…あの子達は神々しかった。なぜ心を毒されないままでいられるんだろう…

 中には確かに、裸の体中に自傷の痕があるやるせない目をした子も、涙を流している子も…私自身もいた。甘やかされて生きてきたからあそこが地獄に思えた。でも多分もっと酷いところからあそこまでやっと這い上がって来た子達もいるんだ。きっとマミちゃんもそうだ…だからみんな平然とロッカーに自分の名前を入れて明日もあそこで働くことに満足していたんだ…私にはそう見えた…


 死ぬとかいう事はもう考えないようにしよう。

地獄の底が死なのではない。死は最後の切り札…受け止めてくれる柔らかい寝床…途中棄権の方法だ。生きるよりも死ぬほうが簡単だ。どうにもならなくなってからその事については考えよう…


 現状から上へ行くことだけを目指し上だけを見続けよう…そこへ辿り着くまでにどれほど身を削られ心を失って身体は堕ちていかなければならないとしても…

 とにかくどんな手段だっていい、金を掻き集める。早く。自分の身を守れるだけの金を手に入れなければ。金さえあれば体を売ることもなくなる。

 でもそれはもっと先の話…

今は…せめて相手を選んで体を売りたい…優しい相手、楽な相手、せめて少しは私に対して思い入れを持ってくれている人相手に…

 あんな風に誰が誰だかわけも分からないまま単なる女の器として使い捨てのように使われるのではなく…

 どうせ身を売るのならこれからは自分から売りに行こう。買ってくれると言う人を自分で探そう。


 アルバイト先にはたまに千賀さんのようにハッキリ体の値段を交渉してくるお客さんもいた。今にして思えば彼らは親切だったのかもしれない。

こっちからは言い出しにくい事だから、いっその事向こうから聞いてきてくれるだけありがたいのかもしれない…


 寂しかった。誰かに相談したかった…けれど、誰に相談できる話でもない。


 

 学校へ行けばマイマイに会える…と思っていたけれど、彼女の方で私を避けていた。もうそばにいたくないと言うように、いつも通り隣の席へ座ろうとするとスイっと別のグループの女子達の中に混ざって行ってしまう。

 何度か話しかけ、友情を取り戻そうとしたが、冷め切った態度を突き崩す前にその冷淡さに向かい合い続けるだけの心の強さが保てず、こちらで諦めてしまった。

 マイマイにはもう嫌われてしまったのだ、もともと友達として何一つ私の方からは彼女の助けになるような事はできていなかった。私がそばに寄れば彼女の気分が悪くなる…これ以上近寄って迷惑をかけないようにしよう…そう思い、遠くから指をくわえて目で追いかけ眺めているだけになった。今まで友達でいてくれたのが奇跡だったんだ…


 高校までの学生生活はずっと一人ぼっちだったから、もう慣れっこのはずなのに、一度マイマイみたいな楽しい温かな人と連む幸せを知ってしまったせいですごく辛かった。これなら初めから一人でいた方がマシだった。私のことが見えないように目の前を通り過ぎられるたびに脚にすがりつきたくなるのをこらえなければならない…

 休み時間になると廊下に出て井上くんを探した。もう私に残された友達は彼だけだった。彼一人に頼りきりになった。



 安ホテルの狭い小さなガラスの丸テーブルで、脚が一本短くてカタカタ揺れるのに、そこへ教科書とノートを広げ、明日の小テストに出るところを教え合いっこしていた。向かいのソファに座った井上くんと。

 彼のクラスで今日行われた社会心理学は一日遅れでこちらのクラスでは明日授業があり、かわりに環境生態学はこちらが一日早く、井上くん達のクラスでは明日授業をやる事になっている。

 人に見られることを前提にした彼の文字はハッキリとした見やすい、優しそうなためらい跡と角張って力のこもったところとがある彼自身みたいな朴訥とした文字だった。好きだなぁ、彼の書く字…可愛いなぁ…と思った。

