【長編7】天使管理官~ロリ天使のお世話と、悪魔をぶちのめすのがおしごとです~
わたしの本当の想いを、一番近くにいるひとに。
わたしの名前は、リュールと言います。
……いえ、本当はセリュール=セラフィムという名前があります。セラフィムというのは人間でいう苗字のようなものです。能力の強さによって決められた序列で与えられるものなので、家族じゃなくてもセラフィムと名乗っている天使がいるところが、違う点ですが。
「ねぇリュールぅー。お金あげるからお菓子買ってきてー」
「嫌だ。それくらい自分でしなさい」
「えぇー、めんどくさいー」
「めんどくさいのはどっちなの。せっかく紗弓さんの力を借りて、序列も上がったっていうのに……」
紗弓さんというのは、わたしとロゼがほんの数か月前まで、人間界にいた頃にお世話になった人間の女の人です。ロゼ以外でわたしをリュールと呼んでくれた、初めてのひと。とある天使の策略で、人間界に悪魔が大量発生し、その対処のためにわたしたちは人間界に降りていました。それがようやく落ち着いて、天界に戻ってきたばかりなのです。
「序列なんて大して役に立たないのよ。だってそうでしょ? あんたが序列三位だ、って偉そうにいられたのは、悪魔があれだけうじゃうじゃ出てきて、天使の強さが重要になったからで。正直当分悪魔は出しゃばってこないだろうし、戦わなけりゃこの序列に意味はないのよ」
悔しいですが、ロゼの言うことは正しいです。悪魔は普段こそこそと人間に憑りついて、楽な方や悪い方へ誘惑します。それは必ずしも悪いことばかりではなく、そういう誘惑に自分の力で勝つことも、たまには重要だったりします。だから悪魔が出たらすぐさま天使が出動するのではなく、多少悪魔が人間界で活動する分には、遠くから見守るので済ませることも多いのです。
「だからってそうやって毎日だらだらしてばっかりなのも、ダメだと思うけど……」
「うるさーい、仕事ないんだから仕方ないでしょ。急に序列上がるのが悪いんだから」
「だけど……」
「ね、お願い。早くお菓子買ってきて?」
「……はいはい」
天界でも仕事はあります。例えばわたしは、学校の先生をやっていたりします。でもまるで対照的に、わたしの幼馴染であるロゼは、毎日毎日仕事をせずに、こうして家でダラダラしています。それも実は、仕方ないことではあります。持つ能力が強く、序列が高い天使は、大抵性格に難があったり、行動を監視しないと好き勝手やって天界に迷惑をかけたりと、厄介なひとが多いです。かくいうわたしも序列2位。立派な監視の対象です。そしてロゼも、先の悪魔大量発生の件で手柄を挙げて、序列33位から一気に6位になったのです。もともとロゼは厄介な子だったこともあって、わたしが止める間もなく監視の対象になってしまいました。
「お菓子買ってくるって……何がいいか言ってもらわないと……」
わたしは店まで来て、一人つぶやくしかありませんでした。けれどわたしを使い走ったのはロゼです。どんな文句を言ってもにらみつけてひるませてやろうと思い直して、わたしの好きなお菓子を買うことにしました。
「あ、おかえり~」
「おかえりって……ロゼが働き出したら、絶対仕返しするから……」
「こわ……なんで行って帰ってくるだけでそんな闇堕ちしてんのよ……」
わたしも何だかんだ言って、疲れていました。普段は天使学校の先生。天使学校は大人しく勉強してくれる子から、ロゼのような素行不良の問題児まで、ありとあらゆる子が揃っています。その子たちにそれぞれ違う対応をしないといけません。
「寝る。起こさないでね」
「そんな顔で言われちゃ、起こすに起こせないでしょうよ……」
休日である今日は、少しでも昼寝をして体力を回復したい。わたしはそう思って、さっさとベッドに入ることにしました。
* * *
「ん……?」
気づけばわたしは、ロゼと一緒に手をつないで歩いていました。
「はっんばーぐ、はっんばーぐ」
隣のロゼは、そんな変な歌を楽しそうに歌っていました。そしてすぐに、わたしは右隣のロゼのほかにもう一人、左隣に人がいることに気づきました。
「紗弓、さん……?」
きっちりお別れ会をして、もう紗弓さんが生きている間には会うこともないだろう、と思っていたのに。紗弓さんは最後に会った時とまるっきり同じような背格好で、何でもないようにわたしの隣にいました。
「どうしたの、リュール?」
「これは……?」
