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最終話 そして少女は彼と微笑む


 フローチェは、ブレフトと初めに会った薔薇園で彼を出迎えた。真紅の薔薇の生垣を背景に、まるで一枚の絵画のように微笑む。


「ごきげんよう。お待ちしていましたわ、叔父様」

「ごきげんようフローチェ。君から話があると聞いているが、何かあったのかな」


 笑顔を返すブレフトの目に、薔薇園に似つかわしく無い木箱が映る。


「あれは……」

「あら、ごめんなさい。王宮に持っていく荷物、ここにも置いていますの。お気になさらないで」

「そうか。いよいよ明日だね、フローチェ」

「……話は、そのことですの」


 フローチェは頼りなさげに眉を下げ、ブレフトに歩み寄る。


「いよいよ……私は王子に嫁がなくてはなりませんのね」

「ああ。あんなに小さかった君が……感慨深いよ」

「叔父様は、覚えていますの……? 私と初めて会ったときのことを」

「勿論さ」


 そう……と、フローチェは視線を下げた。

 彼女の長い睫毛が目の下に影を落とす。

 

「……叔父様。私はあの時叔父様に恋をしましたの。ずっと大好きでしたわ……そして」


 一度言葉を区切り、ブレフトの腕にそっと手を添える。


「今でも、お慕いしているのは叔父様ですわ」

「フローチェ……」

「叔父様は私を籠から逃がしてくださると言いましたわ。あの時は冗談でしょうと笑ったけれど……ずっと考えていましたの。それが本当ならばどんなに素敵か」


 甘い吐息を吐き出す。

 ねだるようにフローチェは見上げた。


「教えてくださらない? 叔父様、あれは本気で言われましたの……?」


 驚きに揺れるブレフトの瞳は、すぐに余裕のあるものとなった。ゆったりと、口元を笑みの形に変える。


「勿論本気さ、君が望むなら」

「!」


 驚いたように、フローチェは一歩下がる。

 背に触れた薔薇の葉がかさりと音を立てた。


「でも、そんなこと、どうやって?」

「簡単だよ。君はただ少し王子に嫌われてくれば良い」

「王子に……?」

「ああ。王子が嫌がることは? 例えば、王子妃がやってはいけないことはなにかな?」


 小さい子供に答えを導かせるような猫なで声。

 二人以外誰の姿も見えない薔薇園に、やけに響いた。


「王子妃がやってはいけないこと……? 王子以外の方をお慕いすることですわ」

「そうだね。他には? 公務のこととか」

「公務……機密事項を話すことですわ」

「そうなんだ。それをしたら大変なことになるね。そんなことをすれば、いくらお優しい王子でも君が嫌いになるだろう」


 ブレフトの手が伸び、フローチェの髪に触れた。


「でも、そんなことをしたらハーンストラ家の迷惑になりますわ」

「いいや、大丈夫さ。二大公爵家と王族の均衡は決して崩れない。それに王子も君もまだ若いからね。十分にお互いに別の人とやり直せるよ」


 触れていた指は次第に上にずれて、露出した肩に置かれた。


「では、私は……」

「君は私の言う通りに動いてくれれば良い。少しだけ情報を漏らしたり、ちょっといけないことをするだけだよ。全部、私が指示をしてあげるから心配は要らない」

「叔父様……」

「そうして戻ってきたら……私と一緒になろう。もう何も憂うことはないよ」


 白磁の頬をなぞる指先。

 フローチェはうっとりと微笑み────ブレフトの腕を掴んで、思い切り引いた。


「なっ!?」


 突然のことに対応出来なかったブレフトは、殆ど無抵抗で薔薇の生垣に突っ込む。当然薔薇には棘があるので、悲鳴を上げることとなった。


