消せない想い
※※※※※※
「ルナってばっ!!」
亜子ちゃんの声に、私はハッと我に返った。
その直後、深まった秋の風が私の首元を撫でて吹き抜けていき、その冷たさが私を現実に引き戻した。
「あ、ごめ……」
学校帰りに立ち寄った公園のベンチで亜子ちゃんはミルクティーの缶を両手で持ったまま、私を見た。
「ルナさあ、ここ一週間、凄く変だよ?いっつもボケーッとしてるし食欲ないし」
亜子ちゃんは眉を寄せて私を見つめていたけれど、再びこう言って私の顔を覗き込んだ。
「……何もないなんて、言わないで。……何かあったんでしょ?」
私は亜子ちゃんの言葉に、コクンと喉を鳴らした。
「……何度訊いても大丈夫って言うけどさ、全然大丈夫じゃないじゃん!お昼は食べないし、オヤツだって食べない。笑わないし、いつも眼が赤い」
なにも言えない私の前で、亜子ちゃんは泣きそうな顔をして続けた。
「ねえルナ、何か抱えてるなら、辛いなら言って。私達親友でしょ?ルナが辛いと私だって元気でいられないよ」
「亜子ちゃん……」
実は、閻魔を思ってたの。
あの日の別れから、ずっと。
あの日……あのアミューズメントパーク『BIGJOY』で突然の別れが訪れてから、私は閻魔と会っていなかった。
その週明けの月曜日、驚いたことに校内の誰もが閻魔を覚えていなくて、私は長い間夢でも見ていた気分だった。
だってあんなに閻魔を好きだった桜ちゃんですら、閻魔の記憶がなかったから。
私は愕然としたけどどうすることも出来ず、それ以来閻魔の話は出来なかった。
でも……よく考えるとそうなるよね。
転校生としてうちの学校に来たのも彼の神通力だったし、去るときは手っ取り早くみんなの記憶を消した方が早い。
……じゃあ、私は?
私の記憶はどうして消さなかったの?
忘れちゃったら楽なのに。忘れられるかなって思ったのに。
ツ-ッと、涙が頬を伝った。もう、ダメだ。
「……亜子ちゃん」
私は、震える声を必死で抑えながら亜子ちゃんを見た。
亜子ちゃんは、どう思うだろうか。
閻魔との出来事を正直に話したら。私を嘘つき呼ばわりするだろうか。それとも、気味悪がるかな。
分からないし怖い。
でも、ここから抜け出して私は先に進みたい。
じゃないと苦しくて悲しくて、耐えられない。
「あのね、亜子ちゃん」
私は大きく息をしてから、ポツポツと話し出した。
※※※※※※
泣きながら話す私を、亜子ちゃんは時折頷きながら見つめていた。
私が昔から、人には見えない存在が見えていた事。
朱里が交通事故に遭い、仁に頼んで死後の世界に行き、彼女を連れ戻そうとした事。
そこで閻魔に出逢い、『閻魔帳』を盗んだ事。
私を追いかけて、彼が閻魔帳を取り戻しにやって来た事。
私に取り憑いていたのが、ロイの身体を乗っ取っていた悪魔だった事。
その悪魔から閻魔が私を守ってくれた事。
……いつの間にか、閻魔を好きだった事。
全てを話し終えた私の前で、亜子ちゃんは声をあげて泣いた。
「亜子ちゃん、ごめん。こんな事を話してしまって」
亜子ちゃんはブンブンと首を振りながら涙を拭った。
「ルナ、大変だったんだね。良かった!ルナが無事で。でも……」
「うん……」
「彼の事、好きなんでしょ?」
私はコクンと頷いた。
「信じられない話だけど彼は人間じゃないし、上手くいきっこない。歳をとる早さだって違うんだもの。だから最初は良くても結果的にお互いが苦む事になると思うと、彼の気持ちには答えられなかった。
