73話 祖父と孫
新しい習慣が、ひとつ増えた。
「Frieden」に行くことだ。さすがに毎日とはいかないものの、少なくとも週に1度以上は足を向けている。まぁ、こっちに引っ越してきてからまだ1ヵ月……初めて訪れて2週間しか経っていないが。
それでもあの店は、俺にとって居心地のいい場所になっていた。
今日も今日とて学校の課程を消化し、屋上で日課である何もしないという暇潰しに興じる。だが、季節はもう本格的に冬入りを果たし、冷たい風も容赦なく肌を刺してくるのでそこそこで撤退した。
学校を出ると途中で帰路から外れ、寄り道して「Frieden」に足を運ぶ。
「いらっしゃい、織宮くん」
「こんにちは」
高いベルの音と店長の渋い声が出迎えてくれる。
通算6回目。ここ最近頻繁に通っているため、名前も覚えてもらってしまった。
「よぅ、少年。今日も来たか」
「こんにちは、史渡さん」
常連の小太り気味の男性改め、史渡城一さん。彼にも名前を覚えてもらい、またフェアじゃないからと教えてもらった。少年呼びは初対面の時から変わらないのだが。
ちなみに店長は梶倉徳真さんというのだと教えてもらった。
「ブレンドとブラウニーでいいかな?」
こういう喫茶店だからか、5度続けて同じものを頼めば席に座る前に注文を先回りで当てられてしまった。というか、この下りは前回からだ。
「はい。お願いします」
とはいえ、訂正するつもりもないので、そのまま注文を通してもらい空いているふたり席に腰を下ろす。
どうにも、初めてここのブラウニーを食べて以来すっかり気に入ってしまった。なのでブレンドコーヒーとブラウニー、このふたつはあっという間に俺の中の定番となった。
「そういや少年。部活はやっていないのか?」
「はい。特にやりたいこともないので」
待っている間にそんなことを尋ねられたが、まさか家の事情まで話すわけにはいかないので濁した。嘘は言っていないので問題はない。
なんだつまらんなぁ、と残念がった様子だがそこはご容赦願いたい。
「史渡さんは、お仕事何されてるんですか?」
仕返しというわけではないが、今度は俺が気になっていたことを訊いてみた。というのも、これまでの計6回、史渡さんはいつ来てもいるのだ。遭遇率100パーセントだ。そして決まって店長の正面に座って話をしていて、加えて俺が店を出る時もまだ帰る様子がない。
ここまで来るとさすがに気にするなという方が無理な話で、まぁ直接言うのもどうかと思ったがこの際訊いてみることにした。
史渡さんは一瞬疑問気な顔を見せたが、俺が思っていることを察したのか、うるさくならない程度に声を上げて笑った。
「なははっ。心配しなくても無職じゃねぇよ。俺の仕事は家でもできるからな。適当に時間作ってこうして来てるだけさ」
「そ、そうなんですね……」
何をしているかまでは言わなかったものの、どうやら仕事自体はしているらしい。
「お待たせしました」
そんなやり取りがひと段落? したところで、コーヒーとブラウニーが届いた。
お礼を言って、早速コーヒーカップに手をかける――
「ただいま~」
と、来客を報せるベルと一緒に少し抜けた女性の声が店内に響いた。
飲食店には、というか凡そ店全般には似つかわしくない言葉を口にする女性は、特に気にした様子もなく店内を見まわす。
「おっ、織宮くん今日も来てるんだ~。やほ~」
俺の姿を捉えると、実に軽い感じでヒラヒラと手を振ってくる。
「こんにちは、祈鷺先輩」
クセのある茶髪を背中ほどまで伸ばした彼女は梶倉祈鷺さん。今俺が通う綾葉高校の3年生(学校での面識はほとんどない)で、苗字の通り店長の徳真さんの孫娘だ。桜木先輩ほどではないが女性としては高めの身長で、立った俺より少し目線が下な程度だ。
「いい加減店で『ただいま』はやめなさいと言っているだろう、祈鷺」
「なははっ。いいじゃねぇかマスター。バイト先とは言え、学校から直で祖父の家に来てるんだから」
まったくと孫娘を窘める店長と、可愛いもんだと笑う史渡さん。
そう。史渡さんの言う通り、「Frieden」は先輩のアルバイト先でもあるのだ。
俺たちの初対面は、2度目にここに来た時。あの日も先輩は今日のように帰宅のテンションでやってきた。
「ナイス~、ジョーさん。そうだよお祖父ちゃん。ここは第2の家みたいなものなんだから~」
「はぁ……わかったから、早く着替えてきなさい」
「はぁ~い。織宮くんも、ゆっくりしてってね~」
店長の言葉にもやはり気にした様子はなく、軽い足取りで店の奥へと消えていった。
もう話し方でわかると思うが、祈鷺先輩は人との接し方がフランクというか緩いというか、非常にマイペースな人だ。……言っちゃ悪いがなんとも先輩感のない先輩だ。
俺も、本来であれば出会って間もない、それも異性に対して敬称付けとはいえ下の名前で呼ぶことなんてまず有り得ないのだが、本人の希望もあってそう呼んでいる。まぁ、名前呼びに関しては先輩の性格の他に、もうひとつ理由があるのだが。それというのも――
「こんにちはー」
――っと、これまたタイミングがいいな。
入店してきたのは、身長180センチはあると思われるこちらも茶髪でクセ毛の男性。