「……急いで泥沼でも用意したかったのだけれど、間に合わなくて申し訳ありませんわ。せっかく綺麗に咲こうとしていますのに」


 フローチェは申し訳なさそうに言った。ただし謝ったのは薔薇に対してだ。


「なっ、何を……!」

「べらべらべらべら恥ずかしげもなく……よくそんなお粗末な計画が言えたものですわね」


 はっ、と鼻で笑って触られた部分を手で拭う。


「だいたい、貴方と一緒になるくらいだったらまだあのヘタレ王子のほうがマシですわ。少なくとも調子に乗ってお触り(セクハラ)をする人ではありませんもの」


 豹変したフローチェに、ブレフトは呆気にとられていた。

 それを無視して蔑みの視線をなげかける。


「そんなことをしている暇があれば、本でも読んでその貧相な語彙力をどうにかなさったらどうかしら? ……そんなんだからお父様に勝てませんのよ」

「なっ……!」


 やはりこの言葉は地雷だったらしい。

 怒りで我に返ったブレフトは、真っ赤な顔でフローチェを睨む。


「何か私は間違ったことを言いまして? そうですわね……ではまず五年前からいきましょうか」


 悪びれる様子もなくごほんと咳払いし、よく通る声で言った。


「『君の美しさに勝る薔薇なんてないよ。嗚呼、ボクの小さなお姫様』」

「!?」


 抑揚や間のとり方まで完全再現した朗読に、ブレフトはぎょっとする。


「この頃から安定のイタさで感服の至りですわあ……小さなお姫様はよく聞くワードでしたわね?」


 聖女の微笑みでフローチェは告げる。


「『君の美しさにはあの星たちも嫉妬してるよ。嗚呼、このお嬢さんにはとても敵わない……ってね』。

もう一つのお気に入りワードが出てきましたわね。『嗚呼』、ですわ。これは言うときにやや目を細めて悦に入った顔をするのがポイントですの」


 他には……と次々過去の恥ずかしい言葉を再現していく。

 ブレフトはわなわなと震えることしか出来ない。


「それでは私からはこれで最後にしましょう。これは私が十歳の時に頂いたポエム……題名は、『キミはボクの道標(ポラリス)』」


 ごフッと妙な音がした。

 フローチェは唄うように暗記した内容を響かせる。



 嗚呼、なんて強い光だろう

 ボクは旅人

 行く宛もなく荒野をさまよう

 辛い旅路 でも空を見上げれば ほら 


 嗚呼、キミはポラリス

 ボクの道標

 荒野の中のただ一つの希望


 嗚呼キミは……ポラリス

 なんて美しく

 なんて煌めかしい

 ただ一つの 愛しき星


 今日もボクは 

 キミを見上げて歩いてゆく



────おぞましい。

 が、恐らく渾身の一作だ。七年前のポエムに、ブレフトは地面に沈んで瀕死状態である。


「ここで叔父様に素敵なお知らせですわ」


 にっこりと笑って、フローチェは木箱に歩み寄った。

 王宮に持っていく荷物だというそれを開けると、中から出てきたのは大量の冊子。

 フローチェはその一つを手に取り、ブレフトの目の前に投げてよこした。


「……?」


 ぱら、と中をめくるとそこには文字がびっしりと書き込まれていた。


「これ……は……!?」


 前ページに書き込まれている、『お姫様』や『嗚呼』の多い言葉の羅列。フローチェは嫌がらせを見守る悪役令嬢よろしくにやりと口角を上げた。


「『ブレフト・ハーンストラ愛の言葉集』……巻末にはポエム『キミはボクの道標(ポラリス)』も収録ですわ」


 化粧で隠してはいるが、フローチェの目の下には隈がある。