……時間が経てば忘れられると思ってたのに、日を追う毎に彼への想いが強くなるの」
シャクリ上げる私を、亜子ちゃんが抱き締めた。
「ルナ、泣かないで」
「亜子ちゃん、私、凄く辛いの。閻魔が好きで好きでたまらない。閻魔のいないこの世界が灰色に見えるの。閻魔はいつも私を大切にしてくれていたのに、彼に酷いこと言っちゃったの」
こんなに人前で自分の胸の内をさらけ出した事はなかった。
堰を切ったように閻魔への想いが溢れ出て止まらない。そんな私は今、狂っているのかもしれない。
こんなに泣いて、叶わない想いを口にして、私を信じてくれた親友を困らせてしまうほど閻魔を好きなのだ。
「閻魔が好き。死ぬほど好きなの」
「……行ってきなよ」
思ってもみない言葉を、亜子ちゃんが口にした。
「……え?」
「だってこれはきっと、ルナの生涯を懸けた恋なのよ。わかるでしょ?!」
生涯を懸けた恋。
私の一生涯をかけて、閻魔を。
「夢魔の……仁に頼むのよ。だって、もう一度閻魔に会わなきゃルナは一生後悔する。そんなのダメよ」
もう一度、死者の国へ……。
確かに、考えないことはなかった。
けれど大怪我をした仁にそれを頼むのは申し訳なく思ったし、何よりあんな言葉で傷つけてしまった閻魔に、どんな顔をして会えばいいのか分からない。
するとそんな私の心を見透かしたように、亜子ちゃんは厳しい眼差しを私に向けた。
「ルナ。ルナは人間のあんたに愛を告げた閻魔を傷付けたのよね?彼の真心を踏みにじったのよね?彼は二人の間に立ちはだかる壁を越えようとしていたんじゃないの?!あんたの傍にいる道を選ぼうとしてたんじゃないの!?」
グサリと胸に亜子ちゃんの言葉が突き刺さり、思わず顔が歪んだ。
……そうだ、その通りだ。
彼は……彼は何の取り柄もない私を選んでくれようとしたのに、私は……!
なんてバカなの、私。
始まってもないのにハナから諦めて、彼を傷つけて。
これじゃ後悔しか残らないって、何故気付かなかったの!?
胸が痛くて痛くて、息が苦しい。
そんな私に亜子ちゃんは続けた。
「ルナ、あんたは謝らなきゃならない。愛してくれた人を傷付けたままなんてダメでしょう?
ちゃんと謝って、それから閻魔に自分の想いを伝えなよ。それでダメならまたその時に考えよう。だって人生は一度きりだよ?失敗しても後悔はしたくないでしょ?!」
失敗しても後悔はしたくない。
そう言えば私と亜子ちゃんは、入学したときからお互いにそう言っていた。
閻魔が好きだ。
やっぱり私は、閻魔と離れたくない!
私は涙を拭うと、亜子ちゃんをまっすぐに見つめた。
「亜子ちゃん、私閻魔に会ってくる。あの日傷付けたのを謝って、それから告白する」
私がそう言うと、亜子ちゃんは泣き笑いの表情で頷いた。
「私、この世界一の恋を応援する!だから、頑張って!」
世界一の恋。
亜子ちゃん、そう言ってくれてありがとう。
私、あなたと親友で良かったよ。
私の為に泣いてくれたあなたを、私もこの先大切にする。
「早く行きなさい」
「うん!」
私は亜子ちゃんにありったけの笑顔を向けると、彼女にハグをして駆け出した。
早く仁に会わなきゃ。
仁にもう一度、死者の国へ連れていってもらおう。
私は立ち止まらずに、ひたすら自宅へと急いだ。
※※※※※※
私が呼ぶと、仁は直ぐに来てくれた。
「なんだよ、その腫れまくりの顔は」
「だって……」
