02 学生たちの恋愛事情:前編
本編より前の時間軸、フローチェたちの学生時代のお話です。
ヘーレネン王国には、貴族のみが通うことの出来る王立学園が存在する。
貴族として必要な教養を身につけさせるだけでなく、将来を担う貴族たちの横の繋がりをこの時期から強めることで王国の基盤を固めようという狙いだ。
フローチェとヴィレムもまた、この学園に通っていた。
「おはよう、ヴィレム」
「ああ、フローチェか。おはよう」
二人が話していると、自然と周りに空間ができた。
二大公爵家の美男美女が並んでいると相当目立つらしく、あからさまに周囲の視線が集まる。
それはフローチェも分かっていた。
しかし。だがしかしだ。
この広い学園で遭遇することなど滅多になく、ヴィレムとは入学した時期が違うので教室も異なるわけで。
(殆ど、会話しておりませんわよね?)
フローチェは廊下の片隅で自問した。
全く不思議である。
「やっぱり、ヴィレム様とフローチェ様は想い合っておられるのですわ……!」
何故にそのような話になってしまったというのか。
教室から漏れ聞こえる熱の篭った話し声に、フローチェは頭を抱えたくなった。
「きっと裏庭で秘密の逢瀬を重ねられているのですわ」
「二人だけで授業を抜け出して……とか」
「まあ、なんて情熱的ですの」
話し込んでいるのは三人のご令嬢だった。
いずれも会話は数えるほどしかないが、同じ教室で授業を受けている者たちだ。
(授業を抜け出してって、私、貴女方と一緒に受けておりますでしょう!?)
しかもフローチェの席はど真ん中の最前列。彼女たちは授業中きちんと前を向いているのだろうか。
(更に言うなら裏庭だけは無いですわ!)
あそこはじめじめしていて錆び付いた柵と雑草くらいしかなく、常にぬかるんでいる。
何が悲しくてそんなところに行かなくてはならないのだ。
そもそもあれは裏庭と呼んで良いのだろうか?
(ああもう……入り辛いったらないですわ)
フローチェはできるだけ小さくため息をついた。
今日に限って教室に忘れ物をしてしまったのである。取りに戻ったはいいが今入るのは気が引ける。
(だってこのタイミングじゃあ……)
ガラリと開いたドア、凍りつく空気、全員の顔に浮かぶ恐怖。
全て容易に想像できた。
フローチェはかなりきつそうな容姿をしており、どうも周りから怖がられているようなのだ。
(どうしましょうか……)
扉に手をかけたり引っ込めたりを繰り返していると、突然背後から声を掛けられた。
「あれっ、フローチェ?」
「ファイっ!?」
驚きのあまり、戦いの火蓋を切るような声が出た。
声量がさして無かったのが救いだ。
「何やってるの?」
「エ、エルマ……。それにクラウディアも」
「ごきげんよう~」
立っていたのはこの学園で知り合った親友二人だ。
赤毛で快活そうなのがエルマで、灰がかった金髪でおっとりしているのがクラウディア。
エルマは怪訝そうに眉を寄せた。
「何やってるの? さっさと入ればいいのに」
「え、あ、そうなんですけれど」
「ほら、入りなよフローチェ」
そんな言葉と共にガラリと開いたドア、凍りつく空気、全員の顔に浮かぶ恐怖。
フローチェの脳内予想が見事に現実で再現され眩暈がした。痛いほどの沈黙が教室に落ちる。
それを破ったのは、クラウディアだった。
「こら。エルマ~? 開け方に品がないわよ?」
「へっ、そうだった?」
「フローチェもよぅ。しっかりなさいな」
「私?」
いきなり話を振られて面食らっていると、落ち着かせるように肩に手を置かれる。
「そんなに急いでどうしたの~? ほら、まず息を整えて」
ぽんぽんと軽く叩かれるが、無論息は乱れてなどいない。
ここでようやく彼女の意図を理解した。
フローチェが教室に入りあぐねていたこととその理由をなんとなく察し、あたかも『フローチェはたった今来た』ように振舞ってくれたのだろう。
(何というか、流石ね)
ちらりと視線をやると、噂をしていた令嬢たちはほっと胸を撫で下ろしていた。妄想が多分に混ざっていることは彼女たちも承知の上らしい。
やらなくても良い程度の気遣いだが、できてしまうのがクラウディアだった。
ちなみにイルマだけが理解できていないが、理解できていないことに気が付いていないので問題ない。
「……そうね、気をつけるわクラウディア」