「おっ、織宮くん今日も来てたんだ」
俺を見つけた時の反応が祈鷺先輩とほとんど同じだ。
「こんにちは、伊鶴さん」
梶倉伊鶴さん。大学1年生。店長の孫で且つ祈鷺先輩の兄であり、まさにこの人が、俺が祈鷺先輩を名前で呼ぶ理由だ。
まぁ大した理由でもなく、要するに同じ苗字が3人いるため紛らわしいからである。
そして彼もまた、ここでバイトをしている。
「おぉ伊鶴、今し方祈鷺ちゃんが来たところだぞ」
「ジョーさん。えぇ、知ってますよ。遠目で入るの見えてたんで」
当然と言えば当然、常連である史渡さんとは面識もある。ふたりが史渡さんのことを「ジョーさん」と呼んでいることからも密接な距離感が窺える。
話し方や大人への言葉遣い、入ってきた時の「ただいま」ではなく「こんにちは」という言葉。伊鶴さんは……ちょっと失礼になるが、祈鷺先輩と比較すると随分と真面目な人だ。
「おっ、伊鶴くん帰ってきたんだ~。おかえり~」
声が聞こえていたのか、まだ学校の制服姿の祈鷺先輩がひょっこりと顔を覗かせた。
伊鶴さんがただいまとだけ返すと、うんうんと満足気に頷いた後引っ込んでいった。
「じゃあお祖父ちゃん、俺も着替えてくるね」
「あぁ。よろしく頼むよ」
間もなく、伊鶴さんも準備のため店奥へ。
「はぁ……。祈鷺ももう少し、伊鶴のように慎みを持ってくれたらいいんだけどねぇ……」
再び店長から祈鷺先輩に対して溜め息が漏れる。俺からするとあの話し方もマイペースさもそういう人なんだと思えるが、祖父としてはどうやらそうもいかないらしい。
「そうかぁ? 俺は祈鷺ちゃんはアレでいいと思うんだがなぁ」
「史渡さんはいいかもしれないがねぇ、そのうち一見さんにもあのまま接客しないか気が気じゃないよ。織宮くんなんて、学校の後輩と知った途端にアレだからねぇ……」
思わぬところで俺が話題に上がりふたりから視線を貰うが、どう反応すればいいのかわからなかったので苦笑いを返してコーヒーをひと口飲んだ。
「でも、俺は今から祈鷺ちゃんにかしこまられたら台風でも来るんじゃないか心配になるね。なははっ」
「笑いごとじゃないよ」
呆れる店長と、対照的に楽し気な史渡さん。
よく見ると、他のお客さんもふたりの会話に思うところがあるのか、微笑ましいと言わんばかりに静かに笑っている。
「おっ、噂をすれば」
史渡さんのそんな言葉に反応して顔を向けると、ちょうど着替え終わった祈鷺先輩が奥から出てきたところだった。
「ちょうどよかった。今、祈鷺ちゃんの話してたんだよ」
史渡さんは笑って祈鷺先輩に呼びかける。
「あら。私の話って、一体どんなお話をなさっていたんですか?」
「ぬぁ!?」
「「――!?」」
そんな、とても祈鷺先輩とは思えないような丁寧な言葉遣いがいやに明瞭に店内に響いた。否……轟いた。
思わず声を上げて史渡さんが目を剥く。
店長がまるで天変地異でも目の当たりにしたかの如く驚愕を表に出す。
談笑していた婦人たちの会話がピタリと止み、ぐりんと首を回して祈鷺先輩の方へ振り向く。
パソコンで仕事をしていたと思われるスーツ姿のサラリーマンの指が止まった。
夫婦で来ていたお婆さんの手からフォークが落ち、お爺さんはカップに口を付けたまま動かなくなった。
数秒間、店内のBGMを除いた全ての音が消える。
そんな状況を作り出した現用である祈鷺先輩はというと……
「にゃは。どぉ~? 台風は来そう~?」
と、沈黙を破ると同時にこれでもかというしたり顔でそんなことを言う。
それを端に、緊張の糸が切れたように店内は音を取り戻す。
「話聞いてたな祈鷺ちゃん」
「いえ~い。びっくりした~? ――イデッ!?」
実に楽し気にダブルピースを決める先輩だったが、背後から脳天に落とされた拳骨によって一瞬で頭を押さえて蹲ることとなった。
「仕事中に遊ぶな」
ぬ゛お゛おぉぉと呻く先輩の後ろで拳を握るのは、着替えを済ませた伊鶴さんだった。……結構いい音したけど、大丈夫かな……
「伊鶴くぅ~ん。もうちょっと手加減をさぁ~」
「何言ってんだ。十分手ぇ抜いたぞ」
涙目になりながら兄に抗議をする祈鷺先輩。妹の訴えを柳に風と流す伊鶴さん。
本来であればこういう雰囲気の喫茶店にとっては場違い極まりないのだろうが、どうしてか変に感じられない。多分それはきっと、店を切り盛りする3人が血の繋がった家族であり、なんだかんだと言いつつも祈鷺先輩の性格を店長が理解しているからであり、それをお客さんが受け入れているからだろう。
「はぁ……ふたりとも、取り敢えず接客お願いできるかな」
「「え?」」
気が付けば、入り口前に赤ん坊を抱えた女性がなんとも言えぬ笑みを浮かべて立っていた。その心は――入るタイミング間違えたかしら――だろうか。
「「い……いらっしゃいませ~」」
やらかしたと言わんばかりの表情の兄妹による見事なユニゾンが、店内に再びいつも通りをもたらした。
余談ですが、「Frieden」というのは、もともと別の物語を考えてたときの喫茶店の名前です。そっちの物語の方は構想段階で話の広げ方に詰まって諦めましたが、個人的にこの名前だけはしっくり来てたのでこうして表に出せて良かったです。