「困ったウサギだな」
泣きすぎて真っ赤になった私の眼を見て、仁はクスリと笑った。
「ほら、こっち来い」
仁が、怪我をした肩と逆の腕を私に伸ばした。
「……まだ痛む?」
仁が首を横に振った。
「相手が相手だっただけに長引いたけど、もう大丈夫だ」
そう言いながら私を引き寄せて頭をクシャリと撫でると、仁は再び笑った。
「痩せたな」
「…仁、お願いがあるの………」
「……分かってる」
仁が柔らかい眼差しで私を見下ろした。
「お詫びに、あの世への道を作ってやる」
私は仁の言葉の意味が分からなくて、首をかしげた。
「お詫びって?」
「……アスモデウスに加担してたこと」
たちまち仁の赤い瞳に、後悔や憎しみ、苦しみとか悲しみ、その他の何とも言えない感情が生まれて揺れた。
それらが混ざりあった仁の瞳はやっぱり私の大好きな赤色で、綺麗だった。
「私、分かってるの。仁は悪くない。仁は私を誰からも守ってくれていたんでしょ?だからずっと傍にいてくれたのよね?……ありがとう、仁」
私が話している間中、仁は驚いたように眼を見開いていたけど、言い終わってペコリと頭を下げた私を彼はきつく抱き締めた。
「ルナ、ルナ」
私よりも大きな仁の身体が震えていて、私は思わず彼の背中を擦った。
「仁、本当にありがとう」
「……ベッドに横になれ。連れてってやる」
「うん」
「行きは、前と同じ場所までしか道を作れない。帰りに何が起こるか分からないから、体力を温存してなきゃならないからだ。要領は前回と同じだ。俺の声を絶対に聞き逃すなよ」
そう言えば仁は、前回も帰りはその場に道を作ってくれた。
あれは、ギリギリまで私が朱里を探せるように考えてくれていたのだ。
「うん」
仁が横たわった私の髪を撫でて、柔らかい声で言った。
「閻魔に会ってちゃんと伝えてこい」
「うん!」
私はしっかりと頷くとベッドに横になり、眼を閉じた。
※※※※※※※※
仁が繋げてくれた道を、私は夢中でひた走った。
息が切れて心臓が破裂しそうになり、やむなく速度を落とすとハッとして、ポケットを探った。
うん、ちゃんと持ってきてる。
私はあの渡し舟……六文船のお爺ちゃんを脳裏に浮かべた。
前回はゲーセンのコインだったけど、今回はちゃんとしたお金を持ってきた。
早く、早く行かないと。
私は再び走り出した。
閻魔に会いたい。会ってちゃんと謝りたい。
私は幅の狭い長い道を、歯を食いしばって走り続けた。
※※※※※※
「おお、お前は確か…………」
肩で息を繰り返す私を細い眼でジーッと見つめると、六文船のお爺ちゃんはそこで言葉を止めた。
「確か……」
思い出してくれたのを期待して待つ私に、お爺ちゃんはニンマリと笑った。
「確か五百年前、夏祭りでナンパしてイイ仲になったお花ちゃんじゃな」
違うわっ!
私は内心舌打ちしつつ、ポケットの中に手を突っ込んだ。
「お爺ちゃん、私をこの船にのせて!私が漕ぐから!」
「おや、お前は確か……以前、珍しい銭をくれた娘じゃな」
記憶が戻ったらしいお爺ちゃんにブンブンと頷くと、私は無理矢理彼の手にお金をねじ込んだ。
「早く船貸して。じゃないとまた外道衆が来る」
その時、生ぬるい風が私の頬を撫でた。
真っ黒の木々がザワザワと音をたて、烏より一回り大きな鳥がギャアと鳴きながら飛び立ち、あたりに羽音が響いた。
それと同時に、背後から野太い声が聞こえる。
「俺達に用かよ」
……嘘……!
