59話 悠灯と耀弥の文化祭・後
結果から言うと、指示の内容は最初危惧していたより無理のない普通なものだった。というか、俺の時は大した指示は出なかった。
凄かったのは沖田さんひとりの時だ。何が凄いって、完全に緑川先輩の趣味全開のコスプレ撮影会になっていて、終始先輩の歓喜の悲鳴が飛んでいた。ドレスにメイド服、ゴシックロリータ、私服のようなラフなパーカー、エトセトラエトセトラ……正直一体どっから引っ張り出してきたのかと尋ねたい。
そして、計10着にも及ぶそれらを何の疑問も躊躇もなく着る沖田さん……控えめに言って最高でした……
ちなみに沖田さんの無表情については特に何か言われることはなく、逆に反応がよかった。主に緑川先輩に。
まぁ簡単にまとめると、最初から最後まで緑川先輩の独壇場だった。
「いんやぁー、良きよ良きよぉ~。私ぁ満足よぉ~」
緑川先輩は眼福眼福と零し、それはもう満足気だ。肌が妙にツヤツヤなのは気のせいではないのかもしれない。
「写真でき上がるまで少し時間かかるから待ってて」
現在進行形で神に感謝するが如く全身で歓喜を表現する先輩をよそに、甲斐野くんは至って冷静にこちらの応対をしてくれる。彼が平然としているのは、きっと慣れなんだろう。
見れば他の部員たちも同様のようだ。さすがである。
そして、写真ができるのを俺たちの次の撮影を見ながら待つこと10分ほど。緑川先輩がこちらへ歩いてくるのが見えた。
上で振られている手には2枚の封筒が収まっている。
「ほいっ。こっちが織宮くんので、こっちが沖田ちゃんのねー」
そう言って渡された封筒を受け取って、違和感を覚えた。
(なんか、妙に分厚い)
沖田さんと違って俺は10枚も撮られていない。写真用紙は普通の紙より厚みがあるが、それにしてもこれは明らかに分厚い。
そんな俺の様子に気づいたのかそうじゃないのか、緑川先輩が抜き足差し足の要領で寄ってきて、
「沖田ちゃんのコスp……カワイイ写真、ちゃぁーんと入れといたからネ」
沖田さんに聴こえない程度の声量でそう囁いた。
(ナルホド……この厚さは沖田さんの写真ってことね……)
まったく、余計なお世話だ……と言いたいところだが、正直心の底からこう言いたい――――ありがとうございます、と。
……というか、今この人コスプレって言いかけたよな。
(あの衣装の数々がコスプレだって自覚はあったんだな……)
とにもかくにも、素直に肯定するのもなんだか癪だし、何より沖田さんの目の前なので表には出さない。ボロが出る前に苦笑いで濁して俺は沖田さんの手を引いて写真部を後にした。
……まぁ、あの先輩なら気づいていそうなものだが。
◆◇◆◇
写真部を離れた俺たちは、休憩所として設けられている教室にいた。
自販機で飲み物を買い、人の少ない奥の方に陣取った。
「どうだった? 写真撮影」
もらった写真を広げ、そんな質問を投げかけたのだが……
「……どう、言葉にしたらいいのか……わからない」
と、そんな答えが返ってきた。沖田さんはいつも思った通りの言葉をそのまま口にしてくれる。だからこんな風に言い淀むことは滅多にない。
やはり、まだ感情の出し方や表し方が苦手なんだろう。
それでも、言葉に迷うということは悪しからず思っているということだ。かつてのような無関心な反応よりずっといい。
「でも……」
机上に広がった写真の、その中の1枚。
「これは……嬉しかった」
俺と、沖田さん。ふたりのツーショット写真に指を当て、そう呟いた。
その言葉を沖田さんから聞けるだけで行ってよかったというものだ。
「そっか。俺も、嬉しかったし、楽しかった」
「……うん」
沖田さんの声が、最近表情を帯びているように思える。いや、間違いなくと言い切れる。今俺に向けられている彼女の言葉には、声には、顔に出ない分の表情や感情が宿っている。
多分それは、ほんの僅かな変化。他人からしたら違いなどないに等しい、ささやかな特別の証。
「俺はさ、今まで沖田さんが楽しめたらそれでいいって思ってたんだ。沖田さんがしたいこと、沖田さんが望むもの……少しでも俺が叶えたいって。正直言うと、俺って特別『これがしたい』ってことがなくてさ……だから、沖田さんと一緒にいる時はいつも沖田さんに楽しんでもらうこと、喜んでもらうことばっかり考えちゃうんだ」
――けれど……だから、俺も変わろうと思う。
「でも沖田さんが、俺との時間に『特別』を感じてくれるのなら……俺も自分が楽しむことで沖田さんに楽しんで、喜んでもらいたいって、今は思う」
沖田さんを喜ばせたいと思うのは今も変わらない。ただ、それだけに固執することをやめる。
今までの俺は、「沖田さんのため」が一番で、一心だった。もちろんそれで俺自身が嫌なことは一度としてなかったし、楽しかったことに偽りはない。
これからの沖田さんとの時間は、「彼女のための俺」ではなく、「彼女とともにある俺」であろう。
「なら……」
不意の沖田さんの声に、耳を澄ます。
「織宮くんが、私の『嬉しい』を見つけてくれるなら……私が、織宮くんの『嬉しい』を、探す」
