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26話 諦めることは、諦めた


 どうやって馬車に乗り、どうやって部屋に入ったのか。

 ほとんど覚えていないほど、放心していた。

 少し風が出てきた。

 ガタンと窓枠が大きな音を立て、我に帰って外を見れば、もうすっかり暗くなっていた。

 ヴィレムは、飽きるほどに頭の中で繰り返した言葉を再び反芻させる。


『貴方に、何か関わりのあることかしら?』


 さも不思議そうに投げかけられた疑問が、この上なくヴィレムの心を抉った。


(関係は……無いのか。お前にとって、俺は)


 もうとうに受け入れているフローチェにとって、ヴィレムの想いは負担にしかならないのだろうか。

 告げる前に拒絶をされたかのような気分になる。実際、言ったところでの結末は見えた。


(『貴族の結婚に愛は要らない。ただ、そこに利益があるかだ。お前も分かっているだろう』)


 以前、王子の誕生パーティーへ向かう馬車の中で、ヴィレムがフローチェに言った言葉だ。

 あの時フローチェは確かに泣いていた。


『……貴方には、分からないでしょうね……!』


 分かっていると、喉まで出かけた。

 俺はお前を諦めたのだからと。


(だがそれは少し……違ったな)


 ヴィレムは自分の想いがどうしようもなくなる前に気がついて蓋をした。

 そして自分は「フローチェの恋を見守る」という位置につくことで、どこか自分の想いを遠いところに置いて美化していたのだろう。


 だから、溢れて仕方の無いものを抱える辛さは知らなかった。伝えることのできなくなった想いを持て余して、いっそ捨ててしまいたいと思う。

 だがそれは。


(……無理だ)


 今だって、フローチェの笑う顔ばかりが脳裏に浮かぶ。

 完璧な公爵令嬢が自分にだけ見せる、年相応の素顔。


(俺は結局、何がしたいんだ?)