さっきここに着いた時、確かに誰もいなかったのに。
恐る恐る振り返った私に、外道衆が下卑た微笑みを見せた。
「おう、船頭のジジイ!なんでまた生き人がいるんだ」
「なかなか、イイ女じゃねえか」
アマガエルみたいな肌の外道衆が、私を舐めるように見た。
「ネエちゃん、なにしに来たんだ?」
ああ、もう逃げられない。
身体中に冷や汗が浮かび上がり、思わずゴクリと喉を鳴らした私を見て、猫の眼のような外道衆が嬉しそうに笑った。
「ジジイ、この女、貰っていくぜ」
「やだ、ちょっとっ!」
ニュッとこっちに伸びてきた外道衆の手を咄嗟にかわすと、驚いた事に彼らは後ろにひっくり返った。
まるで、眼に見えない何かに突き飛ばされたみたいに。
「ジジイ、何しやがる!」
「この娘はワシの客じゃ」
尻餅をついた外道衆達が慌てて起き上がりながら、お爺ちゃんを睨み付けた。
嘘でしょ?お爺ちゃんがやったの?!
眼を見張る私の前で、お爺ちゃんがニンマリと笑った。
「ワシはな、もうこの娘から銭を受け取ったんじゃ。つまりはもうワシの客じゃ」
「何だとこのジジイ!ブッタ斬るぞ」
外道衆が腰の屶を抜き放ち、構えようとしたとき、お爺ちゃんが短く何か囁いた。
「うわあっ!」
今度はその屶が、見えない何かに弾き飛ばされた。
「い、痛ぇ!」
屶を取り上げられた外道衆達が、悲鳴をあげて顔を歪める。
まるで、誰かに腕を捻り上げられているみたいだ。
……今だわ。
「お爺ちゃん、行くわよ!」
「へ?うおっ!」
私はまたしても、ドスッとお爺ちゃんを船に突き落とした。
どん!と船底に落ちたお爺さんを見届けて飛び降りるとロープをほどき、私は急いで櫓を漕ぎながらお爺さんに頭を下げた。
「ごめんね、お爺ちゃん!ってゆーか、お爺ちゃん強いじゃん!」
私がそう言うと、お爺さんは若干照れたように笑った。
「なんで前回は隠してたの?」
「……隠すもなにも、前はお前が物凄い勢いでワシをひっ掴んだ挙げ句、舟に突き落としたんじゃろーが。術を使う暇もなかったわい」
ああ、そうだったんだ。
「ごめんね、私、急いでて」
「今回も急いどるんじゃな。どうなさった?」
私は櫓を動かしながら、お爺ちゃんのシワだらけの顔を見つめた。
「お爺ちゃん、私ね、物凄く好きな人がいるの。その人は私に愛を告げてくれたのに、私は彼を酷い言葉で傷つけてしまって……人じゃない彼とは何もかもが違いすぎて、勇気がなかったの」
お爺ちゃんは私を黙ってみていたけど、やがてニンマリと笑った。
「今はどうじゃ?」
今は……。
「今も怖い。彼とは歳をとる早さも違うから……。でも傷付けた事を謝って本当は大好きだって伝えたいの」
お爺ちゃんは私から眼をそらすと、遥か彼方の対岸へと視線を移した。
「その男を信じてみたらどうじゃ」
「え?」
「死者の国の男が生き人に惚れて、それを伝えた勇気を分かってやりなさい。その男は、何もかもなげうってお前を選ぼうとしたんじゃろ?なら、信じてやりなさい」
勇気。
生き人に惚れて思いを伝えた、勇気。
ああ、閻魔の気持ちを私は……!