 これだけの量を手書きである。ミリアの化物のような筆記スピードがなければ到底間に合わなかった。


「お気に召して頂けたかしら?」

「なっ、そっ、こっ……!! フローチェ、君はいったいどうしてこんな……!」

「……叔父様。あなたは王子の誕生パーティーの日、どこにいらっしゃいましたの?」


 その言葉にブレフトははっとする。


「まさかフローチェ、あれを聞い……っ!?」

「あら、叔父様はとっても正直者ですのね」


 認めるも同然の反応に、フローチェは笑う。

 もう少しうまく取り繕えないのだろうか。悠然と近づきながら、眉を顰める。


「私を外部に情報を漏らす悪女にして? それを止めて、貴方が英雄?」


 本当に……くだらない。


「こんなお粗末な計画で英雄になれたらヘーレネン王国の三人に一人は英雄ですわよ。笑わせないで」

「ちっ、違うんだフローチェ! 話を聞いてくれ!」


 諦めが悪いブレフトはがばりと立ち上がりフローチェに縋る。


「何が違いますの。離れてくだ……」

「愛している!」


 そして突然、フローチェの体を抱きしめた。


「なっ……!」


 ガサリと音がした。

 近いような遠いような場所で、言い争う声。しかしブレフトの耳には入らない。


「ずっと、ずっと君を想っていたんだ……だが、君は幼い頃から王子との縁談が来ていたし、ヴィレム君がいただろう?」


 ブレフトは切なげに目を細める。


「私への『好き』は親愛の類だと思った。君とヴィレム君は相思相愛だと思っていたんだ。こんな年上の男が情けないが……嫉妬していた」


 フローチェを抱きしめる手に、力が篭る。

 ガサガサという音は大きくなった。


「彼はフィーレンス公爵家の跡取り。だが、私は飽くまで兄の手伝いをしている次男坊で……彼より地位で劣る」


 フローチェは必死に体をよじるが、大して鍛えていないとはいえブレフトも男。十七歳の令嬢ではどうすることも出来ない。


「それで、思ったんだ……私にもっと力があれば……。“権力があれば君は私を選んでくれる”と……。本当に済まないフローチェ……君を愛するが故に、周りが見えなくなっていた……」

「叔父様……」


 ブレフトが腕の力を弱める。

 フローチェは感情の読み取り辛い声で、ブレフトを呼んだ。

 その唇に、ブレフトのそれが近き、触れ合う────といったところで。



「言い忘れていましたけれど、すぐそこでお父様とフィーレンス公爵、それからヴィレムが見ていますわ」


「え」


 ゴスッ、と鈍い音。

 凄まじい速さで、ブレフトの脇腹に二本の足がめり込んだ。



「「殺されたいのか貴様!!」」



 綺麗に揃ったドスの効いた声が大音量で飛んできた。

 ぎらついた目で肩で息をしているのはヴィレムとハーンストラ公爵。何故か頭を押さえているのはフィーレンス公爵だ。


「お前ら……せっかく予定通りに進めるために……止めたのに……何も私まで殴らなくても……」


 フィーレンス公爵はさめざめと泣いている。

 ブレフトがフローチェを抱きしめた時点でヴィレムとハーンストラ公爵が殴り込みに行きそうになり、彼はそれを必死で止めていたのだ。

 しかしブレフトの度を超えた行動により、二人は先にフィーレンス公爵を殴り倒してから飛び出していってしまった。


 手さえ自由ならば、フローチェは無防備なそんなに鍛えていないおじさん(ブレフト)から身を守ることくらいはできる。

 シンプルに頭突きか、脇腹の少し上……助骨のあたりを揃えた指で抉ることを予定していた。

 ブレフトの言葉にはかなりイラッときたのだ。


(むしろ自分で殴りたかったですわ……っ!!)


