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笑わないキミの笑顔を探そう  作者: 無色花火
63/132

63話 キミが言ってくれたから

「おじゃま……します」


 耀弥はおずおずといった風に扉を閉めると、そう控えめに言う。


「沖田さん、どうして……」

「織宮くん……体調崩したって、聞いたから」


 予想していなかった耀弥との対面。目が覚めたばかりで、現実逃避から帰ってきたばかりで、今会うなんて思ってもいなくて、隠しきれない動揺が悠灯から滲み出ている。できれば今は、今だけは会いたくなかった。

 耀弥も、ここまで来たもののどうすればいいのか、何を話せばいいのかがわからず足踏みをしている。


 悠灯と床を視線で往復していると、その最中で右手の手提げが目に入った。耀弥は小さな勇気を捻り出し、ゆっくり悠灯へと歩みその距離を詰める。

 悠灯は尚も、頭の混沌を治められない。


「織宮くん、これ……」

「え……ぁ……」


 悠灯のどこか虚ろな瞳に、耀弥の手に収められた弁当箱が映る。


「食べて、ほしい」


 だが後ろめたさからか、それを受け取れないでいる。

 いつまで経っても悠灯の手が伸びてこないことに、耀弥の中で次第にもどかしさが湧き上がってきた。静かにその場に腰を下ろし、風呂敷から弁当箱を取り出し開ける。そしておかずのひとつを箸で掴み――


「……ムグっ!?」


 それを俯く悠灯の口に押し込んだ。

 突如口の中に侵入してきた食べ物の感触と、予想だにしない普段の耀弥らしからぬ大胆な行動に驚きを隠せない悠灯。箸が抜き取られてから、ゆっくりと咀嚼する。

 悠灯が飲み込むのを確認してから耀弥はもう一度弁当箱を差し出す。


「食べて」


 今一度そう言う耀弥の言葉に悠灯はどこか力強さを垣間見た。食べてほしいと、ただそれだけを望んでいるような。

 その真摯とさえ言える姿に悠灯は降参して耀弥から弁当を受け取った。

 ひと口、ふた口と、ゆっくりながらも無心になって箸を進める。不思議なほどに、食べれば食べるだけペースも上がりひと口の量も増えていった。悠灯は一心不乱に、耀弥の手作り弁当を食べた。


「……ごちそうさま」

「……うん」

「おいしかったよ……すごく、おいしかった」

「……うん」


 食べ終わり、少し落ち着いた悠灯は一度深呼吸をする。


「ごめんね、こんなトコ見せちゃって……」


 はははと、そんな風に笑い悠灯は努めて明るく振舞おうとするものの、空振りしていることが自明ゆえに数秒とせずに表情が翳ってしまう。耀弥の方も悠灯のそれが空元気であると悟ることは難くなかった。


「もう、大丈夫?」

「あ……うん、大丈夫だよ。熱ももうないしね」


 体調はもう大丈夫。なのに悠灯の表情は優れていない。


(まだ……大丈夫じゃ、ない)


 嘘はついていない。ただ、隠している。いや、話すべきか迷っている。

 訊きたい。でも訊いていいのかわからない。そんな相反する思いが耀弥の中で巡り回る。いつの日かの悠灯と同じように二律背反が耀弥を苛む。


 ――でも、ただそのままでは今までと何も変わらない。


 今まで先に変わろうとしたのはいつでも悠灯だった。過去を知りたいも、友達になりたいも、好きも、いつも悠灯が伝えてくれたから耀弥の心は変わっていった。だから文化祭にも誘えたし、笑うことも出来た。


 気づけば耀弥の手は、悠灯の袖口を控えめに掴んでいた。


「……?」


 不意の袖への抵抗に顔を上げる。その先にあるのは強い意志を感じさせる光を宿した耀弥の瞳。


「話して、ほしい。……何があったのか、知りたい」

「……ッ」


 わかっている。言わなければいけないことは。……ただ、言えば何かが終わってしまいそうな気がしてどうしても踏ん切りがつかない。

 きっと耀弥も、自らの過去を話す時にこんな風に躊躇ったに違いない――――と、そこまで考えて悠灯は気づいた。


(でも……それでも沖田さんは、話してくれた。こんな俺を信じて、話してくれた……)


 悠灯の頭の中であの日の光景が繰り返し再生される。耀弥が初めて感情を表出させ、声も体も震わせながら自らの傷を抉り曝け出したあの日。

 それまで機械のように感情の抑揚がなかっただけに、悠灯にとっても悪い意味で衝撃のひと言だった。


(ここで逃げ続けるのは、沖田さんを信じないのと一緒……だよな)