 1問だけ惜しい間違いをしていて、赤ペンで大きなバツ印をした隣に正しい解答が書き添えてある。私の小テストとは正反対だ。私のは1問だけ正解でその他は空欄のままだ。

 井上くんは教科書から正解を探したり、確認したりしながら、

「ここは覚えてないとおかしいはずなんだけど…」

とギリギリ聞こえるか聞こえないかの声で私の勉強の遅れを指摘したそうにした。

「この辺までは覚えてた方がいいよ…きちんと復習して…」

彼が返してきた私の小テストには教科書から調べてくれた赤ペンの正解が書き写してあった。

「そんなのテスト前に覚えなきゃ…今覚えたって試験までに忘れちゃうよ」

明日出る分だけ辛うじて覚えると、あとは投げ出して一人で先にベッドに入ってしまった。

 階段を一段一段ゆっくり降りていくような意識的な眠りに落ちていきながら、井上くんが勉強道具をきちんと全部元通り鞄に戻し、明かりを消し、他にしておくべきことがないか部屋を見渡すのを、目を閉じた目蓋の裏に思い描いてジッと待っていた。それから彼が布団をめくって入って来るのを感じた。

 彼は最後の枕元の明かりを消す前にこちらを見下ろしているようだった。眠っている演技を最大限に試されている気がした。少しずつ伸びてきた私の髪に彼がそっと唇を当てたような、温かく湿ったひっそりとした気配がした。

 それから明かりが消え、しばらくは息を殺していた。

背中に何かが当たり、ドキッとして、壁に向けていた体の向きを仰向けにしてみるとそれは井上くんの手だった。私に気を遣って彼はその手を引っ込め、こちらに向けていた体も同時にゴソゴソ仰向けた。

 横顔を見ようとしたけれど暗くてよく見えない。ゾクゾクしてブルっと震え、クシャミをした。部屋は寒くて、少しずつ彼の方へにじり寄った。

我慢比べのようにどちらが先に本物の寝息を立てて眠るか待ちになりそうだ…けれど、結局眠りの浅い井上くんが先に眠るまでは起きていられず、変な夢を見た。


 フワフワした足場の悪い場所で誰かと誰かが追いかけあい、捕まえあいっこしている…どっちが鬼か定まっていないらしい…近づいて行くと、その片方は自分だ…では相手は?顔がよく見えない…隣にいるから井上くんだろうか?

 楽しそうだ。けれど、相手はこちらほど真剣にやっていないのではないかと焦ったい…でも本気を出せば負けてしまう気がする…なかなか勝敗が決まらない…


 隣で起き上がる気配で目が覚めた。

溜息が聞こえる。彼が少し私から離れ、こちらを見下ろすのが分かった。

 なぜ少しずつ離れていくんだろう…と、まだ半分眠りながら彼の腰に腕を回して勝手にどこにも行かないように捕まえた。

「あっ…今触らないで」

「なんで?」聞きながらなんとなく察しがついた。

「…してあげようか?」

「何を?」

「手で、してあげようか?」そう言いながらだんだん目が冴えてきて、言ってはまずい事を言ってしまっているかなと頭が回り始めた。

「何もしなくていいよ」

その言い方が鉄でできた壁のように固かったので完全に目が覚めた。

「全部してもいいよ。井上くんとだったら…」

「それどういう意味?…付き合ってくれるって事?」

「付き合わなくてもしていいよ」

別にこちらがしたいわけでもないのに行きがかり上したいかのような立場で喋ることになってしまった。

 井上くんは私の手首を掴んで完全に身を離した。

「なんか嫌なんだよ。付き合ってないのにそういう事するのは」

「えっ…」

「ちゃんと付き合ってからしたい。」


私はヒヤリとした。

 井上くんと言えば色々適当に変わったエッチな事もこれまでにだっていっぱいやって来た経験豊かな人のはずだ。本人だって得意げにネタのように数々の女性遍歴を語ってきた。100人斬りを目指していたとハッキリ公言してもいたし…

 それなのに、突然何だか真面目腐った真面目人間みたいな事を踏ん反り返って言い出した。

 そのせいでこっちが正統に人として負けたような感じになってしまった。

 貴方は世界の正義を背負って立つヒーローか何かなのか?道徳の先生か?と思った。そして私は悪役か?


