69話 花と言葉
今日の我が家は朝から忙しない。午前中は寝具など残りの荷物の箱詰め作業と最終確認、それと俺は自室の掃除。その後少し早めの昼食を取って、午後にはもう電車でこの町を去る。
俺も、電車の中で読むための本や財布などの貴重品を入れたショルダーバッグと、昨日もらった造花と寄せ書きの入った紙袋以外は全部段ボールでトラック輸送だ。
沖田さんへのプレゼントは、全部終わった後、駅に行く前に家に寄って渡す予定だ。なので今は物を最低限にしてスペースに余裕を持たせたバッグの中に、傷つけないよう仕舞っている。
「悠灯、布団持って下りてきてー。こっちでまとめるからー」
「へーい」
母に呼ばれて一度手を止め、隅に畳んで置いていた寝具一式を抱える。部屋を出ようとすると、折り畳んで壁に立てかけていた気泡緩衝材で梱包済みのベッドが目に入った。持って下りるのを忘れていたが、一緒に持って下りられるはずもなく、俺はひとまず布団だけ持って1階へ下りる。
「なぁ。今更なんだけどさ、俺にベッドっている?」
俺が使っている折り畳み式のベッドは高さは敷布団なしで50センチほど。畳む作業は1分もあればできるのだが、何分重い。それにこう何度も引越ししているのだから、畳んで開いてを繰り返していると面倒くさくもなる。もう布団敷くだけでいいのではないかと思う。
「……ほんっとに今更ね。別にあんたがそれでいいならそうすればいいと思うけど、布団だけに慣れなくて寝られなくなっても知らないわよ」
「ああ……確かに」
布団からベッド、ベッドから布団に変わったことで寝られなくなるというのはよくある話だ。境遇上今更寝る環境くらいで影響はないが、小学の頃からベッド派の俺に唐突にそれが変わって安眠ができるだろうか。
「持って下りてくる」
「へーい」
俺は早々に否と結論付け、ベッドを取りに2階に戻った。
◆◇◆◇
すべきことは全て終えて、昼食も済ませた。時間は少し前に正午をまわったところ。約半年過ごしたこの家とも遂に(という程でもないが)オサラバ。
今は引越し業者の人が荷物を運んでくれている最中だ。
「父さん。次の家ってどんなの?」
俺は待っている間、何の気なしに父にそう尋ねた。
「どうしたんだ急に?」
「いや。なんとなく、どんなトコなのかなって」
「そうだな……6階建てマンションの3階で、居間の他に部屋がふたつあるから片方は悠灯が使うといい。ここほどの広さはないけどな」
「ふーん」
ここ数年は戸建て続きだったからマンションは久しぶりだな。3階なら昇降にもそこまで苦労しなさそうだ。
「ふーんって、悠灯から訊いておいておざなりだなぁ……まぁ今更か。父さんちょっと業者さんのとこ行ってくるよ」
俺は、行ってしまい現在進行形で引越し業者と話す父の背中を眺める。
(いつか、こんな生活も終わりが来るんだろうな……)
父は言った。転勤は頼られている証だと。別に転勤がなくなったからと言って用済みというわけではないだろう。
だがいつか、次の転勤先ではなくてもどこかで定住する日が来るのかもしれない。
正直将来のことはまだ深く考えていないが、高校を卒業するまではあと1年ある。
俺が高校生のうちに終わるかもしれない。俺が独立してからも続くかもしれない。大学に行くのか就職するのかさえ朧げだが、少なくとも「転校」は高校までだ。
「……あれ?」
父や業者さんたちがいる方のちょうど反対側から、こちらに歩いてくる人影が4つ見えた。そのうちのふたつは見覚えがある。
だがそれは…………完全に予想外すぎた。
(沖田さんと、桜木先輩と……後ろのふたりは……もしかして)
俺は急いで4人のもとへと駆ける。
「やっ。織宮くん」
先に声をかけてきたのは桜木先輩だった。
「こんにちは。沖田さんも、来てくれてありがとう」
「うん」
タメの人と目上の人に同時に会うと対応に困るのは俺だけだろうか。敬語で話せばいいのか普通に話せばいいのか、どっちが正しいんだ?
