10話 小さい目標
新キャラ登場です。
一日で気の抜けるひととき、昼休み。3限目の水泳で濡れた髪も既に乾いている。
今日、初めて沖田さんと教室を出るタイミングが被った。今までは自然とタイミングがズレたり、俺が敢えて遅く出たり早く出たりで被ることはなかったけど、今日は緊張と期待が入り混じってタイミング云々に気が回ってなかった。
「お、沖田さんも今から?」
「……ん」
「じゃあ、一緒に行こっか」
俺たちは横に並んで屋上へ続く階段に足を向けた。
外に出て、そのまま壁に掛かった梯子を登る。
「手提げ、俺が持つよ」
沖田さんは少し間を空けたが手提げを渡してくれた。
梯子は先に俺が登った。前みたいにはならないように。何がとは言わないけど。
先に足場を安定させると手提げを置き振り返って下を覗く。ちょうど登ってくる最中だ。
俺は沖田さんに向かって右手を差し出す。それを沖田さんがいつもの無表情で掴む。……と、そこで気づいたわけだ。
(やばい! なんか凄いナチュラルに手出しちゃったけど心臓やばい! しかも沖田さん掴んじゃったよ!)
沖田さんの手に触れている。女の子の手を握っている。これまでいろんな学校を転々と回ってきた俺にとっては無論初めてのことだ。
閾下とはいえとんでもない行動に及んだと思った。自分の心臓の鼓動が大きく且つ速く聴こえた。
そのままってわけにもいかないので沖田さんの手が握りしめられた右手を引いて沖田さんを上まで導く。
「……ありがとう」
「い、いやっ。いいよ、別に。これくらい大したことないし」
思えば、今まで沖田さんは手提げを持った状態でここまで登ってきていたのだから本当に不要だったかもしれないな。
でも、大したことないと言った手前、今日限りというのも格好がつかないし、これからほとんど毎日弁当を作ってきてもらう身としては何もしないのも気が引ける。かと言って他の生徒の視線を浴びるのも恥ずかしいし、せめてタイミングが被った時くらいはしよう。そう心に留めた。
改めて頼んで初めての手作り弁当は見栄えから味からとても良かった。流石、毎日家族全員の弁当を担っている人は違う。
なんとなくだけど、少しずつ沖田さんとの距離も縮まっている……ような気がしないわけでもない。なんせ例の如く無口で無表情なわけだから何を考えているのかさっぱりだ。……友達になるには、まずはそこからかなぁ。
◆◇◆◇
今回の学校にも大分溶け込んできた頃、1学期末考査1週間前の期間に入った。遠柳高校では5月下旬に中間、6月末から7月頭にかけて期末考査が行われるらしい。ちなみに中間考査は転校して間もなかったので免除となった。成績は編入試験の成績から見込み点を出して付けるらしい。
今日から試験最終日まで、大会が近いなどの部活を除くほとんどの部が休みになり、放課後すぐに帰る生徒が一時的に増える。
俺もこの学校の定期試験は初めてなので試験勉強に身を入れるべく、放課後に屋上へ向かうのは一時中断した。多分沖田さんは今頃塔屋の上だろうな。
そう思って帰路を歩いていると、背後から高い声が上がった。
「ねぇキミ!」
誰かを呼ぶ声。声の方向的にこちら。一応周りを確認するが誰もいない。即ち俺で間違いないだろう。
「……なにか?」
振り向くと、後ろでひとつにまとめた黒髪を肩の高さまで垂らした、遠柳高校の制服を着た女子生徒が立っていた。
「キミ、2年の転校生くん?」
俺にそう問うその人は、距離2メートル程まで歩いてきた。おおっ、この人背高いな。173センチの俺より目線が少し上だ。
2年の転校生というのはまぁ、俺のことだろうな。他にいるなんて情報聞いてないし。
「はい。もう1ヶ月は経ちますけど」
「……そう。じゃあ、キミが耀弥ちゃんと一緒にいる子ね」
「耀弥ちゃん……? ああ、沖田さん。一緒にいるって言っても昼休みとたまに放課後だけですけど。ところであなたは?」
俺が訊くと、コホンと咳払いをして言った。
「ごめんなさい。私は3年の桜木知春。キミは?」
桜木と名乗った先輩は少し高い位置から俺に促す。女の人に見下ろされるのはいつ以来だろう。女性としては比較的背の高い母を抜いたのが中2だからそれ以来だろうか。
「織宮悠灯です」
「じゃあ織宮くんね。立ち話もなんだし、取り敢えず歩きましょ」