 蹲っているブレフトを見下ろし、吐き捨てる。


「今更そんな嘘が通じるとお思いなの? ハッ、貴方の脳内お花畑はいつでも見頃を迎えておりますわね!」


 「なにより!」と怒りのままフローチェはブレフトの顔のすぐ横に足を振り下ろした。

 見え透いた嘘をついたこと、いきなり抱きしめて(セクハラして)きたこと、諸々あるけれど。


「権力を手に入れられればヴィレムより貴方を選ぶ? お戯れもいい加減になさいませ!」


 大声を上げれば人が来てしまう。

 それは理解してはいるのだけれど、湧き上がった感情は簡単に収まってはくれない。


「ヴィレムは貴方より人としてずっと魅力的ですわ! 彼が権力が全ての男みたいに言わないで!!」

「……フローチェ、もういい」


 止めたのは、ヴィレムだった。

 まだ言い足りないのかフローチェは唇をわななかせたが、再び開く事は無かった。

 もうここで派手な糾弾は終わる……と思われたのだが。


「……っ、違う違う違う!! 私は悪くない!! 全部この女とその男が仕組んだんだ! 私は嵌められたんだ!!」


 とうのブレフトが、未だ地面に座ったまま無様に喚いている。嫌悪をこらえる必要すらなかった。ここまでくると、もうそんな気持ちすら沸かない。


「私は悪くない! 私は悪くない……!!」

「……ブレフト殿。もう止めろ。それ以上は自分を貶めるだけだ」


 見かねたヴィレムが首を振る。

 しかしこの男は、やはりどこまでも愚かだったのだ。


「うるさい!!」


 助け起こそうと差し出したヴィレムの手を勢いよく払う。

 そして自らの足で起き上がると、八つ当たりのように吠えた。


「さっきから偉そうに! 顔と権力、親に与えてもらったものしか持っていない青二才が!!」


 親に与えられたものしか、持っていない?

 それを聞いて、ぷつんとフローチェの中で何かが切れた。


「……っ!!」


 つかつかと歩み寄り、間髪入れずに振り上げられた手。

 それが平手打ちのためのものだとは、すぐに分かった。

 分かっていれば、避けられる。

 か弱い令嬢らしくその動きは決して早くないのだから。ブレフトは容易くその手首を掴み────


「い"っ!?」


 しかし何故か、涙目で叫んだ。


 振り上げた手が掴まれるのは織り込み済み。

 というかただの視線誘導だ。殴ると見せかけて、フローチェは尖った踵でブレフトのつま先をすり潰すように踏んでいた。

 堪らず足を上げて前屈みになったブレフトの顔にめがけて、流れるように二撃目。


「ぐあっ!?」


 今度は膝が叩き込まれた。

 膝というより、膝によって押されたパニエや硬い宝石の装飾だが。とにかく、痛そうな音がした。

 悶絶するブレフトに、フローチェは力の限り怒鳴った。


「親から与えてもらったものだけで評価してもらえるほど私たちの世界は甘くないのよ!!」


 フローチェは誰よりも近くで見ていた。

 ヴィレムがどれほどの重圧の中で育ち、その期待に応えてきたのかを。


「私たちはいつだって引きずり下ろそうとする手に足を掴まれている!」


 公爵家を継ぐ彼ならばなおのこと。

 ヴィレムはいつだって完璧であらなければならなかった。


「だけどヴィレムは次期当主を危ぶまれたことはないわ! それは彼が才能に頼るだけじゃなくて努力もしてるって皆知っているからよ!! 彼の清廉さが分かってるからよ!!」


 フローチェとて知っている。

 権力と顔。それは魅力的の一つであって、彼の全てなどではない。

 そんなヴィレムだからこそ、


「それ以上私の好きな人を侮辱してみなさい!! フローチェ・ハーンストラの名にかけて貴方を地獄の底に叩き落としてみせますわ!!」


 自分はきっと、惹かれたのだ。

 言いたいことを言い切り肩で息をするフローチェに、皆は唖然としている。ちなみにフィーレンス公爵だけは「きゃっ」と声を上げて両手を頬に当てている。


「……フロー、チェ……今、何て言った?」


 最初に我に返ったのはヴィレム。

 震える声で、問う。

 フローチェはブレフトを睨みつけたまま、苛立たしげに言った。


「だから! 私の好きな人を侮辱し……て……」


 だが、それは徐々に勢いを失う。

 自分は今なんと口走った?