 悠灯の中の迷いが、水泡の如くたちどころに失せていった。




「転校がさ……決まったんだ……」




 誰が聞いてもわかるほどに緊張感を孕んだ吐露が、たったふたりの狭い空間に静寂以上の静けさをもたらす。

 言いながらも、悠灯は不安を拭えない。いくら気持ちを固めたとはいえ当然と言えば当然。耀弥を置いて遠くへ行く、その報告をしているのだから。


「引っ越しの日は、11月1日。……もう、2週間しか、時間がない」


 語るに連れ、悠灯の表情が苦々しいものへと変わっていく。握られた拳は、皮膚を破りそうなほどに爪が食い込んでいる。

 無音が、悠灯の肌を、心を貫かんほどに容赦なく刺す。


 耀弥は――




「もしかしたら……そうなんじゃないかって、思ってた」




 凛と鳴るような声でそう口にした。


「えっ……?」


 信じられない。そんな驚きを悠灯は隠すことなどできず、反射的に耀弥の顔を見る。だが見据えるその目は嘘をついている様子はなく、ただただまっすぐに透き通っていた。


「部屋に入った時……見たことないくらい、辛そうな顔してた、から」


 部屋に入って、悠灯が入ってきたのが母親ではなく耀弥だと気づくまでのほんの僅かな時間。

 いるはずのない耀弥に言葉を失う悠灯の表情。

 耀弥は悠灯に張り付いてた「悲痛」を見落としてはいなかった。


「そんな顔になる原因が……他に、見つからなかった」

「そっか……」


 悠灯は耀弥の反応を聞いて自嘲気味に顔を歪めて弱く笑う。


「……ごめんね。最初から覚悟してたはずなのに、いざその時が来ると何も考えられなくなって。言わなきゃいけない、でも言いたくない……そうやって意味もなく悩んで先延ばしにして。沖田さんから逃げるみたいに、二日も体調崩して」


 自己否定とも言うべき懺悔が、堰を切ったように悠灯の口から溢れ零れていく。


「……結局、俺は弱かったよ。伝えなきゃいけないことを伝えられない、向き合わなきゃいけない人と……向き合えない」


 悠灯の頭の中が負の思考で埋まっていく。黒く、暗く、澄んだ水面に落とされた墨液の如くじわじわと滲むように。

 やがて後悔と罪悪感で埋め尽くされる。…………まさにその寸前で、


「――!」


 耀弥は何も言わず、ただ悠灯を抱きしめた。強く、悠灯を取り巻く暗い靄を全て包み込むように、強く。


「私は、大丈夫」


 まるで時ごと止まったように、驚きで見開かれた目もそのままに、悠灯の思考も震えもピタリと止んだ。耀弥は悠灯を胸にいだいたまま心を言葉にして重ねていく。


「織宮くんが、転校の話をしてくれた時……きっと、その時が来るのがわかってるんだって、思った」


 耀弥が紡ぐ言葉は、好恵や知春にも似た慈愛と包容力を宿していた。


「でも、織宮くんが言ってくれた。……それでも、友達になりたいって。……私が好きだ、って」


 それはかつて耀弥がされたように、悠灯の靄を晴らし、張り詰め強張った心を解いていく。


「だから、私は…………」


 そこで、耀弥が言葉を詰まらせた。


「ごめん、なさい。……うまく、言葉にできない」


 伝えたいことは頭にあるのに、それをまっすぐに表す言葉が出てこない。


 「わからない」以外で、耀弥が自らの心を伝えられなかったのは初めてだった。


 やがて耀弥は抱擁を解き、悠灯の両頬に手を添えて目を合わせる。

 その両の瞳は静謐に。それでいて決して逃がさないとばかりに悠灯が目を逸らすことを許さない。


「織宮くんがいなくなるのは……寂しいし、つらい。でも……一番つらいのは、私じゃなくて……ずっとそれを抱えてきた、織宮くんだから。だから、私は……」


 言葉が出てこない。なら、変に繕わず、選ばず、遠回りをせずにありのままを――


「私は、ずっと……織宮くんの恋人でいる。織宮くんを好きでいる。どこにいても」


 一番伝えたいことだけを、ただ伝えればいい。


 ――耀弥が初めて明確に伝えた「純粋な悠灯への気持ち」だった。


「ホント……バカだなぁ、俺」


 耀弥の両掌の中で悠灯は笑う。


「ごめんね、沖田さん。……いや、違うな――」


 今言うべき言葉は、それではない。


「――ありがとう。俺も……ずっと好きでいる」


 その笑みには自嘲も苦しさもなく、ただただ喜色だけが満たしていた。


「うん」


 耀弥はそんな悠灯に、笑顔でそう返した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 絆が深くなる良き話でした いままで出てきていない耀弥の両親が新たなムーブを起こしてほしいですね
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