桜木先輩は俺の帰り方向を確認すると、先導して歩き始める。俺もそれに従い横に並ぶ。
「率直に訊くけど、キミは耀弥ちゃんの友達?」
――友達
辞書によるところでは「親しく交わる人」。
確かに最近、成り行き的にうちに夕食を食べに来たことがあり、成り行き的に弁当を作ってもらうようになったけど……別段弾む会話を交わすでもなく、何か共通の趣味を持っているわけでもなく、エラーだらけのキャッチボールをするだけ。
何より、俺がずっと避け続けてきた言葉。
──即ち答えは
「友達というより、クラスメイトですかね」
俺が望む関係だが、彼女の認識が伴ってない以上、友達とは言えない。
「そう。仲はいいの?」
「……分かりません。会話はなんとか噛み合いはしてるんですけど、表情がないから何を考えているのか分からなくて……というかただ答えるだけみたいな感じなんで」
最初の頃はほぼ返事だけだったからそれに比べたら大分変わってるだろうか。
「先輩は、沖田さんとはどういった関係なんですか?」
「そうね……普通に先輩ってのもあるけど、お隣のお姉さん、かな? 耀弥ちゃん、隣に越してきたばかりの頃は結構笑ってたんだけどね……」
へぇ……。
沖田さんもまた俺と同じでここに引越してきたということと、以前は笑っていたということ。ふたつ、驚いた。
「沖田さん、ずっとここに住んでたんじゃないんですか?」
「6年前、彼女が小学5年生の頃に引っ越してきたの」
桜木先輩の口調が最初より少し柔らかくなってきた。最初はお堅いカンジかと思ったけどそうでもないようだ。
「最初こそ元気で活発な女の子だったんだけど、1週間、1ヶ月と経つにつれて笑わなくなっていって、半年もすればほとんど今と同じ状態だったわ」
「なにか、あったんですか?」
俺は少し躊躇ったが、尋ねた。しかし対して桜木先輩は首を横に振った。
「分からない。何度も訊いたんだけど、黙りきって答えてくれなかったわ。彼女のご両親にも訊いてみたんだけど、『あの子の望まないことはできない。だから申し訳ないけど教えられない』って、結局教えてもらえなかったわ」
俺はそれを聞いて俯いた。表情が曇ったのも分かった。沖田耀弥というひとりの少女の今を形成しているのは、何か暗く、濁ったものであると悟った。
「っと。それじゃあ、私はこっちだから」
よく通る声が俺を引き戻した。
あまり目印と呼べるもののない普通の十字路。振り向くと桜木先輩はほとんど右に方向転換していた。
「先輩!」
最後に聞きたかったことを思い出し、先輩を呼び止める。
「なに?」
「どうして転校生が俺だって分かったんですか?」
「一度、廊下で見かけたのよ。あの子と一緒にいた、初めて見る、あの子と同じ目をしたキミをね。」
「同じ……目?」
「ええ。多分、私だから分かったのかもね。私が見たキミの目は確かに耀弥ちゃんと同じだったわ」
俺と沖田さんが同じ目? 俺が見てきた沖田さんの目は澄んだ綺麗な瞳をしていて、ひたすら静かで、どこか儚げな目。たまにごく僅かな感情が篭っているように感じることもあるけど、それでも限りなく静謐だ。そんな沖田さんと俺の目が同じって……?
「これからも、耀弥ちゃんと仲良くしてあげてね──キミがそれを望み続けられるなら」
それを残して桜木先輩は完全に背を向けて去っていった。
最後の言葉は妹の孤独を代弁した姉のように思えた。
「キミがそれを望み続けられるなら」
その言葉の意味を俺は上手く理解出来ていなかった。彼女と関わること、親しくすることには限界があるということだろうか。いつか関わることさえ嫌になる瞬間が来るということだろうか。それとももっと別の意味があるのか……分からない。一旦置いておこう。今は多分、どれだけ考えても答えは出ない。
ただ、沖田さんの無表情が後天的なものだということに安堵した自分がいた。笑っていた時期があることを知り、嬉しかったのだ。
遠くなる先輩の背中を見て、俺はふと思った。
(もし先輩をつければ、沖田さんの家も分かるよな……)
……やめておこう。先輩相手でも、沖田さん相手でも、完全にストーカーだ。
この日俺に目標が出来た。
いつの日か見せていたという、「沖田さんの笑った顔を見る」という目標が。




