ピンチは自分の力で切り抜けるもの!だけど本当は
本編第140部分『領の動乱(5)』では語られなかった、ピアニーの貞操の危機(ノーカット版)です。
強姦未遂の描写(※R15)がありますので、苦手な方はご注意ください。
朝の光が届かない細い路地。前を歩く幼馴染に、ピアニーは声をかけた。
「青年団の緊急召集、かけてくれてありがとう」
前を歩く幼馴染が振り返って笑った。意思の強そうな太い眉、背丈はピアニーより頭ひとつ分高い。
「こんな時なんだ。皆浮き足立ってる。会合を急かす声の方が多かったぜ」
「皆が、自分の街を守る心をしっかり持っているのはいいことだわ──」
そう。今は非常事態。領を二分する貴族家であるピアニーの生家と領主家が、一触即発の睨み合いをしているのだ。
いろいろあって身を隠しているため、今のピアニーはいつものお嬢様風のワンピースではなす、街の少年みたいな格好をしている。長い茶色の髪は高い位置でだんごにして帽子の中に隠し、大きな瞳は眼鏡でごまかしている。
話している間に、建物に隠れるように作られた、小さな広場にたどり着いた。階段のような段差があって、ちょっとした集会所の雰囲気だ。
まだ、誰もいない。
大股に段差を越えながら、幼馴染が世間話を続けている。
「そういや昨日の夜、またあいつに会ったぜ。西区の探索をしてた」
「そう……」
ピアニーは生返事をした。
『あいつ』とはおそらく、<錬金術師の少年>のことだろう。昨日別れ際、かなり疲れた様子だったが、その後も何か動いていたらしい。……身体は大丈夫なのだろうか。
考え込んで歩調が緩んだのを訝しんだのか、幼馴染は振り向いて首を傾げた。少し背中を丸めて、覗き込むような姿勢をとる。
「どうしたんだ?」
「──っ!!!」
近い!!
びくっとして反射的に身を引いてしまった。
彼は驚いて目を丸くする。ちょっと傷ついた様子で、愛称を口にした。
「えっ、ピア?」
「な、なんでもないわ」
ため息をついて、呆気にとられたままの彼からそそくさと距離をとり、足早に階段を登る。彼が驚くのも仕方ない。普段から男の人たちに紛れて武道を嗜んでいるピアニーは、いつもはこれくらいの距離、なんでもないのだから。
階段の一番上にすとん、と座って、思い出したように身震いする。
(……怖い……? 幼馴染の男の子のことが? 昨日、あんなことがあったから……?)
『あんなこと』とは──昨日の夕方の話だ。
忘れようとしても頭から離れてくれない、身の毛のよだつようなあの出来事。
†
†
ピアニーの父……ディーズリー侯爵の政敵である男爵家、その別荘の一室に、母親とともに軟禁されてから数時間後のこと。
母が休んでいる間に尋ねてきた男爵家の次男……ピアニーの婚約者は、己との婚儀を直ちに取り行えと迫ってきた。彼の書類にサインをすれば最後、父侯爵とピアニーを暗殺して、侯爵家の地位を乗っ取ろうとする魂胆が見え見えだった。
それを拒否したピアニーに激昂した婚約者は、側に控えていた侍女に、あろうことかピアニーを取り押さえるように指示を出したのだ。
彼は、にたりと笑った。
ピアニーは顔を歪める。
一回り年上、服の上からでも分かるたるんだお腹。生理的に嫌いで嫌いで、仕方ない相手──その顔をきっと睨め上げた。
しかし、婚約者は余裕の態度を崩さない。
「抵抗するならば、ご夫人にも報いを受けていただくからね?」
「……っ」
それでも、はい分かりましたとじっとしていれば状況は悪くなるばかりだ。
「離して──離しなさいっ」
「!!」
ピアニーは身を捩って侍女たちの腕から抜け出した。武術の心得のない侍女たちは怯んで反応が鈍い。
ぱっと距離をとり窓を背にして、婚約者を睨む。
「腕づくだなんて、あんまりではなくて?」
「そりゃあだって、楽しみにしてたんだ。君が手に入るのを。……大丈夫。君もそれを知れば、僕の妻であることを喜んで受け入れられるから」
「……え」
彼は再び、にへら、と笑う。その笑みに、背筋がぞっとした。
「……私は望んでいません」
「君の意思なんて関係ないんだよ」
婚約者が一歩前に出る。逃げ場がない。ピアニーは身が竦むのを感じた。
(一体、何を……)
何を、するつもりなのか。サインをするまで、殴って脅す……? いや、きっと、それよりも、ひどいこと。
本能が、嫌だと叫んだ。
──くら
急に、──目眩がして、よろめく。
「!?」
ふらついたところを再び侍女の細い手に掴まれる。
「何……」
「ようやく、効いてきたね」
婚約者が近づいてくる。逃げたいのに、身体が浮いたようにふわふわして覚束ない。
太い腕で顎を掴まれる。
「特別な香なんだ……数時間も吸えば、まともな思考ができなくなる。しかし、これからすることには、うってつけだよ」
「やめ……やめて────、っ!」
引き摺られるように広いソファに投げ出され、息が詰まった。彼は片腕でピアニーの腕を掴み、スカートの上に膝を立てる。──背中の痛みよりも、動けない重みの方に恐怖した。
婚約者は、肥えた頬をニヤつかせる。興奮したような荒い息が顔にかかった。逃げるように顔をそらすと、首筋に口元を近づけてくる。ぞろり、と肌の上を舌が這う感触。
「…………っ」
次いで、自由な方の手で腰の布を緩められるのを感じた。肩の布が簡単に二の腕に落ちる。まだ豊かとは言えない胸元に、太い指が触れた。
「いや……ぁ……」
這い回る手が気持ち悪い。こんな風に触れられるのは、初めてだ。──嫌でたまらないのに、体に力が入らない。
彼は馬乗りのまま、にたっと笑った。
「くっ……」
一瞬自由になった両腕で、押し返そうとしたが、まるでびくともしなかった。視界の端に、さっきまで壁際にいた侍女が映る。彼の下半身から衣類を一枚取り除き、下着の上から股を揉みしだいている。その巨大なものを目にして、自然に涙が浮かんだ。──気持ち悪い。
(誰か……、助けて!)