いや、それは今は置いといて、だ。
「それで……そちらは……?」
俺はさっきから気になって仕方がない、後方に控える男性と女性に視線を移す。大方の予想はついているが……
「あ、そうだったね。織宮くん、こちらは――」
桜木先輩がそこまで言うと、男性の方がそれを手で制し女性と一緒に前へと出てくる。
「初めまして。君が織宮悠灯くんだね」
「えと……はい」
「私は耀弥の父、沖田竜彦です」
「母の未弥です」
やはり、沖田さんの両親だった。
「織宮悠灯、ですっ」
そうとわかればもう緊張MAXだ。いやだって、いきなりご両親登場だよ? 一体どう反応すればいいというのか。妙に語尾に力入って変な感じになったし。
「あんまり緊張しないでくれ。……と言っても、突然押し掛けたんだ。無理もないか」
沖田さんの父――竜彦さんは体格がよく、なんと言うか、威厳と穏やかさを兼ね揃えた落ち着いた雰囲気の人だ。
未弥さんの方は、さすが沖田さんの母親と言うべきか顔立ちもよく似ている。言ってしまえば沖田さんから幼さを取っ払ってそのまま大人っぽくした感じの人だ。
「君が引越してしまうと聞いてね。無理言って休みをもらったんだ」
「そんな、どうしてわざわざ……」
まさか仕事を休んでまでここに来てくれているなんて思わなかった。いくら娘の恋人とは言え俺とふたりは今日まで会ったことも話したこともない。……恋人って自分で言うと恥ずいな。
「今日は君にお礼を言いに来たんだ」
「お礼……ですか?」
初対面の相手からはおおよそ出ることのないワードに、反射的に訊き返す。
「あぁ。耀弥のことで、君にはとてもお世話になったからね」
「私たち、あなたには本当に感謝しているの」
それから、ふたりは同時に頭を下げた。
「織宮くんっ。ありがとう。耀弥を変えてくれて、耀弥を受け止めてくれて。本当に……ありがとう」
「そんなっ。あのっ……頭を上げてくださいっ」
目の前で頭を下げられて焦らずにいろなんていうのは無理な話で、俺はそう言うことしかできない。沖田さんと桜木先輩に助け船を求めて視線を送るも、それはもう真剣な面持ちで何も反応を返してもらえなかった。
……それだけ、このふたりの意思が、意志が強いということだ。そして沖田さんも桜木先輩も、それを理解しているということ。
なんとか顔を上げてもらうことに成功したが、どう会話を続ければいいかわからない。
「本来であれば私たちが解決すべき問題だったのだが、父母揃って仕事に忙殺され耀弥のために時間を割いてやれなかった……いや、言い訳だな。仕事を理由にどうすればいいのかわからない状況から目を逸らしていたんだ」
「一番一緒にいなきゃいけない時に、私たちは傍にいてあげられなかった。寄り添ってあげなきゃいけない時に、あの子とちゃんと向き合えなかった」
まるで懺悔。自分たちの娘への、謝罪の言葉。
「でも、耀弥は変わった。5年以上もずっと殻に閉じこもっていたあの子が、突然。あなたのことを知ったのは、知春ちゃんが教えてくれたからなの」
「桜木先輩が?」
「あぁ。耀弥が変わったのは織宮くん、君があの子を諦めないでいてくれたからだ、とね」
俺が再び先輩へ視線を向けると言葉はなしに小さく頷くのが見えた。
「織宮くん、改めて言わせてくれ。本当にありがとう」
「私からも、本当にありがとうございました」
今一度、いや先ほどよりも更に深く、ふたりは頭を下げた。
「いえ……沖田さん――耀弥さんに変えられたのは、俺も同じですから」
俺がそう言うと、ふたりは顔を上げ揃って疑問気な顔になる。
「えーっと……アレです。おあいこってやつです。俺も、沖田さんには感謝してるんです」
「……ふっ。ははっ、そうか」
この時初めて、どこか堅苦しさを帯びていた場の空気が緩やかに、穏やかになった気がする。
竜彦さん……少し堅い人なのかと思ったけど、思ったより優しい顔で笑う人なんだな。
「耀弥。私たちは織宮くんの親御さんに挨拶してくるよ」
「知春ちゃんはどうする?」
「はい、私もご一緒します。耀弥ちゃん、私も行くね。後はふたりで、ね」
「織宮くんも、またいずれ機会があれば会えることを祈っているよ」
「あ……っと、はいっ」
あれよあれよという間もなく、3人はうちの両親のもとへと行ってしまい、沖田さんとふたり取り残されてしまった。
「えーっと、改めて今日は来てくれてありがとう。沖田さん」
「……うん」
「……」
「……」
……あれ? なんだこの沈黙? なんか途轍もなく久しぶりな気がする。今更緊張することなんて何もないのに謎の沈黙が生まれてしまった。
「……」
「……」
なんだか最後の最後に、最初の頃に戻ったような気分だ。
どうしたものか…………って違う! プレゼント! 渡さなきゃ! 黙りこくっている場合じゃないッ!!