『私の、好きな人』


「あ……っ」


 口元を押さえるが、もう遅い。


────最悪だ。

 明日王宮に移るというのに、父親やフィーレンス公爵の前で、なによりヴィレム本人の前でとんでもないことを暴露してしまった。


「い、今のは違っ、いや、違わなくて、でも、その……ご、ごめんなさい!!」


 フローチェは真っ赤に茹で上がった顔で、その場から走り出した。



◇◆◇◆



『こら、危ないぞ。怪我して泣くのはお前なんだからな』


 口うるさくて。


『お前は二大公爵家の片翼なんだぞ。もっと自覚を持て』


 厳しくて。


『……俺の前では、泣いていい。俺の前では、完璧じゃなくて良いから』


 優しくて。


────どうしようもなく、好きだ。


 フローチェは自室に戻り、部屋の隅で膝を抱えていた。

 今頃みんなはどうしているだろう。


(最悪ですわ……こんなことがもし外にバレたら大変なことに……それに)


 ヴィレムはどう思っただろうか。

 告げるつもりなどなかったのに。だって拒絶されるに決まっている。

 何と言って誤魔化せばいいのか。頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。

 不甲斐なさに涙まで滲んできた。


 その時、硬質な足音が廊下を進んでくるのが聞こえた。

 長い付き合いで分かりたくないことまで分かってしまう。これはヴィレムの足音だ。


「フローチェ、いるんだろう」


 答えられずに、フローチェは固く目を瞑った。

 ガチャガチャと、鍵のかかったドアノブを回す音が聞こえてくる。


「開けてくれ、頼む」


 ヴィレムの声には必死の色が見えるが、それはフローチェとて同じこと。


(無理ですわ。どんな顔をして会えというの)


 あんな告白をした後に、会えるわけがない。

 やがて音が止み、しばらく沈黙が満ちる。


「……顔が見たい」


 その中にぽつりと落ちたのは、ヴィレムの声だった。

 切なさの滲む声に立ち上がりかけるが、やはり無理だと首を振る。

 応えないフローチェに、ヴィレムがため息をついたのが分かった。


「……そうか。ならフローチェ、扉から離れていろ」


 謎の忠告に首をかしげた次の瞬間、ドゴッという音と共に扉が飛んだ。


「まさか、蹴破っ……!?」


 驚きのあまり立ち上がるフローチェ。

 ヴィレムはすぐにその姿を見つけ、目を細めて歩み寄って来た。フローチェはなおも逃げようとしたが、あっさり手首を捕まられる。


「フローチェ」

「お、お願い、離して!」

「大丈夫だ、話を」

「いやあああ」


 恐慌状態のフローチェに、ヴィレムは焦れたように舌打ちをした。

 ぐい、と強く手を引く。


「っ!?」


 抱きすくめられるような格好に、もとより赤かったフローチェの顔が熟れた果実よりさらに赤くなる。ヴィレムは静かに問いかけた。


「フローチェ、さっきの言葉は本心なのか」


 そんなの、紛れもない本心に決まっている。

 けれどそれを認めてしまえば、ハーンストラ家の立場は。


「ごめんなさい……」


 答えられないと、フローチェは固く口を閉ざした。


「何故謝る。きちんと俺の目を見て答えろ、フローチェ」


 しかしヴィレムが逃げることを許さない。

 青い目がこちらを覗き込み、腰に回された手に力が篭った。


「あっ、貴方だって分かっているでしょう!? 私は、アダム王子と……!」

「その話はどうでもいい。だがハーンストラ公爵から話は聞いているんだろう」

「え?」

「だから、王子と婚約するか俺と婚約するか、という話だ!」

「!?」


(何の話ですのそれ!?)


 一体いつそんなことが。

 必死に記憶を辿ると、一つだけ引っかかる。


『────と、私は思っている。お前は、どうだ?』

『へっ!?』


 あの時、なにやら重大な話だったらしいことをフローチェは聞き逃した。


(まさか……)


