03 学生たちの恋愛事情:後編
『フローチェ・ハーンストラとヴィレム・フィーレンスは恋仲である』
そんな噂が耳に入ってきたヴィレムは、これ以上ないほどに顔を顰めた。
それはたまたま正面から歩いてきた可哀想な令嬢が驚いて小さく悲鳴を上げるほどに不機嫌な表情であった。
(……不愉快だ。この上なく)
別にフローチェが嫌いということではない。そんなことは断じてない。
しかしそれこそが、問題であった。
ヴィレムは幼い頃からフローチェのことを好いていた。
けれどその頃にはすでに婚約者の席は第一王子が確保しており、彼女の心はブレフトに奪われていた。
これは絶対に叶うことのない初恋だ。
ヴィレムはどんなにフローチェの近くにいようと、今より近づくことは許されない。
例え流れる年月が積み重なる毎に、その恋心が降り積もっていったとしても。
(……なのに、俺とフローチェが想い合っている?)
嫌味か、それは。
そんなわけはないだろう。
どうしてこちらは諦めているのに外野が掘り返してくる。
ヴィレムにとっては最大級の嫌がらせであった。
「うおっ、どうしたヴィレム? なんかすごい顔になってるけど」
ちょうど教室から出てきた友人が、凶悪な不機嫌面に目を丸くする。
それからからかうように言った。
「まーた女に絡まれたのか?」
「……違う」
ヴィレムは言葉少なに否定する。
会話はいつもこんな調子だが、この友人はいつも飽きずに話しかけてきた。
それは今回も同様だ。
「本当かー? いや、毎日オレも大変なんだよ。可愛い女子に呼び出されては何て言われると思う? 『これ、ヴィレム様に……』、だよ」
令嬢の声を裏声で再現しつつ、大袈裟に息をつく。
「それで? お前に渡そうとすると『要らん』って突っ返されて? 要らんって言われた、ってその子に言うと怒られて? もっかいお前に渡そうとすると『しつこい』ってまた怒られる。あーやだやだこんな青春」
「…………」
それについては多少申し訳なく思っているので、反論はしなかった。度を過ぎたアピールに苛ついてこの友人に当たってしまったことは少なくない。
「あ、そうそう。最近は『ヴィレム様とフローチェ様は恋仲って本当ですの?』ってよく聞かれるんだけど」
ぴくり、とヴィレムの眉が引きつった。
それに気が付かない友人は呑気な声で話を続ける。
「で、実際どうなんだ? オレの家は大した爵位じゃないからよく分かんねえけど、そりゃあんな美人な幼馴染みが近くにいたら流石のお前、も……」
言葉は尻すぼみに小さくなっていき、やがて消えた。
真横から放たれる壮絶な怒気に気圧されたせいである。
ぎしぎしと音を立てる首をなんとか動かし怒気の発生源へと顔を向ける。
怒りの形相ではなかった。
ただ、濃く影を落とした目元の中で、眼光だけが不気味なほどにぎらりと光っている。
「……今度の剣術の授業」
暫くの沈黙の後、ヴィレムはそう呟いた。
脈絡もなく突然出てきた単語。が、すぐにその意味を理解させられることになった。
「お前と組む。パートナー、空けておけよ」
それだけ言って、ヴィレムはすたすたと歩いていった。
友人の顔色がみるみる青くなるのは見ていない。
ヴィレムは座学・剣術共に優等生な成績であり、友人と比べると格上にあたる。
そして、剣術の授業では必ず二人一組でも試合形式が行われていた。
つまり『今度の剣術の授業でお前と組んで滅多打ちにしてやるから、パートナー空けておけよ』という意味だ。
完全な処刑宣告である。
知らずに地雷を踏み抜いた友人は、誰もいなくなった廊下で膝をついた。
◇◆◇◆
ヴィレムは、珍しい人物に学園内で呼び止められた。
よく見知っているが、ここで遭遇するのは珍しいという意味だ。
「ごきげんよう、ヴィレム」
プラチナブロンドの髪を揺らして優雅にお辞儀をしたのは、先程話題に登ったばかりの幼馴染み。
少し周囲を気にするような素振りを見せる。
「……何か用か?」