涙で目の前が滲み、私は鼻をすすった。
「お爺ちゃん、私……」
「さあさあ、早く漕ぎなさい。惚れた男が待っとるぞ」
「う、うん……」
私は涙を拭うと、遥か先の対岸に眼をやった。
閻魔にもうすぐ会える。
会ったらちゃんと好きって言おう。
先の見えない恋だけど、閻魔を好きだという気持ちは止められないと分かってしまったから。
※※※※
ようやく船が対岸に着いた。
「元気での」
「うん、ありがとうお爺ちゃん」
お爺ちゃんは船を降りた私を見上げて再びこう言った。
「珍しい銭の礼じゃ。眼を閉じなさい。連れていってやろう」
「え?」
「特別じゃぞ?川を渡る術は使えんがここからじゃと少し助けてやれる。ゆっくり十数えたら眼を開けなされ」
言われるがまま眼を閉じると、私はゆっくり十数えた。
その間、お爺ちゃんが何かブツブツと呟いていたけれど聞き取る事が出来なくて、そのうち十を数え終わった私は眼を開けた。
「えっ……」
そこは……大きな建物の前だった。
お爺ちゃん……私を運んでくれたんだ……。ありがとね、お爺ちゃん。
私は心の中でお爺ちゃんにお礼を言うと、その建物を見上げた。
それは荘厳な雰囲気の日本建築物で、その支えとなっている朱塗りの列柱は、とても太い。
開け放ってある両開きの扉をくぐり、中に入るとその建物の迫力に圧倒される。
金箔や漆をあしらった装飾品が扉やはめ殺しの窓を彩っていて、実に絢爛豪華だ。
庭には色鮮やかな花が咲き乱れていて、辺りは薄暗いというのに鮮やかに眼に写る。
此処は……何だろう……神社?いや、神社にしてはやたらと華やかで……。
その時、どうしていいのかまるでわからず立ち尽くす私の耳に、悲鳴が聞こえた。
「お待ちください、閻魔大王様っ!それだけはお許しください!」
……閻魔大王……。
全身がビクッと震えた。……閻魔……閻魔がここに?!
私は声のした方へ早足で進んだ。
「たった今下した審判に従う以外に、お前に道はない。……連れていけ」
……閻魔だ。閻魔の声だ。
涙が出そうになって、私は胸の前で無意識に両手を握り締めた。
すぐそこに閻魔がいる。
「今日はこれにて閉廷!」
しわがれた声の主の言葉でガタンと誰かが立ち上がり、衣擦れの音がこちらに近づく気配がした。
咄嗟に柱の影に隠れ、人以外の存在をやりすごす。
……閻魔は……閻魔はここを通るのだろうか。
通らないのなら、会えない。嫌だ、どうしても会いたい。
意を決して柱から離れ、そろりと歩き出したとき、庭に面した廊下の一部分がフワリと明るくなった。
眼を凝らすと、人影が見える。
不思議なことに人影が進むにつれてその足元に蜂蜜のような甘い光が灯され、とても幻想的だった。
一歩また一歩とその人影大きくなり、次第に私の胸も高鳴る。
だって、閻魔だったんだもの。
ああ、やっと会えた、閻魔に。
スラリとしたその姿、端正な横顔。
閻魔、閻魔……!
閻魔は私に気付く様子もなく、目の前を通りすぎようとしている。
今、声をかけなきゃ。
「閻魔……」
「帰れ」
心臓に冷水をかけられた気がした。
その切り返しの早さが、私を拒絶している証明だと思えた。
閻魔は気付いていたのだ、私がここにいるのを。
その上でこちらを見ようともせず、帰れと言ったのだ。
耐えられなかった。
「閻魔、こっちを見て」
「…………」
あり得ないほど声が震えた。
「閻魔」
閻魔は真っ直ぐ前を向いたままで、私を少しも見ようとしない。
堪らず駆け寄り、私は閻魔の着物の袖を掴んだ。
「こっち見てよ、閻魔」
涙が出て声が上ずって、身体が震える。
「閻魔っ」
ようやくゆっくりと、閻魔が私を見た。
黒に近い紫の瞳は夜の海のような寂しさに似ているのに、その光の中には僅かに甘さが滲んでいた。
「閻魔、傷付けてごめんなさい。私、勇気がなくて、怖くて。閻魔とは何もかもが違いすぎて怖かったの。歳をとる早さだって違うし、いつか嫌われちゃうんじゃないかって。だけど、やっぱりこの思いは消せない」
一気にそこまで言うと息がきれてしまい、私は大きく息を吸い込むと、再び続けた。
「閻魔。私、閻魔が好きです。心から好きです」
閻魔が大きく眼を見開いた。
男らしい口が僅かに開き、信じられないといったように私を見下ろしていたから、私は信じてもらいたくてもう一度言った。
「閻魔。あなたが好きです。ずっと一緒にいたい」
「…………」
何か言ってよ、閻魔。
もうダメなの?遅いの?
