手紙は顔が見えない分ときめきやすい
遠方に行ってしまった友人から手紙が届いた。
正しくは、その友人は文字が不得手なので、別人の代筆だった。その中身は、雇い主でもあるピアニーへの状況報告。……なのだが。
「…………」
自室に戻ってから、なんとなく封を開けられずにいる。
「ピアニー様、お茶をお持ちしました」
「ありがとう、ティーヤ」
侍女に丁寧に礼を言って、深く椅子に腰掛け一息つく。
──良家の子女たるもの、いついかなる時も優雅に冷静に、だ。しかし実のところ、小躍りしそうなくらいうきうきしてしまっている。
(だめ、期待しない、期待しない……!)
問題はこの手紙を代筆したのが誰か、ということだ。使者の話によると、それは『彼』だというではないか。
ピアニーは気持ちを押さえつけるようにため息をついた。
しかしこうして睨めっこをしていても仕方ないので、どきどきしながらその封を開ける。
(……楽しそうな字)
丁寧とは程遠い筆致だが読みやすい。地図を描くのが得意な彼らしく、紙面全体のバランスも整っている。
挨拶から始まり、かしこで締めくくられた文体はアイビス……友人の指示ではないだろう。
内容は至って普通で、要するに友人アイビスは息災だとただそれだけだ。
(この紙……きっと彼のお手製ね)
この地方だと羊皮紙が主流であるのに、これは彼の故郷である東方にしかないはずの草木から作られた紙だ。
ピアニー自身も少し使えるが、彼は錬金術という特殊な力に秀でているので、こういったものを作るのは朝飯前なのだろう。
飾り気のないただ白い紙。しかし、それを見慣れない者にとっては美しく感じる。そしてほのかに花の香りがする。
封蠟の飾りは鳥。これは彼らが今いる土地の象徴だろうか。
彼がこんな洒落たことをするとは思わなかったが、以前見せてくれた宝石細工を作るのも上手かったし、もともとセンスがいいのかもしれない。
(個人的な言伝はなにもなし……ね)
彼自身とも親しい友人だと思っていたのだが。別れ際に冗談で『ずっと側にいて欲しい』などと言ってしまったのが悪かったのだろうか。
裏表確かめて自嘲気味に微笑みながら、その紙をランプの光にかざし、ピアニーははたと気がついた。
(香水……で、文字が書かれている?)
手紙に対して錬金術を使い、そのわずかな痕跡をなぞってみる。
これは火などで文字が浮き出る類でもない。錬金術を使わなければ読めなかっただろう。
(『あと2週間したら、使節としてそっちに行く予定』…………)
それは、再会の予告だった。
(私が気付かなかったらどうするつもりだったのかしら)
しかし『隣国』の使節として正式にこの城下町を訪れるという話を、貴族とはいえ役もまだ頂いていないピアニーがそれを事前に知っていようといまいと影響はない。
(試したのかしら…………でも、そんな人じゃないし)
ピアニーは顔に手を当てた。触れた頬が熱い。
──彼の性格からいって、それはお茶目ないたずらか、あとはおそらく……照れ隠し。
いずれにしても、ピアニーだけに伝わるようにこっそりと認めてくれたのは間違いなくて、それがどうしようもなくむず痒かった。
手紙を胸にあてると、すん、と花の香りに包まれる。
(嬉しい……)
彼が、誠実と素直という言葉が似合う態度の裏で、色々なものを背負い込み、それをピアニーには隠していることには、なんとなく気づいている。
──たぶん、似た者同士だから。
(今だけは……)
──この気持ちが実を結ぶことはなくても、少しばかり想いに浸る時間があることを、無理に我慢するのはやめよう。
最近はそう思うようになっていた。
──あと一ヶ月に迫った望まない婚儀、婚約破棄のための策略は大詰め。いつも通りのように振る舞っていても、気持ちは張り詰めて苦しい。少しくらい、こんなことくらい、自分に甘くても。
ピアニーは手紙を丁寧に畳んで、名残を惜しみつつ、静かにそれを暖炉に焚べた。
† † †
くしゅん!
「…………風邪……じゃないよな」
「噂ってヤツかなあ」
怪訝な顔の親友に笑い返して、ラズは寝転んでいる愛馬の腹にもたれかかった。
──そろそろ手紙が届いたろうか。
気を遣い過ぎて、変に思われたりしていないか少し心配だ。
ラズに代筆を頼んだ当人には、本当に個人的なメッセージを入れないのかと呆れられたが、彼や使者の目の前でそれを書くのはなんとなく躊躇われた。それで結局、こっそりと錬金術で言葉を綴ったのだった。
思いつきでその場にあった香水を使ったときには、もうそこまでくるとタラシの才能があるとか言われてしまった。遥か東方の故郷の習慣などと咄嗟についた嘘が、隣の郷に移り住んでいる叔母の耳に入らないことを願いたい。
(気付くかな)
気付かなければ、それはそれで会ったときの話のネタになるから構わないが。
(くっそー、皆して…………。まるでラブレターでも送ったみたいに……!)
そんなつもりは一切ないのだ、と強調しておく。
これで彼女に会った時に、周りに冷やかされないためにわざと素っ気ない態度をとってしまったらどうしてくれる。
(うわ、思春期の男子あるあるじゃんか……)
思い至って口の端で笑ってしまう。その顔を見て、親友がぷっと吹き出した。
「何の思い出し笑いだ? それは」
「いや、自嘲。ファナが羨ましいよ」
「珍しい発言だな」
「数日前に、ピアニーに手紙を送ったんだけどさ、きっちりやろうとしたらやり過ぎたみたいで」
「ああ……なるほど」
その親友、ファナはくすりと笑った。
「皆、君の恋愛話に興味津々だから、鬱陶しいんだな。私も勘違いで冷やかされることが多いからよく分かるよ。ちなみにソリティは私とラズがそういう仲になると良いとか妄想してるらしい……」
「えっ──……」
ファナは中性的な美形だし、性別不詳にしているから、男にも女にもそういうことがあるらしい。
ラズは驚きつつも、さらに質問してみた。
「そういう風に言われるとさ、次仲良くできる自信がなくなったり、しない?」
「しない。一対一の関係に、周りの思惑を気にすることはないよ」
「おおー。やっぱ大人だなぁ、ファナは」
……という訳で、ラズはピアニーに対して親しい態度をやめないでおこう、と改めて誓う訳だが、そのいたいけな友愛が彼女をさらにやきもきさせることにはまだ気づいていなかった。