「沖田さんッ!」
「織宮くん……っ」
気づいたなら即行動――とその矢先に沖田さんとタイミングが被った。
「あぁ、あー……お先にどうぞ」
「ううん。織宮くんから」
「えっと、じゃあ……」
なんだか締まらないが、もうこの際そこはいい。
大きく、深く、息を吸い、そして吐く。
紙袋を一旦置いてショルダーバッグからプレゼント箱が入った紙袋を手に取る。
「これを、受け取ってほしい」
大丈夫。心の内でそう唱えて右手に持ったソレを沖田さんへと差し出す。
プレゼントに向かってそっと伸びる手は、しかし触れる直前で戻っていった。
受け取ってもらえない……そう不安に駆られそうになった時、沖田さんの手が肩から提げられていた鞄へと入っていった。
「私も……これ」
差し出される両手に収まっているのは、赤いリボンで結ばれた緑色の紙のラッピング袋。
今俺は多分、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていると思う。プレゼントを渡したら受け取る前に渡し返された。
(考えることは同じ、か)
俺たちは交換するように、相手のプレゼントを受け取る。袋越しの手触りは柔く、おおよそ固さが感じられない。
そして示し合わせたわけでもなく、同時にそれぞれのプレゼントを開封する。リボンを解き開いた口から姿を見せたのは、折り畳まれたハンカチだった。白地に細い緑の縞模様が入った、男が使っていても何ら違和感のないシンプルなデザインだ。これだけで超が4つ5つ付くほど嬉しいが、次に目に入ったもので否定された。
ハンカチの片隅。そこに一輪の花が刺繍されていた。きっといつもの俺なら、花の知識などほとんどないゆえに、それをただ花と認識していただろう。
そこにあるのは、薄紫色の花弁に、黄系色の中心部(なんて言うのかは知らない)。ただ何かの花と結論付けるにはあまりに見覚えがありすぎた。それもその記憶はあまりにもタイムリーだ。
「「これって……」」
俺がそう思ったのだからそれは必然、沖田さんも同じだった。むしろ実物な分彼女の気づきの方が明瞭だ。
この花が何であると、互いにはっきりとは言っていない。でもお互いの想像が間違っていないことは――その花が紫苑であることは疑うまでもなかった。
「あははっ」
その笑みは自然に零れた。
――決して忘れない。
――ずっと思い続ける。
思っていたこと、伝えたいことは同じだった。
この偶然は奇跡か、それとも少し恥ずかしいが絆とやらの成せる業か。
「少しだけ、持ってて」
そう言って沖田さんは箱を紙袋に入れて俺に手渡した。
俺が受け取ると自らの髪に手をかけ、いつもの青いヘアゴムを外して右の手首に通す。そして俺が贈った紫苑のヘアゴムで、その純黒の髪を同じ左側でサイドテールにまとめた。
俺はその仕草、その姿を、刹那も目を逸らさず、瞬きひとつせずに見つめていた。
「……どう?」
そんなことを訊かれるが、答えはそもそもひとつしかない。
「うん。とっても、似合ってる」
紫苑の飾りが目立つように、ゴムの色は敢えて沖田さんの髪と同じ黒にした。紫苑の花も背合わせに2つ入っているためどんな角度からでもその姿が見える。
今の俺の気持ちをひと言で表すとすれば――感極まれり、だろうか。
俺の返答を聞いた沖田さんは、ほんの少しの間だけ目を伏せる。
「ありがとう……」
顔を上げた沖田さんは……
「ぁ……」
沖田さんが…………笑っている。
今まで見せてくれた微笑みの表情じゃない。まさに耀くような、大輪の花咲くが如き満面の笑顔だ。
気づけば息を止めていたほどに、ただ純粋に見惚れてしまっていた。
(これは、もらいすぎだな……)
