29 桜
(やればいいんでしょやれば)
と言う開き直った気持ちで、機械的に求めに応じていた。
(はいはい、こうすればいいんでしょ)
(はい、貴方もそうですか)ポンポンポンとシャンパンの栓を抜くようなもの…そんな綺麗なものではないけれど…
心を空にして、機械になりきろうとした。働く機械だ。腱鞘炎になりそうな手首の。持ち替えて左手でやれば良いか…
でも
「そうじゃないんだよ、そう言うことじゃないんだよ」
と私の手を止めさせたお客さんがいた。
やって欲しいと言ってきたのはそっちじゃ無いのかとムッとした。その頃の私は仕事中は心が死んだようになっていつもムッとしていた。
「夢野さんだっけ、きみ、自分の体をそんな風にガサガサやられて嬉しい?…なんか、思いやりがないよ。
『早く出ろー、早く終われーっ』って、そんな見え見えの嫌そうでたまらない顔でやられたって…痛いよ」
おじさんは悲しそうな顔をした。
「あ…痛かったですか」
私の怒りもシュンと消えた。自分も痛みには嫌な思い出が沢山ある。痛い思いをさせたくてやっているわけではない。誰も得しないことなんてやりたくない。せめてお客さんだけでも(ふぅ良かった)と思って帰ってくれるんだと思っていた。お金のために自分が犠牲になっているつもりでいた。
「その嫌そうな顔、やめてよ」
「どんな顔してますか?自分では普通にしてるつもり…」
「しかめっ面」
私は顔を上に向けイーッと口を横に伸ばし眉をギューッと上に上げてシワを伸ばした。
「笑顔でやってよ。もっと嬉しそうに」
難しすぎた。嬉しいわけがないのだし、嫌な事をしてるので嫌だなぁというのがそのままハッキリ顔に出る。
「うーん、ダメだなぁ、顔引きつってるなぁ…眉間に皺寄ってるなぁ」
でも手元だけは優しくしようというのをまず第一に心がけて、頑張った。
「夢ちゃん彼氏は?いないの?彼氏にするようにしてくれたらいいんだよ」
元彼の事を考えてみたがあの人のを触った事は無かったなぁそう言えば…と思った。
新学期が始まり、マイマイとは同じクラスになれたが井上くんとは別々のクラスに離れてしまった。
「お前達、何だその干からびた花の鉢は?ネカフェに居過ぎて頭いかれたのか?」
久しぶりに会うマイマイに朗らかに言われた。
「先生達よく考えてるよ。この子とこの子を分けたらこの子ダメになるだろうなとか、この二人は一緒にいさせたらダメになるなとか」
と午後の夙川の川縁を歩きながら井上くんが笑って言った。
始業式の日はアルバイトはお休みにしていた。
「今日一日ぐらい休んでよ。お花見に行こう」とマイマイに誘われていたから。
ポカポカ暖かくて桜が満開に咲き風に揺られて枝ごと漂い桃色の雲みたいだった。どこまでも続く川と両岸の桜がモクモクと海を越え天国までも続いていそうだ。こんな日はてんとう虫にでもなって川を流れる葉に寝転んでいつまでも空を見上げていたい…
「枯れた花にはサヨナラして捨てちまえ。二人して辛気臭い…何か怪しい宗教に嵌まったんじゃないだろうな?その鉢、何万したとか言うなよ…」
マイマイが怯えだしたので、私と井上くんは変わりばんこにずっと手にぶら下げて持っていた、アッという間に枯れてしまった名前も知らない花をあっけなくゴミ箱に捨てた。まだ一枚だけ緑色をした葉がかろうじて茎にしがみ付いていたので毎晩水をやっていたが、二人とも言い出せなかったが茎はどう見てもカラカラに干からび、水を吸い上げる力も残っていないのは明らかで、確かに毎晩の水やりは儀式めいた行為になっていた…
ゴミ箱に向かって一応手を合わせると、井上くんも真似をしてゴミ箱を拝み、マイマイがたじろいだ。
「二人とも…何かかわりのお花買ってあげようか?」
「いや、もう荷物になるからいらない」
私はスッキリして言った。
