2001年4月某日 2
おそらく、キャンバスで絵を描いている人からしたら、後ろに立ってその絵の行く末を見守り続けている女子高生など、邪魔でしょうが無かっただろう。
私だってそうだ。小説を書いていて、その画面を後ろから覗かれていると思うと、はっきり言って集中できない。私だったら、シッシッと犬でも追い払うような行為に出ていること間違いなしだ。
彼はついに、「こんにちは」と後ろを振り返って言った。茶色のベレー帽を被っていた。今の私なら、そんなの被って画家気取りか! なんて思ってしまうのだろうけど、当時の私はそうではなかった。
格好良い、と私は思った。高校で人気であった、男性教諭よりも数段、格好良かった。当時の言葉で言えば、ハンサムだった。
尋ねておけば良かったと今でも思うのだが、恐らく何処かの美大生だったのだろう。
「こんにちは」と私も言った。
彼は、私が「こんにちは」と言ったあと何も言わず、じっと私を見ていた。
そして、当時の私も今の私もあまり変わらない性格、図々しいという性格の性なのだろうが、私は、「見学してても良いですか?」と私は言った。
彼は困った顔をしながらも、「どうぞ」と言ってくれた。そして、もし良かったらと、荷物をどけて私が座るように促してくれた。
クーラーボックスのようなものに私は座った。調べたけれど、未だにあれがなんの道具であったのかは分からない。絵を描くための道具ではなく、本当にクーラーボックスで、お昼のお弁当が入っていたのかもしれない。
彼の描く絵は緻密だった。私が見ている光景よりも精密に、桜並木を正確に描いていく。桜を見上げながら歩いていたら気付かないような地面の凹凸までも正確に描いていく。
彼のスケッチが終わった。彼は道具をしまい始めた。
「色は塗らないのですか?」と私は聞いた。今思うと、かなり図々しい発言だ。当時の私を殴りたい。いや、もっと殴りたいことは他にあるのだけど。
「今日はスケッチだけの予定。今から美術館に行くつもり。ごめんね」と彼は言った。正確には覚えていないけど、そんな趣旨のことを言った。
彼は、美術館に行くという。
当時の私も今の私もあまり変わらない性格、大胆という性格の性なのだろう。私は、「一緒に行っても良いですか」と私は言った。当時の私が、なぜそんなことを言ったのか分からない。たぶん、彼のスケッチをしている、真剣な横顔を見すぎたせいかもしれない。
美術館に彼と一緒に行った。上野の国立西洋美術館だった。高校生は無料で、ラッキーだった。
私は、なんの展覧会を観たのか覚えていない。ただ、「これはゴッホのヒマワリですか?」と聞いて、彼が、「それを模写したものだよ」と教えてくれたのを覚えている。
いや……いま思うと、明らかにゴッホの展覧会ではない。それに、絵画の右下にあるプレートを見れば、製作者の名前や年代まで書いてある。
当時の私にも、今の私にも共通していることではあるが、美術絵画に興味なし、という性格は変わらないのだろう。
おそらく、当時の私は、ヒマワリと言えばゴッホだ、というような先入観と、そして、興味があるような素振りをしていたのだろう。大人だと思われようとしていたのかもしれない。
もしかしたら、真剣に絵画を観賞している彼に話しかけたかった、気をひきたかっただけかもしれない。誰の展覧会であったのかを覚えていないのもその辺りが原因であろう。
2001年の4月に国立西洋美術館で展覧会が開かれていた巨匠に申し訳ないのだが、全くどんな絵であったのか覚えていない。当時の私には、壁に掛けられた絵画よりも、それを真剣に見つめる彼の横顔の方に興味があった。
閉館時に一緒に美術館を出た。6時間くらい美術館にいたのではないだろうか。この、美術館滞在記録は、未だに破られていない。私の生涯の最高記録となるだろう。というか、美術館で模写を始める人と一緒に美術館に行くことなど、もう二度とない経験であるだろう。
美術館を一緒にでた。閉館時間ギリギリであった。
「今日はありがとう」と彼は言った。
「桜の絵、完成したら是非見せてください」と私は言った。
「いいよ」と彼は言って、その後、「連絡先とか聞いても良いかな?」と彼は私に聞いた。
私は、「もちろんです」と答えたかったが、少し困った。携帯、というのを当時の私は持っていなかった。校則でも禁止されていた。家の電話番号を教えても良かったが、電話を私が取る可能性は少ない。お母様やお父様が電話を取ってしまったら、きっと面倒なことになると私は思った。
私が彼の連絡先を逆に聞くことになった。
そして、当時の私にも、今の私にも共通していることではあるが、抜けているという性格は変わらないのだろう。私は、鞄などを持って来ていなかった。鞄などを持たずに、学校に行くと言っても、まったく説得力がない。鞄にノートが入っていたら、それに連絡先をメモしたであろう。だが、鞄を持ってきていない。私は、電話番号をメモするものを持っていなかった。もしかしたら、親も春休みの講習をさぼっていることを知っていたかもしれない。
とにかく、私がメモをする物をもっていなかったので、彼は持っていたスケッチブックの一部を破ろうとした。それを私は止めた。もったいないと思ったからだ。私は、メモできる紙を必死に探した。
私が思い出したのは、定期券入れに入っていた二千円札だ。万が一の時のために使いなさいと親から持たされ、定期券入れに入れていた二千円札だ。
彼から、書く物を借りて、そして、私は二千円札にその電話番号をメモした。
ここまでくれば、ありきたりな話だと分かって貰えるだろう。
2017年3月17日現在、私の目の前にある二千円札は、その二千円札だ。間違いなく私が書いた数字だ。電話番号だ。
嘘のような話だ。フィクションでしか成立しない話の類いだ。
ちなみに、なぜ、私がその二千円札を使ってしまったのか。それは、彼と別れて、上野駅に行った時だ。帰りの電車代金が二千円札と少しの小銭しかなかったのだ。そして、有頂天になっていた私は、うっかりその二千円札で切符を買ってしまった。SUICAなどない時代だった。
当時の私にも、今の私にも共通していることではあるが、抜けているという性格は変わらないのだろう。それで彼の連絡先は分からなくなった。本当に当時の自分を殴りたい。
まぁ、私の『恋』と呼ぶにはあっけない『初恋』の話はこれで終わりだ。当時の私が観た映画であるなら、私には『偶然の恋人』は存在しなかった。
さっさとこの二千円札も、明日、使ってしまおう。もう、二度と私の手元に戻ってこないように祈りながら。
だって、もう16年経っている。今更連絡など、出来るはずがない。うっかりメモした二千円札を使ってしまって連絡先が分からなくなってしまっていました。ですが、偶然、手元にその二千円札が戻ってきたんです、などと言って、誰が信じてくれるだろう。
そもそも、電話番号が変わっているだろう。
きっとスーパーの店員のせいだ。どうして私が、ネットで自分の黒歴史を晒さなければならないのだ。あのスーパーの店員が、二千円札をお釣りとして渡したのが悪い。千円札二枚でも良かったじゃないか。
しかも、また、桜が咲く季節が迫っている今日で無くても良いではないか。そんな偶然は、悲しくなるだけだから止めて欲しい。私も偶然の旅人であるなら、もっと楽しい旅をしたい。