29話 アクアリウム・中
最初に目に飛び込んできたのは壁一面に広がる巨大水槽だった。シュモクザメやエイから名前の知らない魚たちまで、多種多様な生物たちが共存している。忙しなく泳ぐ魚、砂に潜ってじっとしている魚、岩礁をつついている魚。光の柱が幾つも差し込む水中。初っ端から圧倒的スケール。……やりおるな。
水族館の最後の記憶は確か小学の修学旅行だったか。そんな幼い頃の感動とは比べ物にならないほど、大きく心を揺らされた。
巨大水槽エリアを抜けて奥へと進んでいくと、バリエーションと個性の豊かな海の生物たちがそれぞれの部屋で出迎えてくれる。タコ、ハリセンボン、ミノカサゴやマンボウ。世界最大のカニであるタカアシガニなんかもいた。
川の生物のエリアには魚やカエルに混ざってゲンゴロウがいた。虫だよ虫。水族館に虫がいたよ。
そんな調子でゆっくりと、時に少しハイペースで観賞し、進んだ先の部屋で次に待っていたのは比較的小さな魚たちが展示された数多くの水槽群だった。チンアナゴやタツノオトシゴ、クマノミとイソギンチャクなど可愛らしい海の生物(イソギンチャクは別として)が勢揃いだ。
沖田さんは楽しんでいるだろうかと様子を見ると、その視線は反対側の水槽群にあった。どうやら反対側は淡水魚コーナーらしく、こちら側の海水魚と対照的だ。なるほどこのエリアは海水と淡水に棲む小さな魚のエリアのようだ。
その中でも彼女が見ていた小さめの水槽には、光沢を持った3,4センチほどの魚が2匹泳いでいた。水槽の下に書かれた名前は「ネオンテトラ」「カージナルテトラ」。ネオンテトラの方は観賞用としても有名所(見たのは初めてだけど)だが、カージナルテトラは初めて聞いたな。
一見同じようにしか見えないが、説明書きによると、カージナルテトラの方が下腹部が赤いらしい。その文を頼りにもう一度観察すると……おお確かに、赤の割合が多いな。どちらも光っているかのような光沢だが、発光器官を有しているわけではないのだそう。
「気になるの?」
「……なんとなく、目に入っただけ」
そう返ってきたものの、その割には視線が2匹から一切ブレない。釘付けというか熱心というか、そんな言葉があまり印象に合わない沖田さんだからこそ、今の様子は結構意外だ。
「ただ……似ているのに、全然違う。私たちと、少し……似てる」
私たちと似ている……? つまり、この2匹は俺と沖田さんと似ている……? どういうことだ? やはり沖田さんの思考は全く読めない。少なくとも俺はこの2匹を見て、俺たちと似てるなぁなどとは感じない。
俺と彼女の類似点といえば、人間関係に関するマイナスな境遇だろう。だが、彼女は親友に見放され、俺は人との関係を何度も断たれた。俺には瀬良というそれまで唯一の友達がいたが、彼女にはいなかった。彼女は心を閉ざしたが、俺はまだ開いていた。……似ているけれど、その似ているもの同士の違いは絶対的なものだ。
カージナルテトラの方がネオンテトラより下腹部が赤いということは、たとえ両者が似ていてもその一点で見分けがつく。つまり、下腹部の赤の多さは似たもの同士の全然違うところ。
似ているけど違う俺たちと、似ているけど違う2匹の魚が似ているということ。……ぬぅ、俺には難しい。彼女の考えの核を探るのは。
桜木先輩が言っていた、目が同じだという言葉。沖田さんもそう感じているのだろうか。だから「似ているけど全然違う」「私たちと似ている」、そんな風な感想を抱いたのだろうか。
果たしてこの2匹を見て、沖田さんと同じ感想を抱く人は、世界広しといえど何人いるだろうか。
「ネオンテトラとカージナルテトラ……か」
思いもよらず、目の前を泳ぐ小さな小さな淡水魚は、俺にとって大きな意味を持つ存在となった。
水槽の中の魚たちは、競争でもしているのかただじゃれ合っているだけなのか、横並びになって大きくぐるぐると狭いスペースを泳いでいた。そんな並走ならぬ並泳する2匹の姿を、俺はスマホにしっかりと収めた。
淡水魚&海水魚たちに心の中でサヨナラを告げ先へ進むと、ちょっとした通路が続いていた。幅は横に4,5人並べる程で、両壁に等間隔に円形や菱形の窓が付いていたのだが、どうやらその窓はモニターだったらしく、魚たちの遊泳の映像が流れていた。