「これからいくらでも花なんかそこら中に咲くから…」
「早く部屋を借りてちゃんとした家に住め。新居祝い盛大にしてあげるから。今でいくら貯まった?」
「もうすぐ20万」
マイマイは立ち止まった。片方の眉を潜め、唇には微かな笑みを浮かべ、怪訝そうな顔をこちらに向けて振り向いた。
「じゃあもうどこか住めるでしょ?なぁ?今時ゼロゼロ物件とか初期費用無しとかもいっぱいテレビでもネットでも広告出して宣伝してるよ?あるでしょ?もう。どっか入居できるよなぁ?」
井上くんに同意を求めている。
「うん。と思う」井上くんも認めた。
「まだ…住みたいところは70万とかして…」
「お前そんな贅沢言ってる場合か?」
「考えがあるんだよ…」
「馬鹿な考えはよせよ?言ってみろ?」
「えぇ…秘密…」
マイマイは一瞬噴火しそうな顔をした。それからプンと向こうを向くと、ズンズン歩き出した。慌てて小走りで追いかける。誰も何も話さなかったので気付くのが遅れたが、マイマイは怒りでしばらくは口もきけないほどだったらしく、どんどん川上へ歩いて行ってから突然振り返り、私ではなく井上くんに向かって、冷たい声で言い放った。
「こいつの心配はもうお前だけでしろ」
それから全然私とは目も合わせてくれず、何を話しかけても返事もしてくれなくなって、石の階段を見つけると急に水辺まで降りて行き、川に四角く突き出た飛び石をポンポン渡り始めた。
何か言って引き留めなければいけないのは分かるのに、ついて行くのに必死で、後ろ姿の全身から怒りの瘴気が発散されていて、かける言葉を思い付けなかった。ただただどうしようどうしよう、なんて言って怒りを鎮めてもらおう…これは相当怒らせてしまった…どうしたら良いんだろう…と焦りながらとにかく真後ろを追いかけてついて行っていたが、突然向こう岸へ渡り着く前にマイマイがクルリとこちらを振り返り、
「お前らはあっちへ行けっ!」と追い払われてしまった。
顔が歪むほど睨まれ、立ちすくんでしまい、石の上でバランスをとりながら先へ進んで行ってしまうマイマイを見送った。
「良かったのかなぁ?追いかけられなかった…」
振り向いてすぐ後ろの石の上にバランスをとって立っている井上くんに聞いた。
「うーん…明日も学校があるから…明日謝るしかないかなぁ」
井上くんも私も悠長に考えていた。春で、花も桜も満開で、自分に都合の良いようにしか物事が見えていなかった。これまでずっと私の事を親身に真剣に心配してくれていたマイマイの気持ちを軽くあしらって踏みにじった事に気が付かないほど頭の中に花が咲いていた。
カラオケ店の入り口には誰も立っていなかった。
(今だ!)と走って行って体当たりするように扉を押し開けた。カウンターには誰もいない。急に入ってきた私に驚いてジュースを注いでいた女の人の腕の中でちっちゃな子が泣き出し、泣き声が洞窟の中のようにこだました。そちらへ歩み寄りかけると、カウンターの奥の暗闇からマミちゃんが現れた。私に目をとめてニコッと笑ってくれながらも、赤ちゃんのお母さんの方へ歩いて行って、その手から紙コップを取りオレンジジュースをコップの縁まで注いであげた。お母さんは笑いながらその場でジュースをすすって飲み、持ち運べるくらいまで量を減らしてからエレベーターに乗り込むと、マミちゃんに手を振ってチラリと私を見た。そしてドアが閉じた。
「友達?」
「久しぶり。ただの知り合い。ここによく来る人…よく来るって言っても二回会っただけだけど」
「二回会ったと思う人って本当は会うの三回目な事が多いよね」
マミちゃんは首を傾げた。本気で分からないという顔をして。
「どうしたの?何しに来たの?」
「ちょっとお金貯まったから…部屋を借りる前に…マミちゃんの意見も聞いといた方がいいかなと思って…」
