かわいいの一言が言えない訳で
カーテンを引いて、声をかける。
「着替え終わったけれど……」
「はーい、ちょっと待って」
ピアニーは今、服飾店にいる。数ヶ月に渡る、しかも野宿続きのハードな旅。時々街に寄ることがあれば、衣類や食糧を買い出す。道具類なら錬金術で修繕できるが、布の劣化まではなかなかカバーしきれない。
下着類は選び終わって──といっても、レイピアを持って前線で戦うピアニーはサラシを数枚買うだけだし、屋敷で暮らしていた時ほど楽しいものではない。
ピアニーが旅の仲間の女性に勧められて試着していたのは、水色のワンピース。平民風のシンプルなものであるが、思ったよりデコルテが強調されているし、そもそも膝丈のスカートなんて旅に向かない。それでも試着したのは、久しぶりに女の子らしい格好をしたくなったからだ。
「ああ、お似合いです。まるでどこかのご令嬢みたいですよ」
先に顔を出した店員がにこにこと褒めてくれる。
続いて現れた連れの女性は満足げに頷いた。
「ああ、いいんじゃない。今日はそれで過ごしたら」
「まあリンドウ。……そうね、あなたとお揃いならいいわよ」
彼女はラズの叔母にあたるが、歳は従兄弟の一つ上で、まだまだ若い。錬金術師であり、優秀な薬師。薬の材料を見つけると興奮し、調剤中は没頭して周りの音が入らなくなる。普段から面倒ごとを嫌い、愛想がそれほど良い訳ではないが、役割をきっちり果たす真面目さは持っている。甥であるラズのことが心配だし、薬の材料探しもしたい、というのが旅に同行している理由なのだそうだ。
ピアニーとしては、彼女ほど優秀な人は今後のためにもしっかり味方につけておきたいところだ。彼女は色恋を忌避するタイプのようだから、彼女の前では甥のラズに対してあまり親密な態度を見せないようにしないといけない。それから、同性であっても一線を引いて仲良くなりすぎないようにしているきらいがあるから、距離を測りつつも仲良くなるチャンスを逃さない、ということを心掛けている。
誘われたリンドウはまあいいか、と困ったように笑って、店員が持ってきた同じデザインのベージュのワンピースを手に取った。
と、そんな彼女の後ろから、ひょこ、と一人の少年が顔を出した。短い黒髪を今は焦げ茶に染めていて、黒い瞳の凛々しさが一層印象強い。
「ラズ、そっちは買い物が終わったの?」
「あ、うん」
彼……ラズはピアニーの格好を見ても特に反応を示さない。まあ、初めて会った時はスカートだったし、旅に出る前も普段はそうだったから、こっちの格好の方が普通に見えるのかもしれない。
「あんた、女の子が着替えたら言うことあるでしょ」
リンドウが呆れたようにその頭を小突き、ラズは口をへの字にした。
「は? 何の話かちっとも分かんないんだけど。リン姉も着替えるならさっさと行ってくれば」
「はいはい。生意気になったんだから」
叔母を試着室に押し込んでから、ラズはピアニーの方を振り返った。
低いクリアな声で呟く。
「……その格好」
ピアニーはドキリとした。もしかして、さっきのはわざわざ二人きりになりたくて? 何を言うつもりで……
「シャルには見せない方がいいよ」
「──それだけ?」
ピアニーは口を尖らせた。──期待させておいて。
シャル……それはここにはいない旅の仲間の愛称だ。好色で、ピアニーの身体を凹凸がないだのと馬鹿にしてくる青年。
そういえば、今はワンピースを着るためにサラシを外しているから、いつもより女性らしい体つきに見えるかもしれない。それをあの青年に見せるなというのは、もしかして、嫉妬している? いや、ラズに限ってそれはないだろう。単に心配してくれているだけ。──のはず。
「このフリル、可愛くない?」
「え、あ……。うん、多分?」
多分?
いや、それより……なんで、初めて気がついた、というような反応。今までどこを見てたのかしら。つっこんでみたいけど流石に勇気がない。実は、ラズも男の子なんだと思うとなんだか怖いのだ。彼に抱く気持ちに具体的なアレソレが含まれないなんて変な話だが、どうしても想像ができない。
「……もういいわよ」
ぷい、と顔を背けて下ろしていた髪を括り直す。
「それ、こないだの髪飾り?」
「ええ、汚したくなかったから付けていなかったけれど」
「普段使いしてくれないとあげた甲斐ないんだけど」
群青のシュシュでツインテールにすると、彼は嬉しそうに破顔した。ここに来てから何故かムスッとしていた彼が見せた初めての笑顔。
着替え終わったリンドウがカーテンを開ける音が聞こえた。ラズは明るい表情で叔母を出迎える。
「あ、いいじゃんリン姉。こっちの帽子被るのは?」
「はぁ? あんた相変わらずセンスないね」
「えー、色はおんなじなのに」
「これだから……」
わいわいと仲睦まじい叔母甥である。リンドウが笑いながらピアニーの方を振り向いた。
「あれ、珍しい髪飾りだね、そんなの置いてた?」
「これは……」
ちら、とラズを見る。彼はリンドウに気付かれないように、しい、と指を唇に当てた。仲がいいことを知られたくないのは、ピアニーだけではないらしい。
ピアニーのことはちっとも褒めてくれなかったけれど、それはもしかするとただの照れ隠しだったのではないだろうか。できればそうであって欲しい。
「……持っていた端切れで作ったの」
ピアニーは答えて、ふふ、と口元を綻ばせた。