 捩くれた心が疼いた…その通りではないか?


 突然、邪悪な心にとり憑かれた。

井上くんのパジャマのお腹の辺りをいきなり鷲掴みにし、強引にぐいぐい引っ張って重心をぐらつかせ、近寄らせて、力いっぱい体重をのしかけて押して枕へ倒そうとした。

「ちょっ、ちょいちょいちょい…待って待って待って…何?何?」

ヘラヘラしながら顔は驚きで眼鏡はずれ、井上くんはゆっくりと私のやりたがっている通りに自分のペースを保って倒れてくれた。後ろを確認しながら、肘をついて。私はそのお腹にのしかかり、馬乗りになった。喧嘩しているみたいに。

「私は付き合う前に相性を試したい。だって、付き合ってから後で相性が悪いなぁって分かって後悔したって、もう遅いから。結局それで別れる事とかになったりしたらどうせ傷付くんだし。辛いなぁ辛いなぁと思いながら、付き合っちゃったから仕方ないって我慢してするのも愛じゃないと思う。

付き合う前にエッチする事がそんなにダメな事なの?エッチする事自体は汚い事じゃないはずだよ。

この考え方って間違ってる?」

「…うーん…いやぁ…んんん…」

井上くんは唸りだした。踏まれたままモゾモゾ体を捻って楽な姿勢に少し体勢を変えていきながら、しばらく黙り、考えてみたみたいだった。

「まぁ…そんな考え方もあるかぁ…とは思うけど…」

「じゃあ、やるよ」

この勢いで啖呵を切ってしまった以上、手でというわけにはいかない…体と体でやるしかない…なんだかやりたいと思っているわけでもなかったのに行きがかり上こうなってしまった。何故だろう…でもこうなったからにはやってやる、やるしかない、と思った。


 彼の襟首のところから、胸にホテルの名前が大きく刺繍してあるパジャマのボタンを次々外し、脚まで下がって、今度はズボンの紐を乱暴に引っ張って蝶々結びを解いた。パジャマのズボンをずりずり引き下ろした。

 さて…やるしかない…彼の下着に手をかけた。

それまでボーッとされるままになって成り行きを見守っていた井上くんがビクンと震えた。私の手に手を添えて自分でも腰を持ち上げパンツをずらし、起き上がって足に引っかかったパジャマも、パンツも、全部脱いだ。裸になった井上くんを初めて見た。なんとなく脱いだ服で隠している。明かりをつけてみた。

「うわ」と言って眩しそうに目を瞬き、私も自分でやっておきながら眩しくて目を瞬いた。

 次は自分の番だとハッと気付いた。誰も何も言わないから、ボーッとしていた。明かりを消すと、

「うわ、狡っ」と井上くんが言った。

一つ一つボタンを外し、ホックを外して付けていたブラを肩から落とし、丸めて枕元へ放り投げた。ズボンとパンツはいっぺんに脱いでしまい、これも放り投げた。

「えっ…履いてなかった…?」

と井上くんが口の中で呟くのが聞こえた。

 アルバイト先で素早く服を脱ぎ着してシャワーを浴びたりしないといけないから、その癖が出た。やるんだ、やるんだ、とやる気を継続させておくだけで頭がいっぱいでムードなど意識していられず、次の授業が水泳の時の女子しかいない更衣室みたいな早着替えの技を出してしまった。