それとも傷つけちゃったから、私を嫌いになったの?
「閻魔っ……」
怖くてそれに耐えられなくなって、私は思いきり背伸びをすると閻魔の唇にキスをした。
真剣な想いを分かってもらいたかったの。それなのに。
「……帰れ」
僅かに掠れた声でそう言うと、閻魔は私を一瞥した。
「閻魔、私、真剣に」
「俺はまともじゃなかった」
頭を殴られたような衝撃を覚えた。
硬直する私の二の腕を掴み自分から引き離すと、閻魔は冷たく言い放った。
「お前の言った通りだ。俺ともあろう者が、お前みたいな小娘に惚れるわけがない」
え……。
嘘だ、絶対。
「本心なの、閻魔」
あの日閻魔に訊かれた台詞を、私はそのまま返した。
「本心かって訊いてるの」
涙声で訊ねる私を見て、閻魔は右手に持っていた長い刀を肩に担ぐとニヤリと笑った。
「お前を守ると言った手前、約束を御破算にすると俺の株が下がる。で、仕方なく傍にいたら妙な情が移っちまったようだ。そこに加えて女日照りで勘違いしてたんだ。お前に惚れたと」
血の気が失せていく私を見て、閻魔は尚も続けた。
「ただ単に欲求不満をお前で解消しようとしただけで、惚れた訳じゃない。悪かったな、勘違いして」
勘違い……。
目眩がして倒れそうになるのを、必死でこらえた。
勘違い。
どうすることも出来ず閻魔を見上げたままの私に、彼は更に続けた。
「ご苦労だったな、こんな所まで来てもらって」
………そうか。
私を好きって……閻魔の勘違いだったんだ。
ポロポロポロポロ、涙が後から後から流れ落ちた。だけど、このままじゃいられない。
「そ、う……だったんだ……じゃあ、私こそごめんね」
慌てて涙を拭きながら、私はぎこちなく笑った。
「重いよね、こんなところまで追いかけてきちゃって……ホントにごめん。だけどやっぱ、自分の気持ちには嘘つけなくて。あ、あの、迷惑かけるつもりは更々ないよ。私が勝手に閻魔を好きなだけでその……気持ちを伝えたかっただけだから」
自分が凄く惨めでバカみたいで、恥ずかしくて情けなくて死にそうだった。
「元気……でね。じゃあもう帰るよ。審判、頑張ってね」
胸が痛くて痛くて耐えられない。一刻も早く、ここから立ち去りたい。
「さよなら閻魔」
「ルナ!!」
身を翻そうとした私の身体を、閻魔が物凄い勢いで抱き締めた。
強く、強く。
けれどそれは多分一秒くらいで、すぐに彼の温もりは消え失せた。
「じゃあな、ルナ。幸せになれよ」
そう言った閻魔の横顔は酷く苦しげで、私はすぐに彼の気持ちが分かってしまった。
バカじゃないの、コイツ。なんて下手なの。
そんな顔でそんなこと言わないでよっ。
こんなに強く抱き締めないでよっ!
閻魔のクセに。閻魔大王のクセに!!
私から離れて去っていく閻魔の後ろ姿が霞んでいくから、私は何度も涙を拭った。
だって、最後までしっかりこの眼で閻魔の姿を見ておきたかったんだもの。
ずっとずっと、忘れないために。
何を忘れたとしても、閻魔の事だけは忘れたくない。忘れたくない!!
