8話 プール開きの喧騒
今日は朝からクラスが妙に騒がしい。特に何か行事が予定されているわけでもないが、皆テンションが高めに見える。特に男子。
「悠灯! 遂にこの日が来たな!」
「待ちに待ったこの日が!」
「夏の定番!」
「「「プール開きが!!!」」」
こんな感じで今日も騒がしい成田、芽野、五十谷の3人である。この3人、普段は「おちゃらけ3人組」「3バカ」などと呼ばれているが、それぞれ陸上部、卓球部、体操部に所属しており、好成績を残しているので裏では「ギャップトリオ」と呼ばれ、周囲の印象は良い?らしい。
そんなおちゃらけ3バカギャップトリオ(3とトリオって一緒だな)にクラスメイトたちは「またやってらぁ」と言わんばかりに呆れ顔をしている。
なるほど、このテンションの理由はプール開きだったか。正直、少し憂鬱だ。何故なら──
◆◇◆◇
2限目の終了のチャイムが鳴る。生徒たちは浮き足立った様子で体育の支度にかかる。遠柳高校では、体育は2クラス合同で行われ、俺たち5組は6組と一緒だ。そしてどうやら水泳の授業の際は男子が各教室、女子はプール付属の更衣室で着替えるらしい。
そしてその着替えの時間なんだが……
「はぁ……」
俺は溜め息を零していた。
「どうした織宮? お前水泳苦手なのか?」
そう尋ねるのはおちゃらけて見えて体操男子の五十谷。既に着替え終わっているようで、紺色の水着を履いている。……むっ。さすが体操部と言うべきか、綺麗に割れた腹筋だ。
「いや、水泳は人並みにできる。ただな……」
そう言って手にした黒色の水着を見せる。正確には、黒色で両サイドに白の縦ラインが入った水着だ。
五十谷だけじゃない、他の生徒は皆、青に近い紺色一色の水着なのだ。
俺の水着は他の生徒とは違い、一番最初の高校のものなで、当然デザインやら色やらちょくちょく違うのだ。
「なんだ、そんなことか。水着の色なんか誰も気にしやしねぇよ」
「そうは言うけど、結構目立つんだぞ?」
実際、ひとつ前の高校は色こそ黒だったが、白のラインは入っておらず、更に少し丈が短く結構目立っていた。ちなみにこういったことは小学中学も同様に経験している。授業を重ねるとそうでもないが、最初の頃はチラチラ来る視線が地味に痛いのだ。
そうして男子勢は早々に着替え、グラウンドの脇にあるプールへと向かう。プールサイドへ足を踏み入れると女子は既に出てきているようで、一見して女子の水着は男子とは違い黒よりの紺色で、まだ俺の水着の色に近い色合いだった。
「おぉー! 絶景かな絶景かなっ!」
開口一番、なんとも場所外れなことを口にしているのは芽野だ。石川五右衛門も、まさか後世で水着姿に台詞使われるとは思いもしなかっただろう。隣では成田が「うぅむ。これは眼福」と顎に指を当てている。五十谷もまぁ、言わずもがなである。
かく言う俺は、自制心と言うか羞恥心というか、その辺の良識は持ち合わせているので、わざわざ過剰に反応したりはしなかった。のだが……
「……ッ!?」
それを目にした俺は、恥ずかしながら動揺の色を見せてしまった。
他より比較的華奢なその少女の体のラインは、ピッタリな水着を纏っているが故により鮮明に映る。
少なくとも俺の中で、その少女──沖田耀弥の水着姿は誰より眩しく、綺麗だった。
「……」
ふと、目線が合った。思わず心臓がドキリと跳ねる。静謐な瞳が少しの間俺を見据え、やがて外される。しかし、気づくと俺は彼女を目で追っていた。
見入るのも束の間、俺はハッと我に返り、かくして今年度最初の水泳授業が始まった。
◆◇◆◇
授業内容としては、至ってシンプルなものだった。
最初にクロールと平泳ぎ25メートルをそれぞれ3本ずつ。その後50メートルと25メートルに別れるのだが、どうやら全員50メートル泳げるらしく、25メートル勢はいなかった。
隣では女子たちがキャッキャとはしゃぎながら授業を消化していた。ひとりを除いて。
そうして授業も後半。女子の方はどうやら遊泳らしく、水に浸かる者から足だけ浸けてプールサイドで談笑する者と、自由だった。俺たち男子はというと……
「時間もあるし、4チームに別れて競泳するぞー」
体育教師のその一言で、リレーをすることになった。生徒達からは一喜一憂の声。
チームとしては、各クラス出席番号の偶数奇数で等分。5組がA・B、6組がC・Dとチーム分けが成された。転校生である俺は当然最後なわけで、Bチームのアンカー(ここ重要)になった。何故重要かというと、理由はふたつ。ひとつは、男子皆やたらとやる気満々なのだ。まぁ、理由としては成田曰く、女子にカッコイイところを見せたいかららしいが。そんな白熱の中、アンカーのプレッシャーは重いのだ。
「でも、俺たちには余杉がいるから1位ヨユーっしょ!」
「なんたって、水泳部のエース様だからな!」
そう口にしたのは、6組Dチームの生徒だ。指名された余杉という生徒は「応よ!」と答え胸を張っている。授業中何度か見たが、確かに群を抜いて速かった。
そして実はこれがふたつめの理由。この余杉という生徒、Dチームのアンカーなのだ。隣にズバ抜けて速い人がいると、一緒に泳いでいる人はどうしても目立ってしまうのだ。良くない方向で。
今回は間のコースにひとり入るから少しはマシか?
