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イライラも一回ブチキレればすっきりするもの

本編にて二人が喧嘩したエピソードをもう少し掘り下げています。


男の子が獣姦未遂される表現があるので苦手な方はご注意ください。

 (へそ)の高さのワークトップに並ぶのは、砂糖、小麦粉、バター、卵。お菓子の材料である。お菓子作りは剣術に勝る趣味なのだが……今はとてもお菓子を作ろうなどという気分ではなかった。昨日食材を買ったときは、気分転換になるかなと思っていたのに。

 ここにあるものはどれもピアニーの出身地である西の乾燥地域では手に入りにくい食材だ。今いる温暖地域においても高級な食材に分類される。しかしレシピを聞いて、試さずにはいられなかったのだ。運良く縁のあった商人から護衛の謝礼としてまとまったお金をもらえたので、さっそく市場で買ってきた。


(ラズと……お茶が、できたら良かったのに)


 昨日から、まともに口を聞いていない、黒髪の少年のことを考えなら、ゆっくりと、バターと砂糖をこね合わせる。

 元はといえば完全にピアニーが悪い。

 子どもの喧嘩レベルの話ならまだ良かったのだが……ピアニーはラズの理想を挫くような裏切りをした、と彼は感じているだろう。昨日のやりとりでは、ピアニーはいつも親しい演技をしてラズのことを騙している……そう疑っているようだった。

 謝っても逆効果、心を入れ替えて手助けするような姿勢を見せたところで、信じてもらえないかもしれない。──考えるほど気落ちする。


 彼はいつも、簡単なお菓子でも喜んで食べてくれた。

 だからお茶に誘って、ゆっくり話せば彼の憤りも少しは収まるのではないだろうか。……そんな、淡い期待を抱きながら、お菓子の材料を買い回った。

 けれど彼……ラズはあろうことか、ちょうど今朝、どこかへ行方をくらませてしまった。しかも、竜とかいう巨大な怪物の大顎に咥えられて。


(まさか! そんなことって、ある?)


 諸状況を加味して考えればおそらく、無事だと思う。

 でも、次いつ会えるかは分からない。

 探しに行くにしても、どこに行けばいいのだろうか。竜の住処は北の山地だというがその広さは国一つ余裕で収まってしまうくらいもあるのだ。

 都を駆けずり回って聞き込みをしてどうかなるものでもない。情報収集は得意な者に依頼してある。なら、ピアニーがすべきことは、考えることだ。なぜ竜が都に現れたのか、どうしてラズを連れて行ったのか。この先何が起きるのか。あらゆる可能性を、すべて。

 捏ねたバターに、溶きほぐした卵を丁寧に混ぜ込む。卵には乳化作用があるとラズが言っていた。小麦粉に油分を足しただけではパサパサになる。それはそれで美味しいのだが、卵を入れることでまとまりや口に入れた時のほぐれ方が変わってくる。


(点を追うだけでは駄目……ラズを助けるなら、線を手繰って掌握しなくては)


 手早く小麦粉を振り入れる。混ぜすぎては食感が悪くなるのはなんのお菓子でも同じだ。


(慎重になり過ぎて、タイミングを間違えないように)


 ラズにこういう話を振るとたぶんグルテンがどうとか言い出す。普段口に出さないが錬金術師だけに化学のことは相当詳しい。話にはついていけないのだが、マイペースに考え込んだりしてる様子が微笑ましくてついつい口元が緩むのだ。

 彼がいてもいなくても、彼のことばかり考えてしまう。ここ数日ぎくしゃくしているから余計に。普段見せない陰のある表情と冷たい声で脅すように遠ざけられたときは怖い、とも思ったが────このまま放ってなんておけるはずがない。


 まとめた生地を暗所に置いて一時間。

 今の間に荷物をまとめておこう。ピアニーは小走りで階上の部屋に向かった。

 