「私の意見?」
マミちゃんはまた首を傾げた。
「一緒に住む?」
私の目をジッと見つめ、しばらく見つめ続けてから、突然態度が切り替わった。冷淡に言い捨てた。
「住まない。一緒になんか。」
そしてスタスタ歩いてカウンターの奥へ引っ込んでしまった。誰もいない広い空間で突き落とされたような衝撃に周りを見回しながらジッと立ち尽くして耐えた。
今度はなんで怒らせてしまったんだろう…身に覚えがなさ過ぎた。
カウンターの前まで歩いて行き、チーンとベルを鳴らしてマミちゃんを呼ぼうとした。違う人が出てきた。2メートルくらいありそうなヒョロヒョロとした縦にばかりとんがったように背の高い男の人だ。
「用が済んだら帰ってよ、って言ってますけど」
と言われた。これも悪の組織の一員かもしれないと思いすごすご引き下がり、ドアのないドア枠の穴のような暗闇の奥に目を凝らしてから、逃げるように立ち去った。
その日はcocoaに出勤した。お客さんは三人来たことを覚えている。
最初の一人は新規の若いお客さんで、どこかで顔を見た覚えがあった。互いに、ジロジロ相手の顔を見つめ、
「どこかで…」
「なんか顔に見覚えが…」と言い合った。
すぐに、同じ学校に居た先輩だった事が分かった。
もうすでに彼の方はシャワーを浴びて帰ってきて上半身は裸になってベッドに座っている状態だった。それから互いの顔にどうも見覚えがあると気付いたのだ。
「チェンジしますか?今から…できるかなぁ…」
と宮家さんを呼び出すため携帯電話を取ろうとしたが、
「いや良い。このままで」
と先輩はゴロンと寝転んでしまった。
できるだけ丁寧にマッサージして、鼠蹊部は控えめにして帰ってもらおうとした。特に何もサービスも求められなくて、サラッと何事もなく済みそうに思えた。帰り際に、玄関で靴を履き終わった先輩が、振り返ってもう一度私を見下ろすと、
「付き合おうよ」
とつっけんどんな言い方で誘ってきた。
(なぜそうなるのだ?)とビックリした。先輩の目の中にも声の中にも、こちらに向けられる全ての気配のどこにも好意が感じられなかった。全然知らない者同士でなぜ付き合うとか言う話になれるのか分からない…
「外で会ってよ」
そう言われ、それでなんとなく意図が分かってきた気がした。暗い気分に陥り始めた。多分この人は私を好きでも何でもないのだろうけど、
(思い通りに動かせるやつ見つけた)と思ったのだ。きっと…
(そうはいくか)と私は首を横に振った。
ピンポーンとチャイムの音が部屋にこだました。ピンポーン…もう一度鳴らされた。次の人が早く来過ぎているのだが、この先輩ももう帰らなければいけない時刻を過ぎている。
「また来るよ」と言ってガチャンとドアを開け、外へ出て行った。
次のお客さんは悩める遠距離恋愛中の五つ年上のふくよかなお兄さんだった。いつもマッサージを受けながら嘆いている。彼女さんに会いたくて会いたくてここに慰められに来てしまう自分が情けない…と。
初めて会った日から最初のうち私は一生懸命彼女さんのいる群馬の女子寮までの時間や旅費を聞き出して、現実的にどう節約したらもっと彼女さんに会えるのか悩みに乗ろうとしていたが、どうも何やら本気では当人が口で言ってるほどそう会いに行きたいのでもないらしく、それとも詳細に彼女の居場所を私に教えるのが嫌なのか、何か、悩みは言うけれども別に相談に乗って欲しいわけではなさそうなのでこの頃では適当にふんふんと聞き流しているだけになっていた。
今日も同じテーマで嘆きを漏らしていたが、こちらは上の空だった。自分の事の方が心配だった。
学校にバラされたらどんな処分を受けるだろう…?同級生にバラされたら?バレたくなければどうしろとか言ってくるだろうか?その時には何を要求してくるだろう?