「ええ、少し」
「場所を移すか」
数名の生徒がいる廊下を避け、滅多に使われない授業道具がしまわれている部屋に入る。
埃っぽさにフローチェを中を入れることを躊躇ったが、本人はさっさと足を進めてしまった。
「突然ごめんなさい。少し確認したいことがございましたの」
「ああ……何だ?」
「私と貴方に関する根も葉もない噂をご存知?」
「……知っている」
薄々予想はしていたが、やはりこの話らしい。
ヴィレムはできるだけ淡々とした態度と声音で頷いた。
「双方の家にとっても、この状況は好ましくないな」
「ええ、そうですの」
万が一この噂話が大きくなり外部に漏れでもしたら、二家とも王家に不信感を抱かれることになりうる。
それに、ヴィレムとフローチェは仲が良く、二人ともほかの異性に関心を示さないことは周囲に知られている。
その事実を盾にとって二大公爵家を妬む者たちが騒ぎ出す可能性もあった。
「早急に手を打たなければならないと思うのですれけど……」
「そうだな。父上たちに迷惑はかけられない」
言いながら、ヴィレムの心は曇っていた。
一番良い方法はヴィレムとフローチェが学園内で関わることをきっぱりと止め、それ以外でも極力お互いを避けることだ。
誰が見ても仲は良くないと思わせるくらいでないと、面白半分で一人歩きしている噂は消せない。
「……ねえ、ヴィレム。一番良いのは私たちが全く関わらないことよね」
暫く悩んでから、フローチェが口を開く。
言っていることは至極正しかった。ヴィレムも同じ意見だ。
(……それが嫌だ、というのは)
ただの我儘なのだろう。
諦めたようなふりをして、まだしがみつこうとしている。
見苦しいだの往生際が悪いだの、心の中でいくら自分を罵倒しても折れることのないそれが、いっそ憎かった。
けれど救いは、体は冷静に理性に従った言葉を紡ぐことか。
「ああ。ではこれからは……」
「ちょっと、待って……!」
「?」
かなり深く俯き、フローチェが待ったをかけた。
ヴィレムは首を傾げる。何か様子がおかしく思えた。
「どうかしたのか?」
「……その、分かっていますの。そうすれば良いということは分かっているんですけれど……」
ごにょごにょと呟いた後、ようやく顔を上げる。
いつもの気丈な彼女と違い、酷く頼りなさげな表情だった。
「……なっ、なんだか、癪じゃありませんこと? そ、そんな噂話程度のせいで私たちが行動を改めるなんて。私たちは二大公爵家なのですわよ?」
けれど声だけはすましている。
顔と声のちぐはぐさにヴィレムが目を瞬かせていると、フローチェはますます不安そうな目をした。
「だっ、だから……もっと、別の方法は無いかって……ま、周りの目ばかり気にして動いていたら将来的に考えても、あれですし……その……」
だんだん、言いたいことが分かってくる。
フローチェは、癪だとか将来を考えてとか色々頑張って理由付けをしようとしているが、要するにヴィレムと話せなくなるのが嫌なのだ。
「……っ」
理解と共に、無表情を保つのが難しくなる。
ヴィレムは変化しつつある顔色を隠すように片手で顔を覆った。むずむずと上がりかける口角を必死に押しとどめる。
「……そう、だな」
なんとか一言絞り出すと、途端にフローチェの顔がぱっと明るくなった。屈託のない笑みをヴィレムに向ける。
「やっぱりそうですわよね! そんなの嫌……っじゃなくて癪ですわよね!」
あまりに嬉しそうなので、先程から二人の間に流れかけていたぎこちない空気は霧散した。
やっぱり自分たちらしくやっていこうと、学園内で二人がお互いを避けることは無かった。
────その後、大勢の生徒がいる食堂でフローチェに噂の真意を直接確かめた勇者が現れる。
そして『あの人にそんな感情は未来永劫抱かないと思いますわ』と明言したことで噂は無くなり、告白してもいないのに盛大に振られたヴィレムが理不尽に心の傷を負うのは、また別の話である。