 同じベッドで寝るのはもう何度目か分からないけれど、お互い裸を見せ合うのは初めてだ。

「もう一回寝て」

彼に指図した。井上くんは別に不服な顔もせず黙って言われた通りにしてくれ、横倒しの片仮名のトみたいな形になった。ここに跨がれば良いんだ…

 ところが、ホテルの避妊具を付けるのが難しく、

「これどうなってる?」

「こっちが上?」

「いや…絶対こっちが下だ…」

「いや違う…」

と二人でヘラヘラああでもないこうでもないと色々やっているうちに二つあった両方共をダメにして、なんだか笑っただけで終わってしまった。

「なんでホテルのってこんな意味が無いの置いてあるんだろ」

と別に焦ることもなく井上くんがのんびりと言った。その顔にまだ愉快そうな雰囲気が漂っていた。私はやるぞやるぞと頑張って気合を保ち続けていたのでドッと気疲れした。

「そう言えば持ってたかな…」

と言いながら起き上がって鞄の方へ行きゴソゴソ中を探り出した井上くんに

(もういいって…)と思った。

 井上くんが一つだけコンドームを持ってベッドに戻ってきた。それは彼が選んで持っていたものだからかすんなりとついた。よし…と気合を入れ直す。

 簡単なことだと頭の中ではイメージできていたのに、やってみるとなかなか…彼に寝てもらってこちらが馬乗りになり入れようとするのだけれど、どうしても痛い。どうやったらこんなものが入るのか不思議にすらなってくる。ふと彼の顔を見ると、可哀想な目でこちらを見ていた。

「そんなに頑張る事じゃないのに…」

「じゃあ今度は井上くんが上になってやってみてよ」

「えー…」

「何が『えー』よ!」

彼のために頑張っているのにとちょっと腹が立った。私にはあげられるものがなんにもない、だから彼に自分の売り物をタダであげているつもりなのに、受け取る側の彼が別にそんなもの欲しくなさそうなのが情けなかった。じゃあやっぱり私にはなんにもあげられるものがないと言うことになる…


 井上くんは優しすぎ、私は口程にもなくビビりすぎて、彼が上になっても全然上手くいかなかった。しまいに逆ギレしてしまった。

「こっちからは力入っちゃうから無理だから!井上くんがもっとガッと押し込んでよ!多少は無理矢理にでもせんと!」

「えぇえ…ようせんよ、そんな事…可哀想で…」

「じゃあ無理じゃん!」

諦めてどさりと倒れ、笑いながら彼が言った。

「まぁ、このために巻多さんと付き合いたいわけじゃないから…」

驚いた。

「じゃあ付き合って何がしたいの?」

「ただ一緒にいたいだけだよ。付き合って。」

「それじゃ今となんにも変わらないじゃない」

「そうかな。でも約束したいな。永遠に一緒にいるって…」

「あぁ…」思わず暗い溜息が漏れた。なんて心が清らかな人なんだろう、私とは全然違うな…と思った。こんな純粋な人と付き合うことは私にはやっぱりできない…と思った。


 私は売春に手を染めているんだ、その上これからはもっとやってやろうと思っている…

 自分一人ならどうなろうと誰にも迷惑をかけない、そのかわり誰からも文句は言わさない。手段を選ばずやりたい放題やっても自滅する時は一人。だからなんだってやれる、どんなことでもできる。自分だけなら後始末は自分でつけられる…


 でも誰かと付き合ったりしていてはその人に迷惑が及ぶかもしれない。私がやろうとしているような滅茶苦茶なやり方に彼を巻き込む事はできない…

 そもそもこんな大きな秘密を抱えていてはそんなに深い付き合いは私にはできない…と思った。


井上くんが枕元の明かりを消して、真っ暗になった後も、このままでは痛かったりするんじゃないのかなぁと思って、小声で聞いてみた。

「ごめんね…あの、やっぱり手でしてあげようか?」

「いいって。放っといたら自然とおさまるよ。」

優しい声だった。私を慰めようとするみたいに。

 この人なんでこんな私と一緒にいてくれるんだろう…と思った。




続く

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