噂では、他の学生セラピストで常連さんに通っている大学を知られてしまってとても大変な目に遭っている子がいると聞いた事があった。その子はどんな目に遭ったんだろう…
その日の最後のお客さんは新規のおじいちゃんだった。髪が見事に真っ白で、綿菓子のようにフワフワ頭に乗っかり、なんだか愛嬌のある可愛らしい話し方をする人だった…
「飲まないとね、せっかく買ってきて…これ美味しいの。柚子。滅多に売ってない。どんなのかねぇと…こんな可愛いお嬢さんがいるのにねぇ」
とおだててもらってお店の二つしかないコップにハイボールを注ぎ、片方を私の方へ両手で渡してくれた。
別にお酒を一緒に飲む事自体は珍しいことではない。時にはマッサージなど全然しないでお客さんが買って来てくれたお弁当やお菓子やお酒やお茶やを並べ、宴会をして時間を過ごす事もあった。お付き合いのちょっとのお晩酌ならいくらでもした経験がある。自分も帰り際だから、コップに注がれた分は全部ゴクゴク飲んだ。
ドロリとした眠りから目覚めると、
(…ここはどこだ?)
知らない殺風景な部屋の硬い床にいる。身体中がズキズキ痛い。薄暗く何もよく見えない。喉がカラカラだ。痛いぐらい喉が乾いている。cocoaの制服を着ている。裸足でざらつく床に膝と手をついて起き上がり、辺りを見回す。暗い床にこんもりと何か盛り上がったものが見え、そちらへソロソロ這い進んで近づいてよく見るとそれは私の3月には分厚すぎる冬物のコートとリュックと私服とブーツだった。
コートとリュックの全てのポケットにブーツの中まで手探りし、手探りし、もう一度一から手探りしたが、携帯電話は出てこない。
頭がグラングランする。部屋が時々一回転しようとしているみたいだ。両掌を床につけてその度に体を支えた。もう一度寝ようかと思った。悪夢に耐えられる気分ではない…眠れば現実の世界に起きられるかもしれない…
その時、どこかで物音が聞こえた。車のドアが閉まる音だ。ここがどこだか分かってきた…頭が冴えてきた…と思ったが、ドロッと目が閉じた。
次に目を覚ました時には男の下敷きになっていた。既に行為が始まっており高く掲げられた自分の脚の感覚が無く、フニャフニャ揺れているだけの烏賊の脚のようで可笑しかった。耳の中に鳴り響く大音響。目の前の相手の言っている事が口の中からなかなか出てこないみたいに見えた。喉に手を入れて取り出して耳に当て聞こうと思ったが両手がない。どこか別のところへ行ってしまったみたいだ。両手がない。これは大変なことではないか?しかしむしろ楽しい。跳び箱になったらしいぞ。次の男にご挨拶。その次の男もその次も…次々私の体の上をポンポン弾んで飛んでいく…ひっくり返して裏返しにされ、自分の腕と手が見えた。あったあったと思った。手に何か巻き付いている。
…それから、だんだん面白くなくなってきた。疲れて気持ち悪くなってきた。不意にまた表に向けられた。茶色い目の男が言った。
「腰を浮かせて角度を合わせろ。自分でも動かないと怪我するぞ…」
そしてまたうつ伏せにさせられ…
また眠ってしまいたい…砂のような物が背中にぶっかけられ、重たい物がズシンズシンとぶつかり続けている。砂の正体が知りたくて首を捻り振り返りたいが誰かに押さえ付けられている…
次に目を覚ますと、廊下を浮かんで漂っていた。ゆらゆら揺れているのは抱き上げられていたからだったが、屈んで真っ直ぐ真下へ下ろされた。床よりはマシな何か柔らかい物が敷かれた上へ。
辺りは静かだ。誰もいないのかと思ったら、見渡す限り女の子達がそこら中でカブトムシの幼虫みたいに丸くなってモゾモゾ寝返りを打ち眠っている。みんな素っ裸だ…ここは土の中のようだ…温かい…
