連行
初等学校から帰ってきた僕を顔を真っ赤にした父が待っていた。僕は肌身離さず持ち歩く大好きな冒険小説も置く隙がなかった。
「おい!なんでピアノを勝手に辞めたんだ!お前がやりたいって言ったんだろ!」
髭が生えてない頃の父が僕を怒鳴りつける。
「一度やり始めたら極めないとダメだろ!」
やり始めたらやり切れ。一つのことを極めろ。途中で辞めるな。父はこれらの言葉が大好きだった。
「自分で立てた目標は有言実行しろ!」
正確には僕がピアノを習いたいと言ったときに父が目標を決めさせたんだ。僕はただピアノが楽しそうと思っただけだったのに。不当に高い目標を立てさせられ習い始めてもプレッシャーをかけられ続けた。
ピアノは楽しくなかった。
母は叱られる僕を黙って見てる。悪いのは僕か。
それどころか
「カイト、皿は洗ってないよ?」
火に油を注ぐのが母だ。それを聞いた父はまた烈火の如く怒る。
「はぁ!?」
顔を真っ赤にした父がドスドスと足音を鳴らして近づいてくる。僕は縮み上がるしかない。
拳が飛んでくる。顔を頬から打ち抜かれる。衝撃と痛みで涙が出る。痛い。
「お前が皿洗いをやると自分で言ったじゃないか!?自分で言ったからにはやれよ!」
殴られた拍子に両手で握りしめてた大好きな冒険小説が床に音を立てて落ちた。
沈黙。父が僕の本を凝視する。そしてゆっくりと拾い上げページをペラペラとめくり読む。
幼い僕は父が僕の大好きな小説を見て機嫌が良くなるかもしれないと思った。僕の好きな本を父にも分かって欲しいと思っていた。好きなことを父と共有したいと思っていた。
でもそんな思いは粉々に打ち砕かれた。
「なんだこのつまらない本は。」
その日一番の衝撃だった。勝手に習い事を辞めたことで怒られたことよりもよっぽどショックだった。
「とても幼稚な内容だ。つまらないし、平凡だ。なんでこんな本を持ってるんだ?こんな本を読んでるからお前はダメになるんじゃないか?」
涙が止まらない。僕は耐えきれずその場を逃げて部屋に篭った。
自分の好きな物をコテンパンにこき下ろされるとなんだか自分のことのように深く傷ついた。
その日から僕は学習した。暗い部屋のベッドの上で。
自分の考えを口に出すことの恐ろしさを。
自分の目標や考えを口に出せば一貫性を求められプレッシャーをかけられる。
そして自分の好きなことや、やりたいことを口にして心ない人に知られれば大きく傷つくことになる。
リスクに見合った行動じゃない。
決して自分の意思を口にしてはいけない。口にしていいことなんてないんだ。
僕は心に誓った。
硬いベッドの上で目が覚める。懐かしい夢を見た。あの日以来自分の意思を口に出すことが怖くて仕方なくなったんだ。
狭くてボロい部屋の窓をなんの気無しに見下ろす。確か南のマセロア共和国に入国できて、ここは国境付近の小さな街だった気がする。
安かったからここにしたんだ。
寝ぼけながらそんなことを考える。
するとなんとなく3階の窓から裏路地を見下ろしているとまだ朝日も昇らない時間にも関わらず声が聞こえてきた。女と男の声だ。
どうも暗がりから聞こえてくる。
なんだか嫌な予感がした僕は窓から飛び降りた。
「おい女!オメェ首にいいもんつけてんじゃねぇか!大人しくそいつをよこしな!」
暗い路地裏で身汚い男が二人女に詰め寄る。朝の早朝、街に人の気配はない。
女は一見平凡だがよく見ると透き通るような肌に整った顔立ちをしていた。茶色い髪を後ろに一括りにまとめて地味で一般的な服装をしている。しかし、服には不釣り合いな宝石のネックレスを首にかけている。
その不自然な女は不自然なまでに落ち着いていた。
「おい!何やってるお前たち!」
そんな今にも女が襲われそうな時に僕は声を上げた。
男二人は驚いて振り返り忌々しそうに僕を睨みつける。
「ちっ!なんだテメェ!殺されたくないなら坊ちゃんは大人しく帰っ!」
ドカッ!
先手必勝。話すのが面倒になった僕は途中で殴りつけた。
最近、魔力を体に込めた状態で手加減できるようになったんだ。訓練の嬉しい成果だ。
「な、何すんだ!野郎!ぶっ殺してやる!!」
殴らなかった方の男が右手を突き出し魔術を展開する。そっから放たれたのは高速で高音の炎だった。
一瞬で空気の温度が上昇し僕は炎に包まれた。
ただの汚いおっさんかと思ったが存外にやるな。
確かな手応えに安心してた男は炎の中から無傷の僕が出てきたことに無防備に驚いた。
そんな隙を見逃さずに顔面に拳をお見舞いしてやる。もちろん手加減したさ。
ふぅ、一息つく。いつのまにか太陽が顔を出していた。すると女が僕のことをじっと見つめていることに気づく。何やら言いたげな様子だった。
助けた僕が言うのもなんだが不気味な女だな。
そんなことを考えていると騒ぎを聞きつけた護憲隊が6人くらい騒がしくやってきた。
「おい!なんの騒ぎだ!」
「いやこの人が襲われていたから助けたんですよ。」
僕はすかさず状況説明をする。するとそんな僕を見て護憲隊のリーダーらしき大柄の男が僕を睨みつけて言う。
「あぁ?本当か?お前、王国の人間だろ。この国に何しにきたんだ?」
何しにきたか。剣について学びにきたんだ。でもそんなことは言いたくない。言うのが怖い。
「この国にいる友人に会いにきたんだ。病気になったと聞いてね。」
咄嗟に思いついたことを言う。
沈黙が走る。
他5人の護憲隊員も僕へ強い疑念の視線を向けている。
「とりあえず署まで来てもらおうか。」
リーダー格の男が口を開く。
この国で問題を起こすと剣どころじゃなくなるかもな。
ここは大人しく従っておくか。
「分かった。」
こうして僕は地獄への一歩を知らず知らずのうちに踏み出していた。