 ダラダラと、汗が流れる。


「お前まさか……話されたが聞いていなかったとか言わないよな……?」


 さすが幼馴染。ヴィレムは察したらしくこの上なく眉間に皺を寄せた。


「う……その……」

「お前というやつは……っ!」

「そ、それは……ごめんなさい。で、でも! 仮に私が貴方を選んだところで迷惑でしょう!?」

「何故」


 必死に言い返せば、真顔で聞かれる。

 フローチェは叫んだ。


「だっ、だって貴方、幼女が好きなんでしょう!?」


「 誰 が 幼 女 趣 味 だ !! 」


 ものすごい勢いで否定されて面食らう。

 あの日からフローチェの中でヴィレムは「幼女が好きな人」として認識されていた。だから自分なんて余裕で対象外だと思っていたのだ。


「いや……それも、俺が何も言わなかったからか」


 一人呟き、ヴィレムがフローチェの体を離した。


「……フローチェ。俺が好きな女性は今十七歳だから、別に幼女趣味じゃない」

「えっ、そうなんですの? って、どちらにせよ想い人はいるじゃありませんの!」

「ああ。お前が好きだ」

「ほら! 私が好きなら私と婚約なんて……って、え?」


 瞬く。

 言葉の意味を理解する前に、後頭部に手が添えられ、腰を引き寄せられて。

 柔らかな温もりが、フローチェの唇に音をたてて触れた。


「好きだ。ずっと前から、お前のことだけが」


 呆けたフローチェは、されるがままに腕に閉じ込められる。

ゆっくりと、瞬きを繰り返した。


「でっ……でも、私は王子と」

「国王陛下はこの婚約にもとよりそこまで乗り気ではない。ハーンストラ公爵にはとっくに話はつけたし、父上の許可も頂いた。王子にも直接会って許可をとってきた」

「ちょ、外堀埋めすぎじゃありませんの……!?」

「あとは本人たちの意思だけ、という状態にしておかなければお前は要らん遠慮をするだろう」


 たしかにその通りだ。

 言葉に詰まったフローチェに、ヴィレムはとどめとばかりに囁く。


「双方想い合っているなら、何も問題は無い。……王子より、俺を選んでくれ、フローチェ」


 そんなことを言われてしまえば、もう抗う術も理由もなくて。


「……っ!」


 頬を濡らして何度も頷くフローチェに、ヴィレムはもう一度口付けた。


「……愛してる」


 一度は、諦めた。

 だがとうてい諦めきれないと気づいて、そして今彼女は己の手の中にいるから。

 もう二度と離しはしないと、刻むように愛の言葉を愛しい人に落として。



────────────


 逃げ出したフローチェをヴィレムが追った後。

 ブレフトはとある試練の後、ポエムを読み笑いを堪えた使用人により、領地で最も辺鄙(へんぴ)な場所の別邸に送られて今は軟禁中だ。

 といっても、軟禁されずとも心の傷が癒えるまで自ら屋敷に引きこもるだろうが。

 これは二大公爵家の中で処分されたので、他に悪評が広まることは無い。



「いらっしゃいヴィレム! お待たせしてしまったかしら?」

「いや、問題ない。今日のドレスも似合っているぞ」

「ありがとうございま……」

「可愛らしいな」

「わざわざ耳元で言わないでくださいませ!? ミリアもいるのに……っ」

「私は何も見ておりませんし、メモもスケッチもしておりませんわ」

「何をしているのやめなさいミリアああっ!」


 悲鳴を上げたフローチェだったが、大好きな二人が微笑んでいるのを見て、やがて釣られるように笑った。

 ああ、この何気ない日常は、これからもきっと続いていく。この温かな確信は消して揺るがないだろう。


 こちらを見つめる婚約者に、ふわりと笑って手を伸ばす。

 当然のようにそれを取った彼もまた、この上なく穏やかに微笑を返した。


────フローチェ・ハーンストラには“悪役”令嬢の役は務まらない。


 彼女の居場所は、幼馴染みと幸せを手にしたこの舞台の上にこそ在り続けるのだ。


ここで『“悪役”令嬢はご指名前に舞台を降りる。』の本編は完結とさせていただきます。


しかし、これと世界観がリンクしている連載をこの後も創作していきたいと思っていますので、フローチェたちが他作品にひっそり登場したり、そこから思いついた番外編をこちらに書くこともあるかもしれません。


短編からお読みくださった方、他の連載作品から見てくださった方など、全ての読者様に厚く御礼申し上げます。

皆さん、今まで本当にありがとうございました!


それでは、また!

番外編の方もお楽しみいただけると幸いです。


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