「ええ~」
それにしても、フローチェとヴィレムの噂はどの程度広まっているのだろう。
(調べる必要があるかしら……)
彼女たちの間だけで話題ならば良いが、一定の線を超えると問題になってくる。
「フローチェ? なに、急に難しそうな顔して」
「何かあったの~?」
「……エルマ、クラウディア。少しよろしくて?」
◇◆◇◆
まずは身近なところから情報収集を。
中庭のベンチに三人で腰掛け、フローチェは切り出した。
「最近、私について何か噂を聞いてないかしら」
クラウディアは首を傾げたが、エルマはすぐにぽんと手を叩いた。心当たりがあるらしい。
興奮気味に口を開く。
「聞いたわよ! 教師を恫喝した上に跪かせたんですって? すごいわね」
「やってませんわよ」
どこの不良だ。
「え……じゃあ、気に入った男子生徒を毎日五人ずつ持ち帰ってるって話?」
「それもやってませんわ」
どこの色魔だ。
「あっ、分かった! 廊下で肩がぶつかった生徒を睨みつけてその眼力で相手を焦がしたって」
「どんな化け物ですの!?」
フローチェは我慢できずに悲痛な叫び声を上げた。
「なんですのさっきから!? みんなの中で、私はどうなってますの……?」
なんだか知らないほうが良いことをたくさん聞いてしまった気がする。怖がられるどころか、謎の特殊能力まで付加されていた。
「一体誰がそんな馬鹿げたことを……」
「……ごめんなさいフローチェ。この子がどこまで信じるか試したくなっちゃって~」
「お 前 か」
近くにいた犯人の頬を思いっきり抓る。
悪びれないクラウディアは、笑顔のままぴんと指を立てた。
「フローチェが聞きたいのは、貴女とヴィレム様が相愛だっていう噂のことかしら~?」
「む……まあ、そうですわ」
「えっ、そうだったの!?」
エルマはさっそく信じている。
こんな調子で社交界を生きていけるのか非常に心配だ。是非頼りになる夫なり付き人なりを見つけて欲しい(本人の改善はそれほど見込めない)。
「それなりに広まっているわねぇ。ヴィレム様は他の女子生徒を避けていらっしゃるけれどフローチェとは話すから~」
「だって二人は幼馴染みじゃない。話すのが普通じゃないの?」
「そうですわよ!」
イルマの素朴な疑問に同調する。
本当に面倒なのでやめてほしい。というのも、
(王家と関係が悪くなったら事ですわ)
フローチェは恐らく、この国の第一王子と婚約を結ぶ。
まだ決定はしていないが、おおよその上流貴族はあたりをつけているはずだ。
「フローチェと王子殿下のことはみんなも流石に知っていると思うけれど~。面白いならそれでいいのよ」
噂が本当かどうかは問題ではないのだと、クラウディアが言い切った。要はただの娯楽である。教室にいた令嬢たちがあれこれ想像して盛り上がっていたように。
「本当に面倒な生き物ですわね……」
フローチェは深くため息をついた。
後始末に追われるのは勝手に噂されたフローチェの方なのだ。
(どうして王子に対するフォローを必死にしないといけませんの! 私が好きなのは叔父様だけですのに)
ぶすくれた顔で虚空を睨んだ。
ちなみに本日は曇天である。雨の多いヘーレネン王国では、晴れている日の方が少ない。
「フローチェ、顔、顔」
怖すぎるとエルマに指摘を貰ったが、刻まれた眉間の皺はとれなかった。
(そういえば、ヴィレムはもう知っているのかしら……)
知っているなら、どう思っているのか。
向こうもはた迷惑なのには違いないだろうが。
(一度二人で話し合わないといけないかしら……)
場合によっては、学園内では一切会話をしないようにしなければならなくなるかも知れない。
フローチェはじっと考え込んだ。
「……それは、嫌かも」
ぽつりと零れた呟きに、イルマとクラウディアは不思議そうな顔をした。
「嫌って?」
「え、あ、何でもありませんわ」
あまりに自然に口に出していた言葉に、フローチェ自身も多少驚く。
情報収集に協力してくれた親友たちにお礼を言って、とりあえずその場をまとめた。
(なにかしら、これ……)
『ヴィレムと話せない』という仮定により胸の中に生まれたしこりのようなもの。
それが何なのか分からずに、微かに軋んだ胸を押さえた。
フローチェがその正体に気づくのには、これから一年以上の歳月がかかることになる。