凝ってるなぁなんて感想を漏らしながら次の部屋へ入ると、またしても様々な魚たちが混在する大きな水槽が、今度は左右両面に見られた。ふたり並び、自由気ままに泳ぐ魚たちを眺める。
次へ進もうと、部屋の出口を抜けると────圧巻だった。
180度見渡す限りの魚たち。
まるで海の中にいるかのように錯覚する。
限りなく、本物の海中に近い世界。
踏み出した通路は、所謂水中トンネルになっていた。どうやらさっきの部屋の水槽と繋がっているらしく、ガラス2枚隔てた向こうに人の姿が見えた。
「俺、水中トンネルって、初めて見るよ」
ポツリと、言葉を洩らした。
「……私も」
ピクリと体が反応する。正直反応が返ってくるとは思っていなかったので若干の驚きは隠せなかった。
短く呟いた沖田さんの視線は、少し斜め上に固定されていた。
初めての光景に圧倒されて満足気味なのも束の間。
水中トンネルを抜け、トンネルと繋がった先程のような魚たちが混在する水槽の部屋を越え、次の部屋の入口に立つとそこは一変、幻想が支配しているような空間だった。少し前の熱帯魚&海水魚のコーナーよりずっと広いスペースが設けられていて、そこには一般的な立方体や直方体の水槽に加え、円柱や球体の水槽が乱立していた。
それらの中にいたのは、1匹の例外なくクラゲだった。駅前の噴水をファンタジーと言ったが、そんなもの話にならないほどにファンタジーしている。どうやらこの水族館は圧巻を畳みかけるのが好きらしい。
「すげぇな……」
呆気に取られるとはまさにこのことか。思わず立ち尽くしてしまった。沖田さんも僅かに目を見開いていた。無表情がデフォルトの彼女をして変化を見せるのだからよっぽどだろう。
揃って幻想世界に足を踏み入れ、少し歩いたところで徐ろに顔を上に向ける。そしてまた、呆気に取られた。
「沖田さん、あれ」
「……?」
俺が指を上に向け、沖田さんがそれに従って顔を上げる。
部屋の中心。その天井。直径3メートルはあろう大きな円形の空洞の奥に、凸面状の硝子がこちらを覗いていた。どういう仕組みかは分からないが、俺たちの上をクラゲたちが漂っている。
「天井に水槽なんて、俺初めて見たよ」
「……ん」
さっきと似たような、というかほぼ同じ感想が零れる。
その水槽は、異様というか突飛というか、特殊なだけあって絶対的な存在感を誇っているのは、他の人たちも見入っていることからも明らかだろう。感動の溜め息を抑えるのは不可能だ。
そしてその真下には、部屋の中央に聳える2メートルはある球状の水槽。その中を泳ぐのは数えきれないほどのカブトクラゲ。縦横無尽に水槽を巡る光景は、さながら永遠に続くスノードームの様だ。
他にも、有名なミズクラゲやアカクラゲ、個性的なサカサクラゲやユウレイクラゲなど、水族館の外、いや水族館の他のエリアからも隔絶された、見渡す限りクラゲの世界だった。
バリエーション豊かな魚たちの水中トンネルも凄かったが、ここはその比じゃなかった。
ひと通りエリア内を周り、最後にもう一度カブトクラゲの球状水槽の前に戻ってきた。このエリアの象徴とも言える水槽の全貌をもう一度見ようと、少し後ろに下がる。すると、俺に映る光景には、幻想的な雰囲気を醸し出す百は優に超えるクラゲたちと、その中心に佇むひとりの少女。
その姿をひと言で言い表すならば────神秘。
少女の乏しい表情が、それを如実にしている。
俺は何かに憑かれたようにパーカーのポケットから自身のスマホを取り出す。
「……沖田さん」
思わず声が漏れた。それに呼応して振り向く神秘の少女。
この光景を、その姿を、目の前に広がるその神秘を、この目に焼き付けたい。写真に収めたい。……心の中に刻みつけたい。
──パシャリ
静かな幻想空間に、似つかわしくないスマホのシャッター音が鳴る。
「綺麗だよ」
果たしてそれは、何に対する言葉だったか。光景か、クラゲか、はたまた……
不思議とこの時は、精神が削られる感覚も、羞恥心も、一切感じなかった。ただ、感動と充足感だけが俺の中を満たした。
本作に登場する水族館は、実際に存在する水族館とは一切関係ありません。もう自由に書きました。
ただ、わかる人にはわかるかもしれませんが、カブトクラゲの球状水槽は、東北の某クラゲが有名な水族館がモチーフです。
予想以上に水族館回の分量が多くなりましたが、次回で終了です。