婚約者の大きな手がスカートの中に入ってきた。すす、と太ももをなぞられて、またゾッとする。蹴り上げたいのに、足が動かない。
「ああ、こんなところに短剣なんて持っていたのかい? 危ないなあ」
────!
カラン、と床に落ちる剣の音が、意識を叩いた。──そうだ、剣。
(私は、ピアニー……いえ、フレイピアラ=ディーズリー……! こんな男に屈するなんて、絶対に、嫌!!!)
大きく息を吸う。気味の悪い香りの香。これの、せいで。
思い出せ──あの子が教えてくれたのだ……その超常の力の使い方を。
(『錬金術の基本は──<理解>』)
そして、どうしたいか、イメージする。
(私の身体から……、出て、行きなさい!!)
ざわっ、と全身を焼き切るような熱さが走り抜けた。そして──、しん、と身体の髄から冷えきっていく。
もう一度息を吸って手を緩く開閉する。──震えが、収まっている。喉から、静かで、冷たい声が漏れた。
「──その、下賤な手をどけなさい」
しかし彼はこちらを見ようとしない。さっきから邪魔なリボンの紐を緩めようと手を動かしている。
「ははは……何だね」
うわ言のような声。
きっ、とその顔を睨んで、もう一度、今度は叫んだ。
「どけろと、言っているの!」
渾身の力を込めて、ピアニーは組み敷く男の急所を蹴り上げた。
「ぐぇっ!?」
ヒキガエルのような悲鳴をあげて仰け反った隙に、ソファから滑り降りてはだけた衣類を手繰る。
「はぁっ、はあっ……」
彼はひとしきり悶絶した後、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「このっ……! 私を舐めるなよ……!」
どしんどしんと近づいてくる彼に対して、声を張り上げる。
「止まりなさい! これ以上恥を晒すつもりなら──」
「なら!? どうするというのかね!?」
「──根性を、叩き直して差し上げます」
「?!」
伸びてきた腕を片手で掴んで引き寄せ、もう片方の手で前傾になった脇に掌底を打つ。バランスを崩した脇腹に当て身を食らわせ、重みを利用して投げ飛ばした。
どしん!!
「がっ……!」
逆さになったまま、信じられないように目を白黒させる彼を見下ろして、ピアニーは毅然と言い放つ。
「私を妻にしても、家格を奪うことなどできません」
「……は」
「それに、もはや父の配下はあなたのものにはなりません」
「……何だって」
──何を惚けた顔をしているんだろう。
この領には、侯爵家が二つ存在する。本国から見て僻地たるこの土地に、強大な勢力が生まれないため、わざと潰し合うように仕組まれた、二つの家。
「憲兵隊は投獄されたお父様を助けるために決起して、領主の軍と正面から衝突するでしょう。だって、その為に二分された勢力なんですから」
「き、君たちが人質としてここにいる限り、憲兵隊は動けない」
「ええ。それはつまり、憲兵隊の最初の狙いはここ、ということになりますね」
さあっと彼の顔が青ざめる。
「私は、彼らを信じることにしました。だから、あなた方には、断じて屈しません!」
「なっ……なっ……!」
彼は、口をパクパクさせてへたり込んだ。
戦意がなくなったことを確認してから小さくため息をつく。
不意に、窓の方から声がした。
少し掠れた、低い声。
「助けは要らなかった……のかな」
振り返る。
開け放された窓の側に、一人の少年が立っていた。フードを深く被って犬の面で目元を隠しているが、間違えたりしない。彼だ。──来て、くれたなんて。
僅かな安堵を感じた途端、必死に押さえ込んでいた恐怖が蘇り、声が震えた。
「いいえっ、いいえ……。とても、嬉しいわ」
かくん、と膝が折れる。
「だ、大丈夫?!」
慌てて彼が駆け寄ってくる。背中に優しく手を回され、不覚にも涙が溢れそうになった。
「遅くなって、ごめん」
申し訳なさそうな声に、ふるふると、頭を振る。
少年の胸に額を預けると、その力強い鼓動が聞こえた。
「少ししたらいつも通りになるから……もう少しだけ」
──もう少しだけ。彼の温もりを感じていたい。
†
†
思い出すと、まだ、身体が恐怖に震える。その記憶に、彼の存在があって、本当に救われた。
(だけど! 今は、それどころではないわ)
街の青年団のメンバーがまばらに集まってきている。しゃきっとしなければ。
きっと、あの少年も、今日夕方に予定している大きな役割をこなすために頑張っている。
深呼吸して、ピアニーは立ち上がった。