また眠るのかと思ったら、ジワジワ視界がハッキリしてきた。眠った方がいい、そのまま起きない方が良い…と思ったけれどもう眠れなかった。周り中の他の子達も目覚め始めていた。そこここであくびや伸びをしたりボンヤリ起き上がり周りを見回したり、もう立ち上がってウロウロし出した子もいる。不思議な幻想的な光景だ。誰も服を着ていない。青白い羽の無い妖精たちみたいだ。一人が出口を見つけたらしく、みんながそちらへ集まって行く。眩しい光が一方向から射し、一瞬目を閉じ、手で庇を作りながら急いで彼女らの後に続いた。ロッカーと女優ライトの鏡と細々したメイク道具に埋め尽くされた更衣室に続いていた。
みんな自分の棚がどこにあるか分かっているようだ。迷いなく散って行く。ボンヤリ立ち尽くして見ていると、そばにいた子達が優しく教えてくれた。
「首に下げてるそれが貴女の番号。ほら…」
「7244…」
「あっち。奥の方…」
指差された方へ行くと、苺ミルクみたいな髪色をした童顔の人形みたいな女の子が手招きしてくれた。近づいて行くと向こうからも近づいて来てフワリと両腕を首へ回され、抱きつくのかと思った…迫ってくる瞳の縁取りは技巧的な水色の美しい人工の目玉だ…私の首からネックレスを外した。
「毎回鍵は返してね」
そう言って私の首から外した鍵でロッカーの扉を開けた。中にキチンとハンガーにかかって服も上着も吊るされていた。荷物の全てが揃っている。
携帯電話を探していた瞬間のあの牢獄みたいな床の冷たくて硬い記憶がワッと脳裏を駆け巡り、それからハッと我に返り、苺ミルクの頭を追いかけた。
「その鍵は根本さんの…私の私物ではないですか?」
「違うよ」
記憶が混濁していた。
急いで自分の棚に引き返し筆箱の底から鍵を見つけた。
(良かった…これを無くすわけにはいかない…)
屈んだ膝の上から鞄を棚の中へ戻した時、今度はお腹に模様が描かれているのにハッと気が付いて、背伸びをしてロッカーの扉の少し高い位置にある鏡に背中を写してみようとしていると、ちょんちょんと腕をつつかれた。
「お風呂あっちだよ」
近くの棚を使っていた子が教えてくれた。
濡れた女の子たちが向かってくる方へと逆流し、銭湯みたいな浴室を見付けた。中は湯気ばかり…もう中に誰もいない…
(みんな帰ってしまう…一番最後にはなりたくない…でもシャワーは浴びたい…!)
振り返り、鏡の前の椅子に座って長い髪を乾かしながらドライヤーの音に負けない声でお喋りしようとしているおっとりした一団を目にとめた。大急ぎでシャワーを浴びる事にした。何プッシュも押してボディソープを身体中に擦りつけ、股は特に必死に洗い、頭から強い水流で一気に滑りを落とし、ブルブル犬のように頭を振って、慌てて浴室から飛び出してキョロキョロ周りを確かめた。まだ女の子達は鏡の前にいた。
(良かった、髪が短くて)
タオルは目に付きやすい正面の壁に積み上げて置いてあった。桜の香りの柔軟剤だ…体を拭きながら自分の棚に戻り、服を身に付け、荷物を持ち、みんながいる鏡のところへ大急ぎで引き返して来た。だが、今さっきまでいたあんなに賑やかに喋っていた女の子達は誰もいない。走り回って探したがどこにも一人もいない。
みんなどこへ行っちゃったんだろう…シンとしている…どこかで車のドアが閉まる音がした…
ハッと目を覚ますと、介護するみたいに腕を持ち上げられて男の肩に回され、硬い床から体が浮かんだ。頭がジンジンする。目も染みて痛い。何が起こっているのかチンプンカンプンだ…もうなるようにしかならない…
柔らかい場所へ下ろされ、誰かが私の上に乗り、それは全然誰だか知らない人だけれど男だということだけは間違いがなく、私の体の上で暴れ回り、ピシャピシャ叩き、つまらなそうに何か文句を言いながら降りて行った。お腹の中に出口のないトンネルが何本も何本も穿たれたみたいな気がする。
グッタリとして、腰を持ち上げて向きを合わせるとかそんな事はできなかった。もうそんな力が残っていない。水をゴクゴク飲んだ。誰かが持って来た。
何日も起きている気がし、同時にずっと寝ていた気もする。ここはどこなんだ…何日ここにいる…?もうどうでも良いことか…?今は何時なんだろう…
駅前で車から降ろされた。
「すぐに轢かれるなよ」
と多分お喋りな男が言った。ネットカフェに帰れると言う事しか頭に浮かばなかった。
続く