 † † †




 巨大な竜に攫われ運ばれた先は、亜人族──竜人の集落だった。

 諸事情でずっと(せわ)しなく、昼を過ぎたがまともな食事をしていない。なんとなく、旅の間いつも食事やお菓子を準備してくれていた叔母や────ピアニーのことを思い出してしまう。


『休憩してろよ、人間』

『あ……うん』


 働き詰めであるのを見かねた偉いさんが労ってくれて、ラズはようやく腰を下ろした。集落から少し離れた川のほとりで喉を潤し、深呼吸する。


(…………皆、どうしてるかな)


 離れ離れになった旅の仲間について考える。いの一番に茶色の長い髪が脳裏を過って、ラズはぶんぶん首を振った。


(違う! ──リン姉や、スイのことだろ)


 二ヶ月苦楽を共にした仲間という点で何も間違っていないのだが──彼女のことについては考えるだけで胃が重くなる。

 人殺しは嫌だと──憎しみ合うような結果は避けたいとあれだけ言って、彼女も理解をしてくれていたのだと思っていた。だというのに、彼女はラズを裏切り国家の味方をして逆賊を惨殺する結果を選んだ。…………辛いときも嬉しいときも一緒にいたいと、その甘い言葉にほだされて、今まで彼女に対し全くの無警戒でいた自分に虫唾が走る。


(……もう、友達だなんて思うもんか)


 自嘲気味にひとりごちる。

 彼女が何度も謝って、気落ちした風を装っているのがムカムカする。


(……こんなに、人に腹立てるの久しぶりかもな)


 倫理観的に許せないと思うことは多々あれど、個人に対し深く好悪を覚えている訳ではないのだ。

 基本的に来る者拒まず去る者追わず、がラズのポリシーだ。人間関係はライトな姿勢で。親しく本音で接するが、相手に入れ込むことはあまりない。ごく少数……かつては両親、兄……それから、師。今は幼馴染と愛馬。彼らとは離れることに寂しさを感じるくらいには気持ちを寄せている。ちなみに親代わりである叔母のことも好きではあるが最近は少し煩わしくて、離れたいと思うことがある。

 ピアニーのことも、数回会ううちはただの気の合う友人くらいにしか思っていなかった。心の中でその存在が大きくなり始めたのは四ヶ月前、彼女の泣き顔を見た時からかもしれない。


(…………)


 思い出してまたモヤモヤと胸中に暗い気持ちが渦巻く。

 あの時の彼女の涙は演技ではないだろう。本音で語り合い、笑い合って────いつから、どこから考えが違ってしまっていたんだろうか。友人だと、憎からず思う気持ちはどこまで許していいんだろうか。

 相反する想いがせめぎ合って、ずっと気が重い。いっそ、このままずっと会わない方が楽、かもしれない。


(はぁ……なんだか頭まで重いような)


 緩慢に(かぶり)を振っていると、遠くでばさり、と大きな羽音がした。


 ばさり、ばさり……と近づいてくる。


 青い、巨大なモモンガのような愛玩的な見た目の竜。


 ラズは竜人の言葉で呼びかけた。


「クレイさん……どうしたの?」


 クレイ……その竜は、ラズのそばにぼすん、と着地して柔らかな腹の毛を寄せた。竜の多くは鱗に覆われて(たてがみ)くらいしか毛がないが、この竜は鱗が背にあるだけで、あとはふわふわとした毛で覆われている。


「ため息ついてるから、癒してあげよっかなぁーって思って」


 竜な口をあまり動かさずに発話する。女の子のような、可愛らしく色気のある声色だ。巨大な喉は動かしてもいないが、一体どこから音を出しているんだろう。


「なんで。別になんでもないよ」


 苦笑しながら返答する。しかしどうしてか、くらりと目眩がした。


(────?)


