91話 再会は突然、されど必然
12月23日。水曜日。それももう午後を何時間も前に迎え、日もすっかり沈んでいた。
母からもうすぐ夕飯だから下りて来いとのお達しを受けた俺は、年末年始に少し頑張れば済む程度まで終わらせた宿題を机に出したまま1階に下りてきていた。仕事が休みの父は、少し前から寝室にこもったきり出てこない。
――ピンッ……ポンッ
前の家とは違う、短く乾いたインターホンの音が鳴る。このマンションのインターホンは、ボタンを押し込んだ時と離した時にそれぞれ音が鳴るタイプのもので、外と通話ができるようなモニターや受話器がない。
「悠灯悪いけど出てくれるー?」
まぁ当然と言えば当然。母は料理中で父は部屋から出てこないのだから必然的に俺が行くことになる。……ってか、父さんさっきから一体何してるんだ?
さっきも言ったが、この家には外が見えるモニターも話ができる受話器もスピーカーもないから、そのまま玄関に直行する。
「はーい」
いつも通り、伸びた返事をして重い金属の扉を押して開ける。
そして、玄関先の訪問者の姿を捉えて、俺は応対も忘れて時間が止まったように固まってしまった。
今、俺は明らかに混乱の只中にいる。だって……いるはずのない人が、目の前にいるのだから。
「沖田さん……なんで、ここに……?」
クリスマスイヴ前夜。午後7時半。
俺の初めてできた恋人――沖田耀弥。明日会いに行こうと思っていたその人が、手さえ届くすぐそこに立っていた。
どうしてこんな時間に……なんて疑問もこの時ばかりは声にならなかった。
「……あっ、取り敢えず入って!」
「うん」
予想だにしなかった出来事に動揺が抑えられないが、いつまでも寒い中外にいてもらうわけにはいかない。俺は処理しきれぬ頭のまま沖田さんを中に迎え入れる。
「お邪魔します」
「荷物、持つよ」
「ううん。平気」
「……そっか」
なんだコレ……場所こそ違えど、沖田さんがうちに来るのは3回目なのに、記憶にある1回目2回目よりも無性に緊張する。まぁ、2回目は俺自室どころかベッドからも出てないんだけど。
見た感じ沖田さんの方は特に緊張の色はなく、変わらずデフォルトの無表情だが……
俺は差し出した手を引っ込めて、沖田さんが靴を脱ぐのを待ってから両親の待つ居間の扉を開ける。
「おっ、来たね」
「お邪魔します」
台所から顔を覗かせた母が、客人である沖田さんを出迎える。……ん? ちょっと待て。
「来たねって……母さん、沖田さん来るの知ってたのか!?」
来たねなんて、事前に知っていなければ出ない言葉だ。
「知ってたわよ? ってか、今日のために連絡取ってたし」
なん……だと……っ!? 連絡取ってたの? 俺が電話かけるの我慢している間に? え、ズルくね?
「って、連絡取ってたって、連絡先知ってたのか?」
「ん? うん。そりゃあね」
当然のように言うが、一体いつの間に……
「そんなことより、いつまで耀弥ちゃん立たせとくつもり?」
母と沖田さんが密かに連絡を取り合っていたことに少々ショックを受けていたが、その言葉でハッと我に返った。
「ゴメン沖田さんっ」
やらかした! 彼女を放置するなんて、完全にアウトな痛恨のミスだ……ッ。
「大丈夫」
「えっと……荷物はこっちに置いて」
取り敢えず……今は沖田さんの応対優先で、俺の諸々の疑問は落ち着いてから訊こう。俺は沖田さんに洗面所の場所を伝え、手を洗いに行ってもらう。
――そして、沖田さんが戻って来たと同時、先ほどまで部屋にこもっていた父が居間に戻ってきた。
「あぁ、来たんだね。耀弥ちゃん」
「こんばんは」
父の声に反応して、沖田さんの方もペコリとお辞儀を返す。
「父さん、それって」
父の横には、うちのテーブルに合わせるのにちょうどいい大きさの椅子があった。
「耀弥ちゃんが来ることわかってたからな。さっきまで組み立ててたんだ」
「あぁ、部屋にこもっていたのはそういうことか」
うちは基本的に家族全員がいる時に長居するほどの来客があることが滅多にない。そして境遇上ひとつの家に留まる期間が短い。なので人数分――つまり3人分より多くの椅子の用意がない。
父は沖田さんの椅子を用意していたということだ。
「にしても時間かかりすぎじゃね?」
椅子を組み立てるのくらい、そんなに時間をかけずともできると思うんだが。
「ネジがふたつ見つからなくて、探してたんだよ」
で、ちゃんと見つかったから今隣に椅子の完成形があると。何にせよ、沖田さんが立ち食いにならなくてよかった。まぁ、万一そうなったとしても俺が立ってでもそうさせないが。
ってか、なんとなく予想はしてたけど……やっぱ、父さんも知ってたんだな。沖田さんが来ること。
「はーい全員座ってー。ご飯できたわよー」
後ろから飛んできた母の呼び声にいち早く反応した父がテーブルの一角に置いてから定位置に座り、俺たちふたりも倣って席に着く。
「ってことで改めて。ようこそ耀弥ちゃん、新たな我が家へ!」
母の軽快な歓迎の声が、マンションの一室に響く。
テーブルには夕食が並び、俺の隣に沖田さんが座る形で食卓を囲っている。
以前沖田さんが夕食を食べに来たときは父がいなかったから、この4人でというのは初めてだ。まぁ初めてといっても沖田さんと夕飯を食べるのはこれが二度目なんだが。
「まさか、母さんと沖田さんが連絡取り合ってたなんて、全然知らなかったよ」
「ま、バレないようにしてたからね」
「バレないようにって……にしたって俺がいる時に電話鳴った記憶がないんだけど」
俺にバレないようにするなら俺のスマホは論外、なら残っている連絡手段は自宅の固定電話のみだ。いつから計画を練っていたのかはわからないが、ここ1ヵ月俺は電話の音を聴いていない。
この家は前の戸建てとは違ってそこまで広さのないマンションだから、自室にこもって扉を閉めていたとしても電話の呼ぶ音くらいは聞こえてくる。だから聞き逃したということはないだろう。
「まぁ、ほとんどメールでやり取りしてたからね」
「メールでって……沖田さん携帯持ってたの!?」
「うん」
なにそれ俺全然知らなかったんだけど……
「いつの間に?」
「織宮くんが引越して、少ししてから」
そんなに前から!?
