閻魔の色事
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似つかわしくない事や調和が上手く保てないときの例えとして、人はそれを『閻魔の色事』と言うらしい。
なんでも人間は、閻魔大王が女にうつつを抜かすとかあり得ないと思っているらしい。
笑っちまう言い回しだぜ。
だってそうだろ?先代の閻魔大王……俺の父上を見てみろ。来るもの拒まずだ。
父上は長く閻魔大王として死者に審判を下してきたが、このところ少しやる気がない。
理由は……母上が死んだからだ。
死者の国で死ぬなんて不思議だが、それには理由がある。
その理由とは……母上はれっきとした人間で、彼女に惚れた父上が人間界から連れてきてここに住まわせていたんだ。
父上の術は絶大で、母上の寿命を普通の人間以上には出来た。だがそれにも限界がある。
人としてはあまりにも長すぎる寿命を母上は全うし、帰らぬ人となった。
さすがに遊び人の父上も母上の死は堪えたらしく、代を俺に譲ると言い出した。
それ以来、俺を『閻魔』と呼び、自分は『閻王』と名乗った。
父上は偉大だ。だが俺は父上をどこかで憎んでいた。
人間の母上に惚れたのは自分なのに、先に老いていく母上を父上は相手にしなくなっていったんだ。宮殿の離れにいる母上に、会いにも行かなくなった。
代わりに俺は毎日母上に会いに行った。
そんな俺に母上はいつも柔らかい微笑みを見せ、父上の事ばかりを聞いてきた。
「父上は……今日も審判でお忙しいようです」
オウムのように同じ事しか答えられない俺に、母上はいつも微笑んでいた。
……母上を避けていたクセに、死んでから悔やんだって遅ぇんだよ。
だから俺は母上が死んでからも蘭を拒めない父上に苛立ち、そんな父上から蘭を奪ってやりたかった。
蘭は『足抜け』に失敗した花魁の成の果てだ。
アイツは親子程歳の離れた米問屋の主人への『身請け』が決まっていたが、恋仲だった男と遊郭を出る約束をし、楼を抜け出たところで楼主の手下に捕まり、酷い折檻の末命を落とした可哀想な女だった。
人は死ぬと十王審査の結果、六道の内のいずれかに行き先が決まるのだが、父上は蘭の行き先を決めず、宮殿に置いた。
俺はますます気に入らなかったが、蘭を不憫に思ったのも確かだった。
それに……蘭は可愛かった。
蘭さえ父上より俺を選ぶなら、アイツを俺の屋敷に住まわそうと本気で思った。
そんな時、急にルナが現れた。
三途の川の手前でキョロキョロしているアイツを見た瞬間に、生き人だとすぐ分かった。
話しかけた俺を真っ直ぐに見上げる瞳が綺麗だったがガキっぽさが目立ち、好みではなかった。
二度目に出会った時、アイツは泣いていた。
奪衣婆と懸衣翁に着物を脱げと迫られて、走って振りきったものの転んでしまったのだ。
俺が閻魔だと名乗っても信じず、大切なイトコを助けに来たと話すルナは正義感に満ちていて眩しかった。
俺の言葉に癇癪を起こし、必死になってイトコがいかに善人かを捲し立て、少しふざけた俺の頬をルナは殴った。
挙げ句の果てに蘭にまで意見し、彼女を怒らせる始末だ。
『 あなたの心に真実の愛はないの?!閻魔にだって、お父さんにだって失礼だわ。それに、あなた自身にもね。だって、誰かを愛するのって、その人に愛を働きかけることでしょ?なら、いい加減なのはダメだよ 』
確かこんな事を言った気がする。
真っ直ぐで、一点の曇りもない眼で。
蘭は怒りに震えたが、俺は身体がムズムズした。
恥ずかしいような羨ましいような、フワフワと心が浮くような気分だ。
真実の愛。
こんなガキみたいな女に、そんなもんが分かるのか?この女が愛を働きかけるのはどんな男なんだ?それが、もしも俺なら……俺は……。
小さくてか細いこの女の内には、一体何があるのだろう。
……見てみたい。感じてみたい。
コイツとそういう関係になれたら、俺は……俺は母上の気持ちが分かるのだろうか。
父上を憎む気持ちも失せ、愛を知れるのだろうか。父上の血が流れている俺が、母上のように愛を貫き通せるのか知りたい。
そう思うと、目の前の幼子のような女に賭けてみたくなった。
いや、賭けてみたくなったというのはちょっと違うかもしれないが、とにかく俺は……ルナならそんな愛を俺に教えてくれるのではないかと期待したんだ。
※※※
咄嗟に思い付いた罠に、ルナは見事に引っ掛かった。
わざと目立つように置いた偽物の閻魔帳に、アイツは食い付いた。
案の定ルナは偽の閻魔帳を盗み、俺は思わずほくそ笑んだ。
……これでアイツを追いかける理由ができた。
俺は不眠不休で当面の仕事を片付けると、父上の屋敷へと向かった。
「なんだ」
「頼みがあります」
留守の間の審判を頼むと、父上は嫌な顔をした。すかさず俺が、
「母上は仕事をする父上の横顔がとても好きだったと……」
「もういい。行け」
ルナに会える。
俺ははやる胸を抑えながら人間界へと向かった。
※※※※
気づけば俺は、自分で思っているよりもルナに惚れていたみたいだ。
学校でも家でも、とにかくルナが気になるんだ。
だからアイツが他の男に入れあげているのを見て、居ても立ってもいられなくなった。
もしもルナがアスモデウスそのものを愛していたら?悪魔だと分かりつつ愛していたら?