「これは、って。私も二人には散々お世話になったからさ。ちょっと最近バイトできてないし、財布が寂しいのは寂しいんだけど……二人にちょっと、ごちそうしちゃおうかなって、思って」
わたしはそれで、今自分が夢の中にいるのだと気づきました。紗弓さんという人間が生きている間に、もう一度悪魔の大量発生が起こるとは、到底思えません。そして紗弓さんがごちそうするからという、全く緊急性のない用事で、わたしたちが人間界に降りるということもあり得ない。つまりこれは、疲れたわたしの頭の中で起こっていることにすぎないのだと、わたしは気づいてしまいました。
「……なるほど。ごめんなさい、ちょっとぼうっとしてて」
「いいよいいよ。最近リュール、お仕事頑張ってるみたいだしさ」
夢の中の紗弓さんは、実際と同じくらいの優しさでした。ちょっと違うところがあるとすれば、ロゼにも優しいこと。ロゼは紗弓さんにもすぐに偉そうにして、これだから人間は、と平気で言い放つので、よく紗弓さんにとっちめられていました。お別れをするまでの数ヶ月はまだマシな方ではありましたが。
次に意識した時には、わたしはロゼと隣どうしに座って、向かいには紗弓さんがいる状態で、レストランで注文した料理が来るのを待っていました。いつも紗弓さんと一緒に行っていた、大学の食堂ではありません。もっとこじゃれていて、おいしそうな匂いが漂う、落ち着いた雰囲気のお店です。そしてお肉の焼けるおいしそうな匂いで、わたしはこの店の名物がハンバーグなのだと理解しました。隣のテーブル席に座るカップルも、少し離れたところに座るファミリーも、レストランの入口近くのカウンター席に座るおじさんも、みんなわくわくして注文した料理が来るのを待っていました。
「どうしたのよ、リュール。そんなにきょろきょろして」
「ロゼには言われたくないけど……」
「ええ……」
そうこうしているうちに、じゅうじゅうという音とともに、店員さんがワゴンを押してこちらへやってきました。ふわっと漂うジューシーな匂いに、わたしでさえよだれがこぼれそうになります。ロゼに至っては、すでに口端からよだれを垂らしていましたが。
「お待たせいたしました、特製ハンバーグです」
紗弓さん、わたし、ロゼの順番に、熱々の鉄板が置かれます。それからテーブルのちょうど真ん中に、デミグラスやオニオンソースをはじめ、いろんな種類のソースが入ったツボがごとごとと置かれました。三人それぞれにそのソースを取り分ける容器も配られたので、ある程度キープしてそこに自分のハンバーグをつけて食べてもよし、豪快にソースをかけて食べてもよし、ということでした。
「さ、食べて食べて」
紗弓さんは、先にわたしたちに食べるように促してくれました。その合図をするかしないかといううちに、まずロゼがデミグラスソースをだばー、と全体にかけてしまいました。じゅわっ、と一気に大きな音が響いて、香ばしさとともに湯気が立ち昇ります。
「リュールも。好きなソース、使っていいよ」
二度紗弓さんにそう促されて、わたしもようやく動き始めます。ぱっと目についたおろしポン酢を容器に取り分けて、ナイフとフォークで一口分切り分け、そっとつけて食べます。最初は熱くて味どころではありませんでしたが、だんだん溢れる肉汁とともに、旨味が口の中に溶け出します。でもその旨味もあまり長い間続くと、飽きてしまいます。そのタイミングで白いご飯をかき込むと、ちょうどいい塩梅になるのです。ちなみにロゼは味わっているのかいないのか、ハンバーグもご飯もお構いなしにバクバク口に放り込んでいました。わたしからすればあまりきれいな食べ方とは言えませんでしたが、それでも紗弓さんは笑っていました。ロゼの食べ方もどこか、おいしそうに見えるものだったのです。
「じゃ、私も食べよっかな」
わたしとロゼが食べるのを少し見てから、紗弓さんがようやく自分のハンバーグに手をつけ始めました。紗弓さんは少しだけソースを取っては一口分そのソースをつけて食べ、また別のソースを取り分けて一口分食べ、と全てのソースを楽しむつもりのようでした。
「あの、」
「うん?」
「どうして、こんな」
「そりゃ、ね。たまにはこうやって、二人にもごちそうできるくらいの心の余裕、ってやつを持っとかないと」
「わたし……知ってます。これが夢だってこと。紗弓さんにはもう会えないはずなのに。わたしは、そんな覚悟をして天界に戻ったつもりでした」
「そっか、分かってたかあ」
ロゼが「は? これ夢なの? どういうこと?」みたいな顔をする一方で、紗弓さんはいたずらがバレた子どものような顔をしました。
