117話 年の暮れ、そのひととき・前
みなさまお久しぶりです。
約2ヵ月ぶりの更新です。
耀弥が帰ってから3日が経った。
クリスマスはもう過去に置き去り、世間は年末ムード一色だ。
大掃除をするほど片付けもない俺は、適度に残した冬休みの課題を置いて「Frieden」に足を運んでいた。
「こんにちは」
「いらっしゃい、織宮くん」
「おぉ、織宮くん。いらっしゃい」
今日いるのは、店長と伊鶴さんだ。祈鷺先輩は今日もいないようだ。
そして、カウンターには史渡さん。
「久方ぶりだな、悠灯」
「お久しぶりです……って言っても、ひと月経ってませんけどね」
先日来た時はいなかったから、最後に会ったのは勉強会の1日だ。
ちなみに、少し前から史渡さんの俺の呼び方が「少年」から「悠灯」に変わった。勉強会で水方くんがいた時に、少年がふたりで紛らわしかったからだ。と言っても、水方くんの方は「雄星」と名前呼びだったが。
「注文はいつも通りでいいかい?」
「あっ、はい。お願いします」
入店の流れで店長に注文を通してもらい、俺は席に座る。
見たところ、俺と史渡さん以外に客は入っていない。やっぱり、年末ということもあり皆忙しいのだろうか。
「悠灯よぉ、冬休みの宿題は終わったのか?」
「最終日が近づいて焦らない程度には」
史渡さんはいつも、真っ先に何かしら話題を振ってくれる。
最初は見知らぬ大人から話しかけられて戸惑ったが、今はもうすっかり慣れた。
「偉いなー、織宮くん。祈鷺なんか正月終わらないと一切手を付けないのに」
「それは極端すぎるだろ祈鷺ちゃん」
史渡さんに同意だ。いくら夏休みと比べて量が少ないとはいえ、正月が明けるともう1週間あるかないかしか残っていない。
ヤバいヤバいと慌てるのは火を見るよりも明らかだろう。祈鷺先輩の場合、特に英語。
――ヴーーーー、ヴーーーー、ヴーーーー
涙目になりながら宿題と向き合う祈鷺先輩を想像して遠い目になっていると、カウンターに置いてあったスマホが、断続的なバイブ音を鳴らした。
店内が静かだっただけに、俺の耳にまで届く。
「げっ……」
持ち主である史渡さんは、スマホの画面を確かめると、何やら苦々しい顔になった。
やむなしと席を立とうとするが、入り口を見ると固まった。
「マスター悪ぃ、ここで出てもいいか?」
その意図を察するに、外に出たくないのだろう。寒いから。
俺も今日は耀弥からもらった手袋とネックウォーマーを装備してきている。今はさすがに外しているが。
「構わないよ、今は顔見知りしかいないからね。織宮くんもいいかな?」
「はい、大丈夫ですよ」
別に構わないのに、客である俺にもちゃんと確認をとってくれる店長。
史渡さんはありがてぇと、寒風に晒されずに済むことに安堵し電話にでる。
「もしもし。あぁ、今出先。――あぁ、進んでる進んでる。――――いや、確かにこないだは全然だったけど。――大丈夫だって、今はちゃんと進んでるから。年末年始ぐらいゆっくりさせてくれや」
なんだろう、仕事の電話だろうか。進んでるとか全然とか言ってたけど、何か問題でもあったのかな?
