04 ハーンストラ家の幽霊騒動:前編
草木も眠る刻限。
今夜は嵐だ。屋根には絶えず雨粒が叩きつけられ、吹き荒れる風がガタガタと窓を揺らしている。当然月明かりなどなく、肌には闇ばかりが纏わりついていた。
掠れた悲鳴が聞こえる。
もがき苦しんでいるような、恨み言を吐き散らしているような……違う、これはただの風だ。
フローチェはごろんと寝返りをうった。子供の頃から、嵐の夜は嫌いだった。
(べ、別に、怖いわけじゃありませんけれど。こうも煩いと寝られませんわ。さっきから風が……)
トトトト、トトッ────……。
「っ!?」
突然響いたそれに、フローチェは体を震わせた。
明らかに異質な音だった。風と言うより、まるで子供の足音のようだ。この屋敷に幼子などいないが。
(き、気のせいよ、気のせい。きっと聞き間違い……)
暫く身を固くしていると、音は止まった。フローチェはほっと息をつく。雨垂れか何かだったのだと、無理やり自身を納得させようとした。しかし、
トトトト、トトトト……。
すぐにまたそれは聞こえてきた。廊下側からだ。
しかも音がこちらに近づいて来ていることに気がつき、心臓が狂ったように早鐘を打ち始めた。
(何かが、来る……)
扉にはしっかりと鍵がかけられているし、大声を上げればすぐに使用人たちが駆けつけてくれる。いくらそう己を宥めても、不安と疑問は肥大し続けた。
(でも、何をしに……?)
フローチェの部屋は廊下の突き当たりだ。こちらに来るとすれば、用があるのはこの部屋。
トトトト、トトトト……。
何が近付いて来ている。どうしてこちらに来るのか。あれに見つかったらどうなるのか。
目まぐるしく理由を考えるその間も、足音は少しずつ近づいて来ている。
────トトトト……トトッ。
やがて、部屋の正面で足音が止まった。
「……っ」
フローチェは思わず固く目を瞑り、ベッドに潜り込んで息を殺した。しかし、いくら経てどもそれ以上は何も起こらない。嵐がもたらす音だけが響いていた。
(居なくなった……?)
どれほどそうして居ただろうか。フローチェはそろりと目を開けた。大丈夫、何も変わっていない。
(良かっ、た)
浅く長く、息を吐き出す。
あれが何だったのかは分からないが、ともかく助かったのだ……。
安堵とともにベッドから顔を出した。がさりと布が擦れる音がする。まさに、それが引き金となったかのようなタイミングだった。
ガリッ。
初めは、何の音か分からなかった。
動きを止めたフローチェとは対照に、音は激しさを増していく。何かを削ったときの音に似ていた。
ガリッ、ガリッ、ガリッ、ガッ……。
(これ、は……)
自分の部屋の扉に、足音の主が爪を立てている。
その考えに思い至った瞬間、フローチェは身体中の毛が逆立つのを感じた。
「……ァ……」
何かが聞こえた瞬間、またベッドに潜り込めば良かった。しかしこの時は恐怖で体が動かず、しっかりとそれを耳にしてしまった。
「ァ、アぁ────……ぁァ……」
子供ような、老婆のような、甲高くひしゃがれた声。
不気味で耳障りなそれが扉の向こうから響いてきた瞬間、フローチェはついに耐えきれずに悲鳴をあげた。
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「……で、こうなったと」
ミリアから事情を聞いたヴィレムは、己の腕に抱きついて離れないフローチェを見下ろした。
強気に振る舞う普段の姿とはかけ離れ、矜持を捨てて全力で怯えている。恋人に甘える少女というよりも、根性のある蝉のような必死さと物悲しさを感じた。
「はい。昨夜はお嬢様が悲鳴を上げられたので、もう何があったのかと心配で心配で……」
フローチェの部屋の壁には、扉だった板が立てかけてあった。昨夜駆けつけたミリアが蹴り破り、壮絶な死を遂げた扉である。そのバイオレンスな登場にさらにフローチェが恐怖したのは、当人たちだけが知るところだ。
「何とか先程話したような事情は聞き出せたのですが、余程恐ろしかったようで」
一人になることを極端に嫌がるらしい。未だにヴィレムの右腕で蝉のままだ。
「私がずっとお側にいるわけにも……勿論個人的には問題ありませんし、寧ろウェルカムですが」
「確かに、このままという訳にはいかないな」
侍女の台詞が若干自重できていないことが気になるが、そこはスルーする。フローチェはそこまでか弱い乙女ではないので、数日放っておけば治る気もしたが、ここまで弱っている恋人を放置できるほどヴィレムは情に疎くない。
「足音か……この屋敷では、以前からそういう現象が見られたのか?」
「いえ。少なくとも私は耳にしたことがありませんでした。しかし今日使用人たちに聞いてみたところ……」
誰もいないはずの倉庫から物音がしたり、処分するつもりだった残飯が消えたりしたことがあったそうだ。
「……浮浪者が勝手に住み着いていた場合が一番危険だな」
