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笑わないキミの笑顔を探そう  作者: 無色花火
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71話 安らぎ

 都島さんと話した日からまた数日を重ね、お互い朝目が合えば挨拶をするくらいにはなったが、彼女が放課後に屋上を訪れることは一度もなかった。

 俺はというと、日増しに気温が下がり続ける中でも毎日屋上に通っている。今日も今日とて塔屋の上で寝っ転がっているわけだが、そんな時には普段は考えもしないような思わぬ気づきがあるもので……


「そう言えばこの辺のこと、なーんにも知らないなぁ」


 俺が今住んでいるマンションの近隣には、俺がよく使う店としてはスーパーや本屋なんかが徒歩数分圏内にある。前回とは違い、最寄り駅は本当に駅としての役割しかない規模の小さなもので、観光やショッピングをするような場所でもなし。ひと駅電車に乗れば大きな駅に着くが別段わざわざ赴く用事もない。かといってサクラモールのような大型の商業施設が家の付近にあるわけでもない。

 下校路も母からのお使いの依頼(命令)以外で寄り道することもないから、俺の行動範囲は家から徒歩数分の範囲内と学校だけなのだ。

 前にも増して住んでいる地域に関して知らなすぎる。

 

 だからだろうか。帰り道、ふといつもの路から外れてみたくなったのは。

 いつもならまっすぐ行く交差点を、右折して横断歩道を越える。たったこれだけで普段歩き回らない俺からすれば景色は一変するもので、数分も直進すれば見たことない町風景だった。

 決して道が狭いわけではないが、車通りは少なく、比較的穏やかな通りだ。車道を挟んで両サイドとも民家や小規模なマンションに挟まれて所々に何かしら店舗の類が見られる。

 右側の歩道を何があるかと周囲を見回しながら歩いていると、なんとなく、ある建物の前で足が止まった。


「喫茶店?」


 レンガの映えるレトロな外観は、それだけで落ち着いた雰囲気が表れていた。

 店先に立つ看板には「珈琲喫茶 Frieden」の文字。


「フリエデン……フリーデンか?」


 英語だろうか、見たことない単語だ。読めぬ。

 ここで足を止めたのも何かの縁だと、鞄に財布が入っているのを確認して店に入ることを決めた。

 木造りの扉を押して開けると、来客のサインのベルの音が店内に響いた。


「いらっしゃいませ」


 中に足を踏み入れると、俺を認めた60代くらい男性がカウンターの向こうから迎えてくれた。白髪の混じった髪と整えられた口髭……ダンディというのはきっとこういう人のことを言うのだろう。他の店員が見当たらないところからすると、この人が店長だろうか。

 店内の客は、カウンターにひとり、テーブル席に老夫婦と女性客ふたり組、スーツ姿の男性の計4組。まぁ平日だし時間的にもそんなものだろう。

 立ち呆けているのも変だし、取り敢えずどこかに座ろうと席を探す。テーブルとカウンターどちらにしようかと迷ったが、さすがにカウンターに座る勇気はなかったので壁際のふたり用席を選んで着席した。

 間もなくすると、カウンターにいた男性がメニューを持って俺の座る席まで歩いてきた。胸元の名札には上に小さく「店長」と、下にスペースを使って「梶倉かじくら」と書かれている。やはりこの人が店長で合っていたようだ。

 俺はメニューを受け取って何にするか順に見ていく。


「えっと……オリジナルブレンドと、ブラウニーひとつで。あ、砂糖とミルクはいりません」

「かしこまりました」


 せっかく入って何も食べないのは少し気が引けたので、フィーリングで選んだブラウニーをコーヒーと一緒に注文した。

 待っている時間は、何をするでもなくただじっと座っている。こういう雰囲気の店に入ったのは初めてなので少しばかり緊張もしたが、店の雰囲気や恐らくクラシックであろう音楽もあってなんだかんだリラックスできている。やはり静けさを重んじる店というのは店内環境からこちらを落ち着かせてくれるのだろう。目を瞑っていればそのまま眠ってしまいそうな気さえする。