それでもルナの為だ……引き裂いてやる。
ルナは誰にも渡さない。
こんな風に命を懸けて一人の女を守る日が来るなんて、思いもしなかった。
集中力を欠けばやられるかも知れない相手だったが、ルナの為だと思うと恐れる気持ちなど微塵もなかった。
ルナが好きだ。
こんなに好きになるなんて、自分でも不思議だった。
ルナを俺のものにしたい。
ルナに惚れてもらいたい。
俺に惚れたら……めちゃくちゃ甘やかしてやる。
そう、溶ける程に。
俺を好きになったら凄く大切にして、何だってしてやる。だが、ルナは……。
……アイツが戸惑うのはわかる。
俺が人を越える存在である以上、住む世界が違うからだ。だが、それがどうした?
俺が愛してるって言ってるんだ。
黙ってついてこいよ。俺のものになれよ。
そしたら、全てからお前を守ってやるから。
だがルナは、頑なに俺を拒んだ。何度かの押し問答の末、
『私を思うなら、もう諦めて帰って。これ以上苦しめないで』
ルナのその言葉を聞いたとき、アイツとの温度差を思い知らされた。
ルナは、今の俺ではダメなんだ。
生活環境も、老いる早さも違う俺と一緒にいるのは、アイツの中で恐怖でしかないのだ。
俺が全ての負からアイツを守ると心に決めていたのに、俺自体がアイツにとって『負』だとは。
なら……それなら……去るしかない。アイツを苦しめたくない、愛してるから。
……俺が悪いんだ。アイツを……ルナを安心させてやれない俺が悪いんだ。
なら、去るべきだ。
俺は人間界から去る決心を固めて、ルナの前から消えた。
※※※
「なんじゃ、浮かぬ顔をしおって」
死出の山の麓から賽の河原を抜けて三途の川沿いに足を進めていると、しわがれた声が俺を呼び止めた。
見ると、六文船のジジイが細い眼をいっそう細めて俺を見ていた。
「閻魔が色事で悩むとは」
「るせぇ」
六文船のジジイは父上の親友らしい。
「図星か。可愛い奴よのう」
俺は六文船のジジイが好きだった。
ジジイは神通力の達人で、どんな術でも使えると父上から聞いた事がある。
だが何故か三途の川の上では神通力が使えないから公平な仕事が出来る筈だと、父上が船頭を任せたらしい。
「話なら聞くぞ?」
「なあ、ジジイ」
「ん?」
「ジジイならどうする。惚れた女が……生き人なら」
俺の問いにジジイの眼が少し丸くなり、その後すぐいつもの糸のような形に戻った。
「その娘とは……」
「偶然ここに来た娘だ」
「……そうか」
ジジイは何か思うところがあるらしく、三途の川の滑らかな水面に視線を落とし、柔らかい笑みを見せた。
「お前の一番欲しいものはなんじゃ?それを考えたら簡単じゃろう。なんにも難しくはない筈じゃ。身を焦がすようなその想いの果てにあるものは何じゃ?その先に、お前は何を見ている?」
俺の、一番大切なものは……。
俺の見ているものは……。
そうだ。俺のこの想いの果てにあるものは。
「ジジイ」
「……」
俺は大きく息を吸うと、再び船頭のジジイを見つめた。