「閻魔……」
やがて廊下の突き当たりを曲がった閻魔の姿が、私の視界から消えた。
「閻魔……」
全身の力が抜けていくのを感じながら、私はいつまでも立ち尽くしていた。
※※※※※
「もう卒業だな」
「涼馬。やっと解放されたの?」
あれから三ヶ月後、私達は無事に卒業することとなった。
卒業式の後、別れを惜しみながら皆で写真を撮り、後輩達に囲まれて再び涙にくれる。
それらからやっと解放されて、亜子ちゃん達を待ちながら中庭にいた私に、涼馬が歩み寄ってきたのだ。
相変わらず涼馬は女子達に大人気で、なかなか解放してもらえなかったみたい。
私はそんな涼馬を見て吹き出してしまった。
「涼馬、ネクタイもないし、シャツのボタンも全部ないじゃん!どーすんのよ、これからみんなでご飯食べに行く約束でしょ?」
私がそう言って見上げると、涼馬は悪戯っぽく笑った。
「大丈夫、着替え持参だし」
「さすが涼馬だわ」
「なあ、ルナ」
「ん?なに、涼馬」
涼馬は私を真っ直ぐに見ると、小さな声で言った。
「もしここにアイツがいたら……アイツはネクタイやボタンどころか、靴下までなくなってたかもな」
涼馬の顔は寂しげで、私はそれが不思議だった。
「……アイツって?」
「ルナ。俺さ、本当は覚えてたんだ」
「……え?」
意味がわからず怪訝な顔で涼馬の眼を見つめると、 彼は眩しそうに空を見上げた。
「アイツ……円真の事。ルナ、お前もだろ?」
ドキンと強く鼓動が跳ねた。
嘘……な、んで……?
みんな覚えてないのに、どうして涼馬が?
「……涼馬……マジで言ってんの?」
涼馬は軽く頷くと、空を見上げたままギュッと眉を寄せた。
「お前もだろ?」
閻魔を覚えているなんて、私以外にいないと思っていたのに。
だから私は、涼馬が何を言い出しているのか分からなかったんだ。
息を飲む私の前で涼馬は更に続けた。
「俺、ガキの頃から霊感があるんだ。不思議な体験もいっぱいしてきた」
……初めて聞いた。涼馬もそうだったんだ……。
「アイツと初めて会って話した時の事、今も強烈に覚えてる。……アイツ、俺にこう言ったんだ。
『坂本、久し振りだな』って。俺はてっきりアイツのジョークだと思ったからこう言ったんだ。俺は涼馬だけど、漢字も違うし名字も坂本じゃねーよって」
涼馬の声が上ずって震えた。
「アイツ、俺の言葉に我に返ってさ、『ああ、やっぱ覚えてねぇか。けどまあ、今度は長生きしろよ』って……!俺、本当は覚えてるんだ。全部じゃないけど、土佐を出た時の事や、池田屋で襲われた時の記憶も微かにある。けど、誰にも言えなかった。こんな事人に話すと嘘つき呼ばわりされるか、頭がおかしいヤツだと思われるから。けど、アイツは……!」
ポロポロと泣きながら話す涼馬の横顔が痛々しくて、私は思わず彼の腕をソッと掴んだ。
涼馬は……昔に閻魔と会っていたのだ。坂本龍馬として命を終えた時に。
命を落としてから三十五日目の十王審査は、閻魔が審判を下す日だ。
「なあ、ルナ。お前も円真を忘れてないんだろ?!」
「……うん」
私が頷くと、涼馬は私の頭に手をやり、グシャリと撫でた。
「ごめんなっ……俺がもっと早く切り出してればお前は一人で苦しまずにすんだのに……アイツがいなくなってみるみるやつれていくお前に、俺は何も言ってやれなくて」
私は涼馬を見て少し笑った。
「私こそごめん。気付いてあげられなくて。私以外に閻魔を覚えているなんて、考えもつかなくて」
「なあ、ルナ。俺達はもう卒業だけど、大学近いし、これからも定期的に会わないか?俺、円真を親友だと思ってたんだ。心からアイツを好きだったんだ。なのに、アイツの話を出来ないなんて耐えられない」
私は、泣きながらそう話す涼馬の手を握りながら、しっかりと頷いた。
「うん、そうだね涼馬。時々あって閻魔の話をしようね」
青く澄んだ空を見つめながら、私と涼馬はしばらく二人だけで閻魔に想いを馳せていた。




