29話 いつかのように、けれど静かに
外に出た瞬間、ヴィレムは大きく息をついた。
王宮への登城は初めてではないし、アダム王子と顔を合わせたことも多々ある。
だが、話す内容が内容だけに少々緊張した。
王子がヴィレム以上にガチガチになっていたので冷静になれたが。
どうして身分が下で同年代の男に会うのにあそこまで緊張できるのだろうか。まあ、話自体は非常にスムーズだったので文句はない。
待たせていた馬車はすぐに目的地に発った。
揺れる景色を見ながら考え込む。
(これで話はすべてつけた)
足りないものは、あと一つ。
それが手に入らなければすっぱりと諦めるつもりだ。
ふと王宮の方を振り返る。
(……ブレフト殿に会ったのは想定外だったが、嬉しい誤算だな)
フローチェとは別件の仕事で来ていたらしい。
挨拶するついでに軽くカマをかけてみたところ、意外な情報が得られた。
ブレフトは頻繁にハーンストラ邸を訪れているが、次に行くのはフローチェが王宮に住まいを移す前日だそうだ。
けりをつけるなら、その日しかない。
微妙な別れ方をして以来フローチェとは連絡を取っていないが、具体的な方法は決まったのだろうか。今日ヴィレムはハーンストラ邸を訪ねるつもりだ。
(……あいつは、大丈夫だろうか)
今では全く未練なく、むしろ全力で憎んでいるとはいえ、以前は本当にブレフトのことが好きだったのだ。
公爵令嬢として苦しい教育を受ける中で心の支えとしていた時期もあっただろう。
もし感傷的になっていたらなんと声をかければ良いものか……。
ハーンストラ邸に着くまでそのことを考えていたが、結局答えは出なかった。
大きい声ではできない話だ。
ヴィレムはハーンストラ邸に到着後、すぐに奥の部屋に通された。
「ご足労頂きお疲れ様でした、ヴィレム様」
今回はミリアも同室している。
ヴィレムはすぐにその意味を察した。
「彼女にも話したのか」
「ええ。少しアグレッシブですけれど頼もしいですわ」
本当に少しなのか?
といささか疑問に思う。あの完璧で控えめな侍女の一筋縄ではいかない本性をヴィレムは知っている。
「それで、今日ブレフト殿に偶然会った際に聞いたんだが……」
来月までにブレフトが訪れるのはあと一度きりだと告げると、フローチェは「望むところですわ」と好戦的に瞳を輝かせた。
「ヴィレム。実は私たち既に計画を練りましたの」
「そうなのか」
「ええ。私はよく分からなかったけれど、殿方のあなたなら分かるかしら?」
ミリアの考えた作戦を説明する。
ヴィレムは、なんとも言えない顔つきになった。
「……学生時代。似たようなことをされた哀れな男子生徒がいたな」
「え、そうですの?」
「ああ。次の日から……そいつの席は、永遠の空席となった」
「な、なん……ですって……」
ごくり、と重々しく唾を飲み込むフローチェ。
「……軽い悪戯でやってはいけませんのね」
「ああ。特に多感な年頃の男には惨いことだ」
「叔父様はどうですの?」
「あの人くらいの年齢なら、落ち着いていなければならないんだろうが……ブレフト殿はどうも中等部二年生病をこじらせている気がするから、効くんじゃないか」
なるほど。
フローチェは納得したように頷いた。
「当日、ヴィレムは証人になってくれるだけで良いですわ。あとは私が責任を持ってやり遂げます」
「物陰から見ていれば良いのか?」
「はい。合図するまで待機で」
二人の横ではミリアが素早くペンを走らせ、今回の計画を整理している。
「……ところで、フローチェ」
「はい?」
話は変わるんだが、とヴィレムは切り出した。
ハーンストラ邸に着くまで考えていたこと。
「その、迷いはないか。感傷的になっていたりとか……」
こんなことを聞いて自覚させるのも酷かと思ったが、土壇場で思い留まってしまったりするよりは良い。
そう思って言ったのだが、フローチェは意味がわからないというように目を瞬かせた。
「感傷的? どうしてですの?」
「いや、これきりブレフト殿とは話さなくなるかもしれないというか……確実に距離は離れるだろう」
ブレフトの心の粉砕加減によってそれも変わってくるが。
「寂しく思ったりと」
「まさか」
真顔だった。
寂しく思ったりと「か」、まで言わせずにフローチェは断言する。
ない。思うわけがない。
「むしろ北の避暑地の塔に脅して幽閉してしまおうかと考えていましたの。ねえ、ミリア?」
「ええ。とても素敵な計画でしたが……やはりそうなると騒ぎになってしまいますから泣く泣く断念したのですわ」
にこり。
両側から微笑まれ、ヴィレムは引き攣った顔で頷いた。
女って怖いと思った。
◇◆◇◆
雨の多いヘーレネン王国には珍しく、青く抜けた空が広がっていた。 薔薇園の生垣も美しく花に彩られつつある。
もうすぐ見頃になるだろう。
フローチェは窓の外を見て微笑んだ。
彼女の部屋の前には、大きな箱がいくつも用意されている。
明日は王宮に引っ越す予定なのだ。その準備だろう。フローチェは暫く前から自室を使っていない。
「……お嬢様、そろそろブレフト様が到着される予定です」
ミリアの声がして、フローチェは臨時の寝室に使っている部屋を出る。
歩く度に、シャラリとイヤリングがなった。
着ているのは、青みの強い紫のドレス。以前、王子の誕生日パーティーに着ていったものだ。
普段着るには少々派手で、昼用でもない。
けれどフローチェはこの服を選んだ。
「……ミリア、どうかしら?」
「崩れている部分はありません。お美しゅうございますわ、お嬢様」
「ありがとう」
さあ、戦いの始まりだ。
フローチェの唇の端をゆっくりと釣り上げる。
社交界でいつも身に付ける笑顔だ。完全武装で相手を迎え撃つつもりである。
この不毛だった想いは、せめて美しく終わらせよう。
「……ミリア、叔父様がいらっしゃいましたわ」
玄関を開ける音を正確に察知し、フローチェは静かに告げた。