 おかしい。

 たしかに空腹だし疲れているかもしれないが、寝不足でもないのに、健康優良児のラズが目眩なんてありえない。

 自分の身体に錬金術の<理解>の術を使って異常を確認する。菌やウイルスだって直接分解できるのだから、普段風邪にすらかからないのに。

 目眩の原因で考えられるのは、三半規管の異常、あるいは低血圧。つまり、脳に酸素が十分に届かない状態。


「……酸欠、かな」


 口に出すと、びく、と大きな毛玉が反応した。肺の中の酸素濃度が微妙に低い。というかこの一帯の窒素濃度が濃いのか。……おそらくは、誰かの<波動>によって操作されているような。


「なんのつもり? クレイさん」

「えへへー、看病する優しいボク♡ってしたかったんだけど、ばれちゃったぁ」

「……」


 胡乱な目で巨大な竜を見上げる。

 やはりこの竜の仕業か。ということは、最初にラズを拉致したときも、知らず知らずのうちにこの酸欠になる術をかけられていたのかもしれない。


(看病って……)


 どうもこの竜はラズに対して妙に馴れ馴れしい。第一言目が『おいしそう』というのはどういう意味だったんだろうか。

 竜にとっては取るに足らない人間であろうラズを気に入ってくれるのはありがたい話かもしれないが、こう何度も術中にはめられるのは気分が良くない。

 しかし巨竜は小動物のような大きな目をくるりと光らせてすり寄ってくる。


「ねぇねぇ──」


 ばふっ


「へっ……?」


 しまった。また頭の芯がぽおっとして、逃げ遅れてしまった。

 ふわふわの羽毛がラズを押し潰さんとする勢いで視界を埋める。真夏の昼間だが、空気を含んでいるからかそこまで暑くない。

 腹の下に押さえ込まれ、飛膜の付いた腕で抱きしめられる。苦しくはないがなんだか身の危険を感じて、ラズはじたばたともがいた。


「ちょっ……やめろよ!」

「かわいい……おいしそう……」

「な、まさか──」


 恍惚とした竜の声が耳を撫でる。

 ……まずい。完全に油断していた。

 竜は人肉を喰らう。食事は年一回ほどらしいが──わざわざここまで連れてきて、ラズに協力を仰ぐくらいだからまさか食べられることなんてないだろうと思っていた。

 逃れようと身を捩ると、目の前で真っ赤な口が開いた。口腔の大きさの割に小さな歯と舌。


「ね、力をぬいて? ちょっと()()()だけだから」


 甘い囁き声。巨大な肉球が、両脇から押しつけられる。そして──


「なっ!? やめ……くすぐったい!!」


 身体のあちこちを柔らかくふみふみしてくる竜。逃げようとした振り回した腕が羽毛の中でから振る。マッサージされるような感触は、気持ち良くすらある。何がなんだか分からない。


 ────『ちょっと食べる』って何だ!?


 ぺろんと頬を舐められる。腕を一本齧られるのかと思ったが、なぜか延々とふみふみされるだけ。


「ふふ。かーわいい♡」

「……ぬいぐるみじゃないんだけど」

「知ってるよぉ。もっと、気持ちよくしてあげるね」

「は、はい?」


 首筋から胸元にかけ胸部を大きな舌がべろりと這う。薄手のシャツがじっとり濡れて、何かを刺激した。


「! 何を──」


 柔らかい圧が下半身の敏感な場所に至ったとき、ラズはようやく自分がなんの危機に晒されているか理解した。


「ほら、かわいい……」

「くっそ……! やめろよ……んぐっ」


 こなれた動きに歯噛みして抵抗する。頭がボーッとするのもまた竜の術のせいだろう。抵抗が難しくとも、このままいいようにされるなど断じて許してなるものか。


「ほんとは、いいんでしょ……? スナオになろ……?」

「……っ」


 蠱惑的な声だった。

 うっかり力を抜きそうになるほど。


「男のコはみんな、すきでしょ? こういうの」

「竜が初めてなんて、絶っ対に嫌だ……」

「種族にこだわらないで……かなしい」


 竜はきゅう、と鳴いた。そして、濡れた鼻先をラズの胸に押し付ける。


「ボクはきみが食べたい。ちょっとだけだから……おねがい」


 すがるような可愛い声で言ってゆっくりと舌を伸ばす。その場所は──


「っ、やめ……」


 こういうことがされたくてお金を払う男だっているのは知っている。身を任せれば楽になれる……頭のどこかでは分かっていた。

 今まで、ずっとガマンしていたのだ。異性への興味、行為への期待……日増しに強くなる欲求に、戸惑うばかりで。──それが一体何故湧き起こるのかも本当は気づいている。毎日顔を合わせていた、一人の少女。