俺を強く打つように、風が……吹くはずのない風が、一陣吹いた気がした。
……やっぱり、この子はずるい。
いつもそうやって何でもない風に、表情ひとつ変えずに俺の心を揺さぶり動かしてくる。その度、どう返せばいいのか、どう喜びを言葉にすればいいのかわからなくなる。
(ホント、反則だよなぁ……)
俺は、「ありがとう」と、そう言うことしか出来なかった。
◆◇◆◇
午後になっても相変わらず、というか一層賑やかさが増したようだ。時間的にも結構終盤が近づいてきたが、今もなお人の往来が止むことはない。
俺たちはというと、ひと休憩を終えた後は第1家庭科室に向かっていた。と言うのも、料理部の販売に行くと邦依田さんと約束していたのを思い出したからだ。あまりにいろいろありすぎたものだからすっかり忘れていた。
その旨を沖田さんに伝えると、淡々としながらも快く承諾してくれた。
写真部の多目的室と料理部の第1家庭科室は階が違うだけでどちらも1棟にある。そのため本来なら大した距離ではないのだが、邦依田さんとの件を忘れていたために2棟の休憩所まで行ってしまった俺たちは、1棟まで戻る羽目になった。
特別教室の多い1棟は普通教室のクラス展示が多い2棟に比べると人は少ないものの、普段の静けさと比べたら沢山いる方だろう。
階段を使って1階に下り、より一層人の減った廊下を少し歩けば家庭科室に到着する。
学校特有の引き戸を開けて中に入ると、
「いらっしゃいませぇ。あれ、織宮くんと、沖田さん?」
「須倉さん?」
売り子として立っていたのは我らが2年5組調理係の二大巨頭のひとり、須倉仁菜さんだった。
「須倉さんも料理部だったんだね」
邦依田さんと並んでリーダーに選ばれるくらいだからもしかしてとは思っていたが、やはりそうだったようだ。
「うん。純乃ちゃんほど料理が上手いわけじゃないけどね」
須倉さんは謙遜するが、その料理スキルはこの目で見ているので俺からしたら十分凄いと言える。
「それで、買いに来てくれたんだよね。どれにする?」
第1家庭科室はシンプルな作業台が並んでいる、所謂「調理実習」をしない方の教室だ。
商品陳列に使われているのは9台あるうちの前4台だけのようだ。それぞれにマドレーヌ、クロワッサン、チュロス(チョコレート)、ワッフル(メイプル)と書かれた立札がある。
「……って言っても、もうそんなには残ってないんだけどね」
確かに、どれも残りは少なく全て合計しても10個もない。チュロスに至っては完売済みのようだ。さすがはテーマパークでも人気のスイーツである。
「まぁ……時間も時間だしね」
2日目の午後のそれも既に3時。文化祭が終わるまでもうすぐ1時間になる。この時間帯ならそんなものだろう。
数少ない残りの中から、俺はマドレーヌとクロワッサン、沖田さんはマドレーヌとワッフルを選んだ。
そしてその会計の時。
「沖田さん、いいよ」
沖田さんが財布を出そうと手提げに手をかけたのを、静かに制止した。
「俺に払わせて」
沖田さんから困惑した様子が見て取れたが、頷きだけ返して会計を済ませた。
「優しいね」
釣り銭の受け渡しの時に須倉さんにそう囁かれたが、そんな格好の良いものじゃあない。
無理に否定したり弁解することもないので、俺はその言葉に笑って濁した。
「ありがとうございましたぁ」
気の抜けるような須倉さんの声を背に、買った菓子の入った袋を手に第1家庭科室を出る。
「……よかったの?」
扉を閉めてすぐ、そう訊かれた。
「うん。これくらいは、ね」
「……でも」
沖田さんは言い淀むが、俺にもちゃんと理由はある。
「約束、覚えてる?」
「……約束?」
「そう。今度、お菓子作ってくれるって約束」
試作会の日に交わした、あの約束。沖田さんと彼女自身を繋ぎ止めるための、俺のささやかな願い。
「うん……」
「俺はそれが嬉しかったんだ。だからこれは、そのお礼ってとこかな」
――まだ果たされていない約束への感謝の気持ち。
それが今回の俺の行動の真意。
見栄でも意地でも、ましてや優しさでもない……敢えて言うならば、ひとりよがりか、自己完結だろうか。
(まぁ、結局のところ親からの小遣いなんだけど……)
格好を付けたわけではないが、どうにも格好が付かない。
締まりきっていないのが実に俺らしい。
と、なんとも悲しい思考に耽っていると、
「……わかった。きっと、返す」
こちらを向くことはなく、そう言った。
その言葉を聞けただけで、甲斐はあったというものだ。
これは後から聞いて知ったのだが……この時沖田さんは笑っていたらしい。
それはもう悔いた。なぜ顔を覗き込んででも見ていなかったのかと。
そうして、幸せと充実の余韻を残し、俺の……俺たちの文化祭は幕を下ろした。
◆◇◆◇
夜。
自宅のリビング。
目の前には深刻な面持ちの父と母。
「悠灯…………転勤が決まった」
父から告げられた、一番聞きたくなかった言葉。
(もう…………なんなんだよ……)
今じゃなくても、いいじゃないか……




