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25話 いつかの貴方の幸せを望む


 言葉が出てこない。

 ヴィレムが手にした紙に、フローチェは固まってしまった。

 何故、ヴィレムがそれを見ている。もう中身を確認してしまったのか。

 そんな疑問と焦燥だけが頭を占めていた。


「どうして、それ……」

「質問に答えてくれ」


 強い口調で求められる。

 ヴィレムは書類を机に置くと、ゆっくりとフローチェに歩み寄った。


「そ……れは……」


 目を泳がせる。

 どうしてもっときちんとしまっておかなかったのかと後悔するも、後の祭りだ。

 そう咄嗟に上手い言い訳は出てこない。フローチェはだまりこむが、ヴィレムは逃がすつもりは無いようだ。じっとこちらを見つめている。


「……っ」


 下手に誤魔化すよりはと、フローチェは腹を括って俯いていた顔を上げた。


「あら、ヴィレム。勝手に見るなんて不躾じゃなくって? ああ、その書類は昨日叔父様経由で届きましたの」


 ヴィレムは非難めいた声で眉を寄せる。


「先程そんなことは言っていなかったが」

「だって……」


 フローチェは追求する深い青の瞳から逃れるように顔を逸らし、何でもないことのように言う。


「貴方に、何か関わりのあるのかしら?」


 ヴィレムの動きが止まった。

 やや不自然なそれを不審に思いながらも、目を合わさぬようにしたままフローチェは続ける。


「いえ、確かに王宮に入ってしまえば貴方と会い辛くなって妥当叔父様の計画の進行に障りが出ますわね……今のうちに急がないといけませんわね?」


 それとなく話題を変えたが、ヴィレムは何も言わない。

 いつもなら容赦なく話を戻して責めてくるのだが、それもしない。

 沈黙が少し不安になった。怒るなら怒って欲しかった。


(……でも。だって)