「うわー。ちょっとムカつくけど、さすがに余杉には勝てねぇわなぁ。ドンマイ、悠灯」
「うるさい。言うな」
俺の前の芽野が憐れむように肩を叩く。ちなみに、成田と五十谷はAチームだ。
惨めな思いを僅かでも回避するため、俺はある作戦を実行することにした。
体育教師のホイッスルにより、ひとチーム10人の競泳リレーがスタートした。泳ぎ方は完全に自由、ひとり50メートルで途中で立ってもその場から再スタートし泳ぎきること、ルールはそれだけだ。
競争ともなるとそれなりに賑わうようで、女子たちも揃って興味津々のご様子だ。「頑張れー!」などと歓声も飛んでいる。
序盤からどのチームもほぼ互角で、トップ争いが全チームで拮抗していた。しかし、6人目で試合は動いた。Dチームの生徒が頭ひとつ飛び出たのだ。
「そういえば仲衛って、小中水泳やってたって言ってたな」
泳ぎ終え、プールから上がってきた成田が隣に座る。
「あいつ同じ陸上部だけど、肺活量が凄くてな。気になって訊いてみたら9年間水泳やってて全国大会でメダルとかも貰ってたらしいぜ」
「おいおい、現役と元全国出場者とかチートもいいとこじゃねぇか」
「おーおー。6組の女子もキャーキャー騒いでらぁ」
後ろから五十谷も混ざり例のトリオが俺の周りに揃った。
そうしてる間も仲衛という生徒はぐんぐん引き離し他チームと10メートルほど差を広げた。が、どうやら次の人は速さには自信がないらしく、徐々に距離が縮まっていった。8人目にバトンタッチする頃には広まっていた距離は半分以上縮まっていた。
そして芽野たち9人目がスタートしアンカーの俺や今回の本命、余杉という生徒が飛び込み台に立つ。
現状はBとDがトップで競り、次いでA、少し遅れてCの順だ。いや、僅かにDの生徒が速いか……
トップふたりが折り返し、そろそろ構える。
「悠灯ー、やったれよー」
成田の棒のような気の抜けた声が聴こえる。応援するならちゃんとしてくれよ……いやまぁ勝てるとは思ってないけどね?
コンマ秒遅れてタッチした芽野の手を視認し、飛び込む。まずは潜水で距離を稼ぐ。そして──────まだ水面に出ない。視界は常に水中。半分のラインを越えた。
これが俺の作戦。『ひたすら潜水し続け周りの音を遮断作戦』だ。俺の数少ない特技の中に息を長く止めるというものがある。聞こえぬ歓声は邪魔にならない。
そのまま水中でターン、まだ潜水を続ける。
まだだ。
まだ行ける。
もう少し……
「ップハアァァ!」
やっと水面に顔を出したのも束の間、少しクロールで泳いで壁にタッチ。
「うおおぉ!」
「はっええぇぇ!」
「すっげえぇー!」
立ってすぐ、湧き上がる歓声が耳に入った。さすがは水泳部、注目の的だ。
「ップハアァ!」
え?
少し離れた場所で、飛沫を散らし、彼──余杉くんは水面から顔を出した。
主人公の特技……「無理だろッ!」と思われるかもしれないですが、まぁ、そこはフィクションということで御容赦を。