俺のプレゼントがサプライズなら、沖田さんのはプレゼント✕笑顔で2乗増しだ。いや、ヘアゴムを着けた姿を見せてくれたのもあるから3乗だ。これはもう敵う道理がない。
右手にはもらったプレゼントを、左手には紙袋を握り締めたまま、俺は沖田さんを抱きしめた。
言葉はいらない。俺が伝えたいことは全部、紫苑の花に乗せたから。
それはきっと沖田さんも同じ。
この静寂は、今までで一番心地のいい時間だった。
◆◇◆◇
「今日は来てくださってありがとうございました」
「皆さんとお話しできてよかったです」
別れの際、父と母は沖田さん一行にそう謝辞を述べた。
「いえ。こちらこそありがとうございました」
「私どもも時間を頂けて感謝しております」
なんと言うか、これが大人同士の会話というやつだろうか。立場的には対等なのに双方ともに終始言葉遣いが丁寧だ。母の敬語なんか今まで聞いたことなかったかもしれない。
「織宮くんには私も随分とお世話になったので、ご両親ともお話しできて光栄でした」
そしてその中で普通に会話に交じる桜木先輩。
俺より高い身長も相まってか、実に違和感が仕事をしていない。ひとつしか歳変わらないのになぁ……
そんな大人たちの傍らで、取り残された俺と沖田さん(沖田さんがどう思っているかは知らないけど)がポツリ。
「……それでは、業者さんを待たせてもいけないので、私たちはこれで失礼します」
俺と沖田さんも交えてまた少し話し込んだ後。父のその言葉で、この瞬間が本当に最後なのだと俺は悟った。
大人たちが最後の言葉を交わす中、俺は沖田さんへと向けて――
「それじゃあ沖田さん。また――――必ず」
「――――うん」
◆◇◆◇
「よかったの、耀弥ちゃん? 駅まで見送り行かなくて」
織宮家だった家の前。普通に会話しても聞こえないほどに織宮一家が小さくなった頃合い。
知春は隣にいる耀弥にそんな問いを投げた。
「うん。伝えたかったことは全部……伝えたから」
「そっか」
「また会えるさ。彼は信用できる」
「そうね。耀弥のことを、とーーっても大切に思ってくれていたものね」
竜彦も未弥も、悠灯と話した時間はほんの数分でしかない。だがその数分は、悠灯の耀弥への思いの強さを証明するには十分すぎる時間だった。
そうしているうちに織宮家一行は角を曲がったのか、その姿はもうどこにもなかった。どことなく哀愁の漂う中、知春はふと、耀弥の髪に花を見つけた。
(なぁるほどね~)
なぜヘアゴムが変わっているのか、その花が何なのか、それが何を意味するのか。それを全て理解した知春は、
「耀弥ちゃん。ソレ、似合ってるよ」
悪戯っぽい心の声とは裏腹に、優しい声でただそう言った。
「うん。ありがとう」
竜彦。未弥。そして知春。
3人は実に6年ぶりに、かつて自ら心を塞いでしまった最愛の娘の、親愛なる妹の……いつの日か見せなくなった、少しくだけた表情を見た。
最終話、ありがとうございました……………………ではないです。なんかどことなく最終話っぽいですがまだ終わりません。続きます。
この話を書き終えた時、ついにここまで来たかと思いましたね。ひとまず、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
話は変わりますが、区切りも良い(?)ので近いうちに簡単なキャラクター紹介を投稿しようと思ってます。そんなに事細かに書くつもりはありませんが、ここまで読んで下さった方に「こんなキャラもいたなぁ」とか思っていただければと。
はい。
2回目ですが、物語はまだ続きます。
新しい生活、新しい出会い、いまだ深く触れてないあれこれ、などなど……次話70話からも『笑わないキミの笑顔を探そう』をどうぞよろしくお願いします。