 これ以外に、何と言えばいいのだろう。

 王宮になど行きたくないと、駄々を捏ねるわけにもいかない。自分には全く問題がないと振る舞う以外に、ヴィレムに迷惑をかけない方法は無い。

 改めてそう確信し、フローチェは嘘の言葉を重ねる。


「まあ、貴方には何の影響もないことですもの。気になさらないで?」

「……フローチェ」


 ヴィレムが言葉を発した。

 感情は読み取れなかった。

 ひたすらに静かな声だ。少なくとも、怒りの色は現れていない。強いて言うならそれは落胆に似ていた。


「ど……っ、どうしましたの?」


 精一杯の虚勢を張って、フローチェは尋ねる。

 何故だか心臓がバクバクと早かった。ヴィレムが、フローチェからどのような言葉をかけられることを望んでいるのかが分からない。

 いやそれ以上に、何かを不安に感じていた。

 ヴィレムに言って欲しくない言葉があった。しかし、


「……分かった。俺はもう戻ろう」

「あ、あら。そうですの」


 幸い、ヴィレムはそれしか口にしなかった。

 打って変わったようにあっさりと、フローチェの脇をすり抜ける。

 けれど、未だに目を合わせることは出来なかった。


「見送りは要らない。間の悪い時に邪魔をして悪かったな」

「い、いえ。気になさらないで……?」


 ヴィレムの様子が明らかにおかしい。

 しかし、具体的にどうこう説明のつかない違和感だった。どこか覇気がない。何かいつもと違う。そんな漠然とした言葉でしか言い表せない。

 正なのか負なのか。

 せめて、ヴィレムの中に今ある感情の種類だけでも知ることが出来ればいいのに。


 結局、その後は無言のままヴィレムはハーンストラ邸を去っていった。

 馬車の音が遠ざかっていく。

 誰もいなくなった部屋で、フローチェは先程までヴィレムが座っていたソファーに腰掛ける。


「…………」


 無言で、先程のやり取りを思い返した。

 ヴィレムに言って欲しくなかった言葉────結局口にされることは無かったが、それはきっと「おめでとう」だろう。

 王妃の座は確実になったな、と祝福されるのだけは嫌だった。拒み続けてきた感情がまた膨らみだし、フローチェは頭を振る。

 振り切るように、勢いよく立ち上がった。


「お、王宮に上がる前に、計画を進めなくてはなりませんわね!」


 わざとらしく、先程言った台詞を口に出した。

 ああ、まただ。

 冷静に呟く自分がいた。

 誰もいないのに、何かを騙そうとフローチェは演じ続ける。

 誰もいない舞台で、一人。


「まずはあのブレフトを完全に騙さなくては。愚かな令嬢役、私に上手くできるかしら? あの男が私の言動で踊らされるのはなかなか見ていて楽しそうだけれど。あら、この台詞はなんだか悪女っぽいわね。いけそうな気がしてきましたわ」


 上滑りする言葉を並べ、作りなれた笑みを浮かべる。

 ぺらぺらと一人で話し続ける姿は、傍目から見たら不気味なものだろう。滑稽だと、フローチェは自らを笑う。

 ああ……歪んでいる。

 誤魔化すのだけはきっと誰よりも上手にできるのだ。


 なにせフローチェは、公爵令嬢として己を押さえつけられることへの反感を、好いてはならない相手……ブレフトへの異常なまでの恋慕へ変換することで十年以上も己を騙し続けた。

 そして、歳に見合わず熟成した完璧な令嬢を演じる釣り合いを取るように、ブレフトに関わることでは反対に幼児化する。


 そうして己の中の均衡を保って生きてきたのだ。

 歪んでいるというより、真っ直ぐになるように歪めたと言ったほうが正しい。


「でも、ヴィレムは本当にどうしたのかしら。あの人には何も関係の無いことですのに」


 不思議そうに小首を傾げる。

 世間知らずで無邪気な少女のような仕草だ。そう見えるように作り上げたもの。

 吐き気がするほどの嘘の中で、フローチェは言う。


「気にかけてくださらなくて結構なんですけれど……」


 これも嘘だ。

 送り出して欲しくないに決まっている。

 行くなと引き止めて欲しい。そんなことは夢物語だけれど。


「やはり、計画のことを心配しているのかしら。でも、あの男に従っているフリをするのは簡単だと思いますわ。叔父様は私が傀儡だと信じるでしょう」


────人は、信じたいものを信じるもの。


 ぽつりと、フローチェは呟いた。

 そして、止まることなく喋り続けていた口を閉ざす。

 ヴィレムがここにいた温もりを確かめるように、ソファーの縁を指先でなぞった。

 そうだ。

 人は信じたいものを信じようとする。


「貴方がずっと傍にいるって、私、信じていたもの……」


 何の確証もないまま、邪魔な思考と疑いは綺麗に削除して。


(……だって……仕方が無いでしょう?)


 突然、見慣れた色のソファーが滲んだ。

 ぽたぽたと落ちていくそれに引き摺られるように、震える唇から言葉が落ちた。


「信じていたかったのよ……私は……貴方のことが、好きだったから」


 この想いこそ、誤魔化してしまえればいいのに。

 否定をし続け自分を騙していれば、消えてくれればいいのに。

 なのにどうして、日毎に熱が増していく。


「遅すぎるわ。全部。馬鹿みたいですわ」


 ヴィレムが冷たい男だったのなら、フローチェが彼の恋愛対象ではないと分かった今、告白して玉砕するのもいいかもしれない。


(でも……駄目ね。ヴィレムは必ず私を気遣うわ)


 どうにか宥めて、その想いは王子妃になる不安から来る勘違いだと諭すだろう。彼は、そういう優しい人だ。


(いつから私の中にあったは分からないけれど……それでも)


 この想いが勘違いだと否定はされたくない。

 これは確かに、フローチェの中に強く息づいている。

 せめて、アダム王子と婚約をするまでは、忘れたいほどに苦しくて、どうしようもないほど愛おしいこの気持ちを、大切に抱えていよう。


 打ち消すのではなく、密やかに手放したい。

 いつかヴィレムが誰かと結ばれるとき、かつて心から愛した人を祝福できるように。


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