「……でも、いいんじゃないの。夢でもこうして、会えたんならさ」
「え……?」
「そもそもリュールが私のこと、本当に未練に思ってないなら、こんな夢なんて見ないはずでしょ? リュールは……ロゼの前で言うのもなんだけど、頭がよくて、状況を見て何を言うべきか、何を言わないでおくべきかっていう判断をするのが得意だけど。でも自分の本当の気持ちをうまく伝えること、苦手だったりしない?」
「……それは」
紗弓さんの言う通りでした。いえ、正確にはここは夢の中ですから、紗弓さんが言っているのは実際は、わたしが心の奥底のどこかで思っていることなのでしょう。
わたしは昔から、うまく自分の言いたいことを言えずに生きてきました。それはあまり自覚ができていないだけで、ロゼに対してもそうだったのだと思います。それを、夢の中のわたしが、紗弓さんの姿をして言ってくれた。その意味は、わたしにとって大きいものでした。
「ロゼもあんなちゃらんぽらんな感じのまま天界に帰って大丈夫なのかなって、思ったけど。リュールも結局、変わりたいのになかなか変われずに天界に帰ることになった、って感じがしたんだよね」
「……そう、なんですね」
「別に無理して変わることもないとは思うんだけどさ。ほら、私こそ特に変わろうともせずに、だらだら生きてるような人間だから」
「それは、そんなことはないと思うんですけど」
「ま、私のことはいいよ。でもリュールは私よりずっと長く生きることになるんだし、変わろうとするってこと、考えてみてもいいかなって、思うんだよね」
「……」
相変わらず紗弓さんは鉄板についてきた焼き石でフォークに突き刺した一口サイズのハンバーグをじゅう、と焼いては、ソースにくぐらせて食べていました。そんな食事の合間に、わたしに言葉をかけてくれていました。ロゼはわたしたち二人を全く気にせず、ご飯をおかわりしに席を立ってしまいました。
「わたしが、変わろうとする……」
「私一人では天界には行けないし、リュールたちも悪魔関係の緊急事態がないなら、むやみに人間界に降りてきちゃダメなんでしょ? だから今、伝えるしかないんだよね。……とか言っても、どうせ賢いリュールなら、今の私が、リュールの心の中そのものだってことも分かってるんでしょ?」
「……それは、まあ」
「ま、それでも言うけどね。リュールはちゃんと、自分の思ってることを正直に言えるだけの勇気は、あると思うから。あとはどうやって表に出すか。それだけだと思うな」
「どうやって、表に出すか……」
「例えばリュールの一番そばにいるのは誰? その人のことを、どう思ってる?」
「……!」
わたしはもっと、紗弓さんに聞きたいことがあったのに。どんどん目の前の紗弓さんがにじんでいって、夢が終わろうとしていることに気づきました。でも、ヒントはつかめた。起きたわたしが、何をすべきか。そのことを、紗弓さんはちゃんと教えてくれました。
* * *
「む……」
目が覚めました。ふと時計を見やると、ちょうど寝始めてから二時間くらい経ったようでした。そして、
「んん……」
隣にはわたしの手を握って、ロゼが寝転んでいました。大の大人の女が二人して同じベッドに寝転ぶなんてどうなのか、とわたしは思いつつ、身体を起こしました。するとロゼもむにゃむにゃ言いつつ、目を覚ましてしまいました。起こすつもりはなかったのですが。
「お、リュール起きたー」
「……ロゼ」
勇気を出して、思っていることを正直に言う。
夢の中の紗弓さんが、はっきりとわたしの頭の中には残っていました。
「ん?」
「正直、ロゼみたいに明るく振る舞えない時もあるけど……ロゼにイライラしたり、逆にロゼをイライラさせたり、するかもしれないけど。……これからも、わたしと仲良くしてくれますか」
「……!?」
やっぱりそうだ。本当の気持ちなんか伝えたから、ロゼが面食らった顔をして、わたしの方をまじまじと見つめてきました。でも、すぐににっと笑って、言ってくれました。
「……そういうあんたの、恥ずかしいこと平気で言えるとこ、嫌い……」
「顔は嫌いって言ってない」
「うっさい。今までこんだけ一緒に暮らしてきて、仲良くしない理由がないでしょ。そういうのは、言わなくても伝わる、ってやつじゃないの」
「でもやっぱり、言った方がいいかなって」
「あー、あたしまで毒されてる、さゆみとハンバーグ食べて諭される夢なんか見るからぁ」
「え、ロゼも?」
「……え?」
結局わたしとロゼは、隣どうしで寝て、同じ夢を見ていたのでした。