 記憶の中で雨に濡れた彼女の肢体は、はっとするほど美しかった。普段サラシで胸を小さく見せていた分、その曲線が気になって仕方なかった。

 想像するだけで簡単に身体が反応する。その分、この竜に身を許す違和感が跳ね上がった。


「なんで、僕なんだよ──!」


 竜の術は抵抗が難しいが不可能な訳ではない。ふわふわする精神を叱咤して集中する。快楽の神経回路を遮断すると、代わりに今すぐ蹴りたくなるほどの不快感が襲ってきた。

 心の中も身体もぐちゃぐちゃにされている気分だ。

 ──これ以上、触れないで欲しい。


「なぜって……もしかしてラズくんは、(つが)いがもういるの?」

「っそんな、相手──」


 いない、けど。

 触れ合うだけで嬉しい相手が、一人だけいた。

 指先を絡めるだけで安心する人が。

 辛いとき、抱きしめてくれる人が。


 ────だけど、『(つが)い』? 彼女と、どうなりたいというのか。


(バカらしい──!!)


 ふつふつと怒りが湧き上がる。


 ──そんな気持ち、知るか! だって、あの子はこっちを見てもいない。簡単に裏切ったんだから。嘘をついて。演技して。二人きりだと一番素でいられるとか、言っていたくせに────!!


 未練がましくまさぐる太い脚が、鬱陶しい。

 頭の中でぷつん、と何かが切れる音がした。


「いい加減に────しろッッ!!」


「────ッ!?」


 ひゅっと竜が後ろに跳んだ。

 数歩離れた場所で、四つん這いの体勢になりこちらを凝視している。

 その全身はビリビリと総毛立っていた。

 怯えるように丸めた背中。大きな耳は垂れ、太く長い尾を腹側に抱きこんで、青竜は情けない声を出した。


「……<存在の否定>までしなくていいじゃない……くぅぅーん……」

「────……何、それ」

「自覚、なかったの? 君はこの世界のカミサマ候補だから、()()()()()()ができるの」


 竜の口からとんでもないセリフが飛び出す。だが細かいことは今はどうでもいい。

 とにかく、ラズにこの竜を凌駕する素養があるなら願ったり叶ったりだ。


「…………ならせいぜい、僕に嫌われないようにしろよ」

「う────うんゴメンね!!」


 不機嫌に任せて言い捨て、立ち上がる。涎でべしょべしょで気持ち悪いが、これくらいなら錬金術で水分を飛ばせばすぐ乾く。……服がカピカピになってしまうが。

 竜はビクビクと縮こまっている。ラズが急にダークなことを言ったから驚いたのかもしれない。


(別に根に持つほど、執着する気持ちは起きないけどな……)


 怒りをぶつけたのは八つ当たりに過ぎない。

 ここまでされても、竜のことは『変態だけど面白いやつ』程度にしか感じない。だから多分すぐにまた笑いかけることもできるし、これからも協力してあげられるだろう。


 ────だけど、彼女とは。


 あれだけのことをされても、割り切れない。

 信じたい、という気持ちが捨てきれない。


(…………もう一回だけ、話してみようか)


 どこまでが本当だったのか。

 どうしてこんなにも執着してしまうのか。

 これから先どういう関係でいたいのか。


「………………ピア」


 小さく呟くと、言葉にしきれない感情に、胸が締め付けられるような気がした。


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