17話 共同作業?
本当にぶっ通しで課題をした。始めたのが1時過ぎで今が4時半だから少なくとも3時間以上したことになる。もう目と精神が疲労困憊のくったくただすわ。おかげで大量の課題が半分終わったが。
会話と言える会話はほぼなく、たまに空になったコップに沖田さんがお茶を注いでくれた時にお礼を言ったくらいだ。
俺は呆気なく、沖田さんとの距離を縮めるチャンスを棒に振ったというわけだ。いや、まだ諦めるには早い! なんせこれから夕食作りなのだから。
俺が手伝うと進言すると、沖田さんは快く(表情は変わってないけど)承諾してくれた。何もしないわけにはいかないというこちらの意図を察知してくれたのか、それともただの気まぐれか、今考えても仕方がない。
「……」
下階に降り、これからが正念場というところで、冷蔵庫を開いた沖田さんが止まっていた。
「どうかした?」
「……買い忘れ、あった」
何かは言わなかったがさっきの買い物の時に買い忘れがあったらしい。
「今から買ってくる」
「俺も行くよ」
流石に他人の、それも異性の家でひとりというわけには行かないし、何より身と気が持たん。ここはついて行った方が精神的負荷が軽いし、長く一緒の時間を過ごすことができる。
沖田さんは小さくありがとうと零し、俺たちは再度スーパーへと家を後にした。
◆◇◆◇
沖田さんの家に戻ってきて、気を取り直して夕食作り再スタート。俺は役割を果たすことにした。具体的には、キャベツを茹でたり、パスタを湯掻いたりだ。
その間、沖田さんは小鍋で何か調理したあと、慣れた手つきで挽き肉と調味料とかを混ぜたものをこねていた。ここまで来たら分かる。沖田さんの食べたいもの、それはロールキャベツだろう。鍋の方は分からないが。どうやら今日の夕食は温と冷の洋食だ。
余談だが、ロールキャベツはトルコ発祥らしい。フランスとかパスタと同じイタリアとかその辺りかと思ってただけに以外だったので頭に残っている。……トルコってケバブとかトルコアイスのイメージしかないな。
その後は、ふたりで挽き肉をキャベツで巻いていった。最初こそ苦戦したものの、慣れればさほど難しい作業ではなかった。巻き終えた出来を比べると、経験の差がここぞとばかりに表れ素直に流石だと思えた。
後は簡単。沖田さんがロールキャベツを煮込んでいる間に俺は冷水で締めておいたパスタの水を切ってベーコンやトマトなどと一緒に器に盛り付けていった。盛り付け終えると沖田さんに渡された黒っぽい液体を渦を書くようにかける。
そして、沖田さんリクエストのロールキャベツが仕上がり食卓に並ぶと完成だ! ……と思ったら、もうひと品食卓に置かれた。
「これって、かきたまスープ?」
「ん。汁物は必須」
表面を覆う卵の上には、彩りに三葉が添えられている。小鍋の中身はこれだったのか。
沖田さん曰く、春夏秋冬に拘らず夕食には汁物を用意するらしい。成る程追加で卵を買っていたのはこのためか。
料理は中学3年の調理実習以来だけどこんなに楽しいと感じたのは初めてだ。あの時は確かスコーンを作った。他のどの班より早く終わり、出来もなかなかのものだった。手際が良くて助かると言われた時は嬉しかったものだ。まぁ班員の顔の記憶は曖昧なんだけどね。
今更なことだが、これがふたりの初めての共同作業かッ…………なーんて考えてるのは俺だけだろうな。
「いただきます」
「……いただきます」
まずはパスタをフォークで巻かずに掬って一口。口に広がる爽やかな風味……これは、レモンか? とするとさっきの液体はレモンソースということか。色と味的にベースは醤油だろう。程よい酸味がフォークを進ませる。続いてロールキャベツを箸で刺すとジュワッと肉汁が溢れ出た。そして躊躇うことなく口に運ぶ。
「美味しい……」
ポツリと、自然とその感想は出た。
爽やかなレモン風味のパスタも然ることながら、ロールキャベツはかぶりつくとアツアツの肉汁がこれでもかと口の中を駆け巡る。スープは喉をスッと通り心地良い。卵の下には、豆苗と小切りのベーコンが入っていた。
料理研究家でも調理師でもグルメリポーターでもないのでその程度の感想しか言えないが、とにかくとても美味しかった。
パスタのふた口目を口に入れる時、ふと沖田さんを見るとフォークも持たずにじっとこちらを見ていた。……すっごい気になる。
全く歪みのない、澄んだ色の瞳が真っ直ぐ俺を見据える。
「えっと……どれもすごく美味しいよ」
「……ん。よかった」
なんとなくこっ恥ずかしくなって無理して言った感じになっただろうかと思ったけど、沖田さんは素直に受け取ってくれたようだ。そこで初めて沖田さんが食事に手をつけた。
ひと口、ふた口と淡々とフォークと箸を動かす。感想を口にすることも余韻に浸ることもせず、ただ目の前の食事を消費しているように感じられた。……もしかしたら、これが沖田さんのいつもの食事風景なのかもしれない。以前うちに来た時は母が質問や話題を畳み掛けていたが、普段はこんなにも美味しい食事でさえ作業のようにとっているのだろうか。
少しもどかしい気持ちになりながらも、パスタやロールキャベツが彼女の口へと吸い込まれていく光景──有り体に言えばその口元を無意識のうちに惚け眺めていた。
我を取り戻どすと同時に俺はその姿を映す視線に気づかれる前に食事に戻り、そこからはひと口ひと口しっかりと咀嚼し念入りに味わうように食べた。
感想。沖田さん、やっぱり料理スキル高えェェ!
