子守唄をあなたに
痩せ気味の赤ん坊が薄目を開けてピアニーをじっと見ている。
「抱いてみる?」
母親の女性が疲れた顔で微笑んだ。せいぜい十六、七歳くらいだろうか。ピアニーと四つくらいしか違わない。話に聞く出産後の女性のイメージと違う、不健康そうな体つき。どれだけ大変だとこうなるんだろうか。
「あ、ええ……」
差し出されるまま腕を回す。首座り前の赤ん坊は抱き方がよく分からない。不安定に分散する重みに非常に戸惑う。壊してしまいそうでピアニーはすごく焦った。
案の定、赤ん坊がうああ、と泣き出す。大人が叫ぶより小さい声ではあるのだが、静まり返った早朝の宿場町でこれはいただけない。何よりすごく耳に障り、いてもたってもいられない気持ちになる。
「ど、どうしたら──」
母親に助けを求めようとした時、コンコンコン、とドアがノックされる。
「だいじょーぶ? なんか手伝おっか?」
「ラズくんっ! 入って入って」
赤ん坊の母親に促されて入ってきたのは、旅の仲間である同い年の黒髪の少年。昨日も結構遅くまであれこれと世話を手伝ってくれているから、信頼されまくっている。
彼は女性に許可をとってから、ピアニーに近づいてそっと赤ん坊を持ち上げた。
手のひらで頭と首を支えて、反対の二の腕に器用に乗せる。片手は添えるだけ?
「どうしてそんなに慣れてるのかしら」
「従兄妹が双子でさ。大変だからって三ヶ月になるまでは交代で手伝ってた」
泣き止まないことに動じた様子もなく、一定のリズムで揺らしながら、胸をトントンと小突く。だんだんと静かになっていく赤ん坊を見るラズの目は、優しげに見えてどこか虚ろだった。
(従兄妹……)
彼は故郷を無くしている。親も、……きっとその従兄妹も。思い出すのはきっと辛いのだろう。
ラズの口調は淡々として、平気な風に聞こえるが。
「泣くばっかりで笑わないし、眠いくせに寝ないし」
「……もしかして今、錬金術を使っているの?」
「そう、眠気をすこーしプラス」
母親の女性は大きく息を吐いてベッドにもたれた。
「もしかして、二時間だけ寝てもいい……?」
「いいよ。じゃあちょっと連れ出してくるね」
ラズの目配せに察して、ピアニーはドアを開ける。
「朝は涼しいから、散歩もいいかもしれないわね。一緒に行くわ」
「助かる。えーと、熟睡するまでは、二十分くらいだっけ……」
「?」
静かな廊下を歩きながら、小声で雑談する。
「熟睡してないと、下ろした途端に起きて泣き出すんだよ」
「そ、そうなの……」
「頑張って寝かしても二時間くらいで起きるし。そしたらすぐ授乳して、また寝るまであやして。大変だよな、お母さんは」
彼がこんなことにまで詳しいとは……いつもながら尊敬の念を覚えつつ、ピアニーは朝陽に照らされた横顔を覗き見た。
「母様なんて二日にいっぺんなのに腱鞘炎になってさ……こう見えて重いんだよね。抱き続けるのは」
なら代わろうか、と言いかけてやめる。今抱っこしている人が変わったらまた泣き出すんだろう。
宿場町は狭いから、数分歩けば端に来てしまう。
最後の篝火の柱の前で立ち止まって、ラズは遥か遠くに聳え立つ大山脈の影を見上げているようだった。
──今彼の目の奥には、きっと亡くした故郷が映っている。
「…………」
少しだけためらってから、ピアニーは子守唄を歌ってみた。赤ん坊はすでにぐっすりと眠って反応はない。ラズはくすりと笑った。
目線を交わしながら、ピアニーは囁くように歌い続ける。彼の気持ちが晴れるように祈りながら。
† † †
澄んだ歌声が耳を撫ぜる。
彼女が歌い出した時は驚いたものの、初めて聴く柔らかいメロディは不思議と気持ちを蕩かした。
彼女と居ると、全て赦されたような錯覚に襲われる。故郷の皆が死んでしまったのはラズのせいだというのに、こんなに幸せな気持ちでいていいんだろうか。
──以前そう吐露した時、師は何と言っていただろうか。