――ということは、最後に電話をした時には既に持っていたということか……
「じゃあ、母さんの連絡先は?」
「文化祭の準備で、サクラモールに行った時」
文化祭の準備でサクラモールって……あの時か!
邦依田さんの計らいで沖田さんと一緒に文化祭の買い出しでサクラモールに行き、嫌な偶然だがそこで母と鉢合わせた。その時俺は母に問答無用でパシらされ、その間ふたりは何やら話し込んでいた。
そうだ。そう言えば様子を窺っていた時、母が沖田さんに何やらメモ用紙か何かを渡していたが……あれが連絡先だったということか。
「なるほどね……」
「ちなみに、父さんも知ってるぞ」
……What?
「え、なんで……?」
「今日の話をする流れでな」
なんで彼氏の俺が知らないのにその両親が息子の彼女の連絡先知ってんだよ……モウ、イミガワカラナイ……
「なーんか、すげー疎外感」
くそぅ。今は食事中だから無理だけど、後で絶対俺も教えてもらうし。
◆◇◆◇
「じゃあ耀弥ちゃん。先に風呂入っちゃって」
夕食が終わって少し落ち着くと、母の促しを受けて、沖田さんは自分の荷物の中から大きめの巾着を取り出し居間を後にした。
バタンと、扉の閉まる音が鳴る。
「え? いやっ、なんか滅茶苦茶自然な流れだったけど、どういうこと?」
今の話の流れだとあの巾着の中身って間違いなく着替えだよな?
「耀弥ちゃん、今日明日泊まってくのよ?」
さも当然のように爆弾を投げてくる母。何言ってんだこいつと顔に書いてある。
「え? マジ……?」
「うん、マジ」
「初耳なんですけど……」
「そりゃあ、言ってないからね」
いや「言ってないからね」じゃねぇよ。言ってないの自覚してて当たり前みたいな顔するんじゃねぇよ。
沖田さんなんで夜なんて遅い時間帯に来たんだろうと思っていたが……まさかこの家に泊まっていくとは想定外もいい所だ。しかも2泊。ってかそもそも……
「泊まるって言っても、部屋なんて余ってないだろ」
この家は2LDKで、ダイニングを含めた居間と両親が使っている寝室、そして俺用に割り当てられた部屋の他に空き部屋がない。つまりは沖田さんが泊まれるような場所がない。
……なんて考えていると、
「あんたの部屋に布団敷くから大丈夫よ」
………………は?
「…………………………は?」
今……なんてった?
「あんたの部屋に布団敷くから大丈夫よ」
「いや、もう一回言えって意味じゃないから!」
言葉を理解した上で訊き返しているというのに……まぁ、絶対ワザとだろうな。
「安心しな。ご両親からも耀弥ちゃん本人からも了承得てるから」
「いや、そういう問題じゃなくてッ」
いきなり同じ部屋で一夜をともにしろと言われてもあいわかったと簡単に受け止められるものじゃない。
「じゃあ何か? アンタ耀弥ちゃんに居間でひとり寝泊まりさせるつもり?」
「いやっ、そういうわけじゃないけど……」
ぬぐぅッ……一体どうしろというんだ、この状況。いや確かに嬉しい気持ちはあるよ? だって相手が沖田さんだもの。好きな人と同じ空間にいて嫌だというヤツは、それはもう好きじゃないということだ。
ただ……俺の中の理性が本当にいいのかとさっきからガンガン訴えてくる。父と沖田さんを交換すればいいじゃないかなんて逃げ文句も浮かんでくる。だが死んでも口には出してなるものかと俺の本能が拒絶する。
ぬぅ……
ぬぬぅ…………
ぬぬぬぬぬぬぬぅぅ………………
「ッだぁ~~~~もうっ! はぁ……布団、出してくる」
「ん。いってら~」
諦めて、予備の布団を取りに両親の寝室に向かうことにした。
「あぁ悠灯」
扉に手を掛けたところで、呼び止められた。
「なに?」
「ヘンなコト、すんじゃないわよ」
は? ヘンなコトって…………なッ!?
「するかッ!!!」
母のニタッとした表情から意図を察し、そう叫んで勢いよく居間を出た。結構大きめの、扉を閉める音が後ろで鳴った。




