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 高級住宅街、通称ガーデナーズ。

 その一角に、ヴァイオレットの屋敷はあった。

 ヴァイオレットは二階にある自室で、窓辺に座り、額をガラスにくっ付けて外を眺めていた。花々が咲き誇る広大な庭が月明かりの下に広がっている。美しい光景だ。だが、ヴァイオレットの心を癒しはしなかった。

 広くなくていい。花もなくていい。大きなトネリコに守られた、小さな箱庭。かけがえのないあの場所が、そこにやってくるあの人が、恋しい――

 一週間と三日前、あの場所に行けなかった金曜日。

 アレクと会っていたことが学校にバレたのだ。どこから漏れたのかわからない。けれど何故か探り当てられて、お説教されて、家に報告されて、それで行けなかったのだ。

 本当はその次の日も、行くなと言われていた。

 でもヴァイオレットは行ってしまった。そして――

 ――抱き締められた時の心臓の高鳴りを思い出して、ヴァイオレットは頬を染めた。ああ、何度思い出しても、あの時の温もりと幸せは色褪せない。彼の胸の中は、お日様のような匂いがした。記憶はずっとずっと鮮明なまま、この胸の中にある。


「……アレク……」


 結局一度も、彼の名前を呼ぶことはなかった。こんなことになるなら、もっとたくさん呼んでおけばよかった。

 いったいいつから、彼の存在は私の中で、こんなに大きくなっていたのだろう?

 犬と一緒に飛び込んできたあの日。

 なんて失礼な人なんだろうと思ったけれど、でも彼は本当に真摯に謝ってくれて。

 労働者階級とは関わるなと言われていたけれど、でも彼は話に聞いていたような乱暴な人ではなくて。

 本当に、優しくて、明るくて、温かい人だった。

 ヴァイオレットは鼻を啜って、こみ上げてきた涙を指先で掬い取った。

 ――彼は、あの伝言の意味に気付くだろうか。

 学校を出ていく直前。制服を着ているのに明らかに生徒とは違う雰囲気の女の子が乗り込んできて、アレクのことを教えてくれたのだ。先週の月曜日、ヴァイオレットのしたことに激怒した親が、勝手に婚約者を決めてしまって。その婚約者が『彼が今日来たなら婚約を取り下げるよう頼んでもいい。来なかったら諦めてくれ』なんて言ってきて。ヴァイオレットはそれに乗ったのだ。アレクなら絶対に来る、と、そう信じていたから。

 なのに、彼は来なかった。

 絶望して三日三晩泣いた。それを慰めにくる婚約者の勝ち誇った微笑が、この世の何よりも憎らしく思えた。――そこにビンタしてやれない、自分の臆病さに、嫌気がさした。

 けれど、あとからあの子が、その時の真相を教えてくれて。


『それはアレね。その婚約者とやらの差し金ね。間違いないわ』


 彼女曰く、“地元の悪ガキ集団”にアレクは散々殴られていたのだという。そのせいであの場所に行けなかったのだ、と。


『捨てるならちゃんと捨ててよね! アレクは馬鹿な犬みたいなもんなのよ! 捨てられたんだ、ってわかるまで言い聞かせないと、一生次の飼い主を探せない人なんだから!』


 勝気な感じの彼女の言葉が、ひどく失礼なんだけれどなんだか面白くて、思わず笑ってしまって睨まれた。よく見てるのね、と言ったら、当然でしょ、と返されて。その時の彼女のそっぽを向いた頬の、わずかに赤くなっているのが、秘めた想いを大きな声で代弁していた。

 ――彼が気が付かなかったら、諦める。

 ――ハッキリと捨てる。

 ――……大丈夫。次の飼い主(・・・・・)はすぐに見つかって、アレクは幸せになれる。

 そう思った瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。

 ヴァイオレットは目を瞑って、ガラスに額を押し当てた。夜の冷たい空気がガラス越しに伝わってきて、頭がしんと冷えていく。

 ――……お願い、気付いて……。


「っ!」


 ヴァイオレットはパッと顔を上げた。ガラスが外からコンコン、と叩かれたのだ。

 窓にしがみついている影がある。月明かりを背負って、その顔は見えない。けれどヴァイオレットにはすぐにわかった。


「アレク……っ!」


 ヴァイオレットは即座に窓を開けた。




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