94話 繋いだ者、変えた者
「それから、気づいたら瀬良といる時間ばかりになった」
高1で転校する時まで、学校であいつと行動を共にしない日はなかった。
「後にも先にも、あいつほど俺を見透かしてたやつは……親を除いていなかったよ」
そして、これから先も。
「その人がいたから――その人がいたから、織宮くんは、今の織宮くんでいられたんだね」
不意に漏れた沖田さんの呟きのような言葉。
「うん、そうだね。瀬良には凄く感謝してる。もしあいつがいなかったら、あいつと出会ってなかったら……俺は遠柳に来る頃にはもう『それなりの関係』すら作ろうと思わないようになってた。あいつの言葉通り」
沖田さんと出会った頃、独りの道を歩く彼女を見て、もしかしたら俺にもそんな日が……と思ったことがあった。でも、今ならはっきりとわかる。
「沖田さんを好きになれた俺も、沖田さんに好きになってもらえた俺も、いなかった」
もしあの日、瀬良の手をとっていなかったら、沖田さんと出会う俺は既に「堕ちた」後だった。あの時はまだ、そういう未来が確実に起こると、瀬良の断言を心のどこかで受け入れたくなかったんだと思う。それこそ瀬良の言うように、「それなりの関係」に縋ることで堕ちないよう歯止めをかけていたんだろう。
(こうして人に話すと……改めていろいろ、今までを振り返られるな)
そして同時に、瀬良の意味不明さも実感する。ミステリー小説の登場人物でもないのにあの年不相応の洞察能力ときたら……あいつもしかして人生2・3回やり直しているんじゃないか?
「長くなっちゃったけど……これが、俺と瀬良の出会いの全部」
話すべきことは全て話した。
そのまま流れで瀬良とのわだかまり……ひいては転校まで話そうと思ったが、それは話さないことにした。解決したこととはいえ、今は関係のない、話さなくてもいい話だ。
「ありがとう。話してくれて」
「ううん。これまで話してなかっただけで、別段話したくなかったわけじゃないからね。これくらいなら全然」
そこまで言って、ふと思い立ち僅かな時間だが思案する。
そして、ついさっき全部と言ったばかりだが、俺はもう少し言葉を続けることにした。
「結局、転校して瀬良と別れた後に根本の価値観が変わることはなくて、俺は『それなりの関係』を作り続けてきた。でもそれは悪い意味じゃなく、いい意味の『変わらない』だった」
ただ繋ぎ止めたいだけと言った瀬良は、俺の価値観をよくも悪くも変えさせることなく、文字通り「ただ繋ぎ止めただけ」だった。
――そして、
「……それが、沖田さんと出会うまでの俺」
そう。瀬良が「繋ぎ止めただけ」の俺は既に、「今」の俺じゃない。
「私……?」
自分の名前が出てくると思わなかったのか、沖田さんは短く訊き返す。
「うん。沖田さんと過ごした時間は、遠柳で過ごした時間は……俺が思ってるよりもずっと胸に刻まれてた」
こんな感情を持ったのは……転校した学校に対して感傷に浸るのは初めてだった。瀬良の時でさえ、あいつと過ごした「学校」自体に特に思うことはなかった。
誰かと過ごした「時間」ではなく、「場所」を特別に感じたのは、これまで遠柳を除いて存在しなかった。
「今までの俺は、転校する時でも後腐れのないよう『それなりの関係』を築いてきた。でも今の俺は……人との関わりを前向きに見ていきたいって思ってる」
少しずつ変わっていく沖田さんに、過去を克服しようとしている沖田さんの姿に、気づけば俺も変えられていた。知らぬ間に、自分の人とのかかわり方について考えさせられていた。
「沖田さんのおかげで、今の俺がいるんだよ」
父でも母でも瀬良でも、他の誰でもない、親友からの裏切りという傷を抱えた沖田さんが前へ進んでいるのに、自分だけ停滞していられないと思った。歩き始めた沖田さんの背を、ただ立ち止まって、その背が遠ざかるのを黙って見ていたくはないと思った。
初めて、自分の根本的な価値観に否定的な感情を覚えた。
「そっ……か……。なら……嬉しい」