 先手を打って逃げるばかりだ。

 傷つく前に諦めて、傷つかないように手を回して。

 逃げ回りながら、誰かを愛せるはずもないのに。


「俺は……」


 プラチナブロンドの髪は、未だ瞼の裏にいる。

 一生この面影を追い続けるのなら、どうあっても切り離せないというのなら。


「悪かったな、フローチェ。いつまでも初恋を引き摺っていたのは俺の方だった」


 ガタガタと窓硝子が揺れている。

 しかしヴィレムの心は既に定まり、静かに凪いでいた。


「俺は、お前を諦めることは出来ない」


 結ばれなくとも構わない。

 ただ、もう己で消化するにはこの想いは育ちすぎた。


「だから、いい加減決着をつけることにするよ」


 いつまでも女々しく思い悩むのはここまでだ。ヴィレムは迷いのない動作で立ち上がり、自室を後にした。



◇◆◇◆



 アッペル伯爵令嬢との見合いは、予定通り行われた。

 場所はフィーレンス邸である。

 上気したした頬で、アッペル伯爵令嬢は馬車から降りて来た。その瞳にヴィレムを捉え、蕩けるような笑みを浮かべる。


「ヴィレム様……お会いできて、とても嬉しいですわ」

「そうですか。それは光栄です」


 本来ならここで笑みの一つや二つ見せる予定だったが、ヴィレムはそれをしなかった。

 無表情のままに令嬢を迎える。

 その様子に、アッペル伯爵の顔が強ばった。

 ヴィレムの父であるフィーレンス公爵も目を瞬かせている。彼に愛想は無いが、礼儀を欠くことも無い。

 すぐにフィーレンス公爵が傍にやって来て、ひそひそと囁いた。


「おい、ヴィレム。どうした? 虫の居所でも悪いのか」

「いいえ、そういうわけではありません。ただ……」


 アッペル伯爵と令嬢にも聞こえる声で、ヴィレムははっきりと言った。


「父上にお話した通り、俺には万が一にもこの見合いでアッペル伯爵令嬢と婚約する可能性があると勘違いされたくない女性がいます」

「んなっ……!」


 その暴露は予想外の行動だったのだろう。フィーレンス公爵があんぐりと口を開ける。

 アッペル伯爵令嬢も、呆然とヴィレムを見ていた。


「今日は父上とアッペル伯爵が計画した彼女への『思い出作り』でしたか。微力ながら力添えはしますが、どうしてもそこは譲れないので」


 放心状態の令嬢が、バッと伯爵を振り返る。


「お父様? どういうこと?」

「い、いやー、それは……」

「ついにヴィレム様との婚約が結べるって、私に仰いましたよね? 『思い出作り』ってなんですか……?」


 親子喧嘩が始まってしまった。

 アッペル伯爵令嬢は普段の可憐な面立ちからは想像がつかないほど怒りに染まった恐ろしい顔つきになっている。


「お、おい! ヴィレム! お前何考えて……」

「さっき言った通りです。フローチェには説明しても伝わらなかったので、もう悪評でも噂話でもいいから見合いは破談だと伝えたい」


 己のやるべき事から迷いは消えた。

 が、フローチェの絶望的な察しの悪さへの対策も必要だ。

 令嬢からの殺意の嵐に怯えている伯爵は、まあ尊い犠牲ということで一つ。


「あー、そうそう。ヴィレム」


 フィーレンス公爵が思い出したかのように言った。


「お前が俺やハーンストラ公爵に交渉していた件だがな……ハーンストラ公爵は、フローチェの判断に任せるそうだ」

「そうですか……ハーンストラ公爵はその件を彼女にはもう話したんですか?」

「ああ、暫く前に。考えさせて欲しいと言っていたそうだ」


 つまり、ヴィレムと婚約する可能性があるということはフローチェの頭に入っているということか。


(全く考えたことがないから伝わらないのかと思っていたが……可能性を示唆された上でのあの鈍さなのか)


 ヴィレムはため息をつく。

 これは相当脈が無いらしい。

 ……流石のヴィレムでも、「ハーンストラ公爵は話したが肝心のフローチェが聞いていなかった」という可能性には思い至らない。


「国王陛下は……」

「陛下は、かなり前からこの婚約に負い目を感じている。まだまだご健在で、どうせ王位を引き継ぐのは先だから結婚を急がなくてもいいと言っておられるしな」


 周りの障害は限りなく取り除かれている。

 後は、フローチェの気持ち次第だ。


(いや、強いて言うなら……)


 ブレフトのことが障害として挙げられる。

 ついにフローチェに揺さぶりをかけ始めたらしいから!近いうちに何か動きがあるだろう。

 あの男の、成し得る筈もない無謀な計画がフローチェの心の一角を占めていると思うと、不快で仕方が無い。


「……鬱陶しいな」

「えっっ」


 思わず声に出すと、何かを勘違いしたフィーレンス公爵がびくりと震えた。


「だからこの見合いは悪かったって……! まだ怒っているのか!?」

「ああ……それは、まあ」


 ヴィレムが言ったのはブレフトのことだが、今の公爵もそれなりに鬱陶しいので肯定する。


「はっ、反抗期か息子よ! 十四くらいのときに始まったと思えばなかなか終わらないが、反抗期なのか!」

「反抗期は五年も続きません。気質です、父上」


 反抗と言えば……と、ヴィレムはアッペル伯爵親子の様子を見る。

 令嬢の怒りは未だに収まらない様子だ。伯爵の頬にはくっきりと赤い手形がついている。

 これは見合いどころでは無いだろう。


「じゃあ、先程出ていった馬車を呼び戻してお帰り頂きましょう」

「う、うむ……そうだな」


 親子には迷惑をかけたが、ヴィレムからすればかなり楽な形で見合いを終えた。

 この後アッペル伯爵令嬢が「弄ばれた」とヴィレムのことを悪様に言うかもしれないが、それは甘んじて受け入れよう。


(もう回りくどく手段を選ぶことはしない。フローチェが王宮へ移るのは来月……。丁度いい、それまでに片をつける)


 それにはまず、先にどうにかしておきたい問題がある。

 ヴィレムはフィーレンス公爵を振り返った。


「父上、少しお聞きしたいことが」

「何だ?」

「ブレフト殿のことなんですが……」


 これはフローチェ自身で終わらせるべき問題だから、あまり手出しはできない。

 しかし、万一にもブレフトがフローチェに危害を加え得ないようにはしておきたい。

 ヴィレムは剣呑に光る瞳で、フィーレンス公爵に尋ねた。


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