(…………『今大切なものに対して、後悔するようなことがもう起きないように』……)
ラズがこの歌から耳を塞げは、彼女はきっと悲しそうな顔をする。だから、そうじゃなくて。
朝陽に照らされて煌めく、彼女の大きな瞳を見つめて、ラズは口を開いた。
† † †
「本当はさ。──皆を殺したのは僕なんだ」
「────」
突然の言葉に、ピアニーは一瞬絶句した。歌を中断して、ラズの表情を伺う。
ラズの黒い瞳は、思ったよりも落ち込んでいるようには見えなかった。……ただ、話しておきたい、そんな雰囲気。
「見えすいた、わざとらしい自責ね。まるでそう言わないといけない、みたいな」
「……うん。そうかもしれない」
彼の故郷が巨人という種族に滅ぼされたのは有名な話だ。それがきっかけで大国の均衡が壊れて戦争に発展しているほどなのだから。
ラズは責任感の強い人だから、助けられなかったことを自分のせいだと責めていても不思議ではない。もし仮に本当に、彼自身の剣で家族を殺していたんだとしても、出会って半年、彼が命がけでしてきたことを思えば、罪を償う心は真実だとピアニーは思う。
「故郷に戻って、あなたは何をするの?」
そういえばまだ聞いていないのだ。触れにくい話題──しかし今なら、落ち着いて話せるような気がした。
赤ん坊の小さな鼻がぷすー、ぷすーと音を立てている。
「……皆の弔いをする」
瞑目して、呟くように彼は言った。
「だけど、そこには巨人たちがいるはずだから…………。話し合い、たい」
最後の言葉は自信なげに掠れて消える。
それきり黙ってしまったので、ピアニーは所在なげに歌の続きを口ずさんだ。
きっと簡単なことではない。言葉が通じる保証もないし、通じたとしても人間の言葉を聞いたりしないかもしれない。
(それでも、方法は、必ずあるわ──)
もし駄目だったら、その時は一緒に悔し涙を流そう。
「ピア……?」
「あなたは、希望なのよ。この世界の」
本当はピアニーにとっての、だが。さすがに云えない──伝える勇気がまだない。
「あなたが描く自由な未来を、私は見たいわ。きっと誰もが、あなたにそう感じているはず」
──思うままに走り続けるといい。必ず側にいるから。
微笑みかけると、彼は息を吐いて微かに口元を綻ばせた。
† † †
宿の窓から、小さく見える二つの人影を覗き見ていると、背後から声がかけられた。
「あれ、寝たんじゃなかったんだ」
盆を手に現れた黒髪の女性を手招きして、若い母親はまた窓の外を見る。
そこには我が子を抱いた黒髪の少年と、背格好の同じ美少女がとても仲が良さそうに歩いていた。
その少年は一年近く前に会ったときは、もっと幼く心許ない表情をしていたはずだ。それが今は、大人びた穏やかな微笑みで、少女を見つめている。今側にいる黒髪の女性は彼の叔母であるが、彼女に対してあんな目つきはしないことは容易に想像がつく。
「ラズくん、良い子を見つけたのねぇ」
他人の恋愛模様は蜜の味ナントカだ。育児疲れも吹き飛ぶ。
黒髪の女性はげんなりとため息をついた。
「あんたのそういうとこ、私は嫌いだよ。あの二人は何にもないから、からかわないように」
「えー……」
彼女の目には、あの微妙な距離感がただのお友達に見えるんだろうか。
来た道を引き返しながら少女が少年の腕に触れた。──ほらやっぱり! 好きでもない異性の体に触れたりしないよね? この汗臭い季節に。
少年は緩く笑ってその手を握る。うーん惜しい、恋人繋ぎだろうそこは。
「リンドウ、もしかして妬いてるの?」
「……」
「あっ、あっ、ごめんなさいっ、薬湯、いただきます……っ」
眉尻を吊り上げた黒髪の女性に必死に謝り引き留める。吊り目美人の彼女は真顔だと睨んでいるように見える。
「次にあの子たちの気持ちも知らないで適当なこと言ったら、もう助けてあげないからね」
「気をつけるわ……」
そんなにカリカリするような事情があるんだろうか。若い母親には知る由もなかった。