沖田さんは笑いこそしなかったものの、その言葉通り、声音から喜色が窺えた。笑わなかったその引き換えか、頬の赤らみは目に見えるところだ。
(沖田さん、感情表現が豊かになってきた気がする……)
沖田さんは笑わない代わりに、使う言葉や声の温度なんかから、出会った頃と比べて変化が見られる。
少し、思い出してみる。冷たいどころか温度がなく、ただただ無機質な声を。素で出てくる無関心を表す言葉たちを。10文字もいらない即終了の会話を。気まずさMAXの静寂を。
(ホント、変わったよなぁ……)
当時からしたら、今の関係性になることなんか思いもしなかった。
でも今では、彼女の言葉に心を感じる。思いを感じる。何より彼女の「素直」な言葉が、俺に幸福をくれるようになった。
嬉しい、楽しい――そういった類の言葉が沖田さんから聞けると、俺自身も毎度心弾むくらいには嬉しく思う。理由は単純、彼女の「いい変化」を実感できるからだ。
そしてそのきっかけが俺に関する事柄であったなら尚更だ。
いつの日か立てた「沖田さんの笑顔を見る」とう目標は既に果たされたが、だからと言って「もういいや」なんてことは決してなく。好きな人が喜ぶ姿なら、笑う顔なら、何度でも見たいと思う。もっと言えば、それが当たり前になるならきっとそれはどんなにか……
だが反面で、あまり他の人に見せてほしくないという思いがないと言えば嘘になる。もちろん、家族や桜木先輩たちに向けたものなら純粋に喜ばしいことだ。でも例えば遠柳高校のクラスメイトたち……皆が知らない彼女の顔を知っているという優越感が、心のどこかにあることは否定できない。
(本当、自分の変わり様につくづく驚くな……)
こういうのを、独占欲というのだろうか……いや、少し違うな。
彼女が本当に親しい人の前でだけ見せるその表情を見ることによって、沖田さんにとって俺が「特別である」という悦に浸っていたいのだ。……言い方は少々アレだけど。
◆◇◆◇
「そうだ。話変わるんだけど……ひとつ、訊いてもいいかな」
俺の過去語りもひと段落ついた頃、俺はそう切り出した。
ひとつ。どうしても訊きたかったことがあったのだ。
「何?」
「前、電話した時にさ。会うのは少し待ってほしいって、言ってたけど……理由、訊いてもいいかな」
俺が沖田さんのもとへ行くか迷うことになった理由であるあの言葉の意味。ずっと考えていたことだ。まぁ、沖田さんの予想外の訪問で終ぞ行くことはなかったが。
それでもやっぱり、知っておきたい。あの言葉の意図を、真相を。
「……本当は……」
少しの沈黙を挟んでから、沖田さんが小さく口を開く。俺は彼女の声に全神経を集中させる。
「本当は、明日にしようって思ってたんだけど……」
そう言うと徐に立ち上がって、再び自身の荷物に手を掛けた。少しの間俺に背を向け、振り返ったその両手には携帯ではなく、紙のラッピング袋が収まっていた。
「これ……」
そう言って、その両手が俺に差し出される。
俺は言葉を発することもできず、呆けたように口を開けたまま、それを受け取った。
(……ハッ……!)
少しして意識を取り戻した俺は、改めて自身の両の掌に置かれた紙の袋を認識する。
「開けても、いい?」
「うん」
心臓をバクバクさせながら袋の中に手を入れる。真っ先に指に感じたのは、柔らかい感触。
それを取り出し、視界に入ってきたのは――
「手袋と……ネックウォーマー?」
ひとつは、幾何学的な、男女どちらが使っても違和感のない柄と色合いの手袋。そしてもうひとつは、紺色の無地のネックウォーマーだった。
「クリスマスプレゼントと……誕生日プレゼント」
謝罪と報告です。
現在やることが立て込んでいて、満足に執筆時間を確保することができない日が続いています。そのため、申し訳ありませんが、しばらくの間、月2更新ができなくなると思われます。最低でも月1は守りたいと思っていますので、今後とも何卒よろしくお願いします。