◆◇◆◇
食後は沖田さんの家に長居はしなかった。あの後間もなく食事を終え、食器洗いの手伝いをしてから「今日はありがとう」と告げて帰路についた。沖田さんは小さく頷いて返してくれた。
時刻は7時前。いつもより早い夕食だった。
夏のこの時間帯はまだ明るく、藍色の空はまだ少し先だった。疎らな星は薄く、烏の声も聴こえない住宅街は静かだった。
家には10分ほどで着いた。結構近かったことに内心驚きだ。心はまだ昂っている。初めての友達の家での食事に、沖田さんの家も知ることが出来た。あとついでに桜木先輩の家も。
当たり前だが家には誰もおらず、久しぶりに静かな帰宅を体感した。
自室に戻ってそのままベッドに体を預ける。思い起こされるのは沖田さんの姿。昼と夕、食事をともにした少女の姿。彼女の手作り弁当は暫くもしくは一生お預け。改めて自分の境遇を思い知ると、せめてあともう一度と、思ってしまう。
「沖田さん、さすがに夏休みまで屋上に行かない……よね?」
弁当のことを考えていたから、そんなことが頭を過ぎった。
確かめようにも沖田さんは携帯持ってないし、家の番号も知らない。これまで一緒にいた感じでは別に屋上に執着しているわけじゃなさそうだし、制服に着替えて学校行ってって面倒は普通しないだろう。
「……でもあの子、結構変わってるしなぁ」
行くだけ行ってみるか。いなかったらいなかったで帰ればいいし。
こんな理由でアクションを起こす俺も大概変わったやつなんだろう。
空はまだ夕方なのに自然と欠伸が出る。3時間ぶっ通しの勉強に沖田さんの家でふたりきりの夕食……精神的に結構疲れた。
取り敢えずの明日の予定も決まったところで、風呂に入るべく自室を後にした。
◆◇◆◇
翌朝、いつもと同じように制服に着替えて登校した。
いつもより時間は遅いはずだ。そのはずなんだけどビックリするほど閑散としていた。敷地内を歩く生徒も練習する運動部も賑やかな吹奏楽部の楽器の音も聴こえない。……誰だよ行くだけ行ってみるかなんて言ったやつ。不安要素しかないよ。
(今更だけど、そもそも屋上の扉って開いてるのか?)
沖田さんがいるかいないかを確認する以前の問題だ。ここまで気づかなかったとは、我ながら間抜けなものだ。
ここまで来て帰るのもなんだし望み薄の可能性に賭けて屋上へ向かうことにした。
外同様、いや屋内ということもありより静かに感じる廊下をひとり歩き、目的地へと真っ直ぐ進む。謎の寂寥感を抱きつつ最後の階段を上りきると、扉は微かに開いていて外の光が漏れている。どうやら夏休み中は常時開放されているようだ。更には先客がいるようだ。少し期待が持ててきた。
ゆっくり扉を押すと鉄特有のギィという音を立てて開く。そして、夏の日差しが容赦なく降り注ぐ外に出ると、フェンスに指をかけて町を展望するショートカットの少女、沖田さんの後ろ姿がそこにはあった。
瞬間、俺は安堵と疲れの入り混じった溜め息をついた。それに反応したのか、沖田さんがこちらを振り返る。
「来てたんだ」
来てくれてたんだ、と心の中で言い直す。彼女の応答は相も変わらず小さな首肯。
ゆっくりと足を進めて隣に並び腰を下ろす。いや、俺の方が少し後ろ気味だ。
「どうして?」
続く言葉はない。しかし、その意図は理解できる。
「沖田さんいるかなって、気になって」
「そう」
「沖田さんはどうして?」
「家にいても、仕方ない。去年からずっと」
去年から。その意味は分かってるつもりだ。だから敢えて言葉を返さない。
曰く、長期休業中にここに来るのは去年、1年の頃からずっとで、いるのは午前中のほんの1〜2時間程だという。ただ普段は見られない朝の町を眺めているだけだそうだ。
ふと、一陣の風に沖田さんの髪が靡くのが目に入った。綺麗な黒色の緩やかに流れた揺れるややショートの髪は、さらとした質感で手入れが行き届いていることを理解するには十分だ。
それ故に、こんなことを考えてしまうものである。
「沖田さん、長めの髪も似合うと思うんだけどなぁ……」
ミディアムかセミロングくらいの長さだと、僅かに幼さが覗く顔立ちに清楚感がプラスされてより魅力的になると思う。
「……」
「……」
俺が恥辱と失態に気づいたのはそんな考えをまとめて数秒後。思わず口にしてしまったセリフに、焦りに焦って右手で口を塞ぐ。
(ヤバい……声に出てた……)
恐る恐る眼前の少女の様子を窺う。微動だにしない。気づいていないのか、それとも反応してないだけか。前者であってくれればどれだけ助かることか。
今すぐに逃げ出したいのに足が動かない、そんないたたまれない沈黙の中、時間差で反応したのか、はたまた単なる偶然か左髪を指ですっと一回髪を梳く。俺はその仕草にビクリと反応する。
「帰る」
立ち上がった沖田さんはそれだけ言って去って行ってしまった。
俺は座り込んだままただ呆然と、彼女の姿が消えるまで眺めることしかできなかった。