ヴィレムは眉を寄せた。
もしも屋敷内で鉢合わせれば、危害を加えられる恐れもある。相手が男なら、年頃の娘であるフローチェには他の心配も発生した。
「ええ。いずれにせよ、一度屋敷内を調査する必要があります。そこで、本日ヴィレム様をお呼びした理由なのですが」
そういえば、まだ聞いていなかった。真面目な顔をしたミリアに釣られ姿勢を正す。
「調査するに当たって、ちょうど良い機会ですので普段やらないところの整理や掃除もしようというお話になりまして」
執事が倉庫を片付けていたところ、目録に載っていない遺産がごろごろ出てきたらしい。調べたところ、二代前の当主が相当大雑把な性格だったようで、価値のあるものでも少し嵩張るとどこかに放り込んでいたのだ。
「新しく目録を作るようにとのご命令です。信頼の置かれている数名を中心に今日から作業に当たらねばなりません」
もう十五年以上勤めているミリアもその数名に入っていた。フローチェの側ばかりにいるわけにはいかないのだ。
「つまり、お前以外でにフローチェが弱みを見せられる人物が必要だったと」
「ご理解がお早くてなによりです」
「……要は子守りか」
ヴィレムは思わず呟き、腕を少し抓られた。言い方を変えろというフローチェからの抗議である。
「……さて、名残惜しいですが、そろそろ私は行かないと」
執事たちは既に作業に移っているという。ミリアはスカートの皺を伸ばしながら立ち上がった。
「何かあれば、そこの鈴で使用人をお呼びください」
「分かった」
「それではお嬢様、失礼しますね。ヴィレム様、あとは宜しくお願い致します」
フローチェは少しだけ顔を上げ、今まで付き添ってくれていたことに対して小さく礼を言った。しおらしい態度に、ミリアは分かりやすく頬を緩ませている。ヴィレムは実に分かりやすく半眼になった。
ミリアが去ると、今まで殆ど黙っていたフローチェが控えめに口を開く。
「あの……ヴィレム」
「どうした?」
「その、ごめんなさい。貴方も次期当主としてのお仕事が沢山あるのに……こんなことで、呼びつけたりして」
今更ではあるが、フローチェはじわじわと罪悪感に苛まれていた。自分がとんでもなく幼稚で我儘なことをしているのではないかと不安になってくる。というか実際そうだろう。
ヴィレムが不機嫌になりだしたらと不安になる。しかし、一方の恋人は仕方が無さそうに笑っただけだった。
安心させるように優しく頭を撫でると、低く甘さを持った声で囁く。
「謝らなくていい。……お前が俺を呼んでいるなら、それだけで行く理由に充分なんだ」
「ヴィレム……」
「ん?」
「呼んだのは私じゃなくてミリアだけど」
「なるほど帰っていいんだな」
要らない一言を言ったフローチェに、ヴィレムは真顔で腰を浮かせる。
「待って待って待ってごめんなさいごめんなさい私が悪かったから行かないで!」
慌てて腕に縋りついてくる力は思いのほか強く、本当に帰る気は無かったとはいえすぐにソファーに逆戻りした。
「お前な……どうしてこういうときにいつも……」
「だ、だってなんだか恥ずかしくて」
「人の台詞を恥ずかしい言うな」
「違っ、そういう意味じゃなくってよ!」
二人が婚約してから数ヶ月。
甘い雰囲気になることは多々あれど、外野からの意図的な妨害や本人のぶち壊しにより中断される場合が殆どだった。結ばれてからもヴィレムの受難は続く。
「あ、あの、怒らせたなら、ごめんなさい。でもお願いだから、帰らないで……」
震える声でフローチェは懇願した。こんな風な態度の彼女を見たことは、生まれたときからの付き合いであるヴィレムでもそうそう無い。鳥の囀り等の外から聞こえてくる物音に敏感に反応したりと、トラウマになっている節がいくつも見受けられた。
「分かってる。こんな状態のお前を置いていくほど、俺は薄情じゃない」
その言葉に、フローチェの体の力が少し抜けた。
とはいえ、昨夜からずっとこの調子で緊張していたなら、かなり疲れているはずだ。ヴィレムは一度腕を解くように言い、己に寄りかからせた。
「少し寝ろ。大丈夫だ、傍にいるから」
「ん……」
声をかけると、既に目がとろんとしていた。ゆっくりと瞼が落ちていき、頭が傾く。ほどなくして、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「…………」
フローチェの寝顔を見つめながら、ヴィレムは目を眇めた。肌が白いせいので、薄くとも隈があることは一目で分かった。よく見ると、白金の睫毛が縁どる目の下には僅かながら涙の跡が残っている。
(フローチェの言う足音の正体は分からないが……)
ヴィレムは基本常識的で、節度は守るし、ミリアの過剰なお嬢様愛に静かに引く程度の正常な感性を持ち合わせている。しかし、
(生物であれば、潰す)
恋人に多大な心労をかけ、尚且つ泣かされた相手となれば、容赦をする理由など何処にも無かった。