「お待たせしました。オリジナルブレンドコーヒーと、ブラウニーです」


 店長直々に届けてくれた(店長しかいないからだが)熱いコーヒーを、まずひと口飲む。ブラックコーヒー特有の苦みが舌を撫で、淹れたての熱を持ったまま胃まで届いたのがわかった。

 俺は別にコーヒーの違いがわかるほど舌が肥えているわけではないが、さすがに家で飲むインスタントコーヒーと違うことはわかる。

 カップをソーサーに置いて、ほぅとひと息つく。そして一緒に注文していたブラウニーをフォークでひと口分切ってから口に運ぶ。味を知覚したその瞬間、俺はこれが好きだと思った。端的に言うと、甘すぎずほろ苦い。コーヒーを先に飲んだからかわからないが、今の俺の味覚に合っていた。


「少年、高校生か?」


 俺が舌鼓を打っていると、カウンターの方からそんな声が聞こえた。他に「少年」と呼ばれるような年の頃の人は店内にいないし、俺のことだろうかと声の主の方へ顔を向けると、カウンター席に座っていた小太り気味の男性がこちらに体を向けていた。見た感じ40代から50代前半ってところだろうか。


「はい、高校生ですが……」


 まさか声をかけられるなんて微塵も思うはずもなく、男性の行動への疑問より現状に対する動揺が勝ってしまう。必然、返す声も固くなるわけで……


「あぁすまんな。別に驚かせるつもりはなかったんだ」

「あ、いえ」

「学生が、それもひとりでっていうのは珍しくてな」


 どうやらひとりでいる学生の俺が気になったらしい。


「そんなに珍しいですか?」

「珍しいぞぉ。俺はここの常連だが、学生のひとり客は滅多に見ないな。あからさまなカップルとか、休日に親子でとかはたまに見かけるが。マスターはどうだい?」

「そうだねぇ……確かに、ここ1年でひとりで来た若い子は何人もいなかったかな」


 まぁ確かに、現代の学生なら……というか若者ならどちらかというと、カラオケとか映画館のような娯楽施設の方が好きそうなイメージがある。俺もその若者の部類に入るわけだが。

 なんにせよ、改めて珍しいと言われると珍しいかもしれない。現に俺もここに来た経緯は単なる偶然であって、目的あってのものじゃない。


「好きなんですよ、静かなところって」


 俺は無難にそう返した。

 事実として、今もそうだが俺が屋上に通うのは静かだからという理由が強い。最近までは沖田さんがいるからなんて理由もあったが、もともと俺にとって学校の屋上は静かな時間を過ごす場所だ。


「それは、嬉しいことだね」


 店長だった。


「どんな理由でも、ここに静けさを求めて来てくれたのは、私としても本懐だよ。私自身、落ち着いた場所が好きだからこうして店をやっているわけだしね」


 コーヒーカップを拭きながら、そう語ってくれた。

 店長の声を聞いていると不思議な感覚になる。なんというか、初対面なのに自然と安心できる声だ。詳しくは知らないけど、確か「f分の1ゆらぎ」っていうんだっけか、こういうのを。きっとこの店にいると心が落ち着くのは店長の声も関係しているのかもしれない。

 ……そう言えば、店と言えばひとつわからないことがあったんだった。


「あの……この店の名前って、なんて読むんですか?」


 看板にあった英語だかのアルファベット単語。どう読むのか、どういう意味なのか、少し気になった。


「あぁ、あれは『Frieden(フリーデン)』と読むんだよ。ドイツ語で『平和』や『安らぎ』といった意味がある言葉だよ。うちの場合は『安らぎ』の意味が強いけどね」


 どうやら、読み方の予想に関しては当たっていたらしい。ドイツ語というのはさすがにわかりようがなかったが。

 それにしても……なるほど、安らぎか。名は体を表すとはこういうことか。とても納得感のあるネーミングだ。


「ピッタリですね……この店に」


 心そのままに、そう口にしていた。


「はは。ありがとう」


 優しく笑う店長の表情は、とても柔らかかった。

 俺はせっかくのコーヒーを冷めないうちにと飲み、ほぅとまたひと息ついた。

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