9話 後悔のない選択
「彼」がいいこと?を言います。
水中から飛び出した余杉くんは、ギギと油を差し忘れた機械のように首をこちらに向け、有り得ないというように驚愕の表情を見せた。
顔を上げる。
「悠灯パッネェェ!」
「なんだよあの潜水!」
「余杉に勝ちやがったァ!!」
どうやら、勝っちゃったらしい。…………あれ!? 俺って潜水そんなに速かったっけ!?
俺が水泳したっていったら……あぁっ。そういえば、中学の頃北関東の方の学校に転校した時、みんな泳ぐのがやたらと速かったな。俺ひとりが飛び抜けて遅かったから「コイツを勝負できる状態にすっぞ!」と、授業の遊泳時間と放課後を使って猛特訓を強いられ、その時にドルフィンキックを叩き込まれたような記憶がある。
あまりの勢いに拒めきれず夏場なんかは日が暮れるまで延々と泳ぎ続けてたから多分それだろう。いやぁー、俺の人生であの頃以上によく泳いだ経験はないな。確かその学校は小中高で最も長く席を置いたところだ。あれ? あの中学の同級生たち、今も水泳やってたらバケモノなんじゃ…………余杉くんっ、ガンバ!
俺のそんな追憶もよそに、周りは騒々しい。
取り敢えず、プールサイド上がろう。
「悠灯! お前すげぇな! 余杉負かしちまうなんてよォ!」
濡れた体でプールから上がった俺に待っていたのは、そんな称賛の声だった。
「いや、多分誰よりも俺が驚いてる」
だって、潜水でそんなにスピードが出せるなんて思ってもいなかった。あの頃以来競泳の機会なんてなかったからな。勝負だし取り敢えず速く泳ぐようには心がけたけど。
「ただ耳に刺さる歓声を聴きたくなかったから潜水にしただけなんだけどなぁ」
「だけって、潜水で50メートル泳ぐってのもおかしくねぇか!?」
「そっちは単純に息を長く止めるのが得意なだけだ。4~5分くらいなら止められるぞ」
そう言ってのけると、3人は軽く絶句している。黙らないでよ……
結局リレーはB・D・A・Cの順で終わり、残りは男子もフリータイムとなった。
ちなみに余杉くんはと言うと、余程悔しかったようで頭を抱えて盛大に唸っている。なんか……ゴメン。
「お前あんなに速いのって、水泳やってたのか?」
芽野が至極当然な質問をする。
「いや、学校の授業以外ではプールにすら行ったことないぞ」
「授業だけでそんな速くなるモンか?」
「持った才能ということか」
「そうでもない。まぁ、中学の時の同級生が異常だったんでな。その影響だよ」
授業だけってのは嘘になるけど、まぁそこまで詳しく話す必要もあるまい。
「この学区で水泳部が強いって、朔嶋中学か? あ、でも織宮って転校生だから別学区か。どこだ?」
五十谷が首を捻る。
「北関東の方だから知らないと思うぞ」
「北関東って、群馬とか茨城とかか? それにしちゃ訛ってないよな」
「中学でも転校してるからな。俺、生まれは関西だし」
ちなみに俺が関西弁じゃないのは、引っ越しのし過ぎで方言が抜けたからだ。
ていうか、なんか話脱線してない? 水泳の話してたのにいつの間にか俺の過去話になってるんだが。
その後も3人の勢いは止まず、俺の過去晒しが続いた。取り敢えず、転勤族というのは伏せておいた。
遊泳時間を駄弁って消費し、プール開きは終わった。
「おい、織宮」
体育教師の話も終わり、いざシャワーを浴びるというところで俺を呼ぶ声に止められた。振り返ると声の主は水泳部の余杉くんだった。
「えっと……なにか?」
直接対峙するのは初めてなので、少し緊張する。しかも彼、結構つり目で睨まれてるようで怖い。
「お前……水泳部に入らないか?」
「……へ?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。ん? もしかして今、勧誘された?
「あんな潜水、初めて見た。俺じゃ到底できねぇ。お前の才能なら全国も夢じゃないと思う! 水泳部に入って一緒に泳がねぇか!?」
人生で初めて部活のスカウトが来た。しかもエース様直々に。
「……折角だけど、遠慮しておくよ。嬉しいしありがたいけど、多分半端な気持ちでやっても続かないと思うし、返って迷惑になるかもしれないから」
まぁ実際は、いつまで遠柳高校にいられるか分からないからなんだけどな。今までもそれが理由で部活なんてやってこなかったわけだし。
「そ、そうか。それは残念だけど……気が向いたらいつでも来てくれていいからな!」
余杉くんは潔く身を引いてくれた。彼が執拗いタイプじゃなくてよかった。
「それにしてもよー。ホントによかったのか? 余杉の誘い断っちまって」
更衣の際、隣にいた五十谷に言われた。
「いいんだよ。別に水泳が好きってわけでもないし。高校生活で何か功績を上げたいってわけでもないし」
「まぁ、織宮がいいんならいいんだけどよ。チャンスは小さくても逃さない方がいいぜ。後々後悔することになるかもしれないからな。あ、これ経験則な」
やっぱり五十谷は時々らしくないことを言う。
余談だが、成田と芽野は俺のことを名前呼びするが、五十谷は苗字呼びだ。なんでも名前呼びは小っ恥ずかしいらしい。小っ恥ずかしいって、お前そんなキャラじゃねぇだろうよ。
あと、なんか引っかかることを言ったような……
「経験則って、お前後悔したことあるのか?」
「おい、その言い方だと『お前後悔なんかしたことあるの?』って聞こえるんだけど? お前俺をなんだと思ってやがる」
「いやいやっ、別に他意はないぞっ」
ちょっと図星ってのは黙っておこう。いや、だってなんか後悔なんかしないでかるーく生きてそうだし。
五十谷は「ったく」と悪態つきながら説明してくれた。
「ちっさい頃、体操クラブにいた頃な。違う教室との合同練習みたいなのがあったんだが、そんなんやったって無駄だーって、適当な理由つけてサボったんだよ。したら、合同練習の次の日から他のやつはどんどん伸びていって、んで、いつの間にか抜かれてた。みーんな勉強になった、やって良かったって、口揃えて言うんだよ」
過去の失敗を語る五十谷は今までにないくらい苦い顔をしている。
「そんなことがあって、今は真剣にやってんだ。あれは今でも後悔してんだ。だからもう後悔しないように、欠片ほどのチャンスでも絶ッてー掴み取るッて決めたんだよ、俺は!」
いつになく真剣に、そして燃えるように拳を握る五十谷。それを勉強に持っていったらいいのにと、思わないこともない。だが敢えて口にしない。
「後悔、か」
俺に後悔があるとすれば、瀬良のことくらいだ。少なくとも他のことでは後悔はしていない。「それなりの関係」を築くことは、俺にとって最良の選択だと思っている。
沖田さんと友達になるということは、例えばいずれ訪れる別れの日に後悔を招くのか、それとも否か。
俺にとっての後悔のない選択とは、なんだろうか。
「彼」は五十谷でした。
初期段階では五十谷をここまで立たせるつもりはなかったのですが、気がつけば3バカで一番主人公に影響を与える人物になっていました。まぁ、バカですが。
ちなみに、1回しか出てませんが五十谷のフルネームは五十谷景です。今後フルネームが出るかは知りません。