しばらくすると、史渡さんは電話を切り、ため息を漏らした。
「担当さんかい?」
「あぁ。若いやつは張り切りすぎなんだよ……」
どうやら店長も事情は承知のところのようだ。
ずっと気になっていたことだし、これを機に史渡さんの職業を考えてみるか。
(って言っても、電話での会話からは「何かが進んでる」ってことしかわからないよな……)
でも、わざわざ電話で進捗を急かされているってことは、会議やプレゼンの資料とかじゃないだろう。あと、史渡さんの話し方からして、相手は上司ではない。
相手が「若い」にもかかわらず史渡さんを急かせることから、部下のような目下の立場ではないこともわかる。
(あとは……やっぱり、史渡さんとの遭遇率の高さだよな……)
俺がここに来るのは大抵が放課後。つまり平日の3時頃。普通であれば仕事をしている真っ最中の時間だ。
学生の身分である俺には会社の仕組みについて何もわからないが、3時頃の昼休憩というのはあったとしても稀ではないだろうか。
そんな時間でも、史渡さんとの遭遇率は高い。
(つまり……史渡さんは個人事業主の可能性が高い)
個人事業主、進捗、喫茶店、時間帯。それに加えて店長の「担当さん」という発言……これらの情報で思い当たる職業が、俺にはひとつしかない。それは――
「おーい、織宮くーん」
「――ぅお!」
と、真横から俺を呼ぶ伊鶴さんの声に気づいた。
その手に乗ったトレーには、ブラウニーとコーヒーの姿が見えた。
「おぉ……取り合えずブレンドとブラウニーお待たせ。どうした、考え事か?」
「いえ、大したことでは」
どうやら俺の反応で驚かせてしまったらしい。
そんなに大きかったのかと店長たちの方を見ると、特にこちらを気にした様子もなく、史渡さんが店長に何やら愚痴っている風だ。そんなに大声が出ていなくて安心だ。
「ただ、史渡さんって、何してる人なんだろうなって考えてただけです」
「あれ、織宮くん知らなかったの?」
この反応、どうやら伊鶴さんは史渡さんの職業を知っているようだ。
「はい。一度訊いたことはあるんですけど、教えてはもらえませんでした」
あの時は確か、無職ではないとだけ言っていた。
「ほーん。なんでだろなー。別に隠すようなモンでも、恥ずかしがるような性格でもないのに」
確かに普段の史渡さんを見ていると俺もそう思う。
でも意外と、本当に「俺はこういう仕事やってんだぜ」っていうのが恥ずかしかっただけなのかもしれない。それはそれで、なんというか微笑ましい。
「で? 織宮くんは何だと思う、ジョーさんの仕事。結構考えてたし、何かしら予想はあるんじゃない?」
「そうですね……」
――と、伊鶴さんは俺がどんな予想を立てたのかが気になるのか、回答を促してくる。
さっきの考察で導き出された、俺が予想する史渡さんの職業は――
「小説家……でしょうか」
「その心は?」
正解とも不正解とも言わない伊鶴さん。
俺は訊かれた通り、さっきまで考えていたことを披露する。
「へぇ。大したもんだねぇ」
俺が考えを言い終えてすぐ、そう口にしたのは伊鶴さんではなく、店長だった。
「お祖父ちゃんもジョーさんも、聞いてたのか」
「ああ。そりゃあ、この距離に周りも静かだからな」
確かに、別段声のトーンを落としているわけでもない。今はほかに誰もいないから話し声もない。
まぁ聞こえてるよな……なんか本人に聞かれるって恥ずかしいな。
「それで、ジョーさん? 正解の方はどうなんだ?」
伊鶴さんはニヤっと笑って史渡さんに正解発表を促す。
それに史渡さんははぁっと溜め息をひとつ吐き、
「正解だ。ほんと、大したもんだな」
おおっ。どうやら当たっていたらしい。
「売れっ子なんだよ、史渡さんは」
「やめてくれマスター。別に賞取ったわけでもねぇのに」
「ははっ。十分に家族を養えてるんだから、立派なもんだよ」
ふたりのやり取りを聞いていると、小説家として大成とは言えずとも成功はしているらしい。
身近に創作活動で収入を得ている大人がいないから、こういう話は新鮮だ。
「史渡さんのペンネーム、『木時静寂』って言うんだ」
「木時……静寂……」
若干置いてけぼりだった俺に、伊鶴さんが教えてくれたその名前に俺は聞き覚えがあった。
「あ。俺、史渡さんの本読んでます」
そう。なんとも偶然なことに、史渡さんの小説を読んでいるのだ。
「え、マジで?」
「『虚ろを往く旅人』ですよね」
俺が今読んでいる本のタイトルを答える。
「確かにそりゃあ、俺が今書いてるヤツだけど……まさかこんな身近に読者がいたとはな」
「いや、俺の方こそ、こんな身近に読んでる本の作者がいるとは思いませんでしたよ」
引越しが多い分人よりも出会いの数だけには恵まれているが、こんな経験は過去一度としてない。いやまぁ、プライベートで大人と知り合う機会なんて滅多にないのだが。
そもそも積極的に人に関わっていこうとしなかったから、俺の人間関係なんてほとんど学校内で完結する。
「ははは。世間は意外と狭いものだよ」
店長が俺たちの会話を聞いて、そう笑う。
はてさて、俺の「世間」は広いのだろうか、それとも狭いのだろうか。……視野は狭いかもな。
「俺も読んでみよっかな、ジョーさんの本」
「やめろ今更、こっぱずかしい」
「えー、売り上げに貢献しようと思ったのに」
「余計なお世話だ」
伊鶴さんが史渡さんをイジり、史渡さんがそれをあしらう。親子ほどの年の差があるふたりだが、その関係性はまるで同年代の友人のようだ。
俺のひょんな疑問から広がった史渡さんの仕事についての話題は、予想外にも少しの間盛り上がりを続けた。
そしてそんなささやかな盛り上がりも落ち着いてきた頃。
――カランカラン
店のドアが、